上 下
76 / 143
テレーゼ様と私

76.グランドツアー【加筆修正】

しおりを挟む

 いつもの凛とした、公爵令嬢を誇ったテレーゼ様ではなく、しおらしく身を縮めてはにかむ姿は、女の私から見ても愛らしかった。

 クリスに、どんな条件や代償の提案を突きつけたのかは知り得ないけれど、あの二曲分のダンス中の会話の内容は、恐らくこれだろう。

 そして、クリスがその提案に乗ったから、テレーゼ様は「私」のアンジュリーネ 友人を名乗ることにしたのだ。

従堂妹はとこ姫二人して才女なのかい? 頼もしいことだね」

 シュテファン様が微笑むと、テレーゼ様は赤面して俯いたまま浅めにカーテシーを返し、下がって私の後ろに立つ。
 この変わり様は如何したものか。


「公爵さまもシュテファン様も、立ち話もなんです、お茶でも淹れさせますから、館の中へ入られては?」

 お祖父さまが声をかけると、シュテファン様は礼を言って、テレーゼ様の手を取り、玄関口へ向かう。

「息子を迎えに来ただけだったんだが⋯⋯」
「子供じゃないっての。親に迎えに来てもらうってなんだよ」

 拗ねるようなクリスが、子供の頃の姿と重なって、少し懐かしくなる。

 思案する公爵さまに、ヒューゲルベルク公閣下もああ言ってくださっているのです、無碍に断るのも失礼なのでは? と、ラースさんが取りなし、見送りの場は、一旦、サロンでの茶話会に変わる。

 確かにお祖父さまとしては、領邦侯(テッレトリウム小国主)と辺境伯(マークグラーフ 国境地帯防衛軍事長官)子息を迎えて、もてなさずに帰す訳にはいかないだろう。

 シュテファン様がテレーゼ様をエスコートしたようにクリスも私の手を取り、公爵さまに続いて屋敷の中へ戻っていく。

 ジェイムスさんはある程度予想していたのだろう、実はクリスの馬を用意していなかったのである。王都に滞在中の荷物を載せたはずの馬車も、格納庫にからの状態で、昨日到着後に収めたままだった。
 ラースさんの、公爵さまが訪問されるという先触れから予測を立てていたのだろうからさすがである。



クリスのお父さま──ルドルフ様は、一度懐に入れることを許した相手には大らかに対する人らしく、子供の頃の思い出の中の頼もしさと優しさがより強く感じられる。

 でも、私は、シュテファン様は苦手だなと思った。

 テレーゼ様には邪気のない、爽やかで美しい微笑みを投げかけ優しく話すけれど、時折私に向ける目が、何かを探るようで怖い。

 「お前の秘密を知ってるぞ」と言っているようで、落ち着かないのだ。

 何を知っていて何を疑い、どう探っているのかはわからないけれど、素直に従弟の婚約者を見ている目には思えない。

 私が、身代わりの偽者だと知っている? でも、お嬢さまと面識はなさそうだった。
 ご本人も、一度会ってみたいという言い方だったし。

 偶々、ハインスベルクに、叔母や従弟に会いに来ていただけで、叔父について来たと言っていたけれど、ここへ来るかどうかはわからないのに、何かを狙って来たとは思いたくない。

 あの、意味ありげな視線の意味を知りたいけれど、知るのが怖い。

 テオドールお兄さまの、最初の探るような目に近いけれど、あれよりも怖い。


「クリスとアンジュリーネ嬢は、とても仲がいいんだね」

 シュテファン様の視線は、私の左手を握るクリスの手に注がれる。

 「私よりも美少女だった」がツボに入ったらしいお兄さまに笑われたけれど、昔話を出した事でクリスの肩の力が抜けたのか、王都の街歩きのデートの時よりも態度が軟化している。

「シュテファンがアンジュを口説かないように見張ってるんだ。さっきのあれ、なんだよ」
「気を悪くしたかい? 本気で口説いたとか誘った訳じゃなくて、クリスの嫁になるのにどれくらい覚悟があるのかなとか、そんなに勉強して何になるつもりなのかなとか、色々訊いてみたかったというか、クリスが必死だからちょっと揶揄からかっただけなんだよ」
「タチ悪いぞ」
「ごめんごめん」

 従兄弟同士でも、シュテファン様の方が圧倒的に上位の人なのに、人前でこの気安さは、本当に仲のいい、良い付き合いをしてきたんだろう。

「でも、ちゃんとアンジュリーネ嬢は断りを入れて、クリスを支えると言っただろう? 心配することないよ」
「⋯⋯こんな事を伺うのは失礼だとは思うのですけれど」
「可愛い従弟の婚約者だ、何でも訊いてくれていいよ」

 嘘くさいという事はないけれど、どこか背が寒くなる笑顔に怯みそうになる。

「シュテファン様は、ご婚約はされていないのですか?」

 貴族の婚姻関係の噂は素速くまわるものだけど、辺境伯の跡取りに婚約者が居るとは訊いたことがない。

「ああ。それがね、いないんだよ。自分で思うよりもモテないのかなぁ? ⋯⋯という軽口はおいといて、実は、騎士の鍛練とグランドツアーに時間を取られて、あまり社交をしてこなかったんだ。だから、今はお嫁さん募集中かな?」

 グランドツアー!!

 財産の有り余るような、大貴族や王族でなければやり遂げられない、世界の先進国や聖地をまわって、家庭教師を伴っての文化や芸術、政治や経済、歴史や考古学などを学ぶ、数ヶ月から数年に及ぶ大旅行。
 中には女性修行を励む方もいらっしゃるとも聞く。件のルーゼンベルガー家のギュンター様などは、そのおかげで、恋の駆け引きや詩作などが上手く、工芸品や絵画などの芸術にも目が利いたという話だった。
 シュテファン様がその手合いだとは思いたくないけれど。

 という事は、シュテファン様が辺境伯を継がれるのはほぼ確定なのね。

 国境を守るのも、外交をするのも、相手の国を知らねば始まらない。

「陸続きの国に行くときは、クリスも一緒に行ったんだよね」
「全部じゃないけどね。大学にも通ってなかったし」

 話を聞いている間も、私の手を握るのは離さない。
 温かいし、シュテファン様に見られている緊張感が、クリスの温もりでなんとなくほっとする。 


「クリス、そんなに離れがたいか。正式に婚姻生活を始めるまでまだ1年近くあるぞ?」
「このまま連れて帰りたい⋯⋯」

 公爵さまの苦笑しながらの言葉にクリスが小声でボソッと返し、どっとこの場の皆が笑う。私以外。

 冗談じゃない。この国を離れたら、お嬢さまと入れ替われなくなる。
 そうなったら、私は、いずれ身代わりがバレて、平民なのに貴族を詐称した罪人になってしまう。 

 クリスを微笑ましく見守るまわりの人達と私の心中の、その温度差は、とても笑えるものではなかった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうせ結末は変わらないのだと開き直ってみましたら

風見ゆうみ
恋愛
「もう、無理です!」 伯爵令嬢である私、アンナ・ディストリーは屋根裏部屋で叫びました。 男の子がほしかったのに生まれたのが私だったという理由で家族から嫌われていた私は、密かに好きな人だった伯爵令息であるエイン様の元に嫁いだその日に、エイン様と実の姉のミルーナに殺されてしまいます。 それからはなぜか、殺されては子どもの頃に巻き戻るを繰り返し、今回で11回目の人生です。 何をやっても同じ結末なら抗うことはやめて、開き直って生きていきましょう。 そう考えた私は、姉の機嫌を損ねないように目立たずに生きていくことをやめ、学園生活を楽しむことに。 学期末のテストで1位になったことで、姉の怒りを買ってしまい、なんと婚約を解消させられることに! これで死なずにすむのでは!? ウキウキしていた私の前に元婚約者のエイン様が現れ―― あなたへの愛情なんてとっくに消え去っているんですが?

乙女ゲーム攻略対象者の母になりました。

緋田鞠
恋愛
【完結】「お前を抱く気はない」。夫となった王子ルーカスに、そう初夜に宣言されたリリエンヌ。だが、子供は必要だと言われ、医療の力で妊娠する。出産の痛みの中、自分に前世がある事を思い出したリリエンヌは、生まれた息子クローディアスの顔を見て、彼が乙女ゲームの攻略対象者である事に気づく。クローディアスは、ヤンデレの気配が漂う攻略対象者。可愛い息子がヤンデレ化するなんて、耐えられない!リリエンヌは、クローディアスのヤンデレ化フラグを折る為に、奮闘を開始する。

所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!

ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。 幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。 婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。 王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。 しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。 貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。 遠回しに二人を注意するも‥ 「所詮あなたは他人だもの!」 「部外者がしゃしゃりでるな!」 十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。 「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」 関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが… 一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。 なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…

愛する寵姫と国を捨てて逃げた貴方が何故ここに?

ましゅぺちーの
恋愛
シュベール王国では寵姫にのめり込み、政を疎かにする王がいた。 そんな愚かな王に人々の怒りは限界に達し、反乱が起きた。 反乱がおきると真っ先に王は愛する寵姫を連れ、国を捨てて逃げた。 城に残った王妃は処刑を覚悟していたが今までの功績により無罪放免となり、王妃はその後女王として即位した。 その数年後、女王となった王妃の元へやってきたのは王妃の元夫であり、シュベール王国の元王だった。 愛する寵姫と国を捨てて逃げた貴方が何故ここにいるのですか? 全14話。番外編ありです。

完結 お飾り正妃も都合よい側妃もお断りします!

音爽(ネソウ)
恋愛
正妃サハンナと側妃アルメス、互いに支え合い国の為に働く……なんて言うのは幻想だ。 頭の緩い正妃は遊び惚け、側妃にばかりしわ寄せがくる。 都合良く働くだけの側妃は疑問をもちはじめた、だがやがて心労が重なり不慮の事故で儚くなった。 「ああどうして私は幸せになれなかったのだろう」 断末魔に涙した彼女は……

転生おばさんは有能な侍女

吉田ルネ
恋愛
五十四才の人生あきらめモードのおばさんが転生した先は、可憐なお嬢さまの侍女でした え? 婚約者が浮気? え? 国家転覆の陰謀? 転生おばさんは忙しい そして、新しい恋の予感…… てへ 豊富な(?)人生経験をもとに、お嬢さまをおたすけするぞ!

婚約者を奪われた伯爵令嬢、そろそろ好きに生きてみようと思います

矢野りと
恋愛
旧題:私の孤独に気づいてくれたのは家族でも婚約者でもなく特待生で平民の彼でした 理想的な家族と見られているスパンシ―伯爵家。 仲睦まじい両親に優秀な兄、第二王子の婚約者でもある美しい姉、天真爛漫な弟、そして聞き分けの良い子の私。 ある日、姉が第二王子から一方的に婚約解消されてしまう。 そんな姉を周囲の悪意から守るために家族も私の婚約者も動き出す。 だがその代わりに傷つく私を誰も気に留めてくれない…。 だがそんな時一人の青年が声を掛けてくる。 『ねえ君、無理していない?』 その一言が私を救ってくれた。 ※作者の他作品『すべてはあなたの為だった~狂愛~』の登場人物も出ています。 そちらも読んでいただくとより楽しめると思います。

愛していないと離婚を告げられました。

杉本凪咲
恋愛
公爵令息の夫と結婚して三年。 森の中で、私は夫の不倫現場を目撃した。

処理中です...