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1 諦めた私

1‑8 国防の勇士

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     💂

 殿下に送られる馬車に護衛についていた騎士の内、一人が馬を常歩から速歩に変えて隊列から離れる。
 アァルトネン公爵邸へ、私を送る殿下についての先触れだろう。

 商店街や加工品工房などの並ぶ商業区から、立派な石造りの橋で運河を渡り、貴族街へ出入りする人物を精査する守衛が、馭者と話している。

 殿下が馬車の内側から窓幕を少し捲り、顔を見せると、たまたま今日の当番が王城守護軍から出向している顔見知りの騎士だったのだろう、敬礼をして、通行の許可を出す。

「顔が知られていると自由にプライベートを過ごしにくくなるけれど、こういう時は有名税も悪くないと思うね」

 貴族屋敷街に住む各家から守備兵を当番制で派遣し、王城守護軍からの騎士との複数ペアで警備に付く。
 貴族達の派遣する兵だけでは(勝手な)融通を利かせようと鼻薬を嗅がせる者が出て来るし、王城守護軍の騎士だけでは勝手がわからず後手に回る事もある。
 両者がペアを組み、複数組で任務に就くことで、互いを監視牽制し、民官で協力し合える。

 王城軍の騎士は殿下の顔見知りだったようだが、三組任務に就いている貴族達からの派遣騎士の一人は、アァルトネン家の分家の侯爵家の二男で、私も何度も言葉を交わしたことがある人物だった。

「⋯⋯セオ従兄にいさま」

 久し振りに見る精悍かつ優しげな顔に懐かしさからつい口をついて、セオドア従兄にいさまの名を呼んでいた。

「ああ。アァルトネン侯爵家の二男か。親しくしていたのかい?」
「デビュタント前に、慣れないわたくしのために、ダンスの練習に何度も付き合ってくださったり、もっと小さい頃に遊んでもらったことも。妹が生まれる前、兄弟がいないわたくしには本当のお兄さまのように可愛がっていただきました」

 今でも、毎年、誕生日には贈り物が届く。繊細で瀟洒なリボンであったり、爽やかな香りの押し花が添えられた栞であったり、存在感を主張せず押しつけがましいこともない、ちょっとした日常使いにいい小物なのは、センスがいいと思っていた。

「そう」

 私の呼びかけが聴こえた訳ではないだろうけど、窓幕の隙間から、セオドア従兄にいさまが中をあらためてきた。

「エステル? 殿下と交流があったの?」
「いえ。たまたまです。ここまで送っていただいたの」

 崖から落ちた(身を投げた)事は言わないでおこう。

「学校での魔法研究室に参加して欲しくて口説いてる途中なんだ」
「え?」

 そんな話は聞いてない。けど、崖から落ちたことを言わないために、殿下が気をつかってくださったのだろう。

「ああ。エステルは、歴代アァルトネン一族の中でも特に魔力量が多いし、守護精霊も大きいから、殿下の研究には役立ちそうですね」
「そうなんだ。セオドアからも、勧めてくれるかい?」
「エステル。確かに、僕も、クレディオスなんかとチマチマ論じているよりよっぽど有意義な魔法研究が出来ると思うぞ。殿下は、国内一番の魔力の持ち主だし、国防のゆうだしな」

 崖の亀裂の中に、昼間のように明るくなる〘明光〙 ライティング を維持したまま〘浮遊〙 フローティングで降りて来て、私を抱きかかえたまま地上まで上昇して、同時に三つ、いやそれ以上の魔法を使っていたであろうのに、少しも疲れた風もない。
 複数の魔法を同時展開してコントロールが乱れるどころか余裕すらある殿下は、自他共に認める国内でも一番の魔力量と魔力純度を誇る使い手である。

 国防のゆうというのは、王城の裏手の森から先のブオリ山が、国土を見守る高台に建てられた王城と城下町に向けて、連日の豪雨の後の山津波を起こしたとき、殿下は咄嗟にお一人で薙ぎ倒された樹木や巨岩を含んだ土石流を抑え込まれた。
 その後、殿下が支えている状態で、宮廷魔法士と魔法士学校の上級生──特に土魔法や緑魔法が得意な者で少しづつ堰止められた土石流を分解、植林し直し巨岩を組み上げ、林道や水源を整備した。

 その間、何日も殿下は土石流を支え続けたのだ。
 もちろん、土石流の撤去が完了するまでは、第三王子殿下や他の王族達も、土石流が王都に押し寄せないよう防御壁を打ち立てたり王都に巨大な防護領域セイフティエリアを張ったり、土石流を支える力に同調して上掛けしたり、協力してのことではあるけれど。

 あの時は、私も参加した。
 さすがに疲労を見せる殿下に魔力譲渡をしたり、怪我をした騎士や兵士、国土省の調査員を治療したり、土石流の分解振り分けなどを手伝ったりした。

 あの時、私も、貴族達も国民も、国中の全ての人が、殿下を国防の勇士としてたたえ、感謝し、尊敬した。
 お人柄だけでなくそう言う意味でも、陛下や王太子殿下よりも求心力が高いのだ。

「もちろん、光栄なお話ではありますわ」

 そう。本当に誘われていたら。
 昨日までの私なら、お断りしていたかもしれない。
 でも、母亡き後の空いたポストに就けなかった事を愚痴る父に認められることを諦めた今、父に気を遣うことも、婚約者であったクレディオスの手前、殿下のそばで働く事になんら遠慮をする必要もなくなったのだし、私が魔法士として研鑽を積むのにこれほど恵まれた環境はないと言える。

 セオドア従兄にいさまには、曖昧に微笑んでおいた。

 馬車がゆっくり走り出すと、殿下は窓の幕布を引き、外から見えないようにする。

「適当に言った話だと思う?」
「え?」

 殿下は、間近で見ればどんな令嬢も頰を染めて見蕩れると思われる美貌を微笑みに変えて、私と真っ直ぐ目を合わせて来た。




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