伯爵令嬢と想いを紡ぐ子

ちさめす

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 評議会館の横は大きな噴水のある公園となっている。


 城下町の中央は国政関係の建物が密集しているためか城下の人々はあまりここには来ない。また時間も既に夕刻を過ぎて暗くなり始めている。周りを見渡しても他に人はいなかった。


 空には月が薄く顔を出していた。


「殿下……私は、殿下に婚約破棄の撤回をお願いしに参りました」


「すまないルーナ。婚約破棄の撤回はしない」


「そうですか……。一度殿下がそうお決めになったことですものね。……ですが殿下、やはり私は殿下を愛していた身、せめて理由をお聞かせいただけないでしょうか」


 少しの沈黙が流れたのち、殿下は口を開いた。


「……私にはかつて、愛していた女性がいた」


 ――セレーネ様のことね。


「私は彼女と婚約を交わし、私たちは永遠の愛を誓った。ところが、彼女は亡くなってしまった。そしてそれは叶わぬ想いとなった……」


「私は悩んだ。悩みに悩み、そして出した結論は、彼女を想い続けることだった」


「そして君と出会った。初めて君を見たその日から、私は君に彼女を重ねた。そして、彼女と恐ろしいまでに似ている君のその瞳は私をどこまでも苦しめた。君と目が合う度に想うのはいつも彼女のことだった……。そんな私に、とても君を見ている余裕なんてなかった」


「だから私は決断したのだ。ルーナ、私が君との婚約を破棄したのは、君を嫌いになったからなどではない。私が、君を想うことができなかった故の選択なのだ」


「そして私は、もう二度と君のように人を傷つけることがないよう、戒めをもって自分を変えようと決意した」


 ――それが宣誓。……殿下の位を辞して評議会員となる事実上の退位。


「……それはなりません」


 ぼそっと呟くようにいった。


「今、何と――」


「それはなりません!」


 今度ははっきりと。


「お言葉ですが殿下、それは勇気あるご決断とは思えません。惜しげもなく申し上げますと、それはただの……逃げです」


「何だと?」


「私は思うのです。殿下はあの日――想いを寄せるその御方を亡くされてから、何も変わられてはいないのではないかと」


 殿下は私を訝しむような目でみている。


「それはその御方への想いに縛られているという意味ではございません。殿下は、その御方を亡くされてからも殿下なりに前に進まれようと何度も努力をなされたと聞いています。でも結局、足は止まったまま変わらなかった……」


 ――人はすぐには変わらない。でもそれは決して悪いことではないと思う。人の想いを変えられないように、人もすぐには変わらない。


「……それでいいではないですか。それほどまでに殿下がその御方を想っていらっしゃるのでしたら、これまでのようにこれからも堂々と想うべきなのです!」


「何をいっている……? それでは、示しがつかないではないか!」


「誰にですか? 私にですか? この国にですか? そもそも、殿下のいう示しとはいったい何なのですか?」


「……威厳だ。私は国を代表とする者として民を導き、君をも導いていかねばならなかった。いついかなる時も先頭に立ち、人々の目標となり続けなければならなかった。でもそれは叶わなかった。その時に初めて知ったのだ。自分は大切な人一人も守れない弱く、目も当てられぬ存在なのだと」


「そのようなことは――」


「ルーナ! 私がかつて愛した女性は……戦時中、私の目の前で射貫かれたのだ。彼女は最後のその瞬間まで、私の安全を願っていた! 自身のことなど顧みずただ私のこと想いながら、私の腕の中で息絶えたのだ……!」


 ――知らなかった……。このことは恐らくはピーター様もシープ様も知らない。殿下だけがもっている想いなのだわ。


「私は思った。なんて私は惨めなのだろうと。……彼女は初めからそうだった。自分のためにではなく私のために生きていたのだ。果たして、同じことが私にできただろうか? 否。私は彼女ほど強くはない、あの時の私はその想いでいっぱいだったのだ」


 ――だけど変わらなかった。


「なのに……なのにだ! あの時の私は酷く打ちのめされた! このままではいけない! 誰にも示しがつかない! だから変わらなくてはいけなかった! 生前に彼女と約束した――誰もが認める素晴らしい殿下となるために!」


 殿下は噴水を囲う鉄柵を力いっぱいに叩いた。殿下の苦い表情に私の心は押しつぶされそうになる。


「……だが、結局は今も同じ過ちを繰り返している。何も変わらないまま君と婚約し、愛のない形式だけの結婚に果たして何の示しがあるというのだ! ……だから、私は婚約を破棄したのだ」


 ――そう。そして殿下は、前と変わらない方法で自分に戒めの枷を着けた。それが間違っているとも気づかずに。


「私はもう同じ過ちを繰り返さない。今は亡き彼女との約束を守るためにも、私は国を大事にこれからを生きると決めたのだ」


 ――殿下は本当に気づいていないのだろうか。セレーネ様はそうは望まれてはいないということに。


「……それは……その御方はそう望んでおられるとお思いですか?」


「当たり前だろう。彼女もきっとそう望んでいる」


 殿下の目には一片の曇りもなかった。


 ――やはり今の殿下は……。


 あの時、セレーネ様が愛された殿下のままだった。


 私は殿下に駆け寄った。


 そして、飛びつくように抱きついた。


 ――だから……今の私ができること、それは今の殿下を……あの頃のまま変わらない殿下を、ありのままに受け入れることだ。


「いきなりどうしたのだルーナ!? 誰かに見られているかもしれないのだ、一度離れた方が――」


「いいえ離れません。『オージ様』は私が目を離すとすぐに無理をなされる。こうして私が無理矢理にでも抑えておかないとちゃんと私の話さえ聞いてくれません」


「その言葉は!?」


 ――セレーネ様の言葉だ。今の私に貴方を思いとどまらせるほどの力はない。でも、セレーネ様の想いならきっと貴方に届くから……。


「それではなぜそこまでして自分を戒めるのですか? なぜ『私のこと』を忘れようとするのですか? なぜそうやっていつもいつも自分勝手に……一人で成そうとするのですか……? なぜこんなにも……『私のこと』を頼ってくれないのですか? なぜ……」


「ル、ルーナ……なぜそれを……?」


「私は別に構いません! 問題なんてありません……! 貴方が幸せになって下さるのなら……私は喜んでなりますから……」


 ――あなたが想うセレーネ様に私はなりますから……。


「何を……いっている、のだ……?」


「もういいのです! 貴方は十分に向き合ってくれました……。だから、だからこれからは……ありのままの貴方でいてください……セレーネ様が愛したのは、今の貴方なのですから……!」


「な!? なぜセレーネの名前を知っている!?」


「これからは貴方の想うままにセレーネ様を愛してください……。セレーネ様は貴方の御心にずっといらっしゃいます。その想いを捨ててはなりません! 貴方がセレーネ様を想うことで幸せになるのなら……私をセレーネ様と重ねることで貴方が幸せになるのなら……それは私の幸せでもあるのです……」


「ルーナ……」


「私はこれまでもずっと貴方を想ってきました。たとえ貴方が私を想っては下さらなかったとしても、私は貴方をずっと想ってきました。そして気づいたのです……。人を想うことは、本当に幸せなことなのだと。貴方の側で、貴方のことを想うだけで私は幸せなのだと……!」


 私は涙を流して訴える。


「私は……貴方を失いたくはないから、これからは私が御傍で貴方のお世話を致します」


 抱きしめる手に力が入る。


「だから……婚約を破棄するなんてことはいわないでください……貴方のこれからを私は御傍で見守りたいから……」



 ◇◇◇



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