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現在の僕達(2023年11月)

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朝の通勤時間帯。
仕事へ向かう人々を、次々吸い込むベッドタウンの駅。
人の流れに乗って歩む僕の背に、凛と通る少年の声が届く。

「オッサン!」

まだそんな歳でもない気がするんだけどな、と思いながらも振り返れば、今渡った横断歩道の向こうで僕の弁当包みを高く掲げている少年の姿があった。
「おーいっ。弁当忘れてんぞーっ!」
信号はもう、赤に変わっている。
十一月の朝の澄んだ空気の中で見る少年は、紺色の高校制服に金髪が鮮やかに映えていた。
走って来たんだろうか。肩を揺らしている彼の白い頬は、ほんのり桃色に色づいている。
振り返った僕を見てホッと安堵を滲ませた彼の顔に、じわじわと不服そうな色が浮かぶ。あれは『俺がせっかく作ってやったのに、忘れて行くなんて』という顔だなぁ。

「弟か? 歳離れてんだな」
隣から同僚に声をかけられて、僕は答えに迷った。
会社が一部を借り上げているマンションには同じ職場の人が数人住んでいて、こんな風にたまたま通勤途中で一緒になるようなことがある。
「うん……、まあね」
「けど、地味でもさもさ頭なお前の弟が、長髪で金髪とは意外だな」
もさもさ……。
もさもさ、だろうか。確かにちょっと伸びている気はしていたけれど。
そろそろ切りに行く方がいいかな。と思いながら答える。
「あれは美容師をしてる友達の練習用だそうだよ」
僕と同じくスーツ姿の同僚は、僕と違って明るい色に染められたサラサラの髪を揺らして話す。
「はー、なるほど。確かに長い方が練習台にはよさそうだが。じゃあそのために伸ばしてるのか? お人好しなとこはお前に似てるんだな」
「そうかも知れないね」
同僚の言葉に、僕は曖昧に返す。
実際は僕と彼に血の繋がりは無い。それどころか、戸籍上の繋がりだって無い。
だけど、僕達は一緒に暮らしていた。
「つかお前、よくオッサンって呼ばれて振り返ったな。家でもそう呼ばれてんのか?」
「あはは……、まあね」
そんな会話のうちに信号は赤から青へと変わる。
僕が向こうへ渡ろうとすると、それより早く少年が駆けて来た。

「ほらよ」
ずいと差し出された弁当包みを両手で有難く受け取る。
「ごめん。ありがとう。……学校は間に合う?」
「ん、急げばちょい遅刻くらいで済むから、心配すんな」
「本当に、ごめんね……」
「もういいって。オッサンは仕事頑張って来いよ」
そう言ってくるりと背を向け駆け出そうとした少年が、点滅する青信号に小さく舌打ちする。
慌てて来てくれた彼は、次は急いで学校に向かうのだろう。
彼の焦る様子は、僕を酷く不安にさせた。
「先生に訳を聞かれたら、僕のせいだって言ってね」
「んな気にするほどのことじゃねーって」
「気をつけて……、その、あんまり急ぎ過ぎないで行ってね」
僕のせいで、彼が焦ったために事故にでも遭ったら……と。
胸の内に、父が帰って来なかった日の事が鮮明に蘇る。
『車に気をつけて』とは言えなかった。
口に出してしまうと、何だかそれが手の届くところまで来てしまうようで、僕には怖かった。
ポンと腕を叩かれて俯きかけていた顔をあげれば、少年はニッと悪戯っぽい笑顔を見せる。
「ちゃんと気ぃ付けて行くから心配すんなって。それより今夜は唐揚げだからな、早く帰って来いよ!」
まるで僕を励ますように、少年はそう言い残すと振り返らずに横断歩道を駆け抜けて行く。
駅を目指す人々で少年の小さな背はあっという間に見えなくなった。

大丈夫かな……。
何事もないといいんだけど……。

どうか、彼が無事に学校に着きますように。
そして、無事にうちへ帰って来てくれますように。

心の中で祈りながら駅へと向き直れば、隣から同僚の明るい声がする。
「お、いいなー、唐揚げ。俺も唐揚げ弁当でも買いに行くかな」
言われて、もらったばかりの少年の言葉を反芻する。
唐揚げかあ……。うん、夕飯が楽しみだ。
「お前、ちゃんと料理するんだな。いい兄ちゃんじゃないか」
同僚の言葉に、僕は首を振る。
「いや、僕は料理は全然出来ないんだ。あの子が作ってくれるんだよ」
「へ? そーなのか!? 唐揚げを!?」
「うん。唐揚げも、お弁当も」
「マジか。弟くん凄いな。そりゃ自分の作った弁当忘れられたら追っかけてもくるな」
ハハハと笑われて、自分の不甲斐なさに苦笑しながらも、彼を褒められた事が嬉しい。
唐揚げは僕も好きで一人暮らしの頃は唐揚げ弁当もちょくちょく食べていたけど、彼の作る唐揚げは、そこらの弁当の唐揚げとは違うんだ。
外はパリッとして、中は柔らかくて、一口かじれば肉汁がじゅわっと広がる。
かじったところから汁が溢れるのがもったいなくて、僕はいつもひと口で食べるようにしていた。
味付けも、薄味ではないのに後で喉が渇く事もなくて、僕には丁度良い。
そこまでで、ふと昨夜のことを思い出す。そういえば昨日は食後に水を飲んでいると、彼に声をかけられた。
『喉渇いたのか? 味付け濃かったか?』
僕は「ううん、何か飲みたくなっただけだよ」と答えたけれど、今までもそんな風に声をかけられることは何度かあった。
もしかしたら、彼は僕の反応をひとつずつ料理に反映していたんだろうか。

そうか……。

たまたま僕に丁度良い味だったんじゃなくて、僕のために、僕の好みの塩加減で作ってくれてたんだ……。
気付いて、僕は胸に湧くくすぐったい喜びを堪えようと、ぎゅっと目を閉じる。
マスクのおかげで口元は見えないけど、あんまり弛んだ顔をしていたら、隣を歩く同僚に気付かれてしまいそうだ。

閉じた眼裏に、初めて言葉を交わした日の、今よりもう少し幼い彼の姿が蘇る。
もうあれから一年が過ぎたんだね……。

僕は、改札を通りながら、少年とのこれまでの日々を振り返った。
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