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白い場所
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ケルトの気配が膨れ上がる。人ではなく、魔物の気配で。
「ケルト!」
素早く少年へ駆け寄るリンデル。
しかし伸ばした手は、触れた瞬間、痛烈な痛みと共に弾かれる。
一瞬、腕ごと吹き飛んだ気がして、リンデルは自身の腕を目視した。
「待て、ケルト!」
遅れて駆け付けたカースが腕を伸ばすも、それが届くより早く、少年の輪郭はどろりと闇に溶け失われた。
「チッ、リンデル! 避けろ!!」
少年だったものは、まるで金色の青年を飲み込もうとするように大きく広がる。
リンデルはその闇へと手を伸ばした。
見失ってしまったケルトに、もう一度出会うために。
「今は無理だ!」
カースが反対側の腕を引く。
「っ……俺は! ケルトを諦めない!!」
金色の青年が、一瞬だけカースを振り返った。
この腕を振り払われる、とカースが確信する。
瞬間、カースはリンデルの手を離すと、背を押すようにして一緒に闇の渦へと飛び込んだ。
「カース!?」
闇の中は、苦しみが逆巻く嵐のようで、全身を刻むような痛みがひっきりなしに襲う。
「俺だけ生きろなんて、お前に言われてたまるかよ!! 死ぬときは一緒だっつったろ!!」
暗闇の中で、カースが叫んだ。
それは、俺を殺したくなきゃ、一緒に生き残れと言っているようにリンデルには聞こえた。
「あいつはまだそこにいる! 手を伸ばせリンデル!!」
ぐいと、体重をかけて、カースがリンデルの背を押す。
痛みの向かってくる方へと、リンデルはカースの力を借りて歩を進めた。
何かに手が届いた。途端、激しく切り付けて来るような痛みと、会話も困難なほどの轟々とした音が止んだ。
シンとしたそこは、現実とは程遠い、見渡す限り真っ白で何もない空間だった。
「わ。カース、血だらけ……」
リンデルが、男を振り返って言う。
「お前のが酷ぇよ」
男は息を整えながら答えた。
「あ……ほんとだ……」
見れば、リンデルの手はほとんどその形を残していない。
怪我を確認した途端、痛みが全身に走り、リンデルはその場に片膝をついた。
「大丈夫だ。俺が治してやる」
そう言って、カースはリンデルの血まみれの手を取ると、愛しげに口付ける。
無いはずの部分に熱を感じて、リンデルはこの傷が心に受けたものであることに気付いた。
カースにそっと愛を注がれる度、リンデルの怪我は治ってゆく。
「わぁ……」
リンデルが呑気な声をあげるのを、カースが半眼で見上げた。
「おい、後ろ振り返ってやれ」
言われて振り返ると、先ほどリンデルが手を伸ばしたあたりに、ケルトが立っていた。
「ケルト……よかった……」
笑顔で手を伸ばされて、ケルトは一歩退いた。
「ケルト……?」
少年は青ざめた顔で、まだ全身を切り裂かれたまま、血に濡れる二人を見つめている。
「……俺を、殺してくれ……」
少年の言葉に、リンデルは凍り付いた。
「リンデル。お願いだ……。きっと、ここでなら、俺は死ねる……」
縋り付くような瞳で、ケルトがリンデルを見上げる。
「っそんなの出来ないよ! 俺は、ケルトを助けたい。ケルトだって、助けられたいと思ってる。それなのに、そんな事は出来ない!」
リンデルがケルトの淡い緑の瞳を見つめて言い切る。
これはリンデルの本心だ。
「けど……俺はリンデルを……傷付けたくない……」
しかし、ケルトの言葉も、また本心だった。
ケルトが、縋るように、祈るように、リンデルの向こうのカースを見る。
カースには少年の求めが分かったが、小さく首を振って、口を開いた。
「いいか、落ち着け。ケルトも、リンデルもだ」
二人の間に割って入ろうとするカースだったが、それは一歩遅かった。
「ケルト……、俺と一緒に、帰ろう?」
優しく微笑むリンデルの指が、まだ血に濡れた指が伸ばされて、ケルトは怯えた。
心から恐怖した。
またこの手を、傷付けてしまうことを。
怖れは一瞬でその形を変え、リンデルを拒絶した。
結果、リンデルはなす術もなく血の海に沈む。
「リンデル!」
叫ぶ男の声が、ケルトにはどこか遠く聞こえた。
「ぁ……」
リンデルを助けなくては。
けれど、ケルトが手を伸ばせば、リンデルはもっと傷付いてしまうだろう。
「あぁ…………」
ケルトは、どんどん広がってゆく血の海から逃げるように、後退る。
「あぁぁぁあああああああああああああああああ!!!!!」
ケルトの絶叫が、空間を引き裂くように響き渡る。
カースは、リンデルを抱き起こすと血に濡れた唇に構わず口付ける。
「……ぅ」
と小さな反応に、まだ大丈夫だと胸を撫で下ろす。
まだリンデルの心は生きている。
次はケルトだ。
「ケルト! 聞こえるか!?」
外じゃどうなってるか分からないが、下手すりゃ今頃そこら中を魔物に囲まれてたっておかしくはない。
ケルトの瞳は開け放たれたまま、光を失っている。
「おい、ケルト、話を聞け!」
全く反応のないケルトに、カースは舌打ちつつ、もう一度リンデルに口付けると、そっとおろして立ち上がった。
効くかどうかは分からないが、やるほかない。
男は左眼を紫に染めて、ケルトの瞳を覗き込む。
術にかかった手応えはある。しかしその負荷は想像を遥かに超えた。
歪む視界を必死で保ち、はっきり告げる。
「落ち着け、俺の話を聞け」
そこまででカースは術を終了させる。これ以上は持ちそうになかった。
ケルトの瞳にじわりと光が戻る。
それを確認すると、リンデルの血溜まりを隠すようにカースはケルトへ背を向けた。
崩れるように膝をつくと、カースは荒い息の合間から、なんとか言葉を紡ぐ。
「……リンデル、なら、大丈夫だ……。こいつはそんなに……やわじゃ、ねぇ……。俺が必ず、こいつを、助ける……」
「カース……」
術のおかげか、ケルトの声は随分と冷静に聞こえた。
「とにかく、お前はそこに座れ……」
言われて、ケルトは大人しく座り込んだ。
男は、血塗れのリンデルに躊躇うことなく触れた。
愛しげに髪を撫で、閉じたままの瞼へ口付け、耳元へ愛を囁くように。
歪な姿をした肩へも、失われた腕へも、男は微塵も迷いを見せず、本来あるべきラインをなぞるよう撫でた。
まるで、この青年のことなら、隅々まで知っているとでも言うように。
男が触れるそばから、リンデルの傷が癒えてゆく。
四肢の全てがその姿を取り戻すと、いつの間にか血溜まりすら消えていた。
「リンデル、そろそろ起きろ。ケルトが心配してるぞ」
カースはそう言うと、金色の青年の頬を撫で、一層の愛を込めて口付けた。
「ぅ……ん……。…………カース……?」
金色の瞳が、緩やかに開く。
まるで、時間を気にせず微睡んだ午睡の後のように、リンデルは幸せな気持ちで目覚めた。
リンデルの声に、ケルトが思わず駆け寄る。
「リンデルっ! 大丈夫か!?」
「ああ、俺は大丈……っカース!? その眼……っっ」
リンデルの顔色が変わって、男は慌てて左眼を隠した。
手に伝わるドロリとした感触に、男は一瞬眉を寄せた。
左眼が痛むのはわかっていたし、何も映していないことも気付いていたが、何やら見た目に良くない感じになっていたらしい。
「大丈夫だ。気にするな」
短く答える男の顔色は、酷い土気色をしていた。
リンデルは自身と男を見比べて焦る。
自分はすっかり怪我もないというのに、男はまだ全身を刻まれたまま、赤々とした雫を点々と零している。
また、この人ばかりに無理をさせた。
俺は何を呑気に寝ていたのだろう。
「っ、カース、ごめんっ!」
たまらず、リンデルは男を抱き締める。
「おい、こら、ケルトが見て……っんっ」
嗜めるその口を、リンデルは唇で塞いだ。
男が少しでも元気になるように、その痛みが楽になるように、愛と祈りを込めて。
ケルトは一瞬たじろいだが、カースの傷が目の前で見る間に消えてゆく、その様子に目を奪われた。
リンデルは、男の中へとそっと侵入する。
「っ……、やめ……っ」
びくりと肩を震わせ、慌ててリンデルを押し退けようとする男を、リンデルは離さなかった。
「ぅ、んっ、んんっっ」
後頭部を支えられ、頭を離すことすら出来ずに文句を言うカースの口内を、リンデルはゆっくりと、隅々まで撫で回した。
もう少しだけ。カースの心から、涙のような血が零れないように……。
たっぷりの愛を込めたリンデルの口付けに、男はそれ以上抵抗できなかった。
恥ずかしさに頬を染め、精一杯ケルトの方を見ないようにしている男を、リンデルは一層愛しく感じる。
見える範囲の傷が癒えたことを確認すると、名残惜しそうにゆっくり男を離した。
「……っ」
男は、耳まで赤くして、俯くようにそっぽを向く。
見れば、ケルトも同じように赤くなっていた。
「ケルトも、びっくりさせちゃってごめんね。もっと早く伝えておけばよかったね」
そう言って、リンデルが微笑む。
まるで何事もなかったかのような、むしろスッキリしたような顔で。
「い、や……。俺こそ、勝手に動揺して……悪かっ……」
答えるケルトが、両目からぼろりと大粒の涙を溢した。
「ケルト……」
手を伸ばそうとして、リンデルがカースをチラリと振り返る。
カースが頷くのを見て、リンデルはケルトを抱き締めた。
ケルトにとって、リンデルのキスは生まれて初めてもらった愛だった。
いつだって笑顔で応えてくれるこの青年は、もしかしたら自分のことが好きなのかも知れないと、どこかで思ってしまっていたのだろうか。
そんなこと、あるはずがないのに……。
リンデルに抱かれたまま、じわりとケルトの輪郭が滲んで、カースがそれを撫でた。
あたたかい大きな手がゆっくりと自分を撫でる。
ここへ来てからこの男は、毎晩、ケルトが寝付くまでそうして撫でていてくれた。
今までは、眠るのが怖かった。
目を閉じてしまったら、もう人の姿を保てなくなりそうで。
もう、人だった自分すら、忘れてしまいそうで。
けれど、この男は毎晩、大丈夫だと囁くように、俺を撫でてくれた。
その手が大好きだった。
「リンデル、カース……」
名を呼ばれて、リンデルがそっと体を離し、金色の瞳で真っ直ぐケルトを見る。
「なんだ?」
カースも、いつもの低く優しい声で、短く答えた。
「二人は、俺のことが……」
そこまでで、言葉は途切れた。
「っ……」
言葉にしても良いのかを迷うように、ケルトは眉を顰めて息を詰める。
「なんでも聞いて?」
とリンデルが微笑む。
息を詰めたケルトの頬が徐々に色づくのを見て、質問を待たずにカースが答えた。
「俺はお前のこと……、かなり気に入ってるぜ」
男の返事に、リンデルが『なるほど』という顔をする。
「俺も好きだよ、ケルトのこと」
さらりと告げると、補足する。
「あとね、カースはこういう言い方だけど、これは大好きってことだよ」
「……」
カースは返す言葉もなく、照れ臭そうに眉を寄せて沈黙する。
「俺も、ケルトのこと、大好き!」
リンデルがおひさまのように笑うと、ケルトとカースへ両腕を広げて、二人同時に抱き締めた。
急に飛びついてきたリンデルにバランスを崩し、三人まとめて転ぶ。
ケルトが思わず閉じてしまった目を開くと、そこは洞穴の前だった。
「あ、戻った」
リンデルの声に、カースが低く呻く「状況は良くねぇが……」
「主人様っ!!」
悲痛な叫びは間近で聞こえた。
「ケルト!」
素早く少年へ駆け寄るリンデル。
しかし伸ばした手は、触れた瞬間、痛烈な痛みと共に弾かれる。
一瞬、腕ごと吹き飛んだ気がして、リンデルは自身の腕を目視した。
「待て、ケルト!」
遅れて駆け付けたカースが腕を伸ばすも、それが届くより早く、少年の輪郭はどろりと闇に溶け失われた。
「チッ、リンデル! 避けろ!!」
少年だったものは、まるで金色の青年を飲み込もうとするように大きく広がる。
リンデルはその闇へと手を伸ばした。
見失ってしまったケルトに、もう一度出会うために。
「今は無理だ!」
カースが反対側の腕を引く。
「っ……俺は! ケルトを諦めない!!」
金色の青年が、一瞬だけカースを振り返った。
この腕を振り払われる、とカースが確信する。
瞬間、カースはリンデルの手を離すと、背を押すようにして一緒に闇の渦へと飛び込んだ。
「カース!?」
闇の中は、苦しみが逆巻く嵐のようで、全身を刻むような痛みがひっきりなしに襲う。
「俺だけ生きろなんて、お前に言われてたまるかよ!! 死ぬときは一緒だっつったろ!!」
暗闇の中で、カースが叫んだ。
それは、俺を殺したくなきゃ、一緒に生き残れと言っているようにリンデルには聞こえた。
「あいつはまだそこにいる! 手を伸ばせリンデル!!」
ぐいと、体重をかけて、カースがリンデルの背を押す。
痛みの向かってくる方へと、リンデルはカースの力を借りて歩を進めた。
何かに手が届いた。途端、激しく切り付けて来るような痛みと、会話も困難なほどの轟々とした音が止んだ。
シンとしたそこは、現実とは程遠い、見渡す限り真っ白で何もない空間だった。
「わ。カース、血だらけ……」
リンデルが、男を振り返って言う。
「お前のが酷ぇよ」
男は息を整えながら答えた。
「あ……ほんとだ……」
見れば、リンデルの手はほとんどその形を残していない。
怪我を確認した途端、痛みが全身に走り、リンデルはその場に片膝をついた。
「大丈夫だ。俺が治してやる」
そう言って、カースはリンデルの血まみれの手を取ると、愛しげに口付ける。
無いはずの部分に熱を感じて、リンデルはこの傷が心に受けたものであることに気付いた。
カースにそっと愛を注がれる度、リンデルの怪我は治ってゆく。
「わぁ……」
リンデルが呑気な声をあげるのを、カースが半眼で見上げた。
「おい、後ろ振り返ってやれ」
言われて振り返ると、先ほどリンデルが手を伸ばしたあたりに、ケルトが立っていた。
「ケルト……よかった……」
笑顔で手を伸ばされて、ケルトは一歩退いた。
「ケルト……?」
少年は青ざめた顔で、まだ全身を切り裂かれたまま、血に濡れる二人を見つめている。
「……俺を、殺してくれ……」
少年の言葉に、リンデルは凍り付いた。
「リンデル。お願いだ……。きっと、ここでなら、俺は死ねる……」
縋り付くような瞳で、ケルトがリンデルを見上げる。
「っそんなの出来ないよ! 俺は、ケルトを助けたい。ケルトだって、助けられたいと思ってる。それなのに、そんな事は出来ない!」
リンデルがケルトの淡い緑の瞳を見つめて言い切る。
これはリンデルの本心だ。
「けど……俺はリンデルを……傷付けたくない……」
しかし、ケルトの言葉も、また本心だった。
ケルトが、縋るように、祈るように、リンデルの向こうのカースを見る。
カースには少年の求めが分かったが、小さく首を振って、口を開いた。
「いいか、落ち着け。ケルトも、リンデルもだ」
二人の間に割って入ろうとするカースだったが、それは一歩遅かった。
「ケルト……、俺と一緒に、帰ろう?」
優しく微笑むリンデルの指が、まだ血に濡れた指が伸ばされて、ケルトは怯えた。
心から恐怖した。
またこの手を、傷付けてしまうことを。
怖れは一瞬でその形を変え、リンデルを拒絶した。
結果、リンデルはなす術もなく血の海に沈む。
「リンデル!」
叫ぶ男の声が、ケルトにはどこか遠く聞こえた。
「ぁ……」
リンデルを助けなくては。
けれど、ケルトが手を伸ばせば、リンデルはもっと傷付いてしまうだろう。
「あぁ…………」
ケルトは、どんどん広がってゆく血の海から逃げるように、後退る。
「あぁぁぁあああああああああああああああああ!!!!!」
ケルトの絶叫が、空間を引き裂くように響き渡る。
カースは、リンデルを抱き起こすと血に濡れた唇に構わず口付ける。
「……ぅ」
と小さな反応に、まだ大丈夫だと胸を撫で下ろす。
まだリンデルの心は生きている。
次はケルトだ。
「ケルト! 聞こえるか!?」
外じゃどうなってるか分からないが、下手すりゃ今頃そこら中を魔物に囲まれてたっておかしくはない。
ケルトの瞳は開け放たれたまま、光を失っている。
「おい、ケルト、話を聞け!」
全く反応のないケルトに、カースは舌打ちつつ、もう一度リンデルに口付けると、そっとおろして立ち上がった。
効くかどうかは分からないが、やるほかない。
男は左眼を紫に染めて、ケルトの瞳を覗き込む。
術にかかった手応えはある。しかしその負荷は想像を遥かに超えた。
歪む視界を必死で保ち、はっきり告げる。
「落ち着け、俺の話を聞け」
そこまででカースは術を終了させる。これ以上は持ちそうになかった。
ケルトの瞳にじわりと光が戻る。
それを確認すると、リンデルの血溜まりを隠すようにカースはケルトへ背を向けた。
崩れるように膝をつくと、カースは荒い息の合間から、なんとか言葉を紡ぐ。
「……リンデル、なら、大丈夫だ……。こいつはそんなに……やわじゃ、ねぇ……。俺が必ず、こいつを、助ける……」
「カース……」
術のおかげか、ケルトの声は随分と冷静に聞こえた。
「とにかく、お前はそこに座れ……」
言われて、ケルトは大人しく座り込んだ。
男は、血塗れのリンデルに躊躇うことなく触れた。
愛しげに髪を撫で、閉じたままの瞼へ口付け、耳元へ愛を囁くように。
歪な姿をした肩へも、失われた腕へも、男は微塵も迷いを見せず、本来あるべきラインをなぞるよう撫でた。
まるで、この青年のことなら、隅々まで知っているとでも言うように。
男が触れるそばから、リンデルの傷が癒えてゆく。
四肢の全てがその姿を取り戻すと、いつの間にか血溜まりすら消えていた。
「リンデル、そろそろ起きろ。ケルトが心配してるぞ」
カースはそう言うと、金色の青年の頬を撫で、一層の愛を込めて口付けた。
「ぅ……ん……。…………カース……?」
金色の瞳が、緩やかに開く。
まるで、時間を気にせず微睡んだ午睡の後のように、リンデルは幸せな気持ちで目覚めた。
リンデルの声に、ケルトが思わず駆け寄る。
「リンデルっ! 大丈夫か!?」
「ああ、俺は大丈……っカース!? その眼……っっ」
リンデルの顔色が変わって、男は慌てて左眼を隠した。
手に伝わるドロリとした感触に、男は一瞬眉を寄せた。
左眼が痛むのはわかっていたし、何も映していないことも気付いていたが、何やら見た目に良くない感じになっていたらしい。
「大丈夫だ。気にするな」
短く答える男の顔色は、酷い土気色をしていた。
リンデルは自身と男を見比べて焦る。
自分はすっかり怪我もないというのに、男はまだ全身を刻まれたまま、赤々とした雫を点々と零している。
また、この人ばかりに無理をさせた。
俺は何を呑気に寝ていたのだろう。
「っ、カース、ごめんっ!」
たまらず、リンデルは男を抱き締める。
「おい、こら、ケルトが見て……っんっ」
嗜めるその口を、リンデルは唇で塞いだ。
男が少しでも元気になるように、その痛みが楽になるように、愛と祈りを込めて。
ケルトは一瞬たじろいだが、カースの傷が目の前で見る間に消えてゆく、その様子に目を奪われた。
リンデルは、男の中へとそっと侵入する。
「っ……、やめ……っ」
びくりと肩を震わせ、慌ててリンデルを押し退けようとする男を、リンデルは離さなかった。
「ぅ、んっ、んんっっ」
後頭部を支えられ、頭を離すことすら出来ずに文句を言うカースの口内を、リンデルはゆっくりと、隅々まで撫で回した。
もう少しだけ。カースの心から、涙のような血が零れないように……。
たっぷりの愛を込めたリンデルの口付けに、男はそれ以上抵抗できなかった。
恥ずかしさに頬を染め、精一杯ケルトの方を見ないようにしている男を、リンデルは一層愛しく感じる。
見える範囲の傷が癒えたことを確認すると、名残惜しそうにゆっくり男を離した。
「……っ」
男は、耳まで赤くして、俯くようにそっぽを向く。
見れば、ケルトも同じように赤くなっていた。
「ケルトも、びっくりさせちゃってごめんね。もっと早く伝えておけばよかったね」
そう言って、リンデルが微笑む。
まるで何事もなかったかのような、むしろスッキリしたような顔で。
「い、や……。俺こそ、勝手に動揺して……悪かっ……」
答えるケルトが、両目からぼろりと大粒の涙を溢した。
「ケルト……」
手を伸ばそうとして、リンデルがカースをチラリと振り返る。
カースが頷くのを見て、リンデルはケルトを抱き締めた。
ケルトにとって、リンデルのキスは生まれて初めてもらった愛だった。
いつだって笑顔で応えてくれるこの青年は、もしかしたら自分のことが好きなのかも知れないと、どこかで思ってしまっていたのだろうか。
そんなこと、あるはずがないのに……。
リンデルに抱かれたまま、じわりとケルトの輪郭が滲んで、カースがそれを撫でた。
あたたかい大きな手がゆっくりと自分を撫でる。
ここへ来てからこの男は、毎晩、ケルトが寝付くまでそうして撫でていてくれた。
今までは、眠るのが怖かった。
目を閉じてしまったら、もう人の姿を保てなくなりそうで。
もう、人だった自分すら、忘れてしまいそうで。
けれど、この男は毎晩、大丈夫だと囁くように、俺を撫でてくれた。
その手が大好きだった。
「リンデル、カース……」
名を呼ばれて、リンデルがそっと体を離し、金色の瞳で真っ直ぐケルトを見る。
「なんだ?」
カースも、いつもの低く優しい声で、短く答えた。
「二人は、俺のことが……」
そこまでで、言葉は途切れた。
「っ……」
言葉にしても良いのかを迷うように、ケルトは眉を顰めて息を詰める。
「なんでも聞いて?」
とリンデルが微笑む。
息を詰めたケルトの頬が徐々に色づくのを見て、質問を待たずにカースが答えた。
「俺はお前のこと……、かなり気に入ってるぜ」
男の返事に、リンデルが『なるほど』という顔をする。
「俺も好きだよ、ケルトのこと」
さらりと告げると、補足する。
「あとね、カースはこういう言い方だけど、これは大好きってことだよ」
「……」
カースは返す言葉もなく、照れ臭そうに眉を寄せて沈黙する。
「俺も、ケルトのこと、大好き!」
リンデルがおひさまのように笑うと、ケルトとカースへ両腕を広げて、二人同時に抱き締めた。
急に飛びついてきたリンデルにバランスを崩し、三人まとめて転ぶ。
ケルトが思わず閉じてしまった目を開くと、そこは洞穴の前だった。
「あ、戻った」
リンデルの声に、カースが低く呻く「状況は良くねぇが……」
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