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「はぁ……いいお湯だったねぇ」
 借りた浴衣姿の千尋は目に毒――ではなくて、ほかほかと湯気が立っていて血色もよくて、色っぽくて――でも、なくて。ああ、どうしたら、いいんでしょう。隣に座る男が可愛くてしかたがありません。新崎はうめいた。
「けど、大丈夫? お風呂のときも、なんだか様子がおかしかったし、本当は体調でも悪い?」
「ち、千尋さん、そんなことは、ないです!」
「そう?」
「久しぶりに千尋さんに会えて……その、俺、舞い上がっちゃって」
 ごほん。
 咳払い。
 監督がした音だった。
「それにしてもおいしそうだな。千尋さん、箸が止まってるけど、苦手なものでもあるのかい?」
「あ、いや、どれもこれもおいしいです」
 そうだった。ここは旅館。そして現在、夕食の最中。
 千尋が新崎の隣に座ってくれたのは本当に救いだったが、千尋の向かいの席には監督が座っている。
 油断はならない。
「ちょっとさぁ、新崎くん、目が死んでいるけど、大丈夫?」
「わ、酒田さん!?」
「いや、そこで驚く? 俺、ずっと隣にいたよ。隣は隣でも、千尋さんのほうの隣に気を取られすぎじゃない?」
 ぐむぅ。だって、好きなんだもの。
「そういや監督。この作品取り終わったら、次はアレだそうですね」
 酒田のことばに監督が眉根を寄せた。
「それをどこで……」
「いやぁ。こういう仕事しているとそういう話、耳に入っちゃうんですよねぇ」
「だからって。しーっ! まだ秘密にしておいて」
「でも、良かったじゃないですか。監督、そんなにも脚本家と仲が良かったとは思ってませんでした」
 うん? なんだ。なんの話だ。
 ただ脚本家と出てきた単語から、新崎は千尋のほうを見た。
「あ……」
 千尋は俯くと下唇を静かに噛んでいた。これは何かある。何かがあるはずだ。
「いーなぁ。俺も今日でなんだか千尋さんのこと、気になりだしちゃって」
「それはだめだ!」
「は? 新崎くん?」
「あ……えっと、すみません。なんでもないです」
 まずい。本当にまずいぞ。
 話が読めないというより、千尋さんの名前が出ただけで、つい過剰に出てしまう。これではただの怪しいひとだ。
 誰だ、千尋さんの目の前でも胸を張っていられる立派な役者になるって決めたのは。このままでは不審者になるのがオチじゃないか。
 新崎は必死に腹の底に力を入れた。ここからが男の勝負だ。
「新崎くん、本当に大丈夫?」
「え? 千尋さん?」
「ご飯、部屋に運んでもらう? 静かな場所のほうが、きみ、好きでしょう?」
「千尋さん……でも」
「すみませーん」
 千尋が立ち上がった。近くにいた女中に声をかける。
「あの、食事を部屋で取りたいんですけれど。そう、ふたりぶん。お願いできますか?」
 話し込んだかと思うとくるりと新崎のほうを見た。
「大丈夫だって!」
 その笑顔がまぶしかった。
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