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怒り顔
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あ、怒っているな。
有馬且典の様子から竹野仙一郎はそう思った。
彼らは、大学の近く――といっても時間にして三十分くらい――にある古ボケたアパートの一室にて、謎の共同生活をしている大学生同士だ。
とはいえ、ただの仲のいい学友という関係ではない。どうしても実家にいたくない有馬が竹野がひとり暮らしをしているアパートに転がり込んできた経緯があり、また、竹野は竹野で自分の人生をかけた趣味のために有馬という肉体がどうしても必要だった。
つまり、有馬は竹野のむちゃぶりを受容するかわりに竹野の狭い牙城に居候し、竹野は竹野で自身の創作のヴィーナスを手に入れるという少し歪な関係で、ふたりの同居は成り立っている。
そんな有馬が、むっとしている。
薄い玄関の扉を開けて室内へと帰ってきたとたんに飛び込んできたのが不機嫌な有馬だ。
こっちは、長引いてしまった仕事でくたくただというのに、いざ憩いの我が家に帰ったならば、今度は有馬の相手か。
竹野はため息をつく。
彼の仕事というのは、とある少女まんが家のアシスタント業務で、主に作画の手伝いをしていた。そのまんが家があまりにも性格がゴーイングマイウェイすぎるため、仕事内容はともかく職場にいるだけで本当は少し疲れる。
「なあ、竹野」
じっと竹野を見つめていただけの有馬が口を開いた。
「なんだよ。あ、ただいま」
「うん、おかえり……遅かったな」
「ああ、うん。って、日付過ぎてるし」
机の上のデジタル式置時計が一時半を示していて、竹野は驚いて目を見開く。
「うっわ~、まじか。こんな時間まで……あのバカ作家が……」
とにかくさらりと寝る準備をして布団の中に潜り込んでしまおう。そう思って竹野は洗面所へと向かう。
が。
「竹野!」
背後からぐいっと有馬が押しかけてきて、洗面台の後ろから手を伸ばしてきた。
「なんだよ!」
「俺は眠い」
「ああ、はいはい、そりゃそうだろ。なんで寝ないんだよ」
「……」
あ、しまった。
いまのは、失言だったのかも、しれない。
竹野は有馬の表情がまた一段階上にあがったことを確認して、後悔した。
しかし、いったいいまの発言のどこが有馬の琴線に触れたのだろう。
彼は静かに腹の底で怒りを放出している。それはまだ外側へと爆発していないからいいのだが、ぴりぴりと張り詰めたような雰囲気は竹野にまで伝染してきて、息苦しい。
肉体は疲れ切っているのに、やけに精神が過敏に絡まりしていくスピードが上がっていく。思考のギアがやけに軽い。くるくると回るのはいいが、いっこうに答えが見つからない。
「お、おいっ!」
有馬は竹野の腕を掴んだ。
そのまま強引に竹野を引っ張る。
何を、どこに。
竹野は有馬になされるがまま、布団が敷かれているそこにまで連れてこられると、有馬に投げ捨てられた。
「いてっ!」
柔らかい布団の上にたたきつけられた竹野は起き上がろうとするまえに有馬にのしかかられた。
「おい! 有馬!?」
もしかして。
竹野の脳裏にある想像が浮かび上がる。ぞっとして、おそるおそる有馬に尋ねる。
「もしかして、このままするつもりか!?」
しかし、有馬からの返答はない。その代わりに竹野はぎゅっと有馬に抱きしめられて身動きが取れなくなる。
「今日は無理だ。本当に、疲れているんだってば! つか、明日だって授業があるし! おい、有馬!? 有馬?」
びくともしない有馬であったが、なんと――寝ていた。
「おい、まじかよ。つか、力強いな、お前」
ぎゅっと両腕を竹野に回したまま、寝息を立てる有馬に竹野は深いため息をついた。
そして、そのままいつの間にか寝てしまった。
✿
「あ、起きた」
ぼんやりとしていた意識がそのひとことで覚醒した。
「有馬!」
朝だ。目が覚めてもどこか頭が重いのは寝不足のせい――いや、この男に一晩中抱きつかれながら寝たせいかもしれない。
「竹野、おはよー」
「はよー。つか、お前、離せってば」
目が覚めてもなお、竹野が有馬にくっついていた。
「ヤダ」
「は?」
「お前、言ってることとやってること、違いすぎて、嫌になる」
「はあ!?」
意味が分からない。
「昨日、お誕生日でしたね」
「え……」
竹野は絶句した。
「ああ! そうだった!! 忘れていた!!」
「ついでに言うと、誕生日は祝ってほしいって言ってた、竹野くん、覚えている?」
「え、あー」
「で、ほんのちょっとだけどケーキ準備して待ってた俺」
「……あー」
「いつまでも帰ってこないきみ」
「……はい」
返すことばがない。
「おい、少しくらい謝れっての! ばーか。マジではげろ!!」
「あ、あ、あ、はい! それは、その、ま、まじですいません」
「もっと、謝罪感を出せ!」
「なんなんだよ、その謝罪感って」
「あー、もう、くそだろ。このゲス男。なんで俺のがこんなゲスなんだよ。ゲソ」
「ゲソってのはイカだな」
「そうそうイカ臭い軟体生物、お前のことな」
「……すみませんでした」
そうか。それで、怒っていたのか。
竹野のなかで、すとんと何かが落ちていった。
「じゃ、朝飯。当番は今日、お前な」
「はいはい、何食べる?」
「トリュフ、フォアグラ」
「珍味やんけ」
「チャーハン。どうせそれしか作れないだろ?」
「お前~、舐めやがって」
竹野は緩んだ有馬の腕からそっと身体を抜け出した。
(了)
有馬且典の様子から竹野仙一郎はそう思った。
彼らは、大学の近く――といっても時間にして三十分くらい――にある古ボケたアパートの一室にて、謎の共同生活をしている大学生同士だ。
とはいえ、ただの仲のいい学友という関係ではない。どうしても実家にいたくない有馬が竹野がひとり暮らしをしているアパートに転がり込んできた経緯があり、また、竹野は竹野で自分の人生をかけた趣味のために有馬という肉体がどうしても必要だった。
つまり、有馬は竹野のむちゃぶりを受容するかわりに竹野の狭い牙城に居候し、竹野は竹野で自身の創作のヴィーナスを手に入れるという少し歪な関係で、ふたりの同居は成り立っている。
そんな有馬が、むっとしている。
薄い玄関の扉を開けて室内へと帰ってきたとたんに飛び込んできたのが不機嫌な有馬だ。
こっちは、長引いてしまった仕事でくたくただというのに、いざ憩いの我が家に帰ったならば、今度は有馬の相手か。
竹野はため息をつく。
彼の仕事というのは、とある少女まんが家のアシスタント業務で、主に作画の手伝いをしていた。そのまんが家があまりにも性格がゴーイングマイウェイすぎるため、仕事内容はともかく職場にいるだけで本当は少し疲れる。
「なあ、竹野」
じっと竹野を見つめていただけの有馬が口を開いた。
「なんだよ。あ、ただいま」
「うん、おかえり……遅かったな」
「ああ、うん。って、日付過ぎてるし」
机の上のデジタル式置時計が一時半を示していて、竹野は驚いて目を見開く。
「うっわ~、まじか。こんな時間まで……あのバカ作家が……」
とにかくさらりと寝る準備をして布団の中に潜り込んでしまおう。そう思って竹野は洗面所へと向かう。
が。
「竹野!」
背後からぐいっと有馬が押しかけてきて、洗面台の後ろから手を伸ばしてきた。
「なんだよ!」
「俺は眠い」
「ああ、はいはい、そりゃそうだろ。なんで寝ないんだよ」
「……」
あ、しまった。
いまのは、失言だったのかも、しれない。
竹野は有馬の表情がまた一段階上にあがったことを確認して、後悔した。
しかし、いったいいまの発言のどこが有馬の琴線に触れたのだろう。
彼は静かに腹の底で怒りを放出している。それはまだ外側へと爆発していないからいいのだが、ぴりぴりと張り詰めたような雰囲気は竹野にまで伝染してきて、息苦しい。
肉体は疲れ切っているのに、やけに精神が過敏に絡まりしていくスピードが上がっていく。思考のギアがやけに軽い。くるくると回るのはいいが、いっこうに答えが見つからない。
「お、おいっ!」
有馬は竹野の腕を掴んだ。
そのまま強引に竹野を引っ張る。
何を、どこに。
竹野は有馬になされるがまま、布団が敷かれているそこにまで連れてこられると、有馬に投げ捨てられた。
「いてっ!」
柔らかい布団の上にたたきつけられた竹野は起き上がろうとするまえに有馬にのしかかられた。
「おい! 有馬!?」
もしかして。
竹野の脳裏にある想像が浮かび上がる。ぞっとして、おそるおそる有馬に尋ねる。
「もしかして、このままするつもりか!?」
しかし、有馬からの返答はない。その代わりに竹野はぎゅっと有馬に抱きしめられて身動きが取れなくなる。
「今日は無理だ。本当に、疲れているんだってば! つか、明日だって授業があるし! おい、有馬!? 有馬?」
びくともしない有馬であったが、なんと――寝ていた。
「おい、まじかよ。つか、力強いな、お前」
ぎゅっと両腕を竹野に回したまま、寝息を立てる有馬に竹野は深いため息をついた。
そして、そのままいつの間にか寝てしまった。
✿
「あ、起きた」
ぼんやりとしていた意識がそのひとことで覚醒した。
「有馬!」
朝だ。目が覚めてもどこか頭が重いのは寝不足のせい――いや、この男に一晩中抱きつかれながら寝たせいかもしれない。
「竹野、おはよー」
「はよー。つか、お前、離せってば」
目が覚めてもなお、竹野が有馬にくっついていた。
「ヤダ」
「は?」
「お前、言ってることとやってること、違いすぎて、嫌になる」
「はあ!?」
意味が分からない。
「昨日、お誕生日でしたね」
「え……」
竹野は絶句した。
「ああ! そうだった!! 忘れていた!!」
「ついでに言うと、誕生日は祝ってほしいって言ってた、竹野くん、覚えている?」
「え、あー」
「で、ほんのちょっとだけどケーキ準備して待ってた俺」
「……あー」
「いつまでも帰ってこないきみ」
「……はい」
返すことばがない。
「おい、少しくらい謝れっての! ばーか。マジではげろ!!」
「あ、あ、あ、はい! それは、その、ま、まじですいません」
「もっと、謝罪感を出せ!」
「なんなんだよ、その謝罪感って」
「あー、もう、くそだろ。このゲス男。なんで俺のがこんなゲスなんだよ。ゲソ」
「ゲソってのはイカだな」
「そうそうイカ臭い軟体生物、お前のことな」
「……すみませんでした」
そうか。それで、怒っていたのか。
竹野のなかで、すとんと何かが落ちていった。
「じゃ、朝飯。当番は今日、お前な」
「はいはい、何食べる?」
「トリュフ、フォアグラ」
「珍味やんけ」
「チャーハン。どうせそれしか作れないだろ?」
「お前~、舐めやがって」
竹野は緩んだ有馬の腕からそっと身体を抜け出した。
(了)
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