俎上の魚は水を得る

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#028 欲望の代償

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呆然としている俺の腕から、白銀のフクロウが飛び立った。

大鷲と連れ立って、ヌシ様に向かって飛翔して行くのを一瞬だけ見送ったが、俺はすぐさまミランの元に翔んだ。

ミランは目を開けたままうつ伏せに倒れ、うずくまる二人の冒険者を覆っていた。

とっさに目の前に居る人間を庇ったのは、騎士の性なのか。

覆い被された二人の冒険者は強い光を真っ向から見た故なのか、眼球が白濁して見えていない様子で、口からヨダレを垂らして小刻みに震えて居た。

「ミランッ!ミランッ!!」
俺はミランを半身だけ抱き起こして抱え込み、揺すった。
何の反応も無い。
ただ、呼吸も心臓の鼓動もあった。

だが、完全に意識は無い。
ぐったりと脱力している。
ただでさえがっしりした体は重く、普通なら俺の力では支えるのも大変。

それでも、声をかけ、揺すって、治癒を施した。
…だが、治癒が全く効かない。
意識は戻らない。

――― これは…

…まさか、と言う気持ちで、俺はヌシ様を見た。

遠くからでも分かった。確かにその時、ヌシ様と目が合った。
瞬間、俺の体は何かに拘束されたかのように硬直して。
そして、一瞬にして白い真綿に包まれたかのような錯覚をおぼえた。
そう。錯覚だ。
実際には真綿は無い。
ただ、俺の視界が失われ、得体の知れない意識が脳内に入り込んだような不快な感覚をおぼえた。

それは僅かな時間。
おそらく、数秒間の事だったろう。

――――― なるほど…、異世界からの召喚者か…

頭の中に重々しくも厳格な声が響いたときには、視界は戻っていた。

ただ、先ほどミランを助け起こした場所では無く、ヌシ様の鱗の一枚一枚が視認出来る距離感の空中に浮いていた。

「三倉さんッ!!」

遠くから声がした。
近くの空中に仙元さんと榊さんが現れた。
異変が起きた際には、それを伝え合えるアイテムを互いに持っている。

「…ヌシ様…?」
やはり、愕然としての呟きが聴こえた。

「ミランを…、ミランに何をされたのですか…?彼は、眷属様を助けようと…」

俺は震えながらヌシ様に声をかけ、懇願した。
「彼は何も悪い事はしていないはずです!お願いです!彼の意識を戻して下さいッ」

一瞬ヌシ様の大きな瞳がピクリと細められたように見えた。



――――― ふむ…、汝の伴侶か…

頭の芯が振動するみたいに直に響いてくる。

「…えっ、マクミラン殿…どうかしたの…?」
榊さんが声を出したのを、仙元さんが「しっ」と窘めた。


「そうです!私の大切な唯一です!お願いです、どうかお助け下さいッ」

どんなに揺すっても、治癒を流し込んでも一切反応が無いまま。
見開いたままの目は何の意思も伝えてこない。
まるで魂が抜けた、抜け殻のように…。

いや、ようにではない。
本当にそうなのだと、彼に俺の魔力を流し込んでそう感じ取った。
いや、でも。
そんなはず無い。
認めたくなかった。
…彼の中身が…。空っぽに、なんて…。
…そんなの…

「…ミラン!…ミランッ!お願いだよ、戻って来て!返事してッ」

なぜ?
ミランは神竜様に無作法を働いたわけでは無い。

「こんな騒ぎでヌシ様の安眠を妨げた事はお詫びします!今後は、神域に人間が踏み込まぬよう、逆向きの結界を張って防ぎますから…」

だからミランを。
ミランの魂を返してください…!

その言葉を発する前に。


――――― なるほど、地から湧き出る湯を利用したいというか

       異世界人とは、また面白き事を考えるものよ…

       その為に、度々供物を捧げに参って居ったのか…


ああ、やっぱり。

さっき感じたあの不快な感じ。多分あの時、俺という人格を全トレースされたのだろう。だから、俺が何者かも、俺の記憶も、ミランが俺にとってどう言う存在かも、みんな分かっているのだ。



――――― あの供物はなかなか良い…

    この地の精霊達や眷属達も喜んで居る…

    これからも捧げに参るが良い…

    汝らが結界を張った部分に関しては、利用する事を許そう



    …だが   ―――――



神竜の顔の直ぐ横にぼんやりと光る球体があり、そこにうっすらと人影のような者が見える。

それは、本能で。
瞬時に。
マクミランの魂だと分かった。

「ミラン!…お願いです!彼を戻して下さい」



――――― 吾は、健やかな眠りを妨げられた…

     その上で、汝ら小賢しき人間共の喧噪を許すのだ…

      土地も湯も、好きに使うが良い…

     その替わりに、この男をもらおうか…

     …なに、死ぬわけでは無い…

     今、そこにあるこの者の肉体は吾の依り代になる…

     

     …よく鍛え上げられて頑健…そして、美しい…     ―――――



ヌシ様は緩やかに頷くように少しだけ首を動かした。


「…えっ、ダメです」
俺の口はとっさに、ほぼ食い気味に返答した。



――――― 易いものであろう…

     この一帯の開発も、吾の守護も手に入る…


     この男、一体と引き換えにな… ―――――


「いえ、じゃあ、要らないです」

「「えっ!!」」

隣から同時に仙元さんと榊さんの驚愕の声がした。

「ミランと引き換えにしなければならないなら、今すぐにやめます」

「三倉さんッ?」
「今すぐやめる?」

えっ、当たり前でしょ?
ここに温泉作っても良いけど、でもその代償にミランを乗っ取るって言われているんだよ?

じゃあ、要らない。

要らない!

要らないよッ!!



俺の腕の中でミランは浅く呼吸をしている。
心臓は動いている。
確かに死んではいない。
死ぬわけでは無い。

けど、ミランでは無くなる。
…そんなの…
…そんなの!

「要らない!温泉なんてッ!だから返して!早くミランを戻してッ!
戻せッ!!!」

もう懇願では無い。
返してくれないなら俺が取り戻す!
体の奥底から渇望が怒りとなって、目の前の“神”とすら呼ばれる存在に向かって吹き上がる。

ただ、涙が溢れて。
体が震えた。
頭の芯が真っ白になってきて。

戻せよッ!

要らねーって言ってんだよッ!!



「…え、ちょ…っ、み、三倉さんっ」


――――― 愚かな。

     ここまでの規模で、多くの民衆を動かし、国を動かし

     カネ…?人間共が崇める富の象徴を動かし、多くの物資も支度させ


     …ここで全てを放り投げるというか?

          
          それでは…汝がずっと怯えてきた「重い責任を放り出した無責任男」

          その呼び名通りの所業になるのではないのか…



嘲笑うような情動の揺らぎを感じた。
ああ、そうか。そうだよな。
けど。

「それが何だ?」

いいよ。世紀の無責任男の称号だって受けてやるよ!

関わった全ての人達から軽蔑されて、石を投げられて、唾を吐かれたって、それが何だって言うんだよ。

ミランが乗っ取られる?

そんな事!許せるはず無いだろう…!

自分の内側の奥深くから、胸を突き破るように強烈なエネルギーがほとばしり出るのを感じた。
もはやミランの魂を取り戻す事、その一点にしか向かって居なかった。

視界がハレーションを起こすほどの光で包まれ。
何かが炸裂するのを感じた。



「ワーッ、ダメだ、三倉さんッ!!!」

遠くでそんな叫びが聴こえた気がしたが、スイッチが切れるように全てが暗転した。
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