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第六章
#159 南砦の星空
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労いの晩餐の席。
俺たちもだが、異変に対応していた駐屯メンバーが、領都から派遣された者達と一時的に交代して、久しぶりの安全な光の中での酒食に舌鼓を打っていた場所。
ほっと息をつき始めたそのタイミングで、相手は次の一手を打ってきた。
「詳しい状況を教えてください。竜騎士軍団の規模は?それらの正確な位置は?もう夜も更けていますから、目視ではなく索敵でヒットしたという事ですよね?」
知らせが届いた途端に、安堵と酒で盛り上がっていた座がしんと静まりかえった.
その中で、王子が伝令に来た通信班の使者に尋ねた。
「はい。索敵で発見とのことです。受けた連絡では、7里先に50騎編隊を組んで接近していたと」
隣で勢いよく立ち上がる気配を感じて振り向くと、王子がデュシコス様に目線を送りながら「ダイ、先に行きます。追ってきてください」と告げて、即座に光の柱に包まれて消えた。
転移したのだ。
次いでデュシコス様も同様に消えた。
7里先。
この世界での距離では『一里』と呼ばれる単位はほぼ500メートル。
日本の一里は3.9キロだが、むしろ中国の一里の単位に近い。
そして、竜の飛翔速度は人間が騎乗している場合、最大速度でほぼ50キロ程度だろうか。あるいは調練を詰んだ竜騎士軍団ならばもっと早いのかもしれない。
通信室からこの食堂までの距離を考えたら、連絡が届いた時点でもう、竜騎士軍団は南砦に到着していると考えられる。もし攻撃の意図があるならば既に戦闘状態にあるのかもしれない。
王子とデュシコス様が、俺を残して即座に転移したのも致し方が無い。
俺は直ぐに走り出して、地下の転移ポータルに向かっていた。
俺自身は転移ができないから、こういった魔道具に頼るほかない。
もどかしい。
常に王子から離れたくないし、それこそ、そうでなければ俺の存在意義はないのに。
ただ、以前使ったときには古すぎて、動作も遅く気持ち悪かったはずの南砦のポータルは、さすがにあの後刷新したらしく、即座に到着した。
てっきり既に戦闘状態にあると思って慌てて地上階に駆け上がったのだが。
意に反して辺りはしんと静まりかえっていた。
現場に待機していた騎士に導かれて即座に、王子とデュシコス様、そしてジョヴァンニ様が居る物見櫓に駆け上がる。
俺の到着にジョヴァンニ様が軽く会釈をしながら「駆けつけてくれてありがとう。一仕事終えて寛いでいたと聞きました。申し訳ない」と言って俺を王子の隣に招いた。
何を仰いますか。常にこうやって前線で気を張ってらっしゃるジョヴァンニ様には頭が上がりませんよ。
そんな事を言いながら、俺は索敵をした。
ん?
確かに竜騎士団の編隊が居る。
だが。
どうやら、撤退していくように見える。
編隊自体も綺麗に揃ってはおらず、あちこちヘロついている。
「もう私には見えないな。ダイ、お前には分かるだろう。どうなっている?」
「撤退しております。速度は思いのほかゆっくりですね。ちょっとヨロヨロしている者が居る様子ですが、既に殿下とデュシコス様が何か対処をなさったのでしょうか」
デュシコス様が、うむと頷く。
「ノール兄さまがあの竜騎士軍団を結界で包みこんで内部に癒やしの光魔法を展開した」
「癒やしの光魔法には段階があって、低めの一定の領域だとものすごく眠くなるのです」
王子がいたずらっぽく、ふふと笑った。
「私たちが到着したときにはもう既にこの砦の上空には居たのです。
でも、なぜかしばらく旋回してるのみで、特に攻撃してくるでもなくて。
ただ、哨戒魔道具や一番索敵能力の高い魔道騎士からは、相手に攻撃の意思ありという反応が見られていた様子でした。
編隊を組んで、それなりの頭数の戦闘飛竜で領空内に飛んできていたのですから、威嚇行為と見なして打ち落としても良かったのですが、現在は喪中という事もあり、曖昧な相手に対しこちらから先手を打つのもどうなのかと、私が砦の皆さんの攻撃体制を解除させました」
説明しながら、王子は俺の顔色をうかがい申し訳なさそうな表情をした。
「あなたは、今回のナシェガからの不穏な行動に対しては決して容赦しないと言っていましたよね。
…なんでしたっけ…カジバドロボウ…?のような行いは許してはいけないと言って。
でも、私はその言葉に背いてあのまま無傷で返してしまいました。
…怒りますか?」
その気まずそうに見上げて来る表情が、あまりにお可愛らしすぎて俺は少し口元が緩んでしまった。
「いいえ。殿下の王族としてのご判断に間違いはありません。
最も優先されるべきは、今追悼されている国王陛下のご遺族のお気持ちです。
殿下が攻撃を必要ないと思われたなら、何よりもそれが正義です」
俺は胸に手を当てて、殿下に一礼した。
ジョヴァンニ様と、それに従っていた騎士団の緊張が解れるのを感じる。
皆、本格的にやり合わなくて済むなら、それが最善ではあったのだ。
国王陛下のご崩御に始まり、これからこの国の未来は少しずつ変わっていくのだろう。
その変化の不安も抱えているこの時期に、過剰にきな臭い方向に自ら舵を切る必要も無い。
山賊風に装った相手ならばともかく、皇国の竜騎士軍団を攻撃したとなると、最悪それが本格的な紛争の引き金にもなる。
為す術なく押し返されただけでも、彼らにとっては屈辱だろう。
今回はコレで充分。
「今、連中はどの辺だ?」
デュシコス様が訪ねてきたから、距離を伝えると。
珍しくその方向に向かって詠唱を伴う魔力を放った。
竜騎士軍団を覆っている結界は、巨大な風船のように風で流れているよう見えたが、それはデュシコス様の風魔法でナシェガ皇国の中心地に近い方角に押し流していたのだ。
ひときわ強めの魔法で最後の一押しをしてから、まるで手に付いたちりでも払うように軽く手をはたいて「まあ、このくらいでいいだろう」と、こちらを向いた。
見えなくなるほどの距離に風魔法を放つなんて、どれだけの魔力量なんだと、末恐ろしさを感じもしたが、さすがはデュシコス様、となぜか俺が誇らしい気持ちにもなった。
竜騎士軍団が消えていった方向をしばらく眺める。
俺の索敵でも見えなくなるまで、敵の存在に意識が向かいすぎて、そこに綺麗な星空があることに気づきもしなかった。
砦の皆が「ありがとうございました」と感謝を述べる。
その背後に瞬く星。そして、細い月。
砦の集合所には、領都の晩餐で饗されていた料理とほぼ同じものが送られてきていたらしく、皆が集まって打ち上げよろしく宴会のようなものが始まる。
見張りに出ている騎士達にも配られていた。
「少し、砦を見て回っても良いですか」
王子がジョヴァンニ様に許可をもらう。
点在している見張りの騎士達にも、お声がけして回るのだなと解釈して、お供をすることにした。
デュシコス様はなんだか気を利かせた様子で「私は腹が減った」と言ってジョヴァンニ様と酌み交わし始めてしまった。二人で行ってこいという意思表示だ。
王子はあちらこちらの見張りの騎士達に言葉をかけ、俺はその彼らに酒をついで回った。
任務に支障の無い口当たりの良い軽めの酒だ。
王子からの労いを受けて騎士達は恐縮しつつも感激している。
城壁上の歩廊を歩きながら、空を見上げると満天の星。
少し空気もひんやりとしている。
遠くから、集合所での盛り上がりが聞こえてくる。
大事にならなくて本当に良かった。
俺が星空を見上げてホッとしていると、王子がぐるりと空から地上に目を向けた。
王都の方角。
そして、遠いエヴィアース領方面を。
俺はチクリと胸が痛んだ。
しばらく黙って空を見ていると。
王子の息づかいが乱れて、小さな嗚咽が聞こえた。
「…姉上…」
王子が俯いて手で顔を覆った。
肩が震えている。
「父上に…最期を…会わせてあげられなかった…。姉上…。今、姉上は…」
俺は胸を抉られるような気持ちで、思わずその場に跪いた。
「間に合わせて差し上げること叶わず、誠に…申し訳ありません」
声は喉に引っかかって呻くような音になった。
「あなたを責めている訳ではありません。…ううん、あなたには本当に感謝しているのです」
王子の手が俺の腕を持ち上げて立ち上がるように促す。
立ち上がって俯く俺の両頬に王子が手を添えて。
潤む瞳に星明かりがきらめく。
「父上の最期のお顔を見たでしょう?…微笑んでいたのです。
あの瞬間の奇跡は、あなたがいたからこそだと思うのですよ。
私とあなたの三柱女神の加護に、母上の魂が導かれて、父上を迎えに来てくれたのです」
落ち込む俺を慰めるように、王子の唇が唇にそっと触れた。
羽毛がかすめるような触れたか触れていないか分からないようなキス。
「姉上をさらった者が許せません」
コクリと一度つばを嚥下した後、しばし言いよどんでから、王子は自分自身に刻み込むように小さな声で呟いた。
温厚で慈悲深い王子の、滅多に見せない心の奥底に眠る怒り。
俺は頬に添えられている王子の手に、自分の掌を重ねて頷いた。
それは俺も同じだ。
陛下の最期に間に合わせて差し上げられなかった罪悪感も重なり、一層その敵に怒りが向いてしまう。
王女様は魔王にさらわれたのだと言われている。
明らかな魔王軍の集団に襲撃された痕跡があったと。
だが。
少なくとも、当初この人と思われていた魔皇イズファーダではない。
また、氷原の魔王エンデュサピオンでもない。
残る容疑者は、熱砂の魔王バーシャイル、そして星岳の魔王ヴィンディアレム。
このお二方とは、魔族国に行った際に会えていない。
だから、判断は出来ない。
ただ、ヴィンディアレムは既に人間と契約を結んでいるという。
そして、その相手の人間は、十中八九、我が国のコーデリア王妃殿下だ。
こちらも現状、憶測の域を出ないが、限りなく黒に近いグレーと言えるだろう。
真相は、今の段階では分からない。
オーデュカ長官とは一度一緒に現場検証をしてこようという話になっていたが。
当面は王族としての喪に服す期間。
少なくても陛下ご崩御からみて三ヶ月後までは、今回のような緊急の事案以外には動けない。
何とももどかしい話だ。
その夜、だいぶ更けてから俺たちは王城に戻った。
ハルエ様は居らず、侍女としてはサヘラさんのみ、あとはナーノ様とミックで対応してくれた。
翌日。
宰相に、イエイツ辺境伯領で起きた事の顛末を報告する。
騎士団長にも、オルタンスさん達、第一騎士団の兄貴達からの報告があったらしい。
イエイツ辺境領からは、前日の竜騎士軍団はどういうことなのかと、ナシェガ皇国にビシバシ牽制を匂わせる質問状を送ったらしい。
場合によっては女神教総本山に、国王の葬儀という厳粛な式典への冒涜であると報告するぞ…と言う内容も含む、実に強気な文面だったとのこと。
さすがはマティウス様。
絶妙に煽る。
敵はブリアンテ中尉の奪還もならず、喪中と思って舐めてかかったらこの始末で。
さぞかしイライラとしていることだろう。
俺たちもだが、異変に対応していた駐屯メンバーが、領都から派遣された者達と一時的に交代して、久しぶりの安全な光の中での酒食に舌鼓を打っていた場所。
ほっと息をつき始めたそのタイミングで、相手は次の一手を打ってきた。
「詳しい状況を教えてください。竜騎士軍団の規模は?それらの正確な位置は?もう夜も更けていますから、目視ではなく索敵でヒットしたという事ですよね?」
知らせが届いた途端に、安堵と酒で盛り上がっていた座がしんと静まりかえった.
その中で、王子が伝令に来た通信班の使者に尋ねた。
「はい。索敵で発見とのことです。受けた連絡では、7里先に50騎編隊を組んで接近していたと」
隣で勢いよく立ち上がる気配を感じて振り向くと、王子がデュシコス様に目線を送りながら「ダイ、先に行きます。追ってきてください」と告げて、即座に光の柱に包まれて消えた。
転移したのだ。
次いでデュシコス様も同様に消えた。
7里先。
この世界での距離では『一里』と呼ばれる単位はほぼ500メートル。
日本の一里は3.9キロだが、むしろ中国の一里の単位に近い。
そして、竜の飛翔速度は人間が騎乗している場合、最大速度でほぼ50キロ程度だろうか。あるいは調練を詰んだ竜騎士軍団ならばもっと早いのかもしれない。
通信室からこの食堂までの距離を考えたら、連絡が届いた時点でもう、竜騎士軍団は南砦に到着していると考えられる。もし攻撃の意図があるならば既に戦闘状態にあるのかもしれない。
王子とデュシコス様が、俺を残して即座に転移したのも致し方が無い。
俺は直ぐに走り出して、地下の転移ポータルに向かっていた。
俺自身は転移ができないから、こういった魔道具に頼るほかない。
もどかしい。
常に王子から離れたくないし、それこそ、そうでなければ俺の存在意義はないのに。
ただ、以前使ったときには古すぎて、動作も遅く気持ち悪かったはずの南砦のポータルは、さすがにあの後刷新したらしく、即座に到着した。
てっきり既に戦闘状態にあると思って慌てて地上階に駆け上がったのだが。
意に反して辺りはしんと静まりかえっていた。
現場に待機していた騎士に導かれて即座に、王子とデュシコス様、そしてジョヴァンニ様が居る物見櫓に駆け上がる。
俺の到着にジョヴァンニ様が軽く会釈をしながら「駆けつけてくれてありがとう。一仕事終えて寛いでいたと聞きました。申し訳ない」と言って俺を王子の隣に招いた。
何を仰いますか。常にこうやって前線で気を張ってらっしゃるジョヴァンニ様には頭が上がりませんよ。
そんな事を言いながら、俺は索敵をした。
ん?
確かに竜騎士団の編隊が居る。
だが。
どうやら、撤退していくように見える。
編隊自体も綺麗に揃ってはおらず、あちこちヘロついている。
「もう私には見えないな。ダイ、お前には分かるだろう。どうなっている?」
「撤退しております。速度は思いのほかゆっくりですね。ちょっとヨロヨロしている者が居る様子ですが、既に殿下とデュシコス様が何か対処をなさったのでしょうか」
デュシコス様が、うむと頷く。
「ノール兄さまがあの竜騎士軍団を結界で包みこんで内部に癒やしの光魔法を展開した」
「癒やしの光魔法には段階があって、低めの一定の領域だとものすごく眠くなるのです」
王子がいたずらっぽく、ふふと笑った。
「私たちが到着したときにはもう既にこの砦の上空には居たのです。
でも、なぜかしばらく旋回してるのみで、特に攻撃してくるでもなくて。
ただ、哨戒魔道具や一番索敵能力の高い魔道騎士からは、相手に攻撃の意思ありという反応が見られていた様子でした。
編隊を組んで、それなりの頭数の戦闘飛竜で領空内に飛んできていたのですから、威嚇行為と見なして打ち落としても良かったのですが、現在は喪中という事もあり、曖昧な相手に対しこちらから先手を打つのもどうなのかと、私が砦の皆さんの攻撃体制を解除させました」
説明しながら、王子は俺の顔色をうかがい申し訳なさそうな表情をした。
「あなたは、今回のナシェガからの不穏な行動に対しては決して容赦しないと言っていましたよね。
…なんでしたっけ…カジバドロボウ…?のような行いは許してはいけないと言って。
でも、私はその言葉に背いてあのまま無傷で返してしまいました。
…怒りますか?」
その気まずそうに見上げて来る表情が、あまりにお可愛らしすぎて俺は少し口元が緩んでしまった。
「いいえ。殿下の王族としてのご判断に間違いはありません。
最も優先されるべきは、今追悼されている国王陛下のご遺族のお気持ちです。
殿下が攻撃を必要ないと思われたなら、何よりもそれが正義です」
俺は胸に手を当てて、殿下に一礼した。
ジョヴァンニ様と、それに従っていた騎士団の緊張が解れるのを感じる。
皆、本格的にやり合わなくて済むなら、それが最善ではあったのだ。
国王陛下のご崩御に始まり、これからこの国の未来は少しずつ変わっていくのだろう。
その変化の不安も抱えているこの時期に、過剰にきな臭い方向に自ら舵を切る必要も無い。
山賊風に装った相手ならばともかく、皇国の竜騎士軍団を攻撃したとなると、最悪それが本格的な紛争の引き金にもなる。
為す術なく押し返されただけでも、彼らにとっては屈辱だろう。
今回はコレで充分。
「今、連中はどの辺だ?」
デュシコス様が訪ねてきたから、距離を伝えると。
珍しくその方向に向かって詠唱を伴う魔力を放った。
竜騎士軍団を覆っている結界は、巨大な風船のように風で流れているよう見えたが、それはデュシコス様の風魔法でナシェガ皇国の中心地に近い方角に押し流していたのだ。
ひときわ強めの魔法で最後の一押しをしてから、まるで手に付いたちりでも払うように軽く手をはたいて「まあ、このくらいでいいだろう」と、こちらを向いた。
見えなくなるほどの距離に風魔法を放つなんて、どれだけの魔力量なんだと、末恐ろしさを感じもしたが、さすがはデュシコス様、となぜか俺が誇らしい気持ちにもなった。
竜騎士軍団が消えていった方向をしばらく眺める。
俺の索敵でも見えなくなるまで、敵の存在に意識が向かいすぎて、そこに綺麗な星空があることに気づきもしなかった。
砦の皆が「ありがとうございました」と感謝を述べる。
その背後に瞬く星。そして、細い月。
砦の集合所には、領都の晩餐で饗されていた料理とほぼ同じものが送られてきていたらしく、皆が集まって打ち上げよろしく宴会のようなものが始まる。
見張りに出ている騎士達にも配られていた。
「少し、砦を見て回っても良いですか」
王子がジョヴァンニ様に許可をもらう。
点在している見張りの騎士達にも、お声がけして回るのだなと解釈して、お供をすることにした。
デュシコス様はなんだか気を利かせた様子で「私は腹が減った」と言ってジョヴァンニ様と酌み交わし始めてしまった。二人で行ってこいという意思表示だ。
王子はあちらこちらの見張りの騎士達に言葉をかけ、俺はその彼らに酒をついで回った。
任務に支障の無い口当たりの良い軽めの酒だ。
王子からの労いを受けて騎士達は恐縮しつつも感激している。
城壁上の歩廊を歩きながら、空を見上げると満天の星。
少し空気もひんやりとしている。
遠くから、集合所での盛り上がりが聞こえてくる。
大事にならなくて本当に良かった。
俺が星空を見上げてホッとしていると、王子がぐるりと空から地上に目を向けた。
王都の方角。
そして、遠いエヴィアース領方面を。
俺はチクリと胸が痛んだ。
しばらく黙って空を見ていると。
王子の息づかいが乱れて、小さな嗚咽が聞こえた。
「…姉上…」
王子が俯いて手で顔を覆った。
肩が震えている。
「父上に…最期を…会わせてあげられなかった…。姉上…。今、姉上は…」
俺は胸を抉られるような気持ちで、思わずその場に跪いた。
「間に合わせて差し上げること叶わず、誠に…申し訳ありません」
声は喉に引っかかって呻くような音になった。
「あなたを責めている訳ではありません。…ううん、あなたには本当に感謝しているのです」
王子の手が俺の腕を持ち上げて立ち上がるように促す。
立ち上がって俯く俺の両頬に王子が手を添えて。
潤む瞳に星明かりがきらめく。
「父上の最期のお顔を見たでしょう?…微笑んでいたのです。
あの瞬間の奇跡は、あなたがいたからこそだと思うのですよ。
私とあなたの三柱女神の加護に、母上の魂が導かれて、父上を迎えに来てくれたのです」
落ち込む俺を慰めるように、王子の唇が唇にそっと触れた。
羽毛がかすめるような触れたか触れていないか分からないようなキス。
「姉上をさらった者が許せません」
コクリと一度つばを嚥下した後、しばし言いよどんでから、王子は自分自身に刻み込むように小さな声で呟いた。
温厚で慈悲深い王子の、滅多に見せない心の奥底に眠る怒り。
俺は頬に添えられている王子の手に、自分の掌を重ねて頷いた。
それは俺も同じだ。
陛下の最期に間に合わせて差し上げられなかった罪悪感も重なり、一層その敵に怒りが向いてしまう。
王女様は魔王にさらわれたのだと言われている。
明らかな魔王軍の集団に襲撃された痕跡があったと。
だが。
少なくとも、当初この人と思われていた魔皇イズファーダではない。
また、氷原の魔王エンデュサピオンでもない。
残る容疑者は、熱砂の魔王バーシャイル、そして星岳の魔王ヴィンディアレム。
このお二方とは、魔族国に行った際に会えていない。
だから、判断は出来ない。
ただ、ヴィンディアレムは既に人間と契約を結んでいるという。
そして、その相手の人間は、十中八九、我が国のコーデリア王妃殿下だ。
こちらも現状、憶測の域を出ないが、限りなく黒に近いグレーと言えるだろう。
真相は、今の段階では分からない。
オーデュカ長官とは一度一緒に現場検証をしてこようという話になっていたが。
当面は王族としての喪に服す期間。
少なくても陛下ご崩御からみて三ヶ月後までは、今回のような緊急の事案以外には動けない。
何とももどかしい話だ。
その夜、だいぶ更けてから俺たちは王城に戻った。
ハルエ様は居らず、侍女としてはサヘラさんのみ、あとはナーノ様とミックで対応してくれた。
翌日。
宰相に、イエイツ辺境伯領で起きた事の顛末を報告する。
騎士団長にも、オルタンスさん達、第一騎士団の兄貴達からの報告があったらしい。
イエイツ辺境領からは、前日の竜騎士軍団はどういうことなのかと、ナシェガ皇国にビシバシ牽制を匂わせる質問状を送ったらしい。
場合によっては女神教総本山に、国王の葬儀という厳粛な式典への冒涜であると報告するぞ…と言う内容も含む、実に強気な文面だったとのこと。
さすがはマティウス様。
絶妙に煽る。
敵はブリアンテ中尉の奪還もならず、喪中と思って舐めてかかったらこの始末で。
さぞかしイライラとしていることだろう。
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