王子の宝剣

円玉

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第三章

#42 そして向こう岸へ 

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「お前、それは“欲情”したってことだ」

衝撃的な指摘を受けた。
俺が愛玩衝動だと思っていたアレも、王子の匂いで何か奥底から突き上げてくるような抗いがたいアレで変なスイッチが入るのも、要はひっくるめてムラムラしたって事だというのだ!
ここで更にオルタンスさんからの容赦ない指摘が俺を刺す。
「つまりお前は殿下に惚れたんだよ。それは忠義とか崇拝とは別の感情だ」

俺のこの感情は『恋』だというのだ。
♪ちゃらら~、ちゃらららずっちゃ~・・・脳内に響き渡るトッカータとフーガ。
い、いや、スマン。ふざけているわけで無く、本当にそんな心象だった。

こ、これが・・・・・・、恋・・・!(きゅん)
・・・い、いや、いやいやいや、いやいやいやいや・・・。
も、もも、もし、もしそうならば。
俺、自分が思っていた『最低』の、更に底を掘削してもっとずっと深みに落下するほど最低なのでは?
今まで王子にしてきたあれやこれや、は、俺の中では王子への忠誠心から来るミッションを完遂してきたと言う認識だった。
いや、やに下がっていたというのは認める。
かなり嬉しかったし気持ちよかったしご褒美バンザイだった。
だが、あれらの行為が、恋情から来るムラムラを任務を言い訳に、やりたい放題やっていたとなると・・・。
うっわ、俺マジ、サイッテー。
無知って怖い。俺ってホント、恋愛とか性とかアレとかコレとか拒否してばかりで知ろうともしなかったし、むしろ避けてきてたくらいだったから。
でも、すると。
俺、今までの人生で自分がスケベだと思った事って無かったんだけど、それはそういう対象が居なかっただけで、対象が限定されたら結構スケベだったって事じゃねえ?
恥ずいな、なんかコレ。

「ちょ、ちょっと・・・、頭冷やしてきます・・・」
俺はふらふらと外に出て、そのまま宿泊エリアの一角にある通気バルコニーの手すりにつかまって頭を抱えた。
通気バルコニーというのは言葉の通り地上からの通気と明かり取りの為の立坑に向けて階層ごとに小さなバルコニーが設置されている。
こういうものが所々に通っていて洞窟内という閉塞感を緩和している。
昼間には地上からの光が少し入ることによる安堵感があるし、夜は立坑の暗がりの中に所々ぼんやり浮かぶヒカリゴケの仄かな照明やキラキラと舞う胞子などがロマンチックだ。
実は王子の体調によっては夕食後、王子をそこにお連れしたいと思っていた。
あの暗闇に降ってくる胞子のキラキラを見たら王子はどういう表情をするんだろう。
・・・きっと・・・
夢見るような表情で胞子の煌めきを見た後、こちらをむいて。
--とても綺麗です。連れてきてくれてありがとう--
はにかむような笑顔でそう言われるんだろう。
そう想像したらぎゅうっと胸が痛んだ。思わずチュニックの胸元を握りしめる。

会いたい。
声を聞きたい。
・・・触れたい。
・・・・・・そして?
この激しい渇望は何なのだろうか。

今夜の夕食に王子はお姿を現さなかった。部屋食で摂られた。
俺のせいだろうか。俺と顔を合わせたくなかったから・・・、とか。
お怒りになっているならまだ良い。もし怯えられてしまったら・・・。そんな事を考える。

あの時、王子の部屋から出て直ぐにナーノ様に懺悔をした。
「そこまでやっておいて途中でやめたのですか?」
ため息をつかれた。え、それって、どういう意味ですか?王子が止めてくれて幸いでした。ヘタをしたら・・・と、もにゃもにゃ呟いていたらナーノ様が頭を抱えて「このヘタレ野郎」とものすごく小さな声で呟いた。わりとちゃんと聞こえたけど。地味に傷つく。
「大丈夫です。明日は予定通り殿下と二人でお出かけください。殿下も明日には少しは落ち着いているでしょう」
「もう俺・・・私と二人で出かけるのはイヤだと思われるのでは・・・」
「それは大丈夫です」
ナーノ様はきっぱりと言い放ったけど。こ、根拠は?
本当は夕食後に再度王子のお部屋を訊ねて謝罪をしたいとも思ったけど、それはオルタンスさんに止められた。
「殿下だって気持ちの整理をする時間が必要だろう。明日になったらいつものように接してくださる。子供じゃ無いんだから」
と言われた。そうか。まだ17歳だけどもうこの世界では成人している大人だもんな。
本当にご立派だと思う。俺が17の時って剣道以外は祐一が教えてくれる当時はやりのゲームを覚えて対戦するのに夢中だったくらいただの子供だったなあ、なんて考える。
俺もオトナにならねば。
たとえ己の気持ちに気づいても、湧き上がる邪な欲望は意思の力で封印して、王子のお為に紳士のエスコートが出来るように全力を傾けよう。

そして翌日。
オルタンスさんの言っていたとおり、王子に朝のご挨拶に言ったとき、比較的普通に対応された。
無論、内心何かを我慢されていたのかも知れないし、それは分からない。
俺はすかさず昨日の謝罪から入った。
「いいえ、私の方こそ、せっかくあなたが励ましに来てくれたのに些細な事を叱責して。許してください。」
アレを些細な事と仰るのですね。オトナの対応に己の罪深さをかみしめながら、俺は王子のお手を取り、額に押し頂いて「ご海容くださり感謝致します」と述べて立ち上がった。そのまま王子のお身柄を預かって前日見繕ったコースをご案内した。
恋情を自覚してしまった後では、王子の一挙手一投足が自分の心を刺激した。
それでもそんな内面をその都度ねじ伏せ、封じ込め、極力紳士を演じる事に努める。
それがこんなにも精神力を必要とする事なのか。世の恋人達って思いのほか自制心強かったんだな。

アリの巣状に張り巡らされている洞窟都市ゆえにちょっとした段差や階段部分は多い。その都度お手を取り、場合によっては抱き上げた。
指先だけの小さな接触ですら甘い痛みが胸を刺す。抱き上げた際に首に腕を回され王子の匂いを感じたとき、俺の鼓動が密着している王子には伝わってしまっているのでは無いかと不安になる。
椅子を引き、魔道具のショッピングの補佐をし、ベンチでは飲み物を渡す。めぼしい通りを案内し展望バルコニーを共に眺めて乱れた御髪を手櫛で押さえるお手伝いをする。
俺たちの“戦略的恋人”像はうまい事記録石に収まっただろうか。
「ヴァンス様」と呼びかける度に少し照れくさそうにはにかみながらこちらを見上げてくださる。その度に胸が苦しくなる。

この日はこの後馬の預かり所前の広場に集合して騎馬の状態で大橋を渡る。そして、対岸に到着したらまたそこでも同じように洞窟都市を一通り視察するという予定になっている。橋を渡る前後も記録する。
馬の預かり所前で順番待ちをしているとき、レヒコさんにひそひそ声で話しかけられた。
「何か有ったの?」
「何か・・・って、何がですか?」
「あれ?違うのか。・・・いや、なんか二人の間の空気がちょっと今までと違うからさ。てっきりヤッちゃったのかと思ったんだけど・・・。その様子じゃ違うみたいだね」
「・・・ヤッ・・・?!」
な、なんてことを言うんですか!そんなことあるはずないでしょ!っと声自体はひそひそ声のまま慌てていると不機嫌そうなテオフィノスさんに「おい、お前の馬が来たぞ」と窘められた。
今までと違う、そうなのかも知れない。一応それまでとさほど違わないようにはしているつもりだが。ぴったりとお側に侍ってお手を引いたり支えたり王子の美貌に惹かれて寄ってくる遊び人風情の連中から守る為に抱き寄せたりはしている。でもレヒコさんは感じるのだろう。以前とは違うと。

馬が出そろって、隊列を組み大橋を渡る。橋架は意外と高度があり、見下ろす眺めだけでも渓谷然としている。
お天気が続いて水量が細いせいか川床の岩も結構見えていて、岩場伝いに徒歩で渡っている人影も下の方に見える。普段だと水没している部分をこの時とばかりに確認作業している職人も居る。
川床までの距離感は大体ビルの6~7階くらいだろうか。それ自体も結構な景観だが、ハヌガノ大橋の醍醐味はその上空の景色だ。
上から見下ろすときには対岸が思いのほか遠く感じたが、下から見上げると前後から覆い被さるようにそそり立つ岩壁に挟まれてその圧迫感がものすごい。しかもその壁がどこまでも続くのだ。
この大橋を渡る際には王都からの遠征団として隊列を組み、行進しているから王子はいつものパールホワイトのローブを目深にかぶり、高貴な魔法使いの姿で馬に跨がっている。
我々一行が渡りきるまでは他の通行人は止められている。
一応俺は索敵をしてみた。
王子を狙っている刺客や工作員はアリの巣穴の途中には居るが、すぐに手を出せるところには居ない。
ただ。

1km近く下流の、地下十数メートル付近に不穏な魔獣とその眷属らしき数十体の影を見つける。俺は団長を振り返る。団長の馬が近寄ってきたところでもう一度さっきより詳細を確認しそれを報告する。
「南岸下流1キロ未満方向、地下の閉鎖済み旧作業ドームにヒュドラ型の魔獣が居ます。先刻までは眠っていたようですが目覚め、害意を発生させ始めました。また、それに伴い50体以上のスケルトンが現れ周辺通路に侵攻を始めた模様。ヒュドラの方は害意が有るものの覚醒直後の混濁した状況。対応が急がれます」
その言葉は先頭集団のほとんどに聞こえ、中堅に居たレヒコさんの耳に届き、そこから後方集団に伝わった。

橋の半ばから一斉に全員が疾走し始める。

最後尾のソニスとアロンさんの馬が橋の中央を越えた頃にズシンと地響きがした。

橋の両端からは直接岩壁の洞窟都市に入れるゲートがあるが、ゲートの両脇に岩壁伝いに穿たれた貨物運搬用の回廊が通っている。そこから上流下流方向への単純移動が出来るようになっている。
洞窟都市に入ってしまうと騎馬のまま走れる通路が限られている為、単純に下流方向に向けて走りたければこの回廊を突っ切るのが最短だ。
慌てる渓谷の管理官達に「魔獣出現!対応せよ」と団長はじめ何人かの先輩騎士が声をかけながら通り過ぎる。

渓谷に鳴り響く警報。
所々のバルコニー部分から洞窟内部が騒然としているらしき悲鳴のようなざわめきが零れてきているのを聞き流しながら我々は駆ける。それでも1キロ近くある。

回廊伝いに疾走し出現ポイントへの最短の広場に着く。下馬して、その場に居た管理官に全員の馬を託す。
その場所はもう観光用の優雅な洞窟都市では無く、その昔、鉱物資源を採掘する為に通された坑道である。
ハヌガノ渓谷は大橋のある部分が観光都市、その奥が都市で働く労働者や、この昔ながらの採掘場で採取労働をしている労働者達の居住区域がある。
そして、その居住区域からはいくつかの通勤用通路のみが有り、この採掘作業エリアになる。
掘削や採掘と言えば、不測の事故なども懸念される危険が伴う作業現場でもある。
仮になにがしかの事故が起きても居住エリアにまでの影響が出ないよう、都市計画の際には既に何重もの結界も施されている。
それでも地盤が続いている以上何か異変が起きればああいった地響きもある。
そういった異常が検知されるとより一層強固な結界が各ブロックごとに発動するようにはなっていると聞いている。

地下の、閉鎖された古い作業ドームに向け俺たちはひた走る。近づくにつれ途中途中の通路からケガをした作業員や警備員が姿を現す。ソニスとソニスを守る為のイグファーさんが怪我人に対応する為に立ち止まる。彼らをその場に残し更なる地下へと走る。

観光都市化された地帯と違ってあくまでも採掘作業用の坑道に過ぎないそこは、所々に落磐防止の強化支柱が設置されているものの、岩肌がむき出しの粗野な岩穴だ。その途中には斜坑や立坑、穿孔、小割室などの横穴なども多い。また、それらのジャンクション的な広場などもたまに出てくる。
進むにつれそう言った物陰や別坑からスケルトン・・・いわゆるアンデッド系の戦闘員が飛び出してきて襲いかかってくる。
アンデッド系モンスターは元々死んでいるから、ただ普通に斬っても再生したり、欠損したまま何度でも襲いかかってくる。
いわば成仏できず戦わされている死霊戦士なのだから“殺す”という討伐方法は効かない。ではどうするか。成仏させてあげる事が彼らを滅する唯一の方法だ。
魔法使い達は浄霊の魔方陣を展開して対応する。
ただ、岩というのは浄化に関しても索敵に関してもだが、魔方陣を展開するのも色々と面倒らしく手こずっている。
魔方陣は本来、開口空間なら開口空間上に、岩場ならその表面に、と言う形で展開するのが普通だかららしい。
岩石と言う気密性の高い物質内部も開口空間も分け隔て無く透過しての魔方陣を瞬時に展開するなどと言う高度な技はこの中でも王子くらいしか自在には操れない。しかもとっさに対応するとなるともう目の前の個体に対応するのが精一杯になる。

騎士達は全員がそれぞれに神殿から特別に与えられているアンデッド対応専用の武器を用いて対応する。
ミスリル制で出来ているそれらは剣身全体、それこそ切っ先ポイント刃先カッティングエッヂフラーに至るまで、細かい浄霊呪文が施されている。ガードグリップも言うに及ばずだ。つまりは浄化魔法のかたまりのような武器なのだ。弓矢も然り。ダガーも。斧や棍棒メイスなども同様である。
戦闘員でないソニスですらアンデッド対策には浄霊石を先端にはめ込んだ拳銃サイズのボウガンと、浄霊呪文がびっしり刻まれている短剣を持っている。
そして騎士達は皆、それらの浄霊力を持つ武器を用いるとき鎮魂の呪文、あるいは鎮魂歌を口ずさみながら戦っていた。
彼らは亡霊であり、迷える魄である。迷いを浄化し、有るべきあの世に送る為に対戦する。例え危険な敵であっても温情を忘れてはならない。
見れば、死霊戦士とは言っても、手に持っている武器がツルハシやスコップである者も居る。彼らはこの採掘現場で命を落とした労働者の霊だろう。
そして、戦士の出で立ちの者達は、このハヌガノの北岸と南岸がまだ別の国だった時代に有った戦争で犠牲になった英霊であろう。
俺も先輩達のように鎮魂の呪文を唱えられれば良かったのだが、知らないので、仕方ないから般若心経を唱えながらカムハラヒで斬っていった。カムハラヒに浄霊の魔力があるかどうかは分からなかったが、どうやらこの相棒は“敵が何者か”にあわせてまとえる魔力を引き出せるみたいだった。
一か八かだったけど、供養の気持ちさえ込められていれば良いかと思い唱えた般若心経はそれでも効いたみたいで、斬られてもがいた後ほの暗い青い光を燃やして消えていった。

俺と王子は先頭を走る。横合いから飛び出すスケルトンはよほど俺たちの至近距離に飛び出さない限りは先輩達に任せて。

まずは旧作業ドームで目覚めたヒュドラを封じる事の方を優先したからだ。
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