釣った魚、逃した魚

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#36 待ち伏せ

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いやな予感は的中した。

神子様は、予めそのつもりだったのかも知れない。
神子様が“盗聴”を駆使して知り得た情報の全てを、俺に話しているわけではないだろう。
きっと行動の全てに、何か考えがあるのだろう、とは思う。

…分かっては居るが…。


「お待ちしておりました」

イヤーカフから聴こえてきたのは、深みのあるグレイモスの美声だった。

エーフィンガ市の、瘴気に冒された被災地の最寄り神殿に赴き、被害を受けた人々への治癒を申し出、待合室に導かれた時のことだ。
ここも大気や大地の浄化は、遠征の時に既に終えている。

「王都の神殿は大変なことになっているようなのに、筆頭司祭様の片腕でいらっしゃるグレイモス神官がわざわざお出向きとは驚きました」

そう言いながら、神子様は少しも驚いた様子がなかった。

「あなたは必ず、エーフィンガを訪れると思っていましたから。あなたに再会出来るのでしたら例え地の果てからでも飛んで参りますよ。…ああ、ご安心下さい。捕縛を命じたりは致しません。…治癒を施しに来て下さったのです。私が護衛として同行致しましょう。その方がきっと色々と都合が良いでしょうから」

「…ありがとう。…では参りましょうか」

じわじわと近づいてくるグレイモスの声が至近距離に来た時に、神子様の返答は立ち上がった気配で、直後、衣擦れの音と共に足音が聞こえた。

地元の神官に案内させて、次々と患者のいる家を巡る。
被害に遭ったエリアは範囲が限られているから、患者は近所で固まっている。
そして、地元の神官達が住民に指示を出して一箇所に集めたりもして、比較的治癒作業はスムーズに進んだ。

エーフィンガ市は、今まで治癒に訪れた村などより面積が広大だから、そういった被災エリアが数カ所有る。だが、そのいずれもがグレイモスの指示で地元神官を動かし、神子様の治癒はほぼ全て問題なく終了した。

ギヴェト町でのことなどを考えると、この場にグレイモスが居てくれたことの恩恵は大きかったと言えるだろう。


「お疲れさまでございました」

治癒を終えた後、屋外とおぼしき小鳥のさえずりや遠くの喧噪が聞こえる場所で、グレイモスが石床を踏む足音と共に近づく。
何かを呑み込む音。そして神子様の長い深呼吸。

「甘酸っぱくて美味しい。ありがとう」
再びゴクゴクという嚥下音。
「地元の神官さん達は?」
「もう帰らせました」

しばらくの沈黙。小鳥の声と遠い喧噪。そして時折、風にさやぐ葉擦れの音だろうか。

「あなたのおかげで最後の心残りも払拭出来ました。感謝します、グレイモス神官」

「…いえ、お礼を言うべきはこちらです。陛下に指示されたわけでもないのに、自らの意思で民を救って下さったのですから」

やや間があって、神子様が噴き出した。

「…で?…あなたの要事は、私の治癒に付き添うことではありませんよね?いい加減、腹を探るのはやめて、お早くどうぞ」

「…やはり、聡いお方だ」
恍惚を帯びたぞわりとする声音で、グレイモスは返答とも呟きとも取れる言葉を発した。

「ある人に会って頂きたいのです」
「お断りします」
フッと溜息のような息が混じりながら神子様は即答した。

「王家の問題に振り回されるのはもうゴメンです」

「…“ある人”が誰なのか、もうお分かりなのですね」

「ええ」

「だったらなおさら、お断りになるのはあなたのお為になりません」

「脅す気?」

数分間ではあったが長く感じる沈黙が流れた。

そのうち、グレイモスがふーっと長い溜息を吐いたと思うと、少し笑みを含んだ声音で言った。

「しかし、…本当にあなたお一人で来たんですね。ずっと、どこかから隠れて見ているのではと気配を探していたのですが…」
「…なんの話です?」
「あなたのお気に入りの、あの、金髪の美しい騎士殿ですよ。…マクミラン…デスタスガス騎士…と言いましたか」

「彼は、私があなた方と西側の巡行に出かける前に、後宮務めを辞職しました。ご存じだったのでは?」

「ええ、存じ上げておりますよ。あの後、確かに彼の姉上が双子を出産したことも、姉上がグリエンテ商会の跡取りの奥方だという事も。
双子の出産が不安で、ご主人に頼んで、デスタスガス騎士の帰還請願を王宮に申請して貰ったことも…そしてあなたを結婚相手として、姉上や義兄殿に紹介したことも。
…ねえ?冒険者タカ殿?」

一瞬息を吸い込む音がした。
長い沈黙。
…いや、時間はさほど長くなかったのかも知れない。俺の中の時間が止まった気がした。

「協力して下さりさえすれば、あなたにもあなたの大切な人にも、危害は加えないとお約束します」

ハッ!と忌々しげに息を吐く音がした。
「俺に何をしろって言うの?その人に会わせて。会うだけで済むわけないよね?何しろ相手は恐れ多くも王兄殿下だし?」

“神子様”の演技はやめたらしい。
いや、それより。
王兄殿下ッ?!

「…それがあなたの“素”なのですね」
「人質を取って言うことを聞かせるようなごろつきに、営業用の対応する必要ないだろ?」
「辛辣ですね。…ですがそんなあなたも魅力的です」
かなり近い距離感でグレイモスの囁く声がしたあと、ぴしゃりと皮膚をはたく音がした。

「今度俺に触れたらその綺麗な長い指がなくなるよ?」

くくっとくぐもった笑い声が聞こえた。
「攻撃魔法が使えるという事ですね…。しかも、もうかなり使いこなせる。冒険者としてのランクはAでしたっけ?…そして、遠く離れていながら、私の人脈が分かる諜報魔法も…」

暫しの沈黙。そして再びくつくつという忍び笑い。

「…ああ、素晴らしいです。過去の召喚者の記録を見ても、あなたほどの逸材は居たでしょうか。…………愚かですね、あの王は。これほどの大きな魚を、悪手を打って逃すとは…!」
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