釣った魚、逃した魚

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#14 疑念

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「王妃やナタリーに口添えを頼んだのか。
会う度にそなたを神殿に行かせてやれ、とうるさいのだが」

表向きの王族の住居である宮殿から後宮に繋がる長い回廊の、まさしく後宮の入り口にあたる付近に、少し大きめのコンサバトリーが設置されている。

回廊サロンと呼ばれているそこは、略式拝礼広間を使うほど大仰では無く、しかも正式なお渡りとは違って伽とは関係なく特定の妃と個人的な話をする際に用いられる。

色事を伴わない、単なる面談の時に利用される場所だ。

「いえ。頼んだわけではありません。
ただ、お別れのご挨拶もしてお餞別まで頂いておきながら、ちゃっかり舞い戻ったのが気まずくて、お会いする度言い訳のようなことをお伝えしておりました。
それで王妃様もナタリー妃様も同情して下さったのでしょう」

「それほどに私の傍に居るのがイヤなのかと思ったぞ」

ガラス張りのコンサバトリーに差し込む昼下がりの陽に、陛下のピンクブロンドの髪が煌めく。
上品に艶めく端正な茶器を、口許に運びながら言う。

神子様は直ぐにはそれに応えず、カップを持ち上げ、馥郁たる茶の香りを愉しんでから一口含み、その言葉を受け流した。

即座に否定の言葉が返ってくると期待していた陛下は、その反応に微かに強ばる。

「私はもうじき30歳になります。ましてや男でございます。
後宮に召されている他のお妃様方のように、いくつになってもその時々の華やぎで陛下のお目を慰めることは、私には出来ません。
見苦しくなる前に身を引きとうございます」

茶器をテーブルに戻して神子様はそう告げた。揺れる琥珀色の液体を見つめながら。

「そなたの美しさは微塵も衰えてなどおらぬよ」
ソーサーに添えられた神子様の手に、そっと掌を重ねて陛下は言う。

「・・・陛下。私が元いた世界でも、その昔は後宮のような場所が有りました。
そこでは例え女人でも、三十路みそじとなればおしとねを辞退するのが作法とされておりました。
ご理解下さい。加えて治癒を必要とする民は、まだ多く残されております」

「30歳ともなれば、最も熟して味わい深くなる頃だ。異世界の男達は間違っておるな」
陛下は重ねた掌で神子様の手を撫でながら微笑んだ。
民については全く言及しない。

「神子よ」
さりげなく引っ込めようとしたその手を握られ、神子様は無表情のまま陛下と目を合わせる。
いかにも窘めるような作った微笑みを湛え告げる。

「今宵そなたの宮に参る。支度して待つが良い」

その言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、神子様は急にパッと顔を明るくした。
「陛下には、今宵お時間が取れたのですか?」

「ああ、久し振りにそなたとゆっくり・・・」

「では今宵のヘルミーネ妃様のお誕生日の祝宴には、お出まし頂けますね!」

「ヘルミーネ?」

「はい。今宵の祝宴は王妃様から陛下に、先月ご列席を打診されたそうなのですが、お忙しいとのことで無理そうでしたが。
ああ、きっと皆様お喜びになります。ヘルミーネ妃様も、素敵なサプライズに感激されることでしょう!
ユノ、扉のお外に待機している女官殿にすぐ言伝てを。王妃様に、陛下のご出席をお伝えしなくては!」

ユノは一瞬戸惑って俺の顔をちらと見た。俺が真顔で頷くと、納得したようにお二人のテーブルに一礼して「畏まりました」とドアに向かった。

「神子。・・・私はそなたと・・・」

「さすがは陛下でございます。以前どなたかが『陛下は後宮にお抱えのお妃様に纏わる記念日を、全て漏らさず覚えておいでだ』と仰っておられましたが、本当だったのですね。今宵もお忙しい中、ヘルミーネ妃様のお為にお時間を作ってくださったのでしょう!」

陛下の言葉を悉く遮るように強引に褒めちぎる。

明らかな困惑の表情。

だが知ってしまった以上、そして時間があると口にしてしまった以上、陛下は祝宴出席を拒む事は出来なくなった。
なぜならヘルミーネ妃は、正妃に次ぐ家格の、政治的影響力絶大な公爵家から輿入れしているからだ。

そして、その夜はヘルミーネ妃が主役である以上は、彼女以外との同衾はあり得なかった。
全く後宮に訪れなければ、贈り物を贈るだけでも済んだのだが。
足を踏み入れる以上は、その行事を無視は出来ない。

陛下はおそらくヘルミーネ妃の誕生日を忘れていた。事実昨年は祝宴には参加せず、贈り物だけを届けさせたのみだった。


その祝宴は、予定外に現れた陛下のおかげもあって大変に盛り上がり、後宮の宴としては珍しく夜を徹して華やいだ。

当然ながら、当日は陛下はヘルミーネ妃の寝室で床につき、翌日はしわ寄せで倍増した公務に忙殺されたとの噂だ。

確かに神子様は、そうやって望まぬ陛下との逢瀬を回避した。
しかし、それはある意味において悪手だったとも言えた。

実は、神子様はあの日まで数回、陛下からの面談の要請を断っていた。理由は体調不良だ。
後宮の寵妃にとって、陛下のお渡りを避けられる理由はそれくらい・・・。
いや、それ以外にもあるが、そちらは男の神子様には使えない手。

ここ最近の冷え込みで、風邪を引いたからと言うのは時節柄説得力はあった。
その頃の陛下は、おそらく疑問には思っていなかっただろう。

だが、この回廊サロンでの面談から、陛下は疑念を抱き始めてしまった。
神子の心が思ったより自分にないのではないかと。

陛下は美しい男だ。

長身で逞しく、バランスの良い体躯。明るいシルクのような艶のあるピンクブロンドに、榛色の瞳。
威厳を感じさせながらも甘やかな雰囲気を纏い、その容貌で優しく微笑まれ心地の良い労りの言葉などを投げかけられれば、男女を問わず心酔してしまうだろう。

事実、数多の美女を召し抱える後宮では、どの妃も自らを磨き、妍を競い、来る日も来る日も陛下からのご指名を心待ちにしている。

男達ですら、少しでも陛下の信頼を得、お側に侍る誉れを得ようと牽制し合って、それぞれの得意をアピールする。
陛下はこれまでの人生、己の恩情を拒むものが居るなどとは想像もしてこなかったのだ。

だが初めて、陛下は「まさか」を覚えた。

神子様によって。
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