上 下
81 / 81
さいしゅうしょう!

エピローグ

しおりを挟む
 頭上で光の天使がラッパを吹き鳴らしている。アリーは眉間にぎゅっと皺を寄せて、深く長い溜息を漏らした。

「マディロール様ってばうるさいです。神様が交代して、天界は組織再編で大忙しなんでしょ? オランドリアも譲位とかなんとかで大忙しなんで、毎日来ていただかなくて結構なんですけど」

『えー。王太子と寄り添って生きていくって腹を固めたんだろ? だったらさっさと結婚式挙げろよ。早くしてくれねえと、俺もこの世界から転属になっちゃうかもだぞ?』

「そうしたいのは山々でも、簡単な話じゃないんですよ。王太子妃として淑女の規範となるって、一介の男爵令嬢にはハードルが高すぎてですね……」

 肩で息を吐きだすアリーを見ながら、マディロールはつまらなそうにラッパを鳴らした。アベルが眉尻を下げながら微笑む。

『まあクルネア男爵家はお金がないし、公爵令嬢だったころの美貌もないですしねえ。なのに王弟の養女にもならない、闇の聖女としての活動も継続しないって決めたのはアリーですから。多少の苦労は致し方ないんじゃないですか』

『アベル、羅列するのはやめてさしあげろ。ご主人が事実に打ちのめされてる』

「いいんだよたっくん、とんでもない苦労をするってわかってて決めたことだし」

 アリーは乾いた笑いを浮かべた。でも正直なところ、苦労ならこれまでもずっとしてきたから、たいして辛くはないのだ。

「マクシミリアンと話し合って決めたから、いいの。闇の聖女については、最初から突破口として演じるだけのつもりだったし。闇治癒魔法については研究すべきだと思うけど、長い目で考えると、特別な才能に依存しない国を作っていかなきゃいけないから」

『ま、私も面倒くさがりの闇の使徒なので。アリーにずーっと闇の聖女でいたいって言われたら、諸手を挙げて喜べなかったかもですねえ』

『おまえ、天界であれだけ闇の治癒魔法の有用性を喋り倒したくせに……』

 マディロールが呆れ顔でアベルを見つめる。アベルはしれっと『まあ抑止力ってやつですよ』と微笑んだ。
 天界ではクーデターというか一揆というか、とにかくそういった革命的なものが起こったらしい。やはり神のやり方に反発していた天使が一定数いて、着々と準備を進めていたのだそうな。
 アリーごとき下々の者(天界の世界序列的に)が、うっかり闇の治癒魔法なんぞに目覚めたことが駄目押しとなり、聖女ミアをこの世界に送り込んできた神様はトップの座から転落したのだという。
 ちなみに聖女ミアは全身ぐるぐる巻きにされて芋虫のような格好で回収され、元居た世界に送り返されることになった。まずはちっちゃな虫レベルからやり直しだそうだ。
 ミアがどうなろうと、もはやこの世界には何の変化ももたらさない。だからアリーは、もう思い返さないことにした。彼女から受けた痛みは容易に思い出せるが、そればかりに囚われると大切なことを見失いそうだから。
 
<しかし、人として大事なところが欠損していたミアなのに、どうして聖女なんかになろうと思ったんだろう……>

 救いの手を求めている人はいっぱいいる。真面目にやろうと思えばすごく大変なお仕事に違いないのに。まああの子のことだから、単に救世主として祭り上げられたかっただけなんだろうな、とアリーは遠くを見つめた。

『お、王太子が帰ってきたぞ。これからデートか?』

 マディロールがワクワクしたような声を上げる。窓の外に目をやると、中央に行っていたマクシミリアンが戻ってきたところだった。

『うん、山に行くの。おばあちゃんたちも一緒に』

 アベルとマディロール、そしてブローチ状になっているたっくんまでもが『山かあ』という顔つきになる。
 闇治癒魔法を全身にみなぎらせてマクシミリアンの腕に飛び込んだあの日も、アリー達は山へ行った。
 記憶に蓋をして、鉄亜鈴を上から十個重ねるレベルで封印しといた方が平和だったかもしれない過去の記憶。慎重に言葉を選び、事実を伝えるためには、とりあえず山に行くのがベストに思えた。完璧に毒されすぎて、アリーも己の思考回路がよくわからない。

『じゃ、私たちは静かに出歯亀しましょうかねえ』

『光の天使も闇の使徒も、今はまったく暇じゃねえけど、たまにはいいよな』

 一応はデートという点を考慮してくれているのだろう、アベルが黒点に、マディロールが白点に吸い込まれていく。山についてこない、という選択肢はないらしい。

「アリー、ただいま。スティラが叔父上の養女になることが、正式に決まったぞ」

「本当ですか! ああ、よかった。スティラ様の大切な門出を、全力でお祝いしなくてはっ!」

 アリーはぱああっと頬が紅潮するのを感じた。天界がゴタゴタしているのと時を同じくして、オランドリア王国にも激震が走っていた。
 闇の聖女アリーの前で恥も外聞もない豹変っぷりを見せた国王夫妻は、聖女ミアをもてなすためにありえないレベルの散財をしていたこと、それ以前に国のかじ取りがあまりにもアレ過ぎた証拠を山のように突き付けられ、すったもんだの末に譲位を決めた。
 かつてスティラが暮らしていた離宮に送られ、表向きは静養中ということになっているが、実際のところは幽閉に近い。
 マクシミリアンがまだ19歳で未成年ということもあり、ひとまずラドフェン公爵が王位につくことになった。ご本人が「あくまでも中継ぎ」と主張しているので、恐らく3~4年後にはマクシミリアンが若き王となると思われる。

「やっぱり、殿下も一緒に養子に入られるのですか?」

「ああ。国のためには、その方がいいだろうということになった」

 すっかり転移陣を出すことに慣れたマクシミリアンと一緒に、アリーはあっという間に山へと移動した。騒動の後闇の魔法石をアベルに返そうとしたのだが、ちょっと気の早い結婚祝いとして完全譲渡してくれた。
 まさかマクシミリアンと兄妹になるわけにもいかないし、男爵令嬢である今の自分を否定したくもないので、現状すんなり結婚できるかというと微妙なところだ。
 それでもアリーは、マクシミリアンと幸せになりたい。彼の覇気に耐えられる令嬢は貴重なので、今のところ対抗馬はいない。
 しかし貴族社会、表はものすごく華やかだが、裏側はとてつもなく陰険でドロドロしている。マクシミリアンは全力でアリーを愛し、守ってくれるだろうが、相当努力しないと王太子妃としてはやっていけないだろう。

「アリーが側にいてくれて、本当に幸せだ」

 マクシミリアンは地面にドスンと腰を下ろし、アリーの手を優しく引っ張る。アリーは素直に身を任せ、分厚い身体の中にすっぽりと収まった。

「わたしも、あなたにそう思って貰えてとても幸せです」

 逞しい筋肉はアリーの居場所だ。かけがえのない、居心地のいいそこは、やっぱりちょっと男臭い。周囲を飛んでいるおばあちゃんたちが、生ぬるい笑顔を向けてくる。
 アリーが一大決心して打ち明けた過去の記憶を、マクシミリアンは真剣に聞いてくれた。疑うことも笑うこともせず、すまなかったと泣いてくれた。

「夢の中で俺は、大切な人の心も命も救えなかった。もっと頭がよかったら、もっと強かったらと、頑張って頑張って……そうか、夢の娘を俺は救えたのか……そうか……」

 そう言って子どもみたいに慟哭されて、アリーは腕の中にマクシミリアンの体を抱いた。筋肉がはち切れそうなせいで腕がつりそうになったが、アリーの中に蓄積されていた膿みたいなものが、すっかり消え去るのを感じた。
 泣きながら一生守ると宣言してもらえて、アリーは自分の心の中が薔薇色になっていくのを感じたものだ。
 マクシミリアンが腕の中のアリーの頭を、宝物のように撫でてくる。

「がんばろう、色々と。どんな天変地異が襲ってきても、絶対に俺が守るから」

「まあ殿下は絶対に倒れないだろうなって確信していますけど、もう来てほしくはないです、天変地異……」

 今となっては、対になったお人形のように美しかっただけの非力な貴公子と体力のないご令嬢ではないから、わりと対応できてしまうのかもしれないが。
 しかし生きていれば大なり小なり嫌なことは起こる。そのひとつひとつを、一生を共に歩めるかどうかの試金石として乗り越えていくしかないんだろう。
 
「もしもまた「何か」が降ってきてもそれに打ち勝ち、新しい未来へと進むために、これからも鍛え続けて行かないとな。ジャンも元気になったら、しっかり鍛えてやろう」

「ほどほどにしてあげてくださいね。まあ、そういうところが好きなんですけどね。殿下も国を導いていく準備をしないといけませんから、山にばかり籠ってはいられませんよ」

 むう、と覇王が唸る。そして顔を赤くして「俺も好きだ」と囁いた。アリーはころころと笑い声を上げた。
 辛いとき、悲しいとき、そして悩んだときには筋肉トレーニングがモットーの王太子と側近たちによってたかって可愛がられ、ジャンもやる気を見せつつあるので、それはそれでいいのかもしれないが。
 アリー自身も困難に立ち向かうために、引き続き鍛えていく所存だ。
 人間というのは脆いときは脆いが、しぶといときはとことんしぶといということを、この世界は筋肉で証明してみせたのだから。
 目の前には、まだ終わりの見えない階段がある。2人で手を繋いで登っていくために、アリーはマクシミリアンの耳元で「トレーニングしましょう」と囁いた。
 出歯亀魔王と天使、紳士なたっくんまでが盛大なため息をつき、おばあちゃんたちが肩をすくめた。それを見て、アリーとマクシミリアンは弾けるように笑ったのだった。
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

王太子に婚約破棄されてから一年、今更何の用ですか?

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しいます。 ゴードン公爵家の長女ノヴァは、辺境の冒険者街で薬屋を開業していた。ちょうど一年前、婚約者だった王太子が平民娘相手に恋の熱病にかかり、婚約を破棄されてしまっていた。王太子の恋愛問題が王位継承問題に発展するくらいの大問題となり、平民娘に負けて社交界に残れないほどの大恥をかかされ、理不尽にも公爵家を追放されてしまったのだ。ようやく傷心が癒えたノヴァのところに、やつれた王太子が現れた。

異世界ゆるり紀行 ~子育てしながら冒険者します~

水無月 静琉
ファンタジー
神様のミスによって命を落とし、転生した茅野巧。様々なスキルを授かり異世界に送られると、そこは魔物が蠢く危険な森の中だった。タクミはその森で双子と思しき幼い男女の子供を発見し、アレン、エレナと名づけて保護する。格闘術で魔物を楽々倒す二人に驚きながらも、街に辿り着いたタクミは生計を立てるために冒険者ギルドに登録。アレンとエレナの成長を見守りながらの、のんびり冒険者生活がスタート! ***この度アルファポリス様から書籍化しました! 詳しくは近況ボードにて!

運命の選択が見えるのですが、どちらを選べば幸せになれますか? ~私の人生はバッドエンド率99.99%らしいです~

日之影ソラ
恋愛
第六王女として生を受けたアイリスには運命の選択肢が見える。選んだ選択肢で未来が大きく変わり、最悪の場合は死へ繋がってしまうのだが……彼女は何度も選択を間違え、死んではやり直してを繰り返していた。 女神様曰く、彼女の先祖が大罪を犯したせいで末代まで呪われてしまっているらしい。その呪いによって彼女の未来は、99.99%がバッドエンドに設定されていた。 婚約破棄、暗殺、病気、仲たがい。 あらゆる不幸が彼女を襲う。 果たしてアイリスは幸福な未来にたどり着けるのか? 選択肢を見る力を駆使して運命を切り開け!

愛されない花嫁は初夜を一人で過ごす

リオール
恋愛
「俺はお前を妻と思わないし愛する事もない」  夫となったバジルはそう言って部屋を出て行った。妻となったアルビナは、初夜を一人で過ごすこととなる。  後に夫から聞かされた衝撃の事実。  アルビナは夫への復讐に、静かに心を燃やすのだった。 ※シリアスです。 ※ざまあが行き過ぎ・過剰だといったご意見を頂戴しております。年齢制限は設定しておりませんが、お読みになる場合は自己責任でお願い致します。

義妹ばかりを溺愛して何もかも奪ったので縁を切らせていただきます。今さら寄生なんて許しません!

ユウ
恋愛
10歳の頃から伯爵家の嫁になるべく厳しい花嫁修業を受け。 貴族院を卒業して伯爵夫人になるべく努力をしていたアリアだったが事あるごと実娘と比べられて来た。 実の娘に勝る者はないと、嫌味を言われ。 嫁でありながら使用人のような扱いに苦しみながらも嫁として口答えをすることなく耐えて来たが限界を感じていた最中、義妹が出戻って来た。 そして告げられたのは。 「娘が帰って来るからでていってくれないかしら」 理不尽な言葉を告げられ精神的なショックを受けながらも泣く泣く家を出ることになった。 …はずだったが。 「やった!自由だ!」 夫や舅は申し訳ない顔をしていたけど、正直我儘放題の姑に我儘で自分を見下してくる義妹と縁を切りたかったので同居解消を喜んでいた。 これで解放されると心の中で両手を上げて喜んだのだが… これまで尽くして来た嫁を放り出した姑を世間は良しとせず。 生活費の負担をしていたのは息子夫婦で使用人を雇う事もできず生活が困窮するのだった。 縁を切ったはずが… 「生活費を負担してちょうだい」 「可愛い妹の為でしょ?」 手のひらを返すのだった。

【完結】召喚されましたが、失敗だったようです。恋愛も縁遠く、一人で生きて行こうと思います。

まるねこ
恋愛
突然の自己紹介でごめんなさい! 私の名前は牧野 楓。24歳。 聖女召喚されました。が、魔力無し判定で捨てられる事に。自分の世界に帰る事もできない。冒険者として生き抜いていきます! 古典的ファンタジー要素強めです。主人公の恋愛は後半予定。 なろう小説にも投稿中。 Copyright©︎2020-まるねこ

【完結】結婚式当日、婚約者と姉に裏切られて惨めに捨てられた花嫁ですが

Rohdea
恋愛
結婚式の当日、花婿となる人は式には来ませんでした─── 伯爵家の次女のセアラは、結婚式を控えて幸せな気持ちで過ごしていた。 しかし結婚式当日、夫になるはずの婚約者マイルズは式には現れず、 さらに同時にセアラの二歳年上の姉、シビルも行方知れずに。 どうやら、二人は駆け落ちをしたらしい。 そんな婚約者と姉の二人に裏切られ惨めに捨てられたセアラの前に現れたのは、 シビルの婚約者で、冷酷だの薄情だのと聞かされていた侯爵令息ジョエル。 身勝手に消えた姉の代わりとして、 セアラはジョエルと新たに婚約を結ぶことになってしまう。 そして一方、駆け落ちしたというマイルズとシビル。 二人の思惑は───……

傍若無人な姉の代わりに働かされていた妹、辺境領地に左遷されたと思ったら待っていたのは王子様でした!? ~無自覚天才錬金術師の辺境街づくり~

日之影ソラ
恋愛
【新作連載スタート!!】 https://ncode.syosetu.com/n1741iq/ https://www.alphapolis.co.jp/novel/516811515/430858199 【小説家になろうで先行公開中】 https://ncode.syosetu.com/n0091ip/ 働かずパーティーに参加したり、男と遊んでばかりいる姉の代わりに宮廷で錬金術師として働き続けていた妹のルミナ。両親も、姉も、婚約者すら頼れない。一人で孤独に耐えながら、日夜働いていた彼女に対して、婚約者から突然の婚約破棄と、辺境への転属を告げられる。 地位も婚約者も失ってさぞ悲しむと期待した彼らが見たのは、あっさりと受け入れて荷造りを始めるルミナの姿で……?

処理中です...