不思議屋マドゥカと常冬の女王

らん

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第5章

常冬の女王

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 常冬の女王は、冷たい微睡の中にある。
 
 氷晶石――氷の魔力を帯びた石でできた玉座は白い煙をあげ、肘掛けは置かれた指先を冷やす。ここには、およそ温もりというものが存在しない。
 
 レティア・モリガン。
 
 そう呼ばれていた頃の自分の感情を思い出すことは、もはや難しい。
 ただ一つ覚えていることと言えば、自分は愛されるという才能が絶対的に欠けていると常々考えていたことだ。
 
 愛されるにも、才能がいる。
 
 それがレティア・モリガンという二十一歳でその生涯を閉じた女の、人生の総論であった。
 
 微睡む女王は、いつもの通り振り返りを行う。
 レティア・モリガンであった頃を。あの男との出会いを。
 そして“お父様”と会った時を。
 
 まず、レティア・モリガンはどのような少女であったか。
 
 容姿は格別美しくもなく、醜くもなかった。ただ、恰好はいつも汚く、不潔だった。父はもともと、ある貴族の館の護衛兵士だった。若い兵士の御多分にもれず女を買い、その女が身ごもった。
 その子がレティアだ。
 だが、レティアが物心ついたとき、すでに母の姿は家になく、片腕なくした父は
毎日飲んだくれていた。父の口癖はこうだった。

『あの女に、自分の子かどうかもわからねえガキを押しつけられた』
 
  幼いころのレティアは、なかなかがんばり屋さんだったように思う。
 どれだけ掃除をしてもきれいにならない家を掃き、モップをかけ、摘んできた花を飾ってみた。醜く茶色く変色して、枯れるまで。
 処女を失った年は覚えていない。七歳の頃には、酒代の代わりに、酒屋の親父が体にやたらベタベタ触れてくるようになったので、もしかしたら、そのときかもしれない。
 
 そのころ、少女は一人だったか?
 いや、レティアは一人ではなかった。
 
 バルバザンという、生まれつき自分につき従う精霊がいた。
 では、いたいけな少女が幸せを求め、その幼い智慧で懸命に生きている間、彼は何をしていたか? 彼女をいかなる方法で助けていたのか。
 
 ――何も。
 
 彼は、何もしなかった。
 彼はレティアを常に蔑み、常に軽蔑していた。
 
 レティアはどうしたか?
 
 自分の義務を果たさない、この精霊をぶっただろうか? 罵倒しただろうか?
 ――どちらもしなかった。
 
 バルバザンがレティアを嫌っていても、レティアはバルバザンが好きだった。
 彼に、自分を好きになってもらいたかった。大事にしてもらいたかった。
 多くの人間がそうであるように、精霊と心通い合わせ、信頼を得たかった。
 
 強くなろう。
 
 決意を固めたやせっぽちの十二歳の女の子に、軍は過酷な場所だった。
 そこでレティアはいいようにおもちゃにされた。
 かわいいお人形ではない。
 おもちゃだ。
 
 大きくなる体に反比例して、幼いころから抱いていた希望は萎んでいった。
 
 まず、恋をあきらめた。
 おもちゃは人間ではないから。
 次に、結婚をあきらめた。
 レティアをお嫁さんに欲しがる人はいないから。
 
 レティアの顔から、徐々に笑顔が減っていった。
 すっかり笑顔を失ったころに、レティアに一つの転機が起きた。
 
 『サイトウ アンナ』の降臨である。
 
 精霊たちは、こう噂した。
 彼女こそ、自分たちを人間のおつきという鎖から解き放ってくれる、奇跡の存在だと。一番熱心なのは、もちろん、バルバザンだった。
 レティアには、彼女が運命の少女なのかはわからなかった。
 だが、異世界からやって来たという少女は、不思議な服を着ていて、不思議なことをたくさん知っていた。そして、彼女は言った。人は、精霊は、もう“名も無き聖霊王”に縛られなくてよいのだと。みんなが自由に生きてよいのだと。
 そんな彼女を、みんなは崇め奉り、そして、愛した。
 
 レティアは考えた。
 
 自由。
 自由とは何だろう。
 精霊にとって、自分が護りたい人間を選ぶことは、本当に自由なのだろうか。
 精霊の導きなしに、人間はどうやってよい生き方を学ぶのだろう。
 
 しかし、レティアは考えるのをすぐにやめた。

『選択の自由による、人間と精霊の真の平等と平和』
 
 みんながそれを夢見、実現に力を貸している以上、レティアもそうしなければならない気がした。そして、その夢の実現は、バルバザンとの永遠の別れを意味していた。バルバザンはあっさり自分のもとを去り、アンナの精霊になり、やがて彼女の夫となった。二人は国を建て、レティアはこの地に追いやられた。名目は、この土地を国土と定め、それを治める将軍という立場だったが、レティアが来る前から、この土地は寒い土地で、そして、この地は海の民と呼ばれる彼らのものだった。彼女は寒いこの地で生きていく術を持たなかった。それを教える者もなかった。
 
 死は目前に迫っていた。
 
 レティアは、そのとき初めて人を憎んだ。
 自分を愛してくれなかった父、捨てた母。
 自分に、理由なき悪意をぶつけ続けたバルバザン。
 青ざめた唇をぶるぶる震わせながら、レティアは剣を握りしめた。
 冷たい雪の中を、生まれ故郷、いや、死へ向かって歩く。
 
 そして、彼はやって来た。
 
 常冬の女王は、ふと、まぶたを開けた。
 懐かしい気配がする。近づいてくる。それも二つも。
 
 常冬の女王は立ち上がり、玉座を後にした。
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