12年目の恋物語

真矢すみれ

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15年目のはじまりの前に

進路希望2

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「……あのね」

 ハルは何度かの躊躇いの後、言いにくそうに切り出した。

「わたしね、ずっと、二十歳を超えた自分のイメージがなかったの」

 ハルの言葉に、思わず身体が固まった。
 大学の学部の話をしていたはずが、とんでもない言葉が飛び出して、オレは息を飲む。
 そんなオレに、ハルは申し訳なさそうに眉を下げる。
 だけど、ハルは淡々と言葉を続けた。

「わたし、今でも、就職して働いてる自分なんて、想像もできないよ」

 ハルの語る内容が、想像したくもない未来を思わせるものだったとしても、ハルが一生懸命紡いでくれる言葉を途中で止めるなんてできる訳なくて、オレはただ、バカみたいにうんとかああとか相槌を打つ。

「何ていうか、……体調がどうとか、体力がどうとかじゃなくって、」

 ハルが言いたいことは、分かりたくないけど、よく分かる。
 だけど、ハルの口から聞きたくない。
 でも、ハルがこんな話をするのは初めてで、それを止めるなんてこと、オレにできるはずもなく……。
 オレはハルの手をそっと握り、聞いてるよとハルを見返すしかできなかった。

「わたし、就職できる年まで、自分が生きてるって思ってなかった」

 きっとそうだと思いつつも、実際にハルの口からその言葉を聞くと全身に衝撃が走った。
 反射的に、拳を握りしめそうになり、ハルの「いたっ」という声に、自分がハルの手を握っていたのを思い出し、慌てて力を抜く。
 ハルが、

「ごめんね」

 と気遣わしげにオレを見た。ごめんは、オレの言葉だと言いたいのに、声が出なかった。
 そうして、オレは左右に首を振る。

「……えっとね、で、今でも、二十歳を過ぎた自分のイメージはないのだけど、けど、カナの奥さんになって、一緒に大学生になることになって、」

 そこでハルはふっと微笑んで、オレの頰に手を当てた。

「ちゃんと考えなきゃなって思ったよ」

 オレはぎこちない動きで腕を上げると、ハルの手に自分の手を重ねた。

「カナはいつかパパの会社を継ぐでしょう? お兄ちゃんはいつか、おじいちゃんの病院を継ぐでしょう? 晃太くんはいつか、お義父さまの会社を継ぐでしょう?」

 明兄と兄貴は分かる。
 だけど、オレもか!? オレがお義父さんの会社を継ぐのは決定事項なのか!?
 そりゃ、かなりそれらしき言葉をかけられてはいたけど……。
 ハルは目を丸くしたオレを見て、優しく微笑んだ。

「だったら、相談に乗るなんて大層なことはできなくても、愚痴を聞いたり、話を聞いたりするくらいは、できたらいいなって思ったの」

 オレは思いもかけなかったハルの言葉を、相槌も打てずにただ聞くしかできなかった。

「話を聞いたからってわたしには、何にもできないのだけどね、それでも、話を聞いて、相槌を打つくらいなら、できるかなって」

 ひたすらに穏やかなハルの笑みに引き込まれる。目が離せない。

「経営者の人って、誰にも言えずに一人で悩むこと、多いんでしょう? パパはよくママに色々話してる。ママは何を答える訳でもないみたいなのだけど、まったく違う職業、視点が新鮮で参考になるって、パパから聞いたことがあるの」

 オレは、うん、とただ頷く。

「もしかして、社会に出てお仕事はできなくても、経営学をちゃんと勉強したら、……本当にもしかしてなんだけど、わたしでも、少しでも何かの役に立つことが言えるかも知れないと思ったら、……一度ちゃんと勉強したいなって思って」

 ハルは最後、とても照れくさそうに笑った。

「そっか。……うちのお袋も、仕事はしてないけど、親父の話はよく聞いてる」

 あの親父が、意味もなく経営のことを口にすることなんて考えられない。
 そっか。お袋に話すことで頭の中を整理していたのかも知れない。もしかしたら、自分にはない何かを求めて話していたのかも知れない。
 ハルはちゃんと、しっかり考えた上で選んでたんだ。オレのためとか、親父やお義父さんの要請とかじゃなく。
 卒業しても就職できないだろう自分を理解した上で、それでも家族のために、自分ができる事をしようと考えて選んだんだ。
 仮にオレがお義父さんの会社を継ぐとしても、相当先の事になる。明兄が一人前の医者になって、牧村総合病院の院長になるのだって、かなり先だ。既に大学院生で、明兄やオレより一番早く、経営陣に入りそうな兄貴だって、数年後とか、そんな近い未来じゃない。
 だけど、二十歳より先のイメージがなかったというハルは、もっと先を見据えて、何を学ぼうかと考えていた。

「ごめん。オレ……なんか、ハルのこと見くびってた」

 思わず頭を下げると、ハルは驚いたように目を見開いた。

「なんで、カナが謝るの?」

「いや、……オレ、ハルが選ぶ学部に行くなんて言って、考えることも全部放棄してたなって。……ハルに全部押し付けてた……よな」

「でも」

「うん。やっぱり、何があってもハルと同じところがいいし、離れるとか考えられない」

 オレはぎゅっとハルを抱きしめた。

「だけど、……本当は丸投げなんてダメで、やっぱりオレも一緒に考えなきゃないけなかった」

 それにそう。ハルが選んだのが経営学部だからよかったけど、本当に理系の学部を選ばれていたら、どこでも良いとか言ったくせに、最悪、ハルに「やっぱりオレが確実に入れる学部にして!」ってお願いする羽目になっていたんだ。でもって、もしハルが絶対にそれを学びたいと言ったら、最悪、違う学部になっていたかも知れない。
 心の底でひやりと肝を冷やしつつ、ハルの肩に頭を乗せて項垂れると、ハルはくすくすと笑い出した。

「……笑うとこ? オレ、割と真面目に反省中なんだけどなぁ~」

 思わずぼやくと、ハルはそれでもまだ笑いながら、オレをギュウッと抱きしめてくれた。

「ごめんね。わたし、カナがもう、普通の就職しなくても生活できるだけの収入があるって、知ってるよ?」

「ん?」

「だから、わたしに合わせてくれるんだと思ってた」

「合わせて?」

「うん。それでね、将来何をしたいかちゃんと考えて選んで、しっかり勉強しろって言われてる気がして、色々考えたんだけど……」

「え? しっかり勉強しろって、オレがハルに?」

「そう」

「まさか! そんな、おこがましい!」

 思わず 大きな声を上げると、ハルは驚いたように動きを止めた。

「え? なに?」

「ハルに、しっかり勉強しろとか、あり得ないでしょ! オレが言われるならまだしも」

「……なんで?」

「だって、ハル、身体のことさえなきゃ、医学部だってストレートでいけるでしょ!?」

 うちの大学には医学部はないけど、外部進学クラスへ行って医学部を受けるヤツは毎年何人もいる。明兄も正にそんな風に医学部へ行った。

「まさか」

「いや、絶対いける。大体、ハル、学校の勉強って予習しかしないじゃん?」

「え……うん」

「体調を崩した時に遅れないように、だっけ?」

「うん」

「で、復習してるとこなんて見たことないし」

「えっと……授業聞いたら、わかるし」

「でもって、自分での予習しかしてなくて授業受けてなくても、本当は困ってなかったよね?」

「……ノートはありがたく見せてもらってた、よ?」

 オレが取ってるノートをハルはいつも喜んで受け取ってくれていた。だけど、もしかしたら、今、学校でどこを勉強しているかを知る以外の役に立っていなかったんじゃないだろうか?
 ……って考えたら、なんか寂しいけど。

「だけど、ハル、テスト勉強もほとんどしてなかったでしょ?」

「まったくしなかった訳じゃ……」

「授業も受けてなくて、予習もできてなかったところしか、やってないイメージなんだけど」

 オレの言葉にハルが困ったように小首を傾げた。

「えっと……さすがに、テスト範囲の教科書読んだりはしたけど」

「それだけで、あの成績でしょ!?」

 ハルの成績はホント、学年トップクラスだ。大抵、一桁台。本当に体調さえ邪魔しなきゃ、トップ3には食い込むし、学年トップを取ったこともあったはずだ。
 体調が悪くて保健室で受けたような時だって、二十番より後ろなんて見たことないし、入院しているとか、当日にどうしても受けられずに追試になった時ですら、オレより悪かったことなんて一度もない。ちなみに、うちの学校は病気とか忌引きでの追試は取った点数の9割って決まっている。

「えっと…ね、でも、あれ以上は体調崩しそうで、夜更かしして特別な試験勉強とかはできなかっただけで、わざとしなかった訳じゃ……」

「だから! それであの成績ってのが、もう普通じゃないんだって!」

「ご……ごめん、ね?」

 思わず声を大きくすると、ハルは申し訳なさそうにオレを見上げた。

「あ、いや、オレこそ大きな声出してごめん」

 つい興奮してしまった。
 ハルは自分が普通だと思っている。だけど、この頭の良さはまったく普通じゃないと思う。
 大体、高校の授業って、自分で教科書読んだくらいで分かるもの? 違うよな?

 杜蔵は良家の子女が多く通うと言われるエスカレーター式の私立だけど、実は学力だって県下トップクラスだ。そこで、オレも真ん中よりは上にいた。と言うか、上位2~3割くらいっていう微妙な場所には入ってた。
 けど、そんな順位ではあったけど、実はオレ、中学生の頃から、かなり真面目に勉強してたんだ。ハルが休んだ時に、ちゃんと教えてあげられるように。……実際には、まるで必要なかったけど。それが分かった後からは、いつか、ハルが選ぶ学部に一緒に入れるようにって目標が変わったのは、ここだけの話。
 正直、ハルの第一希望が経営学部だと知った瞬間、オレはかなりドキッとしたんだ。

 ずっと昔にこの地域で成功した実業家が後進育成のため、地域のために創ったといううちの学校では、今でも経営者の子どもが多く通っていて、何だかんだでやはり経営学部は倍率が高い。で、経営学部は事前の進路相談で確認した時、何とか入れそうというラインだったんだ。ハルに好きなところを選ぶように言っておきながら、危ないところだった。
 この六年間、真面目に勉強してきて本当に良かった、って本気で思った。

「んー。まあ、つまり、……大学入っても、きっとハルは困らないよな」

「え…っと、それって、」

 ハルはオレが何を言いたいのか、まるで分からないという顔をする。

「うん。つまり、ハルは地頭が良いから、多少休んでも、きっと問題なく授業にはついていけるだろうなって」

 今までだって、あれだけ休んでもこの成績だ。大学だって、きっと何を選んでもハルは困らないだろう。
 だけど、オレの言葉にハルは微妙な表情を返す。

「……休む前提?」

 休まないなんて、きっとあり得ない。
 だけど、確かに、失言だった。

「ごめん」

「いいけど、さ。……休まず通えるかって言ったら、どう考えても無理だし」

 去年の手術後、ハルの体調は大分良くなった。もちろん、心臓が治った訳でも体力が劇的に上がった訳でもない。ただ、そう、前より少し身体が楽そうに見える。寝込む日数が少し減った。
 だけど、新しい環境に気疲れもするだろうし、高校時代よりも多くなるらしい課題に翻弄されて、体調を崩す日もあるだろう。そもそも、暑さも寒さもハルの身体には負担が大きく、季節の変わり目にも必ず体調を崩す。
 ハルだって、それはよく分かっている。

「……出席日数って厳しいのかなぁ」

 憂鬱そうに曇ったハルの顔を見て、オレは申し訳なくて仕方なくなる。
 こんな話するんじゃなかった。
 だけど、ハルは不意に真顔になって、ポツリと言った。

「……勉強、しよ」

「ん? ハル?」

「お休みしても遅れないように、とりあえず、経営学の勉強しておくね」

 ハルはそう言うと、少し安心したようにオレに笑いかけた。

「……えーっと?」

 なんて言うか、この勤勉さと生真面目さが、あの成績の要因の一つであることは間違いないと、オレは改めて実感。
 けど、そもそも大学入学前に、専攻科目の勉強って始めるもんなんだろうか?
 そうは思いつつも、満足げなハルを見ると、あえて止める必要など感じられず、オレはハルをそっと抱きしめた。

「ハルはホント努力家だな。……けど、無理だけはしないでね?」
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