12年目の恋物語

真矢すみれ

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13年目のやさしい願い

11.病室の日曜日

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 事故の翌日、日曜日。
 朝から、カナのお見舞いに行った。
 少しでもカナと一緒にいたくて。カナの側にいたくて。

「陽菜、今日は家で休んでなさい。顔色が良くないよ」

 そう言って止めようとしたパパは、わたしの目が潤むのを見て、困った顔をしつつも、「仕方ないな」と病院まで送ってくれた。

「叶太くん、大変だったな。具合はどうだい?」

「はい。もう、すっかり元気です」

 頭の包帯も取れて点滴もなくて、目に見えるケガは手の甲だけで、カナは、本当にすっかり元気という感じで笑っていた。

「それにしても、とんでもない車もいたもんだ」

「どうも認知症の老人だったみたいです」

「最近多いらしいな」

 パパがため息を吐き、「本当に、大したケガがなくてよかった」と言った。
 わたしはカナの枕元のイスに座って、カナの手を握りしめていた。
 何だか、とても疲れていて身体が重い。パパとカナの会話が、頭の上を素通りしていくような気がした。

「……菜、……陽菜。帰るぞ」

 パパがわたしの肩に手を置いた。
 カナの手を握ったまま、ぼんやりしていたわたしは、パパの言葉に首を振った。

「帰らない」

「陽菜」

「まだ、いるもん」

「ハル、オレ、明日には帰れるから」

「やだ」

「陽菜」

 パパは厳しい声で言ったけど、わたしの目から涙がこぼれ落ちるのを見て、

「ああ。分かった分かった。……後から、また迎えに来るから、」

 と、慌てて言った。

 ごめんね。
 わたしに甘いパパが、わたしの涙を見て、わたしの願いを叶えないわけないって知ってる。でも、わざとじゃない。
 昨日から、わたしの涙腺は壊れたままだった。

 パパが帰り、病室にはわたしとカナだけになった。

「ハル、こっちで寝る?」

 カナがベッドの上に座って、わたしの頭を優しくなでながら聞いてきた。

 こっち……って、ベッド?
 寝ないよ。そこはカナの場所だもん。

 小さく首を振り、カナの目を見た。目が合うと、カナがにっこり笑ってくれた。
 つないだ手のひらから感じる、カナのぬくもり。曇りのないカナの笑顔。

 ……よかった。
 ……本当によかった。

 わたしはイスに座ったまま、上半身をベッドに伏せた。

「ハル?」

 ……うん。カナ。
 あのね、大好きだよ。

 頭に、背中に、カナのぬくもりを感じながら、ウトウト。
 気がついたら、現実と夢の狭間を、わたしはゆったりと漂っていた。


   ◇   ◇   ◇


「絵本、好き?」

 大部屋の中から聞こえる子どもたちの笑い声。
 絵本を読む、優しくて綺麗な声。
 明るくて楽しそうな空気。
 ベッドの数以上に集まっていた子どもたち。

 解放されたドアから、中の様子を覗いていたら背の高いお兄さんに声をかけられた。
 一体、誰なんだろうと小首を傾げると、お兄さんはにっこり笑って、もう一度聞いてくれた。

「絵本、好き?」

「うん」

 答えると、

「じゃあ、中で聞くといい」

 お兄さんは優しく笑って、大きな手のひらをわたしの頭にポンと置いて、それから、わたしの手を引いて大部屋の中に入れてくれた。
 おずおずと部屋に入るわたしに気づいて、絵本を読むお姉さんは、にこっと笑いかけてくれた。

「はじめまして。香村こうむら瑞希みずきです」

 絵本を一冊読み終わると、お姉さん……瑞希ちゃんは、わたしに話しかけてくれた。
 腰をかがめて、小さなわたしと目線を合わせてくれた。

「はじめまして。牧村陽菜です」

 ぺこりと頭を下げると、

「おりこうなのね」

 と驚いたように、目を丸くした瑞希ちゃん。
 サラサラの長い髪が、首を傾げると肩からこぼれ落ちた。

「陽菜ちゃんは、何歳?」

「六歳。……一年生です」

「そっか。わたしは十三歳。中学二年生」

 それから、瑞希ちゃんは、わたしを部屋に連れて来てくれたお兄さんを見た。

「あっちのお兄さんはね、浅木裕也くん。高校生なんだよ」

 瑞希ちゃんが、わたしとしゃべっている間、裕也くんは楽しそうに、次の絵本が待ちきれない子どもたちの相手をしていた。


   ◇   ◇   ◇


「あれ? 志穂? 羽鳥先輩も」

 耳に入るカナの声で、遠い昔の夢の中でゆらゆら揺れていた意識が、現実世界に呼び戻された。

 ……しーちゃん? 羽鳥先輩?
 あれ?

 今の今まで、六歳の自分のつもりだったから、一瞬、自分がいる場所が分からなくなる。

「なに? 元気そうじゃん」

「いや。元気だって書いただろ?」

「交通事故で入院したってメールもらったらさ、普通、心配するし。それに、ケガ人を想像しない?」

「え? 一応、ケガ人だろ?」

「どこが?」

「……あ、そっか。包帯はもう取ったんだった」

「え? どっかケガしてんの?」

「や、だから、頭。……たんこぶが痛くてさ。昨日は冷やしてたんだけどな」

 カナとしーちゃんの声が右から左に抜けていく。

 ……ああ、そうか。
 カナが交通事故にあって、入院して……。
 わたし、お見舞いに来て、寝ちゃったんだ。

「一体どうしたのって聞きたかったのに、入院って言うから電話できないし、メール送っても返事来ないしさ」

「悪い。寝ちまってた」

 カナの笑い声が聞こえる。
 起きなきゃという思いと、未だ夢の中にいるようなふわふわした身体。

「ハルちゃんは?」

「疲れたみたいで、寝ちゃって」

「大丈夫?」

「こっちで寝るか聞いたんだけど、いいって断られちゃって」

「あはは。そりゃ、陽菜だってイヤでしょう」

「ところで、何でまた交通事故なんて?」

「いや、交差点で信号待ちしてたら、車が突っ込んできて」

「そりゃ、災難だったな」

「それでよく、そんだけのケガですんだね」

 カナとしーちゃんと先輩。
 眠っているわたしに気を遣ってか、小さな声で話す。

 ごめんね。いいんだよ。大きな声で話して……。

 思うだけで、言葉にはならない。
 夢うつつ。
 三人の会話は、ふわふわと漂い、流されていった。

 トントントン。

 不意に、ドアがノックされる音が聞こえて、三人の会話が中断された。代わりに知らない声が耳に届く。

「本当に、ありがとうございました」

「あなたのおかげで、娘はかすりキズ一つしませんでした」

「なんてお礼を言っていいのか……」

「娘の代わりに、あなたにそんなケガをさせてしまって」

「ほら、まゆ、おまえもお礼を言いなさい」

「ありがとう!」

 バタバタした空気と、矢継ぎ早に言われるお礼の言葉。
 大人の男の人、女の人の声。
 それから、ちょっと甲高い女の子の声。
 きっと、カナが助けたって子と、その両親。

 お客さまだし、起きなきゃ……と思うのに、身体を起こすことができなかった。
 腕に力を入れようとするけど入らない。
 それに気がついたのか、カナが、

「ハル。いいよ、寝てて」

 と、耳元で囁いた。

「それじゃ、ボクたちは失礼しようか?」

「え!? まだ来たばっかりですよ?」

 羽鳥先輩が、後から来た来客に気を遣うように言って、しーちゃんが驚いたような声を上げた。
 カナも慌てた声で言った。

「え? 先輩、もう少し待ってて下さい。頼みたいことがあるんで」

「ボクに?」

「……ってか、志穂に? だから、昨日、メールしたんだし」

「……何も書いてなかったけど?」

「だから、書く前に寝ちゃったんだって」

 どこか微妙な沈黙が流れた。
 数秒の間のあと、女の子のお父さんが口を開いた。

「都合も考えずに来てしまって、申し訳なかった。私たちが失礼しましょう。ご両親には、改めてお詫びに伺います」

「え!? いいですよ、そんなの」

「いや、そうは行きません。娘のために、大事な息子さんにケガをさせてしまったんだ」

「ケガってほどのケガはしてませんし。明日には、もう退院ですから。本当は今日でも良いくらいだけど、日曜日は事務が休みで退院できないからってだけで」

「とんでもない! 交通事故にあって、意識不明で救急車で運ばれて入院ってだけで、十分、大事ですよ」

「そんな大げさなものじゃ、ないですから」

 おじさまとおばさまは、元々、今日は夫婦同伴でお出かけのはず。泊まりの予定だったけど、昨日、ムリして一度戻ってきたんだ。
 お仕事だし、来られるとしても夜なんじゃないかな?

「広瀬、こちらの方も、そうは言ってもやっぱりご両親にあいさつはしなきゃすまないだろ? 自宅の電話番号かお父上の携帯の番号をお伝えしたら?」

「……じゃ、そうしましょうか」

 カナが「ごめんね」と、小さな声でささやいて、つないだ手を離した。
 それから、

「ハル、書くもの借りるよ」

 と言う声の後、ゴソゴソ探る音がした。

 わたしのハンドバッグ?
 いいよ。なんでも、自由に使って。

 そう思いながら、手のひらにカナのぬくもりがなくなったのを、ちょっとだけ寂しく感じながら、わたしの意識は、また闇に飲まれていった。
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