12年目の恋物語

真矢すみれ

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12年目の恋物語

後日談 ~片恋~

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「なあ、羽鳥。さっきのあれ、おまえだよな?」

 広瀬、世紀の大告白の放送のすぐ後。キャーキャー騒ぐ女子、ざわめき興奮する男子多数の中、実に冷静に声をかけてきたヤツがひとり。

「ん? 何のこと?」

 本気で分からないという顔をしてみせるが、呆れたような顔が返ってきた。

「おまえね、オレにそれが通用すると思ってんの?」

「いや」

 笑うと、そいつも笑った。中等部から、かれこれ五年目の友人、木田健太郎。

「で? なんで気づいた?」

「だって、放送部のヤツとつるんで何か話してたじゃん」

 たしかに、ここ数日、この放送のための打ち合わせをしていた。

「それだけ?」

「相手、おまえのお気に入りのハルちゃんだろ?」

 いつからか、コイツには、ボクがハルちゃんを気に入っているのが、バレている。

「それが、どう繋がる?」

「先輩、知らないだろ。ハルがどれほど優しくて、暖かくて、可愛くて……」

 木田がしれっと、広瀬の台詞を暗唱する。

「よく覚えてるな」

「その先輩がおまえだろ?」

 一年の広瀬には、先輩なんてものは何百人といるはずなのに。だけど、もうすっかりバレているらしいから、今さら隠しても無駄だろう。

「なんで、分かった?」

「ん? 寺本とか来て、色々話してたじゃん?」

 そこで、ようやく思い出す。

「バスケ部か」

 コイツもバスケ部員だ。

「そ。寺本、ハルちゃんと仲良いだろ」

「よく知ってるな」

 目の前の男は、二カッと笑った。がっしりした身体と、大きな声、一見、乱暴な動きが特長。

「後、少し前だけど、広瀬がわざわざ寺本と話しに来てたしな」

 でも、がさつに見えて、意外なほどに鋭く、物事の核心を見ている。コイツのこういうところ、嫌いじゃない。
 ……そうか。ちょうどいい。

「木田。二年の田尻って知ってる?」

「女子バスの田尻?」

「ああ。どんな子?」

「……ん? おまえ、ハルちゃんから鞍替えして、そんな方向行く?」

 冷たい視線を返すと、木田は、

「冗談だろ」

 とぼやいた。
 冗談にしても、程があるだろ。
 今日の放送で、ハルちゃんの心のケアは、とりあえず終わった。見に行かなかったけど、結果なんて、分かりきっている。二人はもう離れない。後は、広瀬が全力で守るだろう。となると、残った問題は、ひとつ。

 田尻真衣。


   ◇     ◇     ◇


 憂鬱だ。
 正直、憂鬱だ。これから、しないといけないことを考えると、逃げ出したくなる。……自分が恥ずかしくて。でも、逃げられない。
 えーい!! 頑張れ、真衣!! 自分にハッパをかけ、気合いを入れまくり、そして、かなりの勇気を振り絞って、わたしは、保健室のドアを開けた。

「あら、どうしたの? どこか具合、悪い?」

 先生が不思議そうな顔をする。そりゃ、そうだ。見るからに、わたしは元気そう……ってか、健康そのものだし、もちろん、怪我もしていない。
 でも、今は授業中。ヒマだから、先生とおしゃべりに来たというのは通用しない。それ以前に、わたしは、保健室にしゃべりに来るようなタマでもないしね。

「牧村さん、来てます?」

 聞いてはみたけど、来ているのは事前調査済み。

「ええ。寝てるわよ」

 先生はあの日のことを覚えているのだろうか? あの日。わたしが、牧村さんを呼び出して、牧村さんが死にかけたという、あの日。

「ちょっと、話してもいいですか?」

「え? でも、具合が悪くて寝てるのよ」

 先生は困ったような顔をする。そりゃ、そうだと思う。だけど、ここで引くわけにはいかない。

「ちょっとだけ」

 彼女と二人きりで話せる場所を考えてみた。もう、呼び出したりはできない。いくら人の良い牧村さんで、さすがに、もう、ついて来ないでしょう?
 教室で話すのも論外。叶太くんの目の前で話すわけにはいかない。悩んだ末に、思いついたのは、授業中の保健室だった。それでも、先生が渋い顔をしていたので、仕方なく、わたしは続けた。

「……あの。わたし、彼女に謝らないといけなくて」

 わたしの顔、そんなに思い詰めて見えたのかな? さっきまで、まるで関所のようにわたしをブロックしていた先生が、

「そういうことなら」

 と、すんなりと中に入れてくれた。一言、

「ムリヤリ起こしたりは、しないでね」

 とだけ言って。
 カーテンをめくって中に入ると、牧村さんが眠っていた。

 抜けるように白い肌。布団から覗く細い手首。柔らかそうな長い髪。黒目がちな大きな目は、今は閉じられていた。でも、目を瞑っている分だけ、長い長いまつげがよく見えた。
 誰もが守ってあげたくなるような女の子。優しくて、おっとりしていて、華奢で、病弱で、何より、抜群に可愛い顔立ち……。
 そう。まるで、女の子のお手本みたいな子。今でも起きていたら、きっと可愛いって思ったと思う。でも、息苦しそうに寝ているのを見ると、やっぱり目につくんだ。

 ……痩せた。というか、やつれた。
 そう、きっと、わたしのせいで。
 以前から、華奢で細かった。でも、ここまでではなかった。思わず、その手を取り手首を握ってみてぞくりと鳥肌が立った。細い。細すぎでしょ!? ……これが、わたしのしたこと。

「……ん」

 牧村さんが身じろぎをした。慌てて手を放す。
 手を放すと同時に、大きな目がゆっくりと開かれた。寝起きのぼんやりした彼女の瞳に、わたしの姿が映る。

「……あ」

 瞬間、彼女の目が大きく見開かれた。その目の奥に恐怖と怯えが垣間見えた。
 なによ、その顔。謝りに来たはずなのに、その表情に、思わず、ふつふつと意地悪な気持ちがわき上がる。

「ホント、病弱なのね」

 叶太くんが、この子を抱きかかえて歩くのを何度見たか。誰からも大事にされるお姫様。叶太くんが、宝もののように大切にしている女の子。
 わたしの言葉に、牧村さんの表情がゆがむのを見て、瞬間、我に返った。

「あ、……ち、違うの!」

 慌てて、言い訳する。

「そうじゃなくて! わたし、今日は謝りに来たの!」


   ◇   ◇   ◇


 数日前。呼び出された校舎裏。

「キミは、ただ広瀬が好きだった。そうして、広瀬のためにと思ってしたのかもしれない」

 羽鳥先輩の言葉に反論しようとしたけど、なぜかできなかった。
 二年で常に学年トップの成績を張るクールでカッコいい、羽鳥先輩。もちろん、顔も名前も、知っていた。でも、羽鳥先輩は、同じイケメンでも、叶太くんみたいに、いかにもスポーツできます、クラスの人気者です、みたいな、明るい雰囲気ではない。落ち着いた、いかにも頭の良さそうな大人っぽい人。

 だから、体育会系丸出しの、まるでタイプの違う自分が声をかけられるなんて、考えたこともなかった。それでも、呼び出されて、何かを期待していたかもしれない。叶太くんには完全に、失恋しちゃったから。どこにも希望の見出しようのない、完全な失恋だったから。
 だから、いったい何だろうって、ドキドキしていた。でも、先輩の表情はとても冷たくて……。そして、言われたのは、わたしが密かに想像したような、浮かれた話とは、まったく違っていて……。
 わたしは背筋の凍るような、厳しい現実を突きつけられた。

「ハルちゃんね、死にかけたんだよ」

 羽鳥先輩は、静かに、だけど、威圧感のオーラを全身にまとって、そう言った。

「え?」

「この場所で」

 先輩は、ゆっくりと辺りを見回した。

「キミが呼び出して、言いたいことを言った、あの日」

 それから、わたしの方に向き直り真顔で告げた。

「広瀬が駆けつけて、すぐに救急車を手配したから助かった」

 ウソ。

「一時間遅かったら、危なかったそうだ」

 なんで? なんで、あれくらいで!?
 わたしが呆然としていると、先輩は呆れたように告げた。

「知らなかったの? ハルちゃん、心臓が悪いんだよ」

 知らなかった。ただ、身体が弱いくらいにしか思ってなかった。

「キミからプレッシャーをかけられ続けて、すっかり体調を崩していてね。あの日、ここで、キミが立ち去った後、発作を起こした」

 先輩は、わざとらしくため息を吐いた。

「人を好きになるのは悪いことじゃない。それが例え、横恋慕だったとしても、好きになる気持ちは抑えられないかも知れない」

 先輩は、わたしの目をジッと見つめた。

「だけどね、それで人の命を奪っていいはずは、ないよね?」

 命を奪う? まさか!!

「……そんな」

 そんなこと、考えてもいなかった! そう言いたかったけど、今となっては、わたしがしたことは、叶太くんが好きで、好きで、だけど、叶太くんに想いを告げる勇気はなくて、代わりに、牧村さんをいたぶっていたとしか、見えない。

「いいよ。……って、ボクが言うことでもないけどね」

 羽鳥先輩は薄く笑った。

「起きてしまったことは、仕方ない」

 だけどね、と、先輩は続けた。

「キミは、自分が、なぜ、そんなことをしたのかを、これから、どうするべきかを、しっかり考えるべきだね」

 先輩はそれだけ言うと、呆然とするわたしの前から立ち去った。



「ハルちゃんね、死にかけたんだよ」

「一時間遅かったら、危なかったって」

「知らなかったの? ハルちゃん、心臓が悪いんだよ」



 羽鳥先輩の言葉が、頭の中で渦を巻く。
 当然のように、バスケの練習なんて身に入るはずもなくて、先輩には何回も怒鳴られた。遅刻して行って、上の空。最悪だ。サボって帰った方がよかったんじゃないかと、思うくらいだった。
 練習中も、帰り道も、羽鳥先輩に告げられた言葉が頭を離れなかった。家に帰ってからも、上の空でご飯を食べて、お風呂に入った。頭の中では、色んな想いがぐるぐる回り続けていた。

 叶太くんが好きだった。いつからかなんて、覚えていない。たぶん、初等部の高学年の頃から、なんとなく、少しずつ……。

 いつも、叶太くんは牧村さんと一緒で、牧村さんのランドセルを持って、中等部からは、学生鞄を持って、本の入った袋すら、代わりに持って、遠足の日はリュックサックも二つ持って、具合が悪くなった牧村さんを、慣れた手つきで介抱して、動けない時はスッと抱き上げて、心配そうに休み時間ごとに、保健室に通って、元気な日は牧村さんの隣で嬉しそうに、話していて、牧村さんの頭、ぐりぐりなでたりして、いつだって、「ハル!」って、牧村さんのこと、笑顔で呼んでいて、大好きだよってオーラを身体中から出していて……。

 そんな二人の姿は、いつでも目について、わたしは、羨ましくて。
 羨ましくて、羨ましくて、羨ましくて、羨ましくて、そして、妬ましくて……。

 ……ああ。

 そうして、わたしはようやく気がついた。

 そうか。わたし、牧村さんになりたかったんだ。
 牧村さんみたいに、可愛くて、ふわふわしていて、いつもいつも、愛されていて、たったひとりの人に心から愛されていて、大切に、大切に、まるで宝もののように、大切にされていて……、わたし、そんな、女の子になりたかったんだ。

 叶太くんが好きだった。叶太くんの彼女になりたいと思っていた。わたしが、もし、叶太くんの彼女だったらって、そんな空想、いっぱいした。
 違うね。わたし、叶太くんの彼女になりたかったんじゃないよ。違う。
 わたしがわたしのままで、叶太くんの隣にいるんじゃなくて、わたし、牧村さんになって、叶太くんの隣にいたかったんだ。

 ベッドに寝転がったまま、天井を見ていたら、視界がゆらゆらと揺れ始めた。気がついたら、涙があふれていた。
 あまりに幼い自分の恋に、呆れて……。そんな、幼い恋を何年も続けて、牧村さんを妬んだ挙げ句、何の罪もない彼女を、あやうく殺しけけたことに気がついて。自分がしたことの重さに、あやうく、人を殺しかけたという事実の重さに、改めて、気がついて……。


   ◇   ◇   ◇


「ごめんね」

「……あの」

 ベッドに横になったままの牧村さんは、困ったようにわたしを見た。やっぱり可愛い。誰もが守ってあげたくなるような、そんな女の子。
 わたし、あなたみたいになりたかった。でも、どうやってもムリみたい。謝りに来たのに、つい意地悪したくなる。わたしはそんな人間だから。

「あなたが心臓悪いなんて、知らなかったの。本当よ」

「……あ、うん。言ってないし」

 そうよね。いつだって、叶太くんがいて、助けてくれるものね。別に言わなくてもすむわよね。
 って、そうじゃないって、謝りに来たんだってば!

「具合の悪いあなたを置いていったのも、だけど、叶太くんとの仲、引っかき回してしまったことも、本当に、ごめんね!」

 気合いを入れて、わたしはガバッと頭を下げた。

「……田尻さん?」

 牧村さん、ホント、何が起こったのか分からないって思ってる。それが、声から伝わってくる。それから、わたしが中々頭を上げないのを見て、

「あの。……もう大丈夫だから。気にしないで」

 って、困ったような声で言った。
 それでも、わたしが顔を上げないものだから、細い手をわたしの頭に伸ばして、なぜか、よしよしってなでてくれて。驚いて、顔を上げたわたしが見た牧村さんの表情には、わたしを恨んでるとか、わたしを嫌っているとか、そんなのは、どこにも見当たらなくて……。ただ、優しく、はにかむように、わたしに笑いかけてくれた。
 そうして、その口から出た台詞は……。

「ありがとう」

 ああ、いいよ、もう! 分かったよ。あなたが、どんだけ善良で、悪意ってものがない人かって、よーく分かったよ。
 わたしが悪かった!! ……負けたよ。
 ただ、謝って、それで水に流してもらおうと思ってた。それで、スッキリしようと思ってた。

 でも……。この子は、わたしがずっと、こうなりたいと思っていた女の子。

 穏やかで、優しくて、悪意のカケラも見当たらない。誰からも愛される、誰からも大切にされる女の子。
 ずっとずっと、大っきらいだった。
 だけど、もしかしたら、わたし、これから、あなたのこと、好きになれるかもしれない。

 わたしが、ぎこちなく笑うと、牧村さんは、優しく笑い返してくれた。


 《 完 》
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