4 / 4
真相編
しおりを挟む
早速……というには、いささか時間が経ちすぎていたが。僕たちは如月 琴音を呼び出し、人払いをした応接間で向かい合っていた。
「それで……犯人はわかりましたか? 刑事さん」
うっすらと笑い、少女めいた仕草で小首を傾げる様子は、挑戦的とも困惑しているだけとも受け取れる。しかしながら、僕たちも遊びでやっているわけではないのだ。ソファの後ろに立つ暮月が苛立つのを感じながら、僕はあくまでも冷静に口火を切る。
「もう、終わりにしませんか……琴音さん。我々には、全て分かっているのです」
全て、という単語に、琴音はわずかだが眉を痙攣させた。それでも沈黙を守る彼女の目を、僕は真正面からじっと見つめる。切れ長で意思の強そうな瞳が、ひととき僕を見つめ返し——ふっと、呆れたような笑みを浮かべた。
「全て、とは……何についてのことかしら。まさか、私が犯人だと分かったなんて、言いはしませんよね……」
「残念ながら、我々は……琴音さん、あなたが犯人だという結論に達しました。あなた自身の証言によって、午前7時以前に足跡がないことは証明されています。ならば、離れに行ったのは琴音さん一人……もう、これ以上は言わずともわかりますよね」
畳み掛けるように告げると、琴音は静かにため息をついた。何かを諦めたような微笑みに、彼女はついに観念したのだろうか。
緊張に満ちた沈黙が、応接間に流れる。身を乗り出してくる暮月を止めることもなく、僕自身も固唾を呑んで最後の言葉を待っていたのだが——
「違いますよ」
彼女の口から漏れたのは、予想外の言葉だった。僕と暮月がぽかんとしていると、琴音はやはり薄い笑みを浮かべたまま、緩やかに首を横に振って見せる。その表情には、偽りというものを拒絶する固い意志が秘められているようだ。
追求しようと僕が口を開くより先に、琴音はすっとこちらに指先を突きつけてくる。すでに笑みはなく、鋭いナイフにも似た眼差しだけが、彼女の感情を明瞭に語っていた。
「殺人なんて、私していません。どんな理由があっても……父を殺すことだけはありませんでした。憎らしい人でしたが、生きていなければ間違いを正すこともできないんです。だから、私は犯人ではありません」
「で、ですがあなたの証言では……!」
「ええ。だから、無実だなんて言いませんよ。偽証罪に犯人隠匿……その罪に問われるなら、甘んじて受けましょう。ですが、誰があの人を殺したかは言いません。私が黙っている限り犯人にたどり着けないというのなら……別に構わないのですから」
※
「どういうことなんだ……?」
琴音が連行されていくのを見送ってなお、僕たちは後味の悪さを感じていた。
車の前に立って、僕は雪見荘を見上げる。犯人が捕まったはずなのに、この後味の悪さはなんなのだろう。理由は分かっている。琴音は自らを犯人でないと断言したからだ。
「どうする? このまま帰ってもいいが……お前、何か気になっていそうだな?」
「そうだね……もし、琴音の証言が偽りだったのだとしたら……そもそもの前提が崩れることになる」
もう一度、状況を整理してみよう。
僕が告げると、暮月は黙って再び、捜査資料を取り出した——
まず、琴音の証言が嘘だった場合、どういう風に状況が変わるだろう。
問題となっているのは午前7時の時点。特に気になるものがなかったという証言が嘘だった場合……すでに、その時点で足跡が存在した、ということにならないだろうか?
「確かに、足跡について証言できるのは琴音だけだ。だとすれば、こっちの証言も怪しいということにならないか?」
午前5時の時点で、琴音は裏庭を確認したのだという。その時に雪が降り積もっていた……それ自体も嘘だったとしたら?
「午前5時の時点で、足跡があった……いや、もしくは、琴音は犯人を見たのかもしれない。その前提でいくと、気になる証言があったよな」
正樹の証言に、どこかで扉が大きな音をたてて閉まった、というのがある。それが午前5時のことだったと仮定すればどうなるだろう。
そうなると、正樹と岡本が厨房で会ったのは必然的に午前5時となり、奈帆が午前5時に厨房で誰にも会わなかった、という証言が疑わしくなってくる。
「だとすると、奈帆はどこで何をしていた? ってことになるが。……いや待てよ。確かあの女、妙なこと言ってなかったか。犯行現場の状況で……」
奈帆は、犯行現場についてこう言っていた。血溜まりができるほど刺したり出来ない、と。彼女は何故、そんなことを知っているのだろうか。現場の状況について、誰かに聞いたのか?
「それに、あの奈帆は凶器についても明言していたな。果物ナイフ……なんでそんなこと知ってるんだ? まるで、現場を見てきたみたいに……」
そこまで考えて、僕は奈帆が口にした言葉を思い出した。
あなたが犯人ですか? そう尋ねた時、彼女はこう言った——
『そうです。……そう言ったら、あなたは信じるのですか?』
※
僕と暮月が奈帆の部屋に踏み込んだ時、全てが手遅れだったと悟った。
部屋には、誰の姿もなかった。ただ、テーブルの上に一通の手紙が残されているのみ。
宛名は警察の方々へ——僕は震えを隠しきれずに、手紙の封を切った。
——もし、この手紙を読んでいるということは、私が犯人だと気づかれたのでしょうね。
そう、私が犯人です。私があの男を殺しました。私は、あの男に様々な嫌がらせを受けていました。それは目に見えるものから、口に出せないものまで——お姉さまは、私を庇って下さったのです。
午前5時、私は雪を踏みしめながら離れへ向かいました。そして……あの男を殺しました。震えながら屋敷の部屋に戻って、自分のしたことに怯えながらも眠りました。
朝になり、お姉さまがあの男の死体を発見したことを知りました。しかし不思議なことに、私を責める人間はいませんでした。それは当然のこと……お姉さまが、またしても私を庇ってくださったのです。
午前5時に私の姿を見ていたお姉さまは、朝になって私の足跡の上を慎重に辿り、死体を発見したのち、また私の足跡を辿って戻ってきたのです。それが、足跡が一往復分しかなかった理由です。
そして、警察に通報し……あとはあなた方も知っての通りです。お姉さまは、私が逃げる時間を作ってくださいました。
私は、捕まるつもりはありません。あの男のために捕まるくらいなら、自らを葬ることを選ぶでしょう。
さようなら、警察の方々。おそらく、もう2度とお会いすることはないでしょう——
「暮月っ!」
僕が叫ぶより早く、暮月は部屋から駆け出していった。一杯食わされた……などと言ってる場合でもない。僕も手紙を手に、部屋から走り出した。
——これが、雪の館で起こった事件の顛末。
あなたは僕たちと同じ間違いを犯さずに、犯人にたどり着くことができただろうか?
「雪の館」——了
「それで……犯人はわかりましたか? 刑事さん」
うっすらと笑い、少女めいた仕草で小首を傾げる様子は、挑戦的とも困惑しているだけとも受け取れる。しかしながら、僕たちも遊びでやっているわけではないのだ。ソファの後ろに立つ暮月が苛立つのを感じながら、僕はあくまでも冷静に口火を切る。
「もう、終わりにしませんか……琴音さん。我々には、全て分かっているのです」
全て、という単語に、琴音はわずかだが眉を痙攣させた。それでも沈黙を守る彼女の目を、僕は真正面からじっと見つめる。切れ長で意思の強そうな瞳が、ひととき僕を見つめ返し——ふっと、呆れたような笑みを浮かべた。
「全て、とは……何についてのことかしら。まさか、私が犯人だと分かったなんて、言いはしませんよね……」
「残念ながら、我々は……琴音さん、あなたが犯人だという結論に達しました。あなた自身の証言によって、午前7時以前に足跡がないことは証明されています。ならば、離れに行ったのは琴音さん一人……もう、これ以上は言わずともわかりますよね」
畳み掛けるように告げると、琴音は静かにため息をついた。何かを諦めたような微笑みに、彼女はついに観念したのだろうか。
緊張に満ちた沈黙が、応接間に流れる。身を乗り出してくる暮月を止めることもなく、僕自身も固唾を呑んで最後の言葉を待っていたのだが——
「違いますよ」
彼女の口から漏れたのは、予想外の言葉だった。僕と暮月がぽかんとしていると、琴音はやはり薄い笑みを浮かべたまま、緩やかに首を横に振って見せる。その表情には、偽りというものを拒絶する固い意志が秘められているようだ。
追求しようと僕が口を開くより先に、琴音はすっとこちらに指先を突きつけてくる。すでに笑みはなく、鋭いナイフにも似た眼差しだけが、彼女の感情を明瞭に語っていた。
「殺人なんて、私していません。どんな理由があっても……父を殺すことだけはありませんでした。憎らしい人でしたが、生きていなければ間違いを正すこともできないんです。だから、私は犯人ではありません」
「で、ですがあなたの証言では……!」
「ええ。だから、無実だなんて言いませんよ。偽証罪に犯人隠匿……その罪に問われるなら、甘んじて受けましょう。ですが、誰があの人を殺したかは言いません。私が黙っている限り犯人にたどり着けないというのなら……別に構わないのですから」
※
「どういうことなんだ……?」
琴音が連行されていくのを見送ってなお、僕たちは後味の悪さを感じていた。
車の前に立って、僕は雪見荘を見上げる。犯人が捕まったはずなのに、この後味の悪さはなんなのだろう。理由は分かっている。琴音は自らを犯人でないと断言したからだ。
「どうする? このまま帰ってもいいが……お前、何か気になっていそうだな?」
「そうだね……もし、琴音の証言が偽りだったのだとしたら……そもそもの前提が崩れることになる」
もう一度、状況を整理してみよう。
僕が告げると、暮月は黙って再び、捜査資料を取り出した——
まず、琴音の証言が嘘だった場合、どういう風に状況が変わるだろう。
問題となっているのは午前7時の時点。特に気になるものがなかったという証言が嘘だった場合……すでに、その時点で足跡が存在した、ということにならないだろうか?
「確かに、足跡について証言できるのは琴音だけだ。だとすれば、こっちの証言も怪しいということにならないか?」
午前5時の時点で、琴音は裏庭を確認したのだという。その時に雪が降り積もっていた……それ自体も嘘だったとしたら?
「午前5時の時点で、足跡があった……いや、もしくは、琴音は犯人を見たのかもしれない。その前提でいくと、気になる証言があったよな」
正樹の証言に、どこかで扉が大きな音をたてて閉まった、というのがある。それが午前5時のことだったと仮定すればどうなるだろう。
そうなると、正樹と岡本が厨房で会ったのは必然的に午前5時となり、奈帆が午前5時に厨房で誰にも会わなかった、という証言が疑わしくなってくる。
「だとすると、奈帆はどこで何をしていた? ってことになるが。……いや待てよ。確かあの女、妙なこと言ってなかったか。犯行現場の状況で……」
奈帆は、犯行現場についてこう言っていた。血溜まりができるほど刺したり出来ない、と。彼女は何故、そんなことを知っているのだろうか。現場の状況について、誰かに聞いたのか?
「それに、あの奈帆は凶器についても明言していたな。果物ナイフ……なんでそんなこと知ってるんだ? まるで、現場を見てきたみたいに……」
そこまで考えて、僕は奈帆が口にした言葉を思い出した。
あなたが犯人ですか? そう尋ねた時、彼女はこう言った——
『そうです。……そう言ったら、あなたは信じるのですか?』
※
僕と暮月が奈帆の部屋に踏み込んだ時、全てが手遅れだったと悟った。
部屋には、誰の姿もなかった。ただ、テーブルの上に一通の手紙が残されているのみ。
宛名は警察の方々へ——僕は震えを隠しきれずに、手紙の封を切った。
——もし、この手紙を読んでいるということは、私が犯人だと気づかれたのでしょうね。
そう、私が犯人です。私があの男を殺しました。私は、あの男に様々な嫌がらせを受けていました。それは目に見えるものから、口に出せないものまで——お姉さまは、私を庇って下さったのです。
午前5時、私は雪を踏みしめながら離れへ向かいました。そして……あの男を殺しました。震えながら屋敷の部屋に戻って、自分のしたことに怯えながらも眠りました。
朝になり、お姉さまがあの男の死体を発見したことを知りました。しかし不思議なことに、私を責める人間はいませんでした。それは当然のこと……お姉さまが、またしても私を庇ってくださったのです。
午前5時に私の姿を見ていたお姉さまは、朝になって私の足跡の上を慎重に辿り、死体を発見したのち、また私の足跡を辿って戻ってきたのです。それが、足跡が一往復分しかなかった理由です。
そして、警察に通報し……あとはあなた方も知っての通りです。お姉さまは、私が逃げる時間を作ってくださいました。
私は、捕まるつもりはありません。あの男のために捕まるくらいなら、自らを葬ることを選ぶでしょう。
さようなら、警察の方々。おそらく、もう2度とお会いすることはないでしょう——
「暮月っ!」
僕が叫ぶより早く、暮月は部屋から駆け出していった。一杯食わされた……などと言ってる場合でもない。僕も手紙を手に、部屋から走り出した。
——これが、雪の館で起こった事件の顛末。
あなたは僕たちと同じ間違いを犯さずに、犯人にたどり着くことができただろうか?
「雪の館」——了
0
お気に入りに追加
2
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
一輪の廃墟好き 第一部
流川おるたな
ミステリー
僕の名前は荒木咲一輪(あらきざきいちりん)。
単に好きなのか因縁か、僕には廃墟探索という変わった趣味がある。
年齢25歳と社会的には完全な若造であるけれど、希少な探偵家業を生業としている歴とした個人事業者だ。
こんな風変わりな僕が廃墟を探索したり事件を追ったりするわけだが、何を隠そう犯人の特定率は今のところ百発百中100%なのである。
年齢からして担当した事件の数こそ少ないものの、特定率100%という素晴らしい実績を残せた秘密は僕の持つ特別な能力にあった...
「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」
百門一新
ミステリー
雪弥は、自身も知らない「蒼緋蔵家」の特殊性により、驚異的な戦闘能力を持っていた。正妻の子ではない彼は家族とは距離を置き、国家特殊機動部隊総本部のエージェント【ナンバー4】として活動している。
彼はある日「高校三年生として」学園への潜入調査を命令される。24歳の自分が未成年に……頭を抱える彼に追い打ちをかけるように、美貌の仏頂面な兄が「副当主」にすると案を出したと新たな実家問題も浮上し――!?
日本人なのに、青い目。灰色かかった髪――彼の「爪」はあらゆるもの、そして怪異さえも切り裂いた。
『蒼緋蔵家の番犬』
彼の知らないところで『エージェントナンバー4』ではなく、その実家の奇妙なキーワードが、彼自身の秘密と共に、雪弥と、雪弥の大切な家族も巻き込んでいく――。
※「小説家になろう」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。
深淵の迷宮
葉羽
ミステリー
東京の豪邸に住む高校2年生の神藤葉羽は、天才的な頭脳を持ちながらも、推理小説の世界に没頭する日々を送っていた。彼の心の中には、幼馴染であり、恋愛漫画の大ファンである望月彩由美への淡い想いが秘められている。しかし、ある日、葉羽は謎のメッセージを受け取る。メッセージには、彼が憧れる推理小説のような事件が待ち受けていることが示唆されていた。
葉羽と彩由美は、廃墟と化した名家を訪れることに決めるが、そこには人間の心理を巧みに操る恐怖が潜んでいた。次々と襲いかかる心理的トラップ、そして、二人の間に生まれる不穏な空気。果たして彼らは真実に辿り着くことができるのか?葉羽は、自らの推理力を駆使しながら、恐怖の迷宮から脱出することを試みる。
友よ、お前は何故死んだのか?
河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」
幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。
だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。
それは洋壱の死の報せであった。
朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。
悲しみの最中、朝倉から提案をされる。
──それは、捜査協力の要請。
ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。
──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
『新宿の刑事』
篠崎俊樹
ミステリー
短編のミステリー小説を、第6回ホラー・ミステリー大賞にエントリーします。新宿歌舞伎町がメイン舞台です。大賞を狙いたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる