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第三部「魔法使いの掟とソフィラの願い」編
5-2.それが『過ち』であるというのなら
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「フラメウ、あなたは一体」
何を考え、何を望んでここにいるのか。核心に触れようとした言葉はしかし、目の前にかざされた手に遮られる。瞬いて師を見つめた青年は、その向こう側に静かな微笑みを見た。歪められた口元は皮肉に彩られているのに、向けられた瞳に込められた感情だけがちぐはぐだった。
「キール、お前は一体、私の何を理解していたというのだろうな」
「どういう、意味です。僕があなたの何を知らないというのですか」
「あらゆる意味で、だよ。私がここにこうしている意味、私が真に望むこと。お前はそれらについて考えたことがあるのかね。キール、私の愚かな子。お前は求めるばかりで、求められる側の事情は何も顧みない」
薄い笑みとともに手が下され、フラメウはゆっくりと舞台を歩む。冷えた瞳が見据えるものがなんなのか、キールはずっと理解できずにいた。ただ、彼が為すことと彼が示すことから、想いを垣間見た気になっていただけだ。
それがすべて間違いだとは思えない。だが、フラメウの語る通り——師の側の事情を何も知らないのも確かなことだった。
「ならば、教えてください。あなたが何を望んでいるか、何を考えているのかを。そうでなければ僕にはただ、あなたがすべてを巻き込んで自滅しようとしているだけにしか思えない」
一歩踏み出したキールを見やった後、フラメウは何も言わずに足を止めた。視線は遥か向こうの地平に据えられたまま、声だけがかつての弟子に過去の名残のような言葉を伝える。
「そう、それは一面では間違いではない。私は死に逝こうとしている。ただそれだけのために、キール、お前を巻き添えにしようとしているのだよ」
「理解できません……! どうして、あなたの自殺に僕が付き合わなければならない? 死にたいのならあなた独りで逝けばいい。僕はまだ何も、諦めてはいないのに!」
「言ったはずだ。それは一つの側面でしかない。そしてその多くは、お前の主観によって構成されている。人間である限り厳密な意味での客観視など望めない。だが、それでも一つだけは言えるよ」
ゆるやかにフラメウが振り返る。冷たく凍りついた瞳には、なんの感情も浮かばない。荒野の地面をえぐり続ける氷の嵐にも似たそれは、弟子であったものを無感動に見つめた。
「……お前は、私の何を知った上でそう告げているのか。私がなんの理由もなく、命を刈り取ろうとしているとでも思っているのか? お前にとって私は、そして私にとってのお前はその程度の価値しかないと、そう言いたのか」
「わからない、わからないよ……! 言葉にしたとしても、核心から遠い問答ばかり。どうしていつもそうやって、全てを遠ざけるような言い方をするんだ⁉︎ あなたにとっての僕に少しでも価値があるというなら、あなたにだってわかるはず。どうして、僕の言葉を聞いてくれないんだ!」
「どうして、などと。今更すぎて告げる気にもならないな。お前が私を理解しないのだとしても、私はキール、お前のことをよく理解している。そう、他の誰よりも……だからこそ、私はお前を共に連れて行こうとしているというのに」
一歩だけ、フラメウはキールに近づいた。縮まった距離はしかし、心を近づけるには至らない。凍えるほどの風が吹き抜けた後、彼らの間にあったのは噛み合わない感情だけ。
「僕は、いやだ。僕はあなたと死にたくなんかない」
一歩。また近づいた歩みに、キールは後退る。
「私は、お前を連れて行くと決めた。それを拒むというのか」
また一歩、彼らは舞台の上で役者のように近づいては離れて行く。
「僕は、そんなこと望んでない。それはあなたの身勝手だ」
「身勝手だと思うお前こそ身勝手だろう? 私は、お前の手で死に逝くのに」
「なんの話だ……! あなたは生きているじゃないか」
「今はな。だがいずれこの命は地面に落ちる。それまでの時間で、私は答えを出さねばならない」
「何を言って……僕がそれにどうして付き合わなければならない⁉︎」
ぴたりと、フラメウは足を止めた。そこは舞台の中央で、キールは彼と向かい合ったまま動けない。ゆっくりと突きつけられた指先、なんのためらいもなく歪められた唇。フラメウは当然の権利を主張するように、キールへ向かって言葉を振り下ろした。
「なぜ? それはお前が私のものだからだ」
その身も、その心も。その身に宿る魔力の一端に至るまで。全ては彼《フラメウ》のために存在しているのだと。まるで天啓をもたらす預言者のように、フラメウは告げる。突きつけられた指先を見て、その先にある表情を見つめ。キールは、言葉もなく唇を噛み締めた。
「愚かしいと、笑うがいいさ。お前に笑われたところで、私の意志はもう揺るがない」
「——っ、ルパートさん——っ‼︎」
呼びかけ、それと同時にキールは後ろへ飛び退く。その瞬間、キールのいた足場が音もなく粉砕される。突きつけられた指の先、フラメウの顔が醜く歪み、そして。
「舐めたことを」
空気を切り裂く音が響き渡る。ほんの瞬きする間、光をも貫く一矢がフラメウの足元に炸裂した。舞台の石畳すらも打ち砕く一撃に、さすがのフラメウも一時的に魔力を拡散させる。たったひと時、もう二度とない隙をつき、キールは師に背を向け走り出す。
「逃げるとはな。だが、そう甘くはないよ」
走り抜けるそばで、石壁が不可視の一撃によって崩壊して行く。身を低くし、魔法の発動位置を読みながら、キールは一目散に走り抜けて行く。肩のすぐ脇を魔弾がかすめ、風塵が背中を襲う。だが息が切れるのも構わず、彼は師の追撃をかいくぐり森を目指し駆け抜ける。
「キール! 急げ、こっちだ!」
森まであとわずか。木の上に登ったルパートが、弓を引き絞り矢を放つ。息もつかせぬ連射に、背後に迫っていた師の気配がわずかに遠ざかる。
ルパートの援護を受け、キールは残る気力を振り絞り森へと駆け込んだ。それと同時に襲撃音も静まり、キールは膝をついて荒い息を吐き出す。その傍に飛び降りたルパートは、今にも倒れこみそうな青年を抱え起こし背後を睨みつける。
「とりあえずは凌いだか。だが諦めてくれはしないようだな。……行くぞ。迎撃態勢に入る」
「っ、はい……!」
ふらつきながらも、ルパートに支えられ、キールは走り出す。森は深く、多くのものを覆い隠してくれる。だが、静まり返った一瞬後、太い枝が見えない一撃に貫かれ砕け散った。
何を考え、何を望んでここにいるのか。核心に触れようとした言葉はしかし、目の前にかざされた手に遮られる。瞬いて師を見つめた青年は、その向こう側に静かな微笑みを見た。歪められた口元は皮肉に彩られているのに、向けられた瞳に込められた感情だけがちぐはぐだった。
「キール、お前は一体、私の何を理解していたというのだろうな」
「どういう、意味です。僕があなたの何を知らないというのですか」
「あらゆる意味で、だよ。私がここにこうしている意味、私が真に望むこと。お前はそれらについて考えたことがあるのかね。キール、私の愚かな子。お前は求めるばかりで、求められる側の事情は何も顧みない」
薄い笑みとともに手が下され、フラメウはゆっくりと舞台を歩む。冷えた瞳が見据えるものがなんなのか、キールはずっと理解できずにいた。ただ、彼が為すことと彼が示すことから、想いを垣間見た気になっていただけだ。
それがすべて間違いだとは思えない。だが、フラメウの語る通り——師の側の事情を何も知らないのも確かなことだった。
「ならば、教えてください。あなたが何を望んでいるか、何を考えているのかを。そうでなければ僕にはただ、あなたがすべてを巻き込んで自滅しようとしているだけにしか思えない」
一歩踏み出したキールを見やった後、フラメウは何も言わずに足を止めた。視線は遥か向こうの地平に据えられたまま、声だけがかつての弟子に過去の名残のような言葉を伝える。
「そう、それは一面では間違いではない。私は死に逝こうとしている。ただそれだけのために、キール、お前を巻き添えにしようとしているのだよ」
「理解できません……! どうして、あなたの自殺に僕が付き合わなければならない? 死にたいのならあなた独りで逝けばいい。僕はまだ何も、諦めてはいないのに!」
「言ったはずだ。それは一つの側面でしかない。そしてその多くは、お前の主観によって構成されている。人間である限り厳密な意味での客観視など望めない。だが、それでも一つだけは言えるよ」
ゆるやかにフラメウが振り返る。冷たく凍りついた瞳には、なんの感情も浮かばない。荒野の地面をえぐり続ける氷の嵐にも似たそれは、弟子であったものを無感動に見つめた。
「……お前は、私の何を知った上でそう告げているのか。私がなんの理由もなく、命を刈り取ろうとしているとでも思っているのか? お前にとって私は、そして私にとってのお前はその程度の価値しかないと、そう言いたのか」
「わからない、わからないよ……! 言葉にしたとしても、核心から遠い問答ばかり。どうしていつもそうやって、全てを遠ざけるような言い方をするんだ⁉︎ あなたにとっての僕に少しでも価値があるというなら、あなたにだってわかるはず。どうして、僕の言葉を聞いてくれないんだ!」
「どうして、などと。今更すぎて告げる気にもならないな。お前が私を理解しないのだとしても、私はキール、お前のことをよく理解している。そう、他の誰よりも……だからこそ、私はお前を共に連れて行こうとしているというのに」
一歩だけ、フラメウはキールに近づいた。縮まった距離はしかし、心を近づけるには至らない。凍えるほどの風が吹き抜けた後、彼らの間にあったのは噛み合わない感情だけ。
「僕は、いやだ。僕はあなたと死にたくなんかない」
一歩。また近づいた歩みに、キールは後退る。
「私は、お前を連れて行くと決めた。それを拒むというのか」
また一歩、彼らは舞台の上で役者のように近づいては離れて行く。
「僕は、そんなこと望んでない。それはあなたの身勝手だ」
「身勝手だと思うお前こそ身勝手だろう? 私は、お前の手で死に逝くのに」
「なんの話だ……! あなたは生きているじゃないか」
「今はな。だがいずれこの命は地面に落ちる。それまでの時間で、私は答えを出さねばならない」
「何を言って……僕がそれにどうして付き合わなければならない⁉︎」
ぴたりと、フラメウは足を止めた。そこは舞台の中央で、キールは彼と向かい合ったまま動けない。ゆっくりと突きつけられた指先、なんのためらいもなく歪められた唇。フラメウは当然の権利を主張するように、キールへ向かって言葉を振り下ろした。
「なぜ? それはお前が私のものだからだ」
その身も、その心も。その身に宿る魔力の一端に至るまで。全ては彼《フラメウ》のために存在しているのだと。まるで天啓をもたらす預言者のように、フラメウは告げる。突きつけられた指先を見て、その先にある表情を見つめ。キールは、言葉もなく唇を噛み締めた。
「愚かしいと、笑うがいいさ。お前に笑われたところで、私の意志はもう揺るがない」
「——っ、ルパートさん——っ‼︎」
呼びかけ、それと同時にキールは後ろへ飛び退く。その瞬間、キールのいた足場が音もなく粉砕される。突きつけられた指の先、フラメウの顔が醜く歪み、そして。
「舐めたことを」
空気を切り裂く音が響き渡る。ほんの瞬きする間、光をも貫く一矢がフラメウの足元に炸裂した。舞台の石畳すらも打ち砕く一撃に、さすがのフラメウも一時的に魔力を拡散させる。たったひと時、もう二度とない隙をつき、キールは師に背を向け走り出す。
「逃げるとはな。だが、そう甘くはないよ」
走り抜けるそばで、石壁が不可視の一撃によって崩壊して行く。身を低くし、魔法の発動位置を読みながら、キールは一目散に走り抜けて行く。肩のすぐ脇を魔弾がかすめ、風塵が背中を襲う。だが息が切れるのも構わず、彼は師の追撃をかいくぐり森を目指し駆け抜ける。
「キール! 急げ、こっちだ!」
森まであとわずか。木の上に登ったルパートが、弓を引き絞り矢を放つ。息もつかせぬ連射に、背後に迫っていた師の気配がわずかに遠ざかる。
ルパートの援護を受け、キールは残る気力を振り絞り森へと駆け込んだ。それと同時に襲撃音も静まり、キールは膝をついて荒い息を吐き出す。その傍に飛び降りたルパートは、今にも倒れこみそうな青年を抱え起こし背後を睨みつける。
「とりあえずは凌いだか。だが諦めてくれはしないようだな。……行くぞ。迎撃態勢に入る」
「っ、はい……!」
ふらつきながらも、ルパートに支えられ、キールは走り出す。森は深く、多くのものを覆い隠してくれる。だが、静まり返った一瞬後、太い枝が見えない一撃に貫かれ砕け散った。
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