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第二部「あなたに贈るシフソフィラ」編

13:『虚無』というモノの形

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 扉を開いても、屋敷に満ちた闇を遠ざける事は出来ない。闇の中に一歩踏み出すと、イクスは前方に手を差し伸べる。それだけで、指先は無音の暗闇に沈む。進めば進むほどに、闇は体に絡みついていく。

「——

 暗闇に小さな音が響く。その刹那、イクスの周囲に無数の白い炎が生まれる。拳大の炎は、緩やかに弧を描きながら周囲に飛んでいく。炎が星のように舞う空間を見つめ——イクスは面倒そうにため息をついた。

「……ずらされているな」
『ずらされている、とは? もしや……この空間は、ヴァールハイトの屋敷ではないということかな』

 唐突に、肩の上で鳥が口を開いた。翼を折りたたんだ小さな鳥——木菟《ミミズク》は、大きく首を動かしながら、周囲を興味深げに観察する。

『見事に何もないな。これではマリアベルや義弟殿もどうなったことか』
「……私が言うことではないと思うのだが、よ。貴女は稀に恐ろしく冷酷に見える」
『正しい判断というのは、常に冷酷なものをはらんでいるものだよ。宰相である私は、間違えることなど許されないのだから——と、そのようなこと、貴殿には言うまでもなかったかな?』

 くつくつと笑う木菟をひと睨みしておいて、イクスは改めて空間を観察する。
 木菟の言う通り、炎が照らし出す空間には。背後に開かれた扉がなければ、ここが屋敷の中だとは思わなかっただろう。炎を一つ従え、念のためイクスが外を確認しようとすると——。

「……っ!」

 音を立て、扉が閉まった。そして次の瞬間、扉自体が闇に溶けるように消え去る。退路を立たれたイクスは、腕を組みながら小さく唸った。

「手が込んでいるな。どうやら私を返す気はないらしい」
『万事休す、か。それにしては余裕があるように見えるが?』
「そうでもない。ただ、ここまでされると、いちいち騒ぐのも無意味に思えてな。だが、そんなことを言う貴女だって、時点で道連れなのに、随分と落ち着いている」
『そうでもないさ』

 小さな鳥はイクスの肩の上で一度羽ばたき、楽しげな笑い声を立てる。緊張感のない鳥——魔法具で宰相に、イクスは苦々しい笑みを向けた。

 宰相という立場上、アストリッドは表立って動くことが難しい。自由に動ける体が欲しいという彼女に、イクスは魔法の品を彼女に贈った。それが無銘の魔法具——魂を一時的に切り離し、それをだった。

 その魔法具を手足のように使いこなし、宰相は鳥の姿で都の空を翔けることを日課としている。しかし今日に関しては、それが仇になったようだ。眉を下げた魔法使いに、宰相である鳥は鷹揚《おうよう》に笑う。

『気にしなくてもいい。貴殿の言付けがなくても、一度は様子を見に来ようと思っていたのだから』
「……そう言ってもらえると助かる。だが、今の問題は——」

 魔法使いは振り返る。視線の先で炎が宙を滑り、『それ』を照らし出す。無明の闇に沈み込んでいた姿は、光の中で次第に明瞭になり——にいっと、歪んだ笑みが描き出される。

「参りましたね。満月の夜とはいえ、私の領域に踏み込まれるとは予想外でした」
「こちらとしても予想外だよ。まさかこんな真似をするとはな。どうにも違和感が拭えないのだが、理由を教えてもらえないか。なあ——」

 一際強く輝いた炎の向こうに、一人の男の姿が浮かび上がった。折り目正しい立ち姿とは裏腹に、老いた顔に浮かんだ笑みは禍々しい。暗がりに佇んだ男を睨みつけ、イクスは静かに言葉を紡ぐ。

「——。いや、『堕ちた魔法使い』と呼ぶべきか」
「そんな無粋な呼び名はよして頂きたい。私は『魔道士』……万能を超え、頂《いただき》へと至る者です」

 禍々しい笑みを貼り付けたまま、ルーヴァン家執事であった男は頭を下げた。その立ち居振る舞いは確かに執事のものであるのに、身にまとう力がそれを裏切っている。

 そんな執事の周囲に漂うもの。それは彼の身から溢れ出した魔力の波動だった。暗闇に極光のような光を投げかけるそれを見やり、アストリッドは淡々と呟いた。

『……
「ああ……だが。こいつの力は偽物にしても強すぎる」

 二人の会話を聞き咎めたように、執事は顔を歪める。神経質にかかとを打ち鳴らしながら、男は大げさにため息をつく。

「偽物? おかしなことを言う。私の姿を見ても驚かなかったのだから、予想はしていたのでしょう?」
「まあな。少なくともだけで言うなら、犯人はあなたしかいない」
「ほう、是非その結論に至った理由を教えて頂きたいものですね。どうすれば、あの短時間で盗み出すことが出来たのでしょう?」
「それは犯人があなたであるなら、何一つ難しいことはない」

 そう、それは分かってしまえば、あまりにも簡単な話だった。

 当初は『白い花びら』が現れた時刻に犯行が行われたと思われていた。しかし実際は、家宝は盗み出されていたのだ。

 まず執事は、誰の目もない時刻に地下へ降りると、家宝を盗み出した。その時に花びらを、倉庫の中と玄関ホールに続く階段の途中に散らしておく。それで仕込みは終わりだ。

 あとは普通に扉を施錠して、家宝をどこかに隠し侯爵が帰るのを待つ。そして侯爵が帰宅したのち、誰も玄関ホールにいなくなった時を見計らい、地下への階段まで残りの花びらを散らし——あとは誰かが気づくのを待てばいい。

 その後は知っての通りの展開だ。侯爵とともに地下に降り、扉が破られていないことを確認する。そして自分で鍵を開け、盗まれていることを発覚させておけば、まず犯人だと疑われることはない。

「倉庫の花びらがしおれていたのは、それだけ時間が経っていたからだ。その点だけで、倉庫に花びらが散らされたのは、『事件が発覚した時刻ではない』可能性があるということは、わかるだろう」

 解き明かしてしまえば、単純な話だった。わざわざ花びらがしおれていたと教えてくれる辺り、執事はイクスを舐めていたのかもしれない。だが、事実はどうであるにしろ、ここに至ってしまっては意味がない。

 イクスは真っ直ぐに禍々しい笑みを見返した。イクスの手の中で、キールから受け取ったシフソフィラが揺れる。一歩踏み出した魔法使いは、強い眼差しとともに片手を前に突き出した。

「さあ、これで満足だろう。お前が何を望んで魔法石なんてものを盗み出したのかなんて興味もない。だが、ここはだ。好き勝手されるのは、正直許しがたいのでな」

 イクスの手に光が収束していく。風が巻き起こり、髪や鳥の翼を揺らす。巻き起こる力は空間を揺さぶり、執事——魔道士は気圧されたように数歩退がった。

「……これが万能の力……! だが、こんなところで終われぬ。私は——!」
「御託はいい。——消えろ」

 瞬間、放たれたのは破滅をもたらす閃光。その輝きは空間全てを照らし出し、あらゆるものを破壊していく。瞬くほどの間、たった一撃で魔道士を打ち砕くはずだった光はしかし。

「——な」

 光が、魔道士の前で。イクスは驚き目を開く。見えない鏡にぶつかった。そうとしか表現できない状況で反転した閃光は、秘めた力もそのままに、立ち尽くす魔法使いを襲う。

 ああ、これはまずい。破壊のみを願い紡いだ閃光など、生半可な防御では相殺もできない——。

「イクスっ‼︎」

 誰かの叫びが耳元で響く。けれどそれに応えることもできないまま、イクスの視界は光に包まれた。

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