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最終章 阿国、跳ぶ
(二)迫りくる丹波
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ひゃはっ、ひゃははっ。
馬が笑ってる。
満面の薄気味悪いつらで、才蔵が手綱をひいて山門へと戻ってきた。
「やっと三頭め」
「なんとか、お札は効いてたね」
「だから、遠くにはいかなかったか」
へらへら笑う馬が三頭そろって山門のそばの松につながれる。鈴々はほっと胸をなでおろした。
「もう、しめ縄が切れ、馬がいなかったときは魂消た」
「こっちは、馬がこんばんわって、魂消た」
互いに大笑い。
鈴々は墨の器に筆をずぶりと入れて、それから馬に貼られたお札の上から、さらに呪文を重ねた。そして清めの塩をぱらぱら。馬が馬らしくなってきた。
「まったく、お札まで二分というのは、かんべんな」
「でも、ひょっとして逃げてなかったら、ぶちりに喰われてたかも」
「ふむっ。それを読んでたら、たいした狸だ」
「いいえ、ただのぽんぽこよ」
王鈴はいまごろ大きなくしゃみをしているに違いない。
やがて、鈴々は馬の肌にも呪文を書く。それを手持ち無沙汰で才蔵はながめてた。
ふと、過る。
はてさて、あの蛇のつらと、どうやるか・・
あれやこれやと、おつむで攻め、防いでみる。どのみち手の内は知れてる。そうなると、あとはおつむ比べとなるか・・
出し抜くか、出し抜かれるか・・
なにげに沼のほうを仰ぐ。あの、骨沼にぶちりの木があって、小舟もあった・・杭にちぎれたしめ縄がゆらゆら・・畔に御堂があって・・裏には薪にが積まれて・・護摩壇のためか・・土台の石も転がったっけ・・あとは・・厠か・・
だしぬけに、あっと鈴々が声を上げた。
「な、なに」
「いいえ、その、墨が跳ねちゃった」
ほおをぬぐおうとすると、さらに黒くなる。
「まて、まて、どっか水で洗ったほうが」
「そんな、どこにあるの。沼なんてごめんよ。厠の水もねえ」
ふと、才蔵になにかぴんときた。けど、ぼんやりして、うまく閃かない。
「どうしたの」
いやと、才蔵はあさってを向いた。
木々がざわめく。
風がときにごうごうと吹き抜けるとみるや、ぴたりとやむ。雲はいつしか切れ切れになっていた。日はじわりと傾いている。
ほどなく。
「よし、馬は馬になったかしら」
ぶるると、いななく馬はどれも、その肌に黒々と呪文が書かれてあった。ふふっと鈴々は満足そうに腕組みしてる。
「呪文馬か。なにやら、おっかねえの」
才蔵が馬をなでる。墨は乾いているのか消えなかった。
「じゃあ、連れてくか」
才蔵は二頭を引いて、あとの一頭に鈴々をまたがらせた。こうしておけば、もしものとき素早く鈴々を逃がせる。
ともあれ馬とともに奥の院の焼け跡を通り、沼の御堂へと戻った。
あれっと指さしたのは鈴々だった。
おっと才蔵も目を丸くする。
御堂前の沼の際に、でんと護摩壇が組まれて、さらにくべる木片が山盛りに積まれていた。くたびれたのか千石はへたり込み、阿国と百学が肩や足をもんでいた。
「やあやあ、あっぱれ、あっぱれ」
才蔵が手を叩く。鈴々も馬を降りると喜んで駆けてきた。
「こんなに組むなんて。骨が折れたでしょう」
いやいやと千石は手を振る。
「なにせ、あにさまがもうちょい、もうちょいってたら、てんこ盛りになりました」
護摩壇に積まれた木片もてんこ盛りになってる。
阿国が笑った。
「これなら、うちらが戻るまで消えやしないよ」
千石がうなずいた。
「この煙を狼煙代わりに駆け戻る。いいな、しばしの辛抱だ」
鈴々はうるっとなる。
こんなにもやってくれた、ありがたい、才蔵も涙をこらえるのにやっとであった。
さあさあと、阿国がぱんと手を叩く。
「ぐずぐずしてられない。祈りの準備をやっとくれ」
うんと鈴々は、さっそく護摩壇の周りに塩をふって結界を張る。百学が御堂から座布団を持ってくる。さらに才蔵がかがり火の組木をみつけて立てた。
「いよいよか」
千石が松明に火を灯す。阿国はせめてもと手ぬぐいで鈴々の顔をぬぐい、軽く化粧をした。それだけでも美しい巫女となった。ではと、鈴々は一礼する。
「火入れをおこないます」
松明を受け取ると護摩壇にくべる。ぼおっとどれも床下で乾いていたのか、勢いよく炎が燃え上がった。しばしみなで手を合わせてのち才蔵と百学が馬をひいてくる。
「こっからは、一刻を争うな」
千石が手綱を握った。
「もう、ぼちぼち船がくる刻限でしょう」
百学は空を仰ぐ。
「もう、あんたたちは、あたしの弟に妹さ」
阿国はぎゅっと、二人を抱きしめた。鈴々は泣いていた。才蔵もしゃくりあげる。百学はうつむき千石は空を仰いでいた。
さてと千石と百学は馬へと向かう。阿国も歩きかけたが二歩、三歩もゆかぬうちに、へらっと笑って戻ってきた。
ほらっ、あれと、才蔵におくれという。
「小瓜のつぶてとなった」
舌をぺろりとみせる。
「あっ、白露か」
その徳利をもらって馬へ歩きかけたものの、また戻ってくる。
しらじらしく笑いながら、あのねどうせなら、巫女のほうが清らかでありがたいじゃないかと、ぬけぬけという。
どうせおいらはと、むくれる才蔵に徳利を返すと、阿国はぷっと笑う鈴々から徳利をもらった。それでにんまりすると、馬へゆきひらりとまたがった。
「じゃあ、まってろよ」
千石が腕を上げる。
おうと才蔵も腕を上げた。
三頭はそろって馬首を返すと、どどっと勢いよく駆けていった。
鈴々はいつまでも見送っていた。
ふと、才蔵がぼやく。
「まったく、ちゃっかり姉さまめ。あれなら、ぶちりが何匹こようとへっちゃらだな」
「頼もしい」
ふんと呆れた笑いが、やおら、はっとなった。
「まてよ。そうか、あのちゃっかりは、つかえる」
ひざをぺんと叩き、そのあとはぶつぶつとひとり言が始まった。あげくぐるぐると歩きまわる。
なによと、鈴々がたずねても、まるで才蔵はうわの空だった。
馬が笑ってる。
満面の薄気味悪いつらで、才蔵が手綱をひいて山門へと戻ってきた。
「やっと三頭め」
「なんとか、お札は効いてたね」
「だから、遠くにはいかなかったか」
へらへら笑う馬が三頭そろって山門のそばの松につながれる。鈴々はほっと胸をなでおろした。
「もう、しめ縄が切れ、馬がいなかったときは魂消た」
「こっちは、馬がこんばんわって、魂消た」
互いに大笑い。
鈴々は墨の器に筆をずぶりと入れて、それから馬に貼られたお札の上から、さらに呪文を重ねた。そして清めの塩をぱらぱら。馬が馬らしくなってきた。
「まったく、お札まで二分というのは、かんべんな」
「でも、ひょっとして逃げてなかったら、ぶちりに喰われてたかも」
「ふむっ。それを読んでたら、たいした狸だ」
「いいえ、ただのぽんぽこよ」
王鈴はいまごろ大きなくしゃみをしているに違いない。
やがて、鈴々は馬の肌にも呪文を書く。それを手持ち無沙汰で才蔵はながめてた。
ふと、過る。
はてさて、あの蛇のつらと、どうやるか・・
あれやこれやと、おつむで攻め、防いでみる。どのみち手の内は知れてる。そうなると、あとはおつむ比べとなるか・・
出し抜くか、出し抜かれるか・・
なにげに沼のほうを仰ぐ。あの、骨沼にぶちりの木があって、小舟もあった・・杭にちぎれたしめ縄がゆらゆら・・畔に御堂があって・・裏には薪にが積まれて・・護摩壇のためか・・土台の石も転がったっけ・・あとは・・厠か・・
だしぬけに、あっと鈴々が声を上げた。
「な、なに」
「いいえ、その、墨が跳ねちゃった」
ほおをぬぐおうとすると、さらに黒くなる。
「まて、まて、どっか水で洗ったほうが」
「そんな、どこにあるの。沼なんてごめんよ。厠の水もねえ」
ふと、才蔵になにかぴんときた。けど、ぼんやりして、うまく閃かない。
「どうしたの」
いやと、才蔵はあさってを向いた。
木々がざわめく。
風がときにごうごうと吹き抜けるとみるや、ぴたりとやむ。雲はいつしか切れ切れになっていた。日はじわりと傾いている。
ほどなく。
「よし、馬は馬になったかしら」
ぶるると、いななく馬はどれも、その肌に黒々と呪文が書かれてあった。ふふっと鈴々は満足そうに腕組みしてる。
「呪文馬か。なにやら、おっかねえの」
才蔵が馬をなでる。墨は乾いているのか消えなかった。
「じゃあ、連れてくか」
才蔵は二頭を引いて、あとの一頭に鈴々をまたがらせた。こうしておけば、もしものとき素早く鈴々を逃がせる。
ともあれ馬とともに奥の院の焼け跡を通り、沼の御堂へと戻った。
あれっと指さしたのは鈴々だった。
おっと才蔵も目を丸くする。
御堂前の沼の際に、でんと護摩壇が組まれて、さらにくべる木片が山盛りに積まれていた。くたびれたのか千石はへたり込み、阿国と百学が肩や足をもんでいた。
「やあやあ、あっぱれ、あっぱれ」
才蔵が手を叩く。鈴々も馬を降りると喜んで駆けてきた。
「こんなに組むなんて。骨が折れたでしょう」
いやいやと千石は手を振る。
「なにせ、あにさまがもうちょい、もうちょいってたら、てんこ盛りになりました」
護摩壇に積まれた木片もてんこ盛りになってる。
阿国が笑った。
「これなら、うちらが戻るまで消えやしないよ」
千石がうなずいた。
「この煙を狼煙代わりに駆け戻る。いいな、しばしの辛抱だ」
鈴々はうるっとなる。
こんなにもやってくれた、ありがたい、才蔵も涙をこらえるのにやっとであった。
さあさあと、阿国がぱんと手を叩く。
「ぐずぐずしてられない。祈りの準備をやっとくれ」
うんと鈴々は、さっそく護摩壇の周りに塩をふって結界を張る。百学が御堂から座布団を持ってくる。さらに才蔵がかがり火の組木をみつけて立てた。
「いよいよか」
千石が松明に火を灯す。阿国はせめてもと手ぬぐいで鈴々の顔をぬぐい、軽く化粧をした。それだけでも美しい巫女となった。ではと、鈴々は一礼する。
「火入れをおこないます」
松明を受け取ると護摩壇にくべる。ぼおっとどれも床下で乾いていたのか、勢いよく炎が燃え上がった。しばしみなで手を合わせてのち才蔵と百学が馬をひいてくる。
「こっからは、一刻を争うな」
千石が手綱を握った。
「もう、ぼちぼち船がくる刻限でしょう」
百学は空を仰ぐ。
「もう、あんたたちは、あたしの弟に妹さ」
阿国はぎゅっと、二人を抱きしめた。鈴々は泣いていた。才蔵もしゃくりあげる。百学はうつむき千石は空を仰いでいた。
さてと千石と百学は馬へと向かう。阿国も歩きかけたが二歩、三歩もゆかぬうちに、へらっと笑って戻ってきた。
ほらっ、あれと、才蔵におくれという。
「小瓜のつぶてとなった」
舌をぺろりとみせる。
「あっ、白露か」
その徳利をもらって馬へ歩きかけたものの、また戻ってくる。
しらじらしく笑いながら、あのねどうせなら、巫女のほうが清らかでありがたいじゃないかと、ぬけぬけという。
どうせおいらはと、むくれる才蔵に徳利を返すと、阿国はぷっと笑う鈴々から徳利をもらった。それでにんまりすると、馬へゆきひらりとまたがった。
「じゃあ、まってろよ」
千石が腕を上げる。
おうと才蔵も腕を上げた。
三頭はそろって馬首を返すと、どどっと勢いよく駆けていった。
鈴々はいつまでも見送っていた。
ふと、才蔵がぼやく。
「まったく、ちゃっかり姉さまめ。あれなら、ぶちりが何匹こようとへっちゃらだな」
「頼もしい」
ふんと呆れた笑いが、やおら、はっとなった。
「まてよ。そうか、あのちゃっかりは、つかえる」
ひざをぺんと叩き、そのあとはぶつぶつとひとり言が始まった。あげくぐるぐると歩きまわる。
なによと、鈴々がたずねても、まるで才蔵はうわの空だった。
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https://www.alphapolis.co.jp/novel/173400372/589172654
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