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第一章 呑んだくれの阿国

(二)ねたはないか

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杖をつく婆さまが、ひょいと姿をあらわす。
「はて、わしに、なんの用がある」
やや小柄な背丈で、白髪はざんばら。しわくちゃな顔にあって、みょうに目尻や、耳や、あごまで尖ってる。さながら年老いた狐であった。それが破れた法衣をまとっている。
「ぷんぷんにおう」
阿国がにっと笑う。
すると、紅骨もひゃはっと笑った。
「わしを、おがんで笑うのか。なかなか肝が太い」
「いかにも。このおかたこそ、いつもうわさしておる、阿国さま」
王鈴が腹をぺんと叩く。ひゃりひゃりと紅骨は笑った。
「ともあれ、なにかねたものはないか。その、太い肝を冷やすようなもの」
「ねたなら、京の寺で、第六天魔王が転げおったであろうが」
しょっぱい顔を王鈴はする。
「そのねたもので、芝居をこさえたら、どうなるね」
「珍品が増える。あのとき、ふらちものと斬られた、阿国のどくろ」
白鈴に、阿国はぷっと吹いた。
「なかなか、筋金入りのむじなさま」
王鈴は口を尖らせる。
「なら、うちの品を喜ぶひとがいなくなる。すなわち、あんたの客もいなくなる」
おやと、紅骨はおどけた。
「それは、かんべん」
その瞳がきょろりとなった。
「ならば、いまのわしのねたものは、ひと集めか」
「あら、どこかで商いの市でも、たつのやら」
「商いにあらず。ある寺が、つわものを集めておる。その手助けをやっておる」
「つわもの。はて、なにをするの」
紅骨は、にたりと笑った。
「ぶちり」
「ぶ、ぶちり」
「ある処の、厄祓いの呼び名である。耳にしたことはないか」
阿国と白鈴は目を白黒させる。
王鈴は、ふと腕組みをした。
「この、和泉の国を浜沿いに紀州へ向かう。さすれば、その国境辺り。たしか、地侍の大波家の領内になるか。ここに、宝明寺がある」
あっと、王鈴がなった。
「もしや、その寺が二年に一度の荒行のことか」
「いかにも。村々に立札を立て、ひとを募っておこなう厄祓いよ。舞台はそこより、海を渡ってすぐにある墨島。その島の山にある宝明寺の末寺の宝泉寺」
そこで王鈴がふるっと震える。
「いや、あれはよくない。やたらと荒れたものらしい。なにせ、死人まで出るとか。船乗りの仲間は、厄をはらっておらぬ、もらっておると、うわさしてる」
阿国はふむとなる。
「ちょいと、村なんか騒ぎとならないか」
紅骨はにやりと笑った。
「さても、ぶちりをやって命落とさば、それすなわち、神仏の捧げものになったと説く。ゆえに、死人がぞろぞろとなれば、それだけ、村は豊作になるという」
「それで、丸くおさまるものなの」
白鈴が呆れる。
「ちなみに、さあ」
狐のつらの小僧がひょいと口を挟んできた。
「そもそも、ぶちりって、なにやるの」
「ひゃっ、才蔵。いつのまに」
白鈴のそばに、ちょんと座ってる。
「あら、淡路屋へ戻ったのじゃないのかい」
「いやさ、千石の若旦那には、姉さんは鈴屋で呑んだくれてる。しらふになったら、そっちにゆくって伝えといた。しようがねえって笑ってた」
とぼけたつらで、へらへらしてる。
「まったく、どこでもぷいと吹いてくる風のよう。あんた、乱破というの、ほんとなの」
「白鈴、ほんとなの。はぐれ乱破の才蔵。霧隠れの異名のある、生意気なやつさ」
へえっと白鈴が才蔵のおでこを突っつく。
「なら、伊賀ものとやらか。すご腕なのかい」
ほめても、けろりとしている。
「いやはや、ぬしがのう。されど、伊賀ものたちの里は、いまや、どこにも」
その紅骨に、才蔵がまったとなった。
「おいらのことより、そのぶちりだろ。もうすぐ、骨になるお婆どの」
「ひゃり、ひゃり、なかなか、ぬかすのう」
「あたしも、知りたいね。ぶちりとは、どんなものか」
その、やや白く濁る目玉がぎょろりとなる。
「いや、わしもはっきりとは知らぬ。耳にしておるのは、宝泉寺には奥の院という山寺がある。そこで、厄が憑いたとみたてた猪やらを山へと放ち、それをものどもが追って仕留める。のちに、奥の院の、さらに奥にある沼に沈めて、終わりとする」
「また風変わりな。あたかも、厄を沼へ沈めるかのよう」
あるいはと白鈴がいう。
「生けにえを捧げる、ということかも。沼が霊地とみられてる」
「まさに。沼は骨沼というて、なんでも水の底は、骨だらけとか」
ひゃりひゃりと紅骨が笑う。
「ところで、沼に沈めるため、木に猪やらを吊るし鉈などで綱を切る。不思議なことに、どう断ち切っても、引きちぎったごとく、ぶちりと音がするそうな」
白鈴がそっと耳をふさいだ。
「ゆえに、ぶちり、と呼ばれるのやも」
ふうんと、才蔵が腕組みをする。
「それでも、狩りにちがいない。なのに、死人がぞろぞろ出るの」
はてと、紅骨は笑うのみ。
「ちなみに、あんたは、あのへんは忍んだこと、ないのかい」
阿国に、才蔵は苦笑いをみせた。
「ちょうど紀州辺りは、猿飛という、太い眉のおたんこなすの仕切りだから、なんともわからない。けど、笑える坊主のねたくらいはある」
「笑える坊主って」
白鈴が目を丸くする。
「その、宝明寺の住職は有名よ。唐かぶれの明海ってね。寺は、まさに唐の寺かといわれてる。やたら屋根の端が跳ね上がった造りだそうな。おまけに、道士とかいう、唐の坊主まで招いたとも。あれで、お教をあげているのかと、うわさされてる」
ふと、白鈴がうかぬ顔になった。
「みょうな坊主もいたものさ。それで、よく檀家が文句をいわないね」
そういう阿国に、才蔵がにやりとする。
「からくりがある。それは、薬と銭。道士の術とやらに、明海はのめり込み、色々と秘薬をこさえたらしい。なかでも阿片は飛ぶように売れるとか。ただ、めっぽう高いらしい。たちの悪いぼったくりだね」
「そうか。もうけた銭と、薬を振舞って、たぶらかしたか」
「そして明海は、いずれ仙人になるって。坊主だろ、仏はどうするの。笑えちまう」
「なるほど、道術を極めた先は、仙人となる」
ぽつりと白鈴のつぶやき。
「はて、白鈴や。なにか、知っていそうな」
その瞳が泳いだ。
「いやさ、あたしも唐のもの。道教には馴染みがあるの」
ぱんと、手を打って王鈴が、おどけたように笑う。
「ともあれ、そのぶちりが、紅骨さんのねたものか。いつもながら、ひと癖も、ふた癖もあるもの。そして、ひと集めとは、前にぞろぞろ死人がでたおかげで、こたびは、ひとがやりたがらないということか」
しわくちゃの口が、にたっと笑う。
「ぶちりはの、もう始まっておるのよ」
あらっと、王鈴が目を丸くする。
「さても、なんぴとが島へと渡ったのか。それで、ぶちりをやったのか。けれども」
ひゃりひゃりと紅骨が笑う。
「なんぴとも、島の山から戻ってこぬ」
阿国がしかめっつらになった。
「いや、ひとりおった。付きそい役の坊主が、血まみれの姿で降りてきたとな。そののち、島から戻るや、憑きもの、憑きものがおったと、奇声をあげ気を失ったとな」
なにやら、辺りが冷やりとなる。
「なにかおるのか。猪とはちがうものか」
才蔵があやしむ。
「ともかく、宝明寺はぶちりをおさめねばと、銭を叩いてひとを集めておる。いやはや、肝が冷えるねたであろう。はてさて、ぶちりに、なにがあったやら」
ふむと、阿国がいう。
「それで、そのひとりの坊さまは、あとになって、なにかしゃべってないか。ほんとは、お化けも枯れ木ということもある」
「いや、ひたすら念仏をくり返すのみ」
「それなら、明海坊主はどうなの。ぶちりを仕切るものなら、なにか知ってる」
紅骨が王鈴に冷ややかに笑った。
「いかにも。なれど、こたびの、憑きものを山へと放つ儀式のおりに、客の山伏が酔って猪を逃がした。これが暴れて、あちこち打ちつけたとな。それで伏しておるそうな」
「なにさ、はやそこで、けちがついたのか」
「でも、どうじゃ、阿国さま。銭はたっぷりはずむ、しかも前払い。そのうえ、ぶちりを丸くおさめれば、褒美は望みのままとやら」
「おっと、おいしいか」
「やめな」
白鈴が、引きちぎらんばかりに、阿国の袖口を握る。
口元におびえがあった。
「さても、ねたは味わってくれたか。お終いに、この語りをしよう。あの、明海がなぜ、墨島で荒行をやろうとしたのか。霊地とみたからか。末寺があるゆえ、やり易かったか。しかし、この曰くを知っておったなら、はたしてどうであったかの」
王鈴と白鈴は息を呑む。
才蔵は腰がちょっぴり浮いている。
阿国はふっと笑う。
紅骨の声音が低くなった。
「こういうはなしがある」
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