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第10話 佐藤雪江の決意

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 佐藤雪江が稽古着の袖を通したのは実に四年振り、娘が小学校を卒業した記念に稽古をつけて以来だ。
 齢三六の彼女が、その時を最後に押し入れの奥に仕舞っておいた稽古着を再び着用したのには訳がある。
 娘、佐藤郁恵の敵討ち。
 娘に重傷を負わせた一番合戦嵐子に復讐するために、彼女は再び薙刀を振るう覚悟を決めたのだ。
 握り締めた薙刀袋がやけに重く感じられる。
 さすがにこの歳になると体力の低下は否めないが、それでも元冥王のSクラス生としての自負がある。たとえ相手が現役のAクラス生であろうとも、むざむざ後れを取ることはないと確信していた。
 が、彼女は冥王のOGであり在校生の保護者に過ぎない。そのような立場にある者がいくら娘の敵討ちとはいえ、直接仇に果し合いを申し込むことなど学校側が許可しない。
 そこで思い付いたのが必殺技の伝授。
 無論重傷の娘にではなく、娘の敵討ちを望む薙刀部の後輩達にだ。
 病院で変わり果てた姿の娘と対面したとき、まず感じたことは、ーーなぜ、あの業を娘に伝授しておかなかったのか。という悔悟の念だった。
 在校時、彼女をSクラスの生徒に成らしめた必殺技、ーー真空斬撃剣。
 刀身で素早く空気を切り裂くことで真空状態を作り出し、刃長の数倍先にある対象物まで真っ二つにする。
 娘も見様見真似である程度は習得していたようだが、それは前方の対象物のみに有効な業であり、自在性に於いて遥かに劣るものだった。
 いずれ本格的に伝授するつもりだったのだが、そのうち娘の成長を待って。と思っているうちにとうとう手遅れとなってしまった。
 あの時、自身と同レベルの業を習得していれば、一番合戦とかいう女子生徒に勝てたはず。娘が重傷を負うことはなかったのだ。
 それを思うと自身の愚かさに対して、激しい怒りすら感じてしまう雪江であった。
 白い稽古着に黒い乗馬袴の出で立ちは、擦れ違う者の目を引かずにはおかなかった。が、それも町外れまで。
 人通りの絶えたその先には、東京ドーム十個分に相当する広大な原野ススキが原が広がっていた。
 そこに数人の人影を見出したとき、雪江の口元に微笑が浮かんだ。
 彼らの出で立ち、ーー胸襟の開いたブレザー、ノーネクタイ、うち二名が紫煙を燻らせている。そして手にした得物が金属バットや鉄パイプとくれば、彼らが決闘待ちの不良であることが分かる。

 ちょうどいい。久しぶりの腕試しだ。
 
 雪江は柄の長さが七尺もある大薙刀を握り締めると、送り足で音もなく不良に接近する。

「うん? なんだ、あのババア……」
 
 不良の一人がようやく彼女の接近に気付いた。その視線に呼応して、ーー何事? と仲間が身構える。が、大薙刀を握っているのが三十代の中年女性と知って、彼らは一様に安堵の色を浮かべた。
 雪江は三間の間をとって立ち止まった。

「おまえたち、未成年だろ? 喫煙は御法度だ。今すぐ止めろ」
「アアッ、あんだと?」
「もう一度忠告する。タバコを捨てろ」
 
 不良Aが雪江の前に進み出て、これ見よがしにタバコに火を灯した。そして目上の者を貴ぶ気持ちがないのだろう、彼女の顔にフーッと紫煙を吹きかけた。

「俺ら、ババアには興味ねえんだ。若い男が欲しかったら他を当たるんだな」

 クククッ、と仲間内から失笑が漏れた。
 刹那、雪江の大薙刀が不良Aの顔面をサッと掠めて、咥えていたタバコを真っ二つに両断した。

「おまえらに熟女の魅力を教えてやる。さあ、最初の相手はどいつだ?」
 
 返した切っ先を咽喉元に突き付けられて、不良Aの顔からみるみる血の気が失せてゆく。

 ■■■

「お待たぁ~」
 
 高級下駄の音も高らかに、意気揚々と本宮龍虎が決闘場所に到着してみれば、あ~ら、不思議。決闘相手の不良たちはいずれも決闘後の敗者のごとく、血塗れの姿で地に倒れ伏しているではないか。
 しばし茫然自失の龍虎。ようやく我に返ると南葉高校一年、橋本大介(不良A)の下に駆け寄り、彼を抱き起し激しく揺さぶった。

「おい、しっかりしろ! いってぇ、誰に殺られたんだ?」
「り、龍虎か」
 
 大介がうっすらと目を見開いた。焦点の定まらぬ瞳が何者かを求めてさ迷い歩いた。

「畜生、どこ行ったんだ、あのババア……」
「ババア、だと?」
 
 龍虎も釣られるように辺りを見回してみたが、それらしき人影は見当たらない。
 と突然、大介がガバッと龍虎の胸倉に掴みかかった。

「最期の頼みだ。笑わずに聞いてくれ」
「ーー?」
「俺はなあ、マジで惚れちまったんだ。四十路よそじのババアに」
「ああ、なんだって?」
「あんな華麗で美しい薙刀の舞を観たのは、生まれて初めてだ。彼女にならたとえ心臓を貫かれたって悔いはねえ」
「薙刀だと? おい、まさか、おまえ、そのババアに」
「龍虎よ、俺は決めたぜ。今後AVを借りるときにゃ、熟女物一本でイクってなあ」
 
 言うなり、ガハッと大量の血反吐を吐いて、大介はその美しくも儚い青春の炎を呆気なく燃やし尽くした(ように龍虎には見えた)。

「大介えええええ~~~~~!」
 
 今にも地平線に沈まんとする夕陽に向かって、龍虎は力の限り吠えた。
 双眼から滂沱の涙を流しながら。
 たとえケンカ相手でも、決着がつきさえすれば好敵手として熱い友誼を感じる男だ。
 彼にとって、大介の死は魂と魂の壮絶なぶつかり合いの末に訪れた、男の友情の遺産なのだ。

「待ってろよ。必ずおまえの仇は討ってやる!」
 
 龍虎は夕陽に向かって走り出した。汗と涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら。
 残照の中で彼の孤影だけが長く長く伸びてゆく。
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