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第一章

03.住まい探しは迅速に

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 魔術師協会ムエット支部の一階窓口に移動したジゼルは、ラサーニュに言われるがまま新弟子届けを提出し、『はじめての弟子』と可愛らしい書体が表紙に踊る冊子を渡された。
「エランさんもご存じだとは思いますが、弟子教育に関する掟や事例などが載っているものですから、ご一読くださいね。それでは、わたしはこれで」
うふふふと白々しい笑い声と共に、ラサーニュが奥の事務所へ戻っていく。
ゴドフロワは「今日はこれから二直にちょくだから」と言いおいて、さっさと行ってしまった。
残されたのは、ジゼルとフェリクスだ。
「お師匠様、これからのことですが」
「え、あぁ。そうね」
あまりに早い展開に呆然としていたジゼルは、フェリクスの声かけに我に返る。
「まずは、住むところ? かな。ゴドフロワ隊長のお宅に泊まったということは、ムエットに家はないのね?」
「はい。実家は王都ですし、騎士団の寮も引き払いましたので」
「荷物はご実家?」
「王都の貸し倉庫に入れてあります」
「……もしかしなくても、条件を達成した後、問答無用で退団してきたのね?」
「両親に手紙は書きました。両親は反対していません」
「うん。ご両親は、ね。お祖父様は?」
ジゼルの問いに、フェリクスは無言で完璧な笑顔を浮かべた。
(くっ。こいつ、自分の顔が良いことを自覚して盾にしてやがる)
この笑顔で言葉を濁されては、普通の女性ならば追求を諦めるだろう。
しかし、この男の師匠になったからには、そんな遠慮などしてはいられない。
ジゼルはわざとらしく額に手を当て、大きなため息を吐いた。
「お祖父様の襲来があるかも知れないことは、覚えておきましょう」
「申し訳ございません」
腰を直角に折って、フェリクスが頭を下げる。
ざわりと、周囲が騒がしくなった。
ここはまだ魔術師協会の一階。たくさんの人が居るのだ。
深くフードをかぶった怪しい魔術師に、体格の良い美男子が頭を下げている光景が目立たないはずがない。
「あれ、魔女エランじゃない?」
という声まで聞こえる。
ジゼルも、ムエットではそこそこ知られているのだ。
(これは対応間違えたら詰むわ)
気を引き締めたジゼルは、普通の声音でフェリクスに話しかける。
「フェリクス、頭を上げて。あなたの事情は理解したわ」
焦っては逆効果だ。
堂々としていれば、ジゼルが悪いわけではないと言外に示せる。
ジゼルの気持ちを知ってか知らずか、腰を伸ばしたフェリクスが胸に手を当ててまた軽く頭を下げる。
「はい。ありがとうございます」
「うん。……着いてきて」
魔術師協会を出て、すぐに人気のない路地に入る。
この辺りはそう治安は悪くないし、ごろつき程度ならジゼルでも十分相手出来る。
二等騎士までなったフェリクスなど、ジゼル以上に余裕だろう。
ジゼルは路地の途中で足を止め、後ろを振り返る。
フェリクスが、驚いたように目を瞬いた。
頭一つ分背の高いフェリクスを見上げ、低い声でジゼルは言う。
「大げさな身振りは改めなさい、フェリクス。あなたはもう、騎士じゃない」
フェリクスが目を見開いた。
口元に右手を当て、みるみるうちに顔が真っ赤になっていく。
思わぬ変化に、ジゼルの方が面食らう。
「なに? どうしたの?」
「すみません。恥ずかしくて」
何かを堪えるようにぎゅっと下ろした拳を握り、フェリクスが俯く。
「騎士を辞めたことに一切悔いはないのです。それは本当です。しかし、自ら辞めておきながら騎士としての振る舞いをしていることを、ご指摘頂くまで意識しておりませんでした。そんな己が恥ずかしく……」
指摘したジゼルが逆に驚くほどの狼狽ぶりだ。
こちらを舐めてふざけているのかと思ったが、フェリクスにそういった気配はない。
おそらく、幼い頃から騎士としての振る舞いを叩き込まれたのだろう。
(これは本当に、癖になってて意識せずにやってたんだ……。となると、あまり追い込むのは、ねぇ?)
「あー、フェリクス。これから気をつけて覚えれば良いことだから。まだ初日なんだし、魔術師としての振る舞いが出来てなくて当たり前でしょう」
「はい……」
フェリクスはしょんぼりとした返事を寄越す。
ちくちくとした罪悪感を抱いたジゼルは、どうしたものかと考えながら、とりあえずこの場から動くことにした。
「じゃあ、行きましょう」
帰りは道案内も兼ねて、徒歩で帰る。
辻馬車ならば半刻ほどだが、歩きだとジゼルの足では一刻ちょっとだ。
大通りに出る時には、フェリクスはもう表面上はなんともない風だった。
(そりゃあ、子供じゃないものね)
ジゼルはほっと息を吐いた。
変に拗ねていないことにも安心して、フェリクスに声をかける。
「ムエットは初めて?」
「騎士団の演習で来たくらいです。街中を歩くのはほとんど初めてと言って良いと思います」
ジゼルの一歩後ろを歩くフェリクスは、口元に笑みを浮かべつつ周囲に油断なく目を配っている。
なるほど。習性とは意識しても一朝一夕で変わるものではないらしい。
(それを魔術師らしくするのも、私の務め……。なんて面倒な。いえ、元騎士の魔術師というのなら、それを活かす方が良いんじゃないかな。うーん。お師匠様にも相談しよう……)
独り立ちして十年近くなるのに情けがないが、フェリクスは孫弟子になるのだから、まったくの無関係ということもないだろう。


フェリクスに主立った目印の建物や、よく使う店などを教えつつ、工房の近くまで戻ってきた。
フェリクスは良い聞き役で、その店を選んだ基準など的確な質問を寄越してくる。
探求心が旺盛なのは、実に魔術師向きだ。
「これから知り合いの不動産屋に、手頃な貸し家がないか聞きに行くから」
フェリクスに告げたジゼルは、工房に続く路地を通り過ぎて、そのまま大通りを進む。
「弟子は住み込みではないのですか?」
少し驚いたように、フェリクスが尋ねてくる。
「昔は皆住み込みだったけれど、最近は通いも多いよ」
近頃は庶民もそこそこ生活に余裕が出てきて、子供を十歳やそこらで奉公に出さなくても良くなってきている。
魔術師は七、八歳から修行を始めるのが普通だが、そんな幼子を住み込みで他人に預けるのは抵抗がある層が増えているのだ。
貧しい農村であれば、まだ口減らしになると子を渡すところもあるから、完全に通いだけとは言えないのではあるが。
「少なくとも、ムエットではだいたい通いかな」
ジゼルとしても、年が近い異性を工房に住み込ませるつもりはない。
魔術師の修行に過大な夢を見ているらしいフェリクスは、がっかりしているようだ。
「まぁ、遠いと不便だから、工房の近くの家を借りましょう。予算は……」
「貯金はあります。この為に貯めていましたから。少なくとも五年は大丈夫です」
フェリクスがにっこり笑って胸を叩く。
それを聞いて、ジゼルも安心だ。
家が自力で借りられない場合、ゴドフロワの家に下宿という手もあったが、奥方とゴドフロワの不和の種にならないか心配だったのだ。
「それは良かった。修行が進めば私の作業を手伝ってもらって、多少は手間賃を渡せるようになるからね。剣が使えるなら、合間に副業しても良いし」
「はい。頑張ります」
(それにしても、寮生活だったらしいとはいえ、五年分の生活費を貯めてあるのはすごいわ)
ジゼルより、よほど計画性も根性もある。
自分の貯蓄を考えて遠い目になったジゼルは、小さくかぶりを振る。
(……深く考えると嫌になりそう。これ以上は考えるのやめとこ)
「?」
不思議そうな視線を寄越すフェリクスには応えず、三叉路を左に行き、またすぐに小道を左に曲がる。
すると、不動産屋の店印の木札を下げた店構えが見えた。
「ここ。うちの工房も、ここに紹介してもらったの」
私の師匠が。という言葉を、ジゼルは呑み込んだ。
今のジゼルの工房は、元々は王都郊外に工房を構える師匠の別宅だったのだ。
『お魚が食べたくなった時用に買ったのよぉ。美味しいお魚なら、やっぱりムエットが一番だものぉ』
と、一括買いしたのは、ジゼルが独り立ちする三年前のこと。
その言葉通りにちょくちょくムエットに弟子たちを連れて遊びに行っては、馴染みの食堂や師匠自身の手作りの魚料理に舌鼓を打ち、ついでに弟子たちにも魚の捌き方や料理も仕込んでいた。
ジゼルの師匠は、食道楽なのである。
その別宅をジゼルが譲り受けたのにはちょっとした理由があったが、今はさして関係のある話ではない。
「こんにちは」
カランカランという扉に掛かる小鐘の音と共に店内に入ると、奥から小太りの男が出てきた。
「おや? エランさんじゃないですか。いらっしゃい。工房に何かありましたか?」
「いえ。諸事情で弟子をとることになりましてね。弟子の住まいを探してるんです」
「お弟子さん、ですか?」
ぱちくりと目を瞬かせた店主が、ジゼルの後ろのフェリクスを一瞥いちべつする。
魔術師が子供の頃から修行することは知られているので、明らかに二十歳過ぎのフェリクスが弟子入りすると聞いていぶかしがるのも当然だ。
「えぇ。彼は昔、基礎修行はしていたんですけど、事情があって途中で止めてしまって。その事情が解決したので修行再開ということになったんですよ。ただ、元のお師匠さんが亡くなってしまいましてね。彼の親戚の紹介で私が引き取ることになったんです」
下手に隠すより、真実を不都合なところを伏せて話してしまった方が後々面倒くさくない。
掟に背いていた一点を除けば偽りのない説明に、店主は納得したようだ。
「おや、そうだったんですか。そんなこともあるんですね」
「魔術師界隈でも珍しいことですけどね」
店主に促され、二人掛けのソファに腰掛ける。
隣にフェリクスが座ると、ぐっと沈み込んで驚いた。
背が高いだけではなく筋肉による厚みがあるので、重量も相当あるのだろう。
ジゼルの知る男は大抵魔術師か商人だ。彼らはここまで鍛えていない。
相手は弟子であり、変な気を持つのは御法度であるのだが、慣れるまでには時間がかかりそうだ。
「それで、家をお探しとのことですが」
店主の言葉にはっと意識を戻し、「そうなんですよ」と相槌を打つ。
「うちの工房の近くに、手頃な貸し家があれば、と思って伺ったんです」
「お弟子さん一人でお住まい、ということで良いのですよね? でしたら……」
紐でくくった紙束を持って来た店主が、テーブルの上にその内の三枚ほどを並べた。
「単身男性でしたら、この辺りがお勧めですね」
紙には、住所と一月の家賃、簡単な間取りが文字で書かれていた。
店主の言う通り、三件とも住所はジゼルの工房に歩いて行ける距離で、間取りも単身向けだ。
新しい古いは、紙面からは分からない。
「フェリクス、どう?」
実際に住むのはフェリクスなので、彼に意見を訊く。
フェリクスは三枚の紙を手に取り、じっくり文字を追った。
「この辺りには不慣れで、住所だけだと実際の位置がよく分からないのですが……」
「あぁ、ではこちらを」
店主が、この辺り一帯が描かれた手書きの地図を広げる。
「エランさんの工房がこちらで、この物件がここ、これがここ、それはここです」
店主が指し示した位置関係を見て、フェリクスが眉根を寄せる。
「どこも少し歩きますね」
「工房のすぐ近くは一軒家が多いですから。部屋貸しもあまりしていないですね」
「一軒家でも工房近くの貸し家はありますか?」
「あることはありますが……えぇと。これなどは工房のすぐ裏の家ですね」
店主が差し出した紙には、平屋の物件情報が書かれていた。
間取り的には、若夫婦と小さな子供が住むのにちょうど良いくらいだろうか。
男性一人で住むのには広いが、広過ぎて持て余すほどではない。
ただ、庭付きということもあり、家賃は他の三件の三倍に近かった。
ジゼルはさすがに他の物件にするだろうと思いながら、裏手の家を思い出す。
「えーと、あの、うちの裏庭と板壁で区切られてる家かしら?」
「そうですそうです。あのお宅です。多少手を加えても良いと言われてますので、板壁の一部を扉に変えることも可能ですよ」
「ここにします」
物件の紙を持ったフェリクスが即答した。
ジゼルは驚いて、隣を見上げる。
「え? だって家賃高いよ?」
「王都の単身用の部屋と同じくらいの値段ですから、予算内です」
「でも節約は出来るだけした方が……」
「出遅れている分、時間の方が惜しいのです」
にっこり笑って、フェリクスが言う。
唖然としているジゼルを置き去りにして、フェリクスと店主の会話が進む。
「板壁の一部を扉に変える工事も、こちらで仲介して頂けるのですか?」
「えぇ。懇意の大工がおりますので、即日契約なら勉強させて頂きますよ」
「ちょっと。繋ぐ方の家主の意見も聞かずに話を進めないでください」
慌てて話に割り入ると、二人が不思議そうな顔をしている。
何故、ジゼルがそんな顔を向けられねばならないのか。
少なくとも店主はすっとぼけているだけだろう。
「板戸に鍵も付けられますよ?」
「そういう問題じゃない」
ジゼルが低い声で吐き捨てると、店主は愛想笑いを浮かべて目をそらした。
「……フェリクスがその家を借りるのは自由です。でも板壁はそのままです。扉を付けることは許可しません」
「はい。分かりました。扉はなしで、この物件を借ります」
フェリクスはあっさりと引き下がり、店主に即日契約する旨を伝えた。
「見学はよろしいですか?」
「寝起き出来れば構いませんから。さすがに雨漏りなどがあれば修繕をお願いしますが」
「元からの不具合があれば、家主負担で修繕という契約になってますので……」
とんとん拍子に話が進み、契約書に署名をしているフェリクスを見て、ジゼルの胸中に疑問符が乱舞する。
(まさか、裏手の家を借りるのに私に文句を言わせないように、最初に無茶なことに乗ってみせたの?)
地図を良くみると、板壁に扉を付けなくても、すぐ横の路地を回れば工房の玄関にたどり着く。
「これで住まいの確保は大丈夫ですね」
爽やかな笑みを向けてくるフェリクスに、ジゼルは空恐ろしいものを感じる。
(やっぱり、私、とんでもない男を弟子にしちゃったんじゃ……)
そう思っても、新弟子届けを出してしまった今となっては後の祭りである。
自分の手に余りそうな弟子の存在に、ジゼルは遠い目をするしかなかった。
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