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第1話 天文部の空野彼方
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その男にとって、実に一週間ぶりの学校だった。足どりも自然と軽くなる。
男の名は空野彼方。その名前のように青く澄んだ色のポロシャツに、ジーンズという出で立ちは、とても学校に行こうとしている高校生のものには見えない。しかし、「自由と個性の尊重」が校風である私立春風学園においては制服など存在せず、私服で登校することなど、地球が太陽の周りを回っているのと同じくらい当たり前のことだった。
「部の連中と会うのも久しぶりだな。あいつら、元気にしてるかな」
彼方は、その春風学園の天文部に所属しており、部長を務めている。彼がこの一週間学校を休んでいたのも、そのクラブ活動が理由だった。
海外で独自の天体観測──それが表向きの理由ではあったが、実際にはハワイに行ってひたすら空を見上げていただけといった方が正しい。
日本じゃ天の川も見えない! そう吐き捨て、天体望遠鏡片手にいきなりハワイに行ったと思ったら、昼間は海にも入らず観光もせずただ寝るだけ。そして、夜に起き出して一晩中空と睨めっこ。──空野彼方とは、つまりそういう男だった。
しかし、彼の通う春風学園の方も、この彼方に負けないくらい普通でない高校だと言えた。普通はこんな勝手な生徒の出した休学届けを何の問題もなく受理したりはしない。よく言えば、生徒の自主性を尊重し、理解力及び度量がある。悪くいえば、破天荒、いい加減、偏差値を上げる気がない、といったところか。
だが、ここに通う生徒達はみんなそんな母校を気に入っていた。そもそも、好きでなければこんな高校を受験したりはしない。
だから、ここに通う生徒も教師も皆、気さくで、おおらかで、個性的で――そして、常識外れ。
彼方が一週間ぶりに登校して来ようが、誰もそれを気にしない。それがわかっているから、彼方も一週間のブランクなど何の心配もしていなかった。
──そう、一週間ぶりにその春風学園の校門をくぐるまでは。
「あれ?」
彼が最初に違和感を覚えたのは、登校をしてきている生徒達の服装を見てであった。
制服の存在しない春風学園では、登校時にはいつも色とりどりの服装をした生徒の群を目にすることができた。たいていの生徒が私服だったが、中には敢えて詰め襟の学生服を着て来る生徒もいたし、何を考えているのか理解に苦しむが、柔道着や迷彩の入った軍服、果てはアニメキャラのコスプレをしてくる連中もいたほどだ。
しかし、今、空野彼方の目に映っている生徒達は、皆そろって派手さはないが印象に残るセンスのいい紺のブレザーを着て登校して来ている。
「なんなんだ、これは?」
思わず、来る高校を間違えたかと、彼方は立ち止まり首をかしげる。
そこへ息を切らせながら走り寄って来る影一つ。
「空野部長~っ!」
聞き覚えのある子供っぽいその声。声の主を予想して彼方が振り向く。
駆け寄って来たのは、くりっと大きな目が印象的な童顔の女の子。身長も低く、どうみたって小学生。頑張って見ても中学一年生がやっと。だが、そんな彼女は、彼方と同じ天文部の後輩で、今年で十六歳になるれっきとした高校生、夏樹吐露──通称とろりんだった。
彼方が学校にいた一週間前までは、年齢にしては子供っぽいが、その幼く見える容姿によく似合った私服を着て登校していた彼女もまた、今は他の生徒と同様紺のブレザーを着ている。
「とろりんまでそんな服を着て……一体どうしたってっていうんだ?」
「どうしたじゃないですよ~! 部長がいない間に、大変なことになったんですから~!」
慌てているように見えるが、どこか抜けたような感じのする独特の喋り方のため、普通の者にはなかなかとろりんの意図は伝わらない。だが、付き合いの長い彼方は、何か大事なことを訴えかけようとしているということくらいは察することができた。
「大変なことって何だ?」
「それがですね~」
「ジャスト・ア・モーメント!」
とろりんが次の言葉を紡ぐ前に、横合いから別の声が割り込んで来た。二人がその声の方を向くと、そこには立っていたのは、「風紀委員」の太い文字が入った腕章をつけた五人の生徒。颯爽と現れた正義の戦隊ヒーロー風のポーズで綺麗に並んでいる。
「お前らは……風紀委員とは名ばかりの、暇人グループ!」
「誰がですか!」
彼方の指摘は正しい。春風高校においては風紀などという言葉は意味を持たない。規律自体が存在しないのに、風紀を乱すも何もないのだから。
だが、規律がないからといって、隠れてタバコを吸ったり、窓ガラスを割ったりしてもいいというわけではない。それらは規律云々ではなく、個々のモラル及び人間性の問題である。その点において、この春風学園には、そういった問題行動を起こす生徒は一人として存在していなかった。
当たり前のことだが、服装や髪型と不良行為との間には全く何の因果関係もない。奇抜な格好をしていても、社会のルールくらい守る奴は守る。逆に、制服の強制、靴下の色の指定、派手な髪型の禁止──そうやって校則により見せかけばかりまともに見せようとしても、問題を起こす生徒は起こす。
「それで、その有名無実化している風紀委員が何の用だ?」
「一言多いですよ。せっかく、浦島太郎状態のあなたに、この事態の説明をしてあげようと思ってやって来たのに」
「それならそうと早く言ってくれ」
彼方のその言葉で気を取り直した風紀委員達は、胸を張って凛々しく見える姿勢をとる。
「実は、あなたがいない間に我が学園は、生徒会により変革を遂げたのです」
「自由は混乱と差別を呼ぶ。規律こそが正義であり、人を正しき方向に導く」
「それが生徒会が新たに掲げた理念です」
「そして、その理念に基づき、我が学園の校則も大幅に変更されました」
「服装の統一もその一つ。さあ、君も有名デザイナーによりデザインされたこの制服に着替えたまえ!」
並んだ五人の右から順に、まるでハナからセリフを決めていたように流暢に説明していく風紀委員。最後の五人目が、言葉と一緒に丁寧にたたまれた真新しい制服を彼方の目の前に差し出した。
それを前にし、彼方の眉が歪みを見せる。
「規律こそが正義だと!? よくそんなことがぬけぬけと言えるもんだな! 自由と個性の尊重こそがこの学校のモットーだろうが! そんな戯言、いちいち聞いていられるか!」
彼方は風紀委員が差し出した腕を振り払った。折り畳まれていた制服は風紀委員の手を離れ、はばたく鳥のように広がって地面にパサリと落ちる。
とろりんが「あっ」と開いた口を手で覆ってそれに目をやった。
風紀委員達はその制服を平然と見つめたまま、冷静な口調で彼方に迫る。
「……あまり勝手な行動を取らない方が君のためだと思うよ。生徒会に刃向かえば、内申書にだって響いてくることを忘れない方がいい」
内申書──それは学生にとっては、時代劇における水戸黄門の印籠、金さんのサクラ吹雪に匹敵するアイテム。普通の学生は、これを出されては手も足も出せず、ただひれ伏すしかない。しかし、時々印籠を出された後も御老公に斬りかかる輩がいるように、学生の中にも骨のある奴(というか無鉄砲な奴)は存在していた。
「けっ、何が内申書だ。そんなものが怖くて天文学部の部長がやってられるか!」
全く何の根拠もない発言。しかし、こうも胸を張って言われるとなんとなく説得力があるような気がしてくる――かもしれない。
しかし、眼鏡をかけた風紀委員がフレームのズレを指で直しながら言った次の言葉が、彼方の頭に雷を落とす。
「そうか、君はまだ知らなかったのか。実は天文部はすでに廃部が決定しているのだよ」
隣の風紀委員が、唖然とする彼方をしりめに言葉を続ける。
「クラブ活動など学園生活において労力と時間の浪費以外の何ものでもない。そのため、すべてのクラブは生徒会が吸収。生徒会の付属機関としてのみ存在を許されることとなったのだ」
「すべてのクラブは、生徒会の傘下に入るか、消滅するか。その二択を迫られることとなったのだが……」
「部長である君が留守にしていたために、天文部は選択の申請ができず、自動的に消滅……つまり、廃部決定というわけだよ」
今の言葉に彼方はくらっときて、足下がふらつく。
廃部廃部廃部廃部
踏みとどまりはしたが、頭の中をその二文字が電灯に群がる虫のように飛び回る。
男の名は空野彼方。その名前のように青く澄んだ色のポロシャツに、ジーンズという出で立ちは、とても学校に行こうとしている高校生のものには見えない。しかし、「自由と個性の尊重」が校風である私立春風学園においては制服など存在せず、私服で登校することなど、地球が太陽の周りを回っているのと同じくらい当たり前のことだった。
「部の連中と会うのも久しぶりだな。あいつら、元気にしてるかな」
彼方は、その春風学園の天文部に所属しており、部長を務めている。彼がこの一週間学校を休んでいたのも、そのクラブ活動が理由だった。
海外で独自の天体観測──それが表向きの理由ではあったが、実際にはハワイに行ってひたすら空を見上げていただけといった方が正しい。
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しかし、彼の通う春風学園の方も、この彼方に負けないくらい普通でない高校だと言えた。普通はこんな勝手な生徒の出した休学届けを何の問題もなく受理したりはしない。よく言えば、生徒の自主性を尊重し、理解力及び度量がある。悪くいえば、破天荒、いい加減、偏差値を上げる気がない、といったところか。
だが、ここに通う生徒達はみんなそんな母校を気に入っていた。そもそも、好きでなければこんな高校を受験したりはしない。
だから、ここに通う生徒も教師も皆、気さくで、おおらかで、個性的で――そして、常識外れ。
彼方が一週間ぶりに登校して来ようが、誰もそれを気にしない。それがわかっているから、彼方も一週間のブランクなど何の心配もしていなかった。
──そう、一週間ぶりにその春風学園の校門をくぐるまでは。
「あれ?」
彼が最初に違和感を覚えたのは、登校をしてきている生徒達の服装を見てであった。
制服の存在しない春風学園では、登校時にはいつも色とりどりの服装をした生徒の群を目にすることができた。たいていの生徒が私服だったが、中には敢えて詰め襟の学生服を着て来る生徒もいたし、何を考えているのか理解に苦しむが、柔道着や迷彩の入った軍服、果てはアニメキャラのコスプレをしてくる連中もいたほどだ。
しかし、今、空野彼方の目に映っている生徒達は、皆そろって派手さはないが印象に残るセンスのいい紺のブレザーを着て登校して来ている。
「なんなんだ、これは?」
思わず、来る高校を間違えたかと、彼方は立ち止まり首をかしげる。
そこへ息を切らせながら走り寄って来る影一つ。
「空野部長~っ!」
聞き覚えのある子供っぽいその声。声の主を予想して彼方が振り向く。
駆け寄って来たのは、くりっと大きな目が印象的な童顔の女の子。身長も低く、どうみたって小学生。頑張って見ても中学一年生がやっと。だが、そんな彼女は、彼方と同じ天文部の後輩で、今年で十六歳になるれっきとした高校生、夏樹吐露──通称とろりんだった。
彼方が学校にいた一週間前までは、年齢にしては子供っぽいが、その幼く見える容姿によく似合った私服を着て登校していた彼女もまた、今は他の生徒と同様紺のブレザーを着ている。
「とろりんまでそんな服を着て……一体どうしたってっていうんだ?」
「どうしたじゃないですよ~! 部長がいない間に、大変なことになったんですから~!」
慌てているように見えるが、どこか抜けたような感じのする独特の喋り方のため、普通の者にはなかなかとろりんの意図は伝わらない。だが、付き合いの長い彼方は、何か大事なことを訴えかけようとしているということくらいは察することができた。
「大変なことって何だ?」
「それがですね~」
「ジャスト・ア・モーメント!」
とろりんが次の言葉を紡ぐ前に、横合いから別の声が割り込んで来た。二人がその声の方を向くと、そこには立っていたのは、「風紀委員」の太い文字が入った腕章をつけた五人の生徒。颯爽と現れた正義の戦隊ヒーロー風のポーズで綺麗に並んでいる。
「お前らは……風紀委員とは名ばかりの、暇人グループ!」
「誰がですか!」
彼方の指摘は正しい。春風高校においては風紀などという言葉は意味を持たない。規律自体が存在しないのに、風紀を乱すも何もないのだから。
だが、規律がないからといって、隠れてタバコを吸ったり、窓ガラスを割ったりしてもいいというわけではない。それらは規律云々ではなく、個々のモラル及び人間性の問題である。その点において、この春風学園には、そういった問題行動を起こす生徒は一人として存在していなかった。
当たり前のことだが、服装や髪型と不良行為との間には全く何の因果関係もない。奇抜な格好をしていても、社会のルールくらい守る奴は守る。逆に、制服の強制、靴下の色の指定、派手な髪型の禁止──そうやって校則により見せかけばかりまともに見せようとしても、問題を起こす生徒は起こす。
「それで、その有名無実化している風紀委員が何の用だ?」
「一言多いですよ。せっかく、浦島太郎状態のあなたに、この事態の説明をしてあげようと思ってやって来たのに」
「それならそうと早く言ってくれ」
彼方のその言葉で気を取り直した風紀委員達は、胸を張って凛々しく見える姿勢をとる。
「実は、あなたがいない間に我が学園は、生徒会により変革を遂げたのです」
「自由は混乱と差別を呼ぶ。規律こそが正義であり、人を正しき方向に導く」
「それが生徒会が新たに掲げた理念です」
「そして、その理念に基づき、我が学園の校則も大幅に変更されました」
「服装の統一もその一つ。さあ、君も有名デザイナーによりデザインされたこの制服に着替えたまえ!」
並んだ五人の右から順に、まるでハナからセリフを決めていたように流暢に説明していく風紀委員。最後の五人目が、言葉と一緒に丁寧にたたまれた真新しい制服を彼方の目の前に差し出した。
それを前にし、彼方の眉が歪みを見せる。
「規律こそが正義だと!? よくそんなことがぬけぬけと言えるもんだな! 自由と個性の尊重こそがこの学校のモットーだろうが! そんな戯言、いちいち聞いていられるか!」
彼方は風紀委員が差し出した腕を振り払った。折り畳まれていた制服は風紀委員の手を離れ、はばたく鳥のように広がって地面にパサリと落ちる。
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風紀委員達はその制服を平然と見つめたまま、冷静な口調で彼方に迫る。
「……あまり勝手な行動を取らない方が君のためだと思うよ。生徒会に刃向かえば、内申書にだって響いてくることを忘れない方がいい」
内申書──それは学生にとっては、時代劇における水戸黄門の印籠、金さんのサクラ吹雪に匹敵するアイテム。普通の学生は、これを出されては手も足も出せず、ただひれ伏すしかない。しかし、時々印籠を出された後も御老公に斬りかかる輩がいるように、学生の中にも骨のある奴(というか無鉄砲な奴)は存在していた。
「けっ、何が内申書だ。そんなものが怖くて天文学部の部長がやってられるか!」
全く何の根拠もない発言。しかし、こうも胸を張って言われるとなんとなく説得力があるような気がしてくる――かもしれない。
しかし、眼鏡をかけた風紀委員がフレームのズレを指で直しながら言った次の言葉が、彼方の頭に雷を落とす。
「そうか、君はまだ知らなかったのか。実は天文部はすでに廃部が決定しているのだよ」
隣の風紀委員が、唖然とする彼方をしりめに言葉を続ける。
「クラブ活動など学園生活において労力と時間の浪費以外の何ものでもない。そのため、すべてのクラブは生徒会が吸収。生徒会の付属機関としてのみ存在を許されることとなったのだ」
「すべてのクラブは、生徒会の傘下に入るか、消滅するか。その二択を迫られることとなったのだが……」
「部長である君が留守にしていたために、天文部は選択の申請ができず、自動的に消滅……つまり、廃部決定というわけだよ」
今の言葉に彼方はくらっときて、足下がふらつく。
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