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第30話 不測の事態

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 シャザークが悪魔憑きの力を表に出した当初、レイモンドはシャザーク相手に、10本に1本も取れない状況だったが、数日も経てば3本に1本は取れるようにまでなっていた。

「まさかこの短期間で、ここまで俺の攻撃を防がれるようになるとは思わなかったぞ」

 全力の攻撃を受け流され、返す剣で一本取られたシャザークが感嘆の声を漏らす。

「速さも力も及びませんが、だからと言って勝てないわけではないですから」

「それはどういうからくりだ?」

 悪魔憑きの能力を発揮している今、身体能力では完全にシャザークが圧倒している。にもかかわらず、何本かに一本は自分が負けていることがシャザークにはどうにも納得できなかった。

「防御は攻撃以上に経験が物を言います。熟練した者ならば、相手の動きを対して、頭で判断するより先に体が反応してしまうものです。しかし、シャザークさんの場合、そこまでの経験がないため、目で敵の動きを追い、その上で反応しています。それではどうしても動きが一瞬遅れます。もっとも、目の良さと驚異的な動きの速さで、まともな攻撃はほとんど防がれてしまうわけですが」

「そう言いながらも今も一本取ったじゃねーか」

「なまじ目がいいのが仇となっているのかもしれませんね。今の力を使われる前から、シャザークさんの目の良さは特筆すべきものがありました。それだけに、目に頼り過ぎて、フェイントに簡単に引っかかり過ぎなんですよ」

「うっ……」

 確かに、正攻法の攻撃はほとんど止めているものの、あからさまなフェイントにさえ引っかかってたびたび一本取られていることをシャザークは思い出す。

「それに、攻撃の際も、目に頼るあまり、狙っているところを見過ぎですよ。それでは攻撃を読まれてしまいます。もっとも、それでもなんとか受け流すのがやっとなんですけどね」

「そうだったのか……」

 次々に問題点を指摘され、シャザークは自分の未熟さを痛感する。
 対戦成績では自分が優っているのに、いまだ自分の方が稽古をつけられているような気分にさえなってしまう。

「とはいえ、シャザークさんの全身のバネを使った突きはわかっていても簡単に防げるものではありませんよ。その突きに磨きをかければ、きっとあなたにとっての大きな武器となります」

「いいのかよ、そんなに色々アドバイスをして。ネタバラしてしまったら、また俺に勝てなくなるぞ」

「そうなってもらわないと、私の訓練になりませんからね」

 不敵に笑いながらレイモンドが再び構えをとる。

「あとで後悔してもら知らないからな!」

 呼応するようにシャザークも木剣を構える。
 二匹の獣が爪を交えるような激しい訓練が再び始まった。

 闘技場の片隅、飽きることなく二人の少女がそれを見守る。

「男の子っていいねぇ」

 少女の内の一人、ミュウがしみじみとつぶやく。

「……男の子って、お二方とも私達よりずっと年上じゃないですか」

「んー、まぁ、それはそうなんだけどねぇ」

 もう一人の少女、イザベラはミュウの言葉をいつもの冗談と受け取っているようで、たいして気にも留めていない。ミュウもそういった反応を予想していたのだろう。楽しげな顔で、隣のイザベラに目を向ける。

(こんな男同士の立ち合いに、そんなキラキラした顔でずっと付き合ってるなんて、ホント、レイモンドのことが好きなんだね)

 自分もイザベラ同様に付き合っていることを忘れて、ミュウは心の中で独りごちる。

「それにしても、レイモンド卿はさすがだね。シャザークの動きにここまで付いてこられるようになるなんて」

「当たり前ですわ! 私のレイモンドですもの!」

(「私の」ときたか! いやぁ、妬けちゃうねぇ!)

 今も乙女の視線を、汗を光らせながら戦うレイモンドへと向けているイザベラに、ミュウは胸の奥がきゅーっとするようないじましさを感じてしまう。

(絶対にこんな娘をロリコンおやじの婚約者にするわけにはいかない! シャザークもここまで協力してくれてるんだから、レイモンド卿、今度の決闘には絶対に勝ってよね!)

 ミュウはレイモンドの勝利を祈りながら、それ以外には何もできない自分の無力さも感じていた。自分が読んできた転生ものの主人公なら、転生前の知識やチート能力で、もっとたやすく問題解決していただろうに、それらと比べて、今の自分が何の役にも立てていないことが、ひどくもどかしくもあった。

◆ ◆ ◆ ◆

 レイモンドの訓練は順調に進んでいた――が、レイモンドとリチャードの決闘の日まであと二日と迫った日に事件は起こった。
 いつものように訓練を終え、ミュウとシャザークがランフォード家を離れた後、イザベラとレイモンドは連れ立って街へと出たのだが、そこで何物かの襲撃を受けたのだ。
 ランフォード家からの使いからその報せを受けたミュウは、すでに日が暮れていたが、かまわずにシャザークと共にランフォード家に向かった。

「イザベラ! 大丈夫なの!?」

 イザベラの部屋に通されたミュウは、そこでソファに座るイザベラを見かけるなり駆け寄る。
 見たところは、別れた時に目にした姿と変わりはなさそうだったが、見えていない部分に何があるかわからないため油断はできない。それになにより、イザベラは明らかに落ち込んだ様子で、顔には悲壮感が漂っている。何事もないとはとても思えない雰囲気だった。

「ミュウさん……」

 虚ろな表情でイザベラがミュウに顔を向ける。
 レイモンドの訓練を見ていたときはあれほど輝いていたのに、今のイザベラの瞳からは光が失われていた。

「どこか怪我したの!? それか大事なものでも盗られた!?」

「何も取られてはいませんし、私は大丈夫ですわ……」

 イザベラがある方向に視線を向ける。つられてミュウもそちらに目を向けると、視線の先にはソファにかけるレイモンドの姿があった。
 部屋に入ったときには椅子の背が邪魔で見えなかったが、イザベラの対面に座るレイモンドの右腕は、包帯が巻かれた上、首から三角巾でつり下げられていた。

「レイモンド卿、その腕は!?」

「……街を歩いていたら突然三人組の男に襲われて……レイモンドは私を庇ってくれて……」

 レイモンドではなく、イザベラが重い声で答える。

「撃退はしましたが、捕らえることまではできませんでした。不覚にも最初の一撃で腕を折られてしまい……」

 レイモンドは申し訳なさそうに語るが、イザベラの身を守りつつ、腕を折られながらも暴漢3人を撃退したなのならば、護衛としては決して恥じることではなく、むしろ誇るべきことだった。とはいえ、それは今回の襲撃に関してのこと。2日後に控えた決闘のことを考えれば、とても誇るような気には、レイモンド自身も、周りの者も、なることができなかった。
 ミュウも二人の暗さにつられるように、言葉もなくうな垂れてしまう。

「イザベラ嬢ちゃんが無事で、レイモンドも怪我だけで済んだのなら良かったじゃないか。決闘は延期すればいいだけだろ?」

 ミュウの肩にポンと手を乗せ、あえて軽い口調でシャザークが皆に聞こえるように言った。

「そうだよ! 延期すればいいんだよ! 怪我が治るまで訓練できないのはハンデだけど、レイモンド卿ならきっと大丈夫だし!」

 シャザークの言葉に乗って、ミュウも二人を元気づけるように努めて明るく振る舞う。

「決闘延期の申し入れについては、すでに使いの者をボルホード家に向かわせましたわ」

「あはは、そっか、そうだよね」
(あー、私達が思い付くようなことはもうやってるよね。でも、それにしては二人とも表情が暗い……どうしたのかな?)

 ミュウが不思議に思っていると、扉をノックする音が静かな室内に響いた。

「イザベラ様、使いの者が戻りました」

「通してください」

 間もなく、まだ息も整っていないランフォード家の使用人が扉を開け、姿を現した。

「ボルホード家はなんと?」

 イザベラの問いに、使いの男は目をイザベラから背け、第一声を発するのに躊躇いを見せた。それでも覚悟を決めたのか、重い口を開き始める。

「……決闘の日程の変更は認めない。ただし、不測の事態であることから、剣闘士の変更ならば認めるとのことです」

「……そうですか。ご苦労様でした。お父様にも伝えてください。……下がって結構です」

「はい」

 頭を下げて使いの男が部屋をあとにする。

「ちょっと! なによそれ! こっちは暴漢に襲われて負傷してるのに、決闘の延期を認めないなんてどういう神経してるのよ!」

 憤りを見せるミュウとは対照的に、イザベラからは慌てた様子も激高した様子も見られず、まるでボルホード家からの返答を半ば予測していたようだった。

「どうしてイザベラはそんな落ち着いてるのよ! 今からでも文句言いに行こうよ!」

「……一度決めた剣闘士の決闘の日時は、双方の同意がない限りは変えられない。これは授業でも学んだことですわよ、ミュウさん」

「うっ……そういえば確かに……」

 頭に血が上って忘れていたが、記憶にある授業の内容を顧みれば、確かにイザベラの言う通りだった。令嬢に仕える剣闘士の決闘は、互いに女としての名誉を賭けた戦いだ。ミュウの前の世界とは違い、この世界には「女に二言はない」という言葉があるように、女同士の約束は決して違《たが》うことができないものとされている。

「でも……骨折してるのに……こんなのまともに試合できるわけないこと、向こうだってわかってるでしょうに……」

「これが向こうの思惑通りなのかもしれませんから」

「ん? それってどういう……」

 イザベラの言葉が理解できず、真意を問いただそうとしてミュウも気付く。
 思えばタイミングが良すぎた。決闘の2日前というこちらにとって最悪のタイミング。その上、負傷したのはイザベラではなくレイモンド。しかも、よりによって利き腕である右腕。人のいいミュウにも、一つの推測が成り立ってしまう。

「……襲ってきた連中がボルホード家のさしがねだったってこと?」

「そういう可能性もあるということですわ。もっとも、うちは政敵が多いので、運悪くほかの手の者がこのタイミングで仕掛けてきたのかもしれませんが……」

 そういえば、以前に誘拐されたのも、イザベラと間違われたためだったことをミュウは思い出す。没落貴族の自分と違い、有力貴族の令嬢ともなると、計り知れない危険に常にさらされているのだということを思い知らされる。

「…………」

 何もかける言葉を見つけられず、ミュウは押し黙る。
 自分とは違い、イザベラはこれまでも様々なものと戦ってきたのだろう。当初婚約を受け入れたのも、そういった経験を踏まえた上での判断だったのだと今ならミュウにも想像できる。
 それだけに、自分の提案で、今回の決闘に期待を持たせてしまったことに罪悪感を感じてしまう。最初から諦めることよりも、一度期待してから諦めることのほうが、より絶望に近い。

(考えろ、私! きっと何か手があるはずだよ! このままじゃ終われない! 終わらせてたまるか!!)

「……自分の立場がわかっているのに、不用意に街に出た私にも責任があります。もっと護衛をつけるか、せめてレイモンドを屋敷に待機させていればこんなことには……」

「イザベラ様に責任はありません。私にはまだ左手があります」

「左手って……そんな状態で戦うつもりですか!? 決闘は辞退を申し入れますわ。今のレイモンドに戦わせることはできません」

「お待ちください! 片手でも十分にイザベラ様の剣闘士としての務めを果たしてみせます!」

「できませんわ! 不本意な戦いであなたが負ける姿なんて……私は見たくありません……」

「イザベラ様!」

「ごめんなさい、レイモンド……」

「そうだ!」

 二人の世界を繰り広げていたイザベラとレイモンドだったが、ミュウの叫びで我に返り、二人そろってミュウに視線を向ける。

「向こうは剣闘士の変更は認めるって言ってるんだから、代わりの剣闘士に戦ってもらえばいいんだよ!」

「代わりの剣闘士って、急にそんな簡単に見つけられるものではありませんわ。第一、そのあたりのフリーの剣闘士ではリチャード卿の相手になんてなりません。レイモンドに匹敵するくらいの剣闘士でもいれば別ですけど、そんな人、どこを探したっているわけないですか……」

「何を言ってるのよ、イザベラ。いるじゃない、レイモンド相手に3回に2回は勝てる剣闘士が」

「そんな剣闘士がいるわけ――」

 そこまで言って、イザベラは誰かに思い当たったのか、言葉を止めた。
 そして、ミュウ、イザベラ、レイモンドは三人一斉に、ある人物に顔を向ける。

「ええ!? 俺!?」

 急に三人の視線を受けたシャザークが素っ頓狂な声を上げた。
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