上 下
20 / 42

第20話 新月の二人

しおりを挟む
 いつかのように、ミュウとシャザークは二人並んでまたバルコニーから夜の空を見上げた。
 新月のため夜空に月の明かりはないが、その分星たちの輝きはいつも以上にきらびやかで、どこか神秘的にさえ思える。
 バルコニーで横に並んでからは、シャザークの様子は普段通りだった。
 しかし、なぜか紅目紅髪の姿はいまだに解かれていない。

「……で、その身体は一体なにがあったんだ?」

「それが、私にもわかんないのよ! 眠れないなーって思ってたら、身体が急にむずむずしてきて……気が付いたらこうなってたの!」

 ミュウはシャザークがもっと驚くかと思っていたが、ミュウの方に顔を向けず、シャザークは空に目を向けたまま静かに何か考えているようだった。
 ミュウはシャザークを横から見ても、その紅い髪と紅い目につい視線を向けてしまう。世間では畏怖の対象でしかないその特徴だったが、ミュウはそんなふうに感じたことは一度もなかった。むしろ、シャザークの紅い瞳は、どこまで澄んでいるようで、ついつい見惚れてしまう。

「……何時くらいのことだった?」

 このまま永遠に見ていてもいいかなと、ミュウは自分の体の異変も忘れて呆けていたが、自分が聞かれているのだと理解して我に返る。

「えっ……そうね。たしか、丁度日付が変わるか変わらないかくらいの時だったと思う」

 その時にちょうど時計を見たわけではなかったが、その前の眠れずにいたときに確認した時刻から考えれば、大きく間違っていることはないと思えた。

「……俺の悪魔憑きの力は、新月の夜には制御できなくなって、こうやって勝手に出てきてしまうんだ。丁度夜の0時くらいに」

(……ああ、それでずっとその姿のままなのね)

 ミュウはシャザークが元の姿に戻らないことにようやく合点がいった。

「ミュウもなにか心当たりはないか?」

 シャザークの言葉でミュウは心当たりを考えて、一つのことに思い当たる。

(思いつくことといったら、美夕からミュウに転生したことだよね。でも、転生前と同じアラサーの身体になるのならまだわかるけど、今のこの身体はもっと若いんだよね)

 この年代の身体には何も思い当たることがない。
 ミュウは首を捻ってさらに考え込む。

(今の10歳の私とアラサーの私との真ん中くらいってわけでもないし……。ん、10歳の私とアラサーの私を足して半分に割ったら……もしかしてこのくらい?)

「……どうした? なにか思い当たることでもあるのか?」

「んー、あるようなないような……」

 ミュウはさすがに転生の話をして信じてもらえるとは思えないし、そもそも自分が考えている今の若さの理由も思いつき程度なので、さすがに今その説明をする気になれなかった。

「でも、どうしようこの身体。急にこんな大きくなったら、みんな驚くよね。……シャザークもびっくりした?」

「……そうだな」

 シャザークの顔が少し赤くなったが、ミュウはそのことに気付かない。

「だよねー。突然大きくなってたら普通驚くよね」

「……いや、大きくなってたことより……ミュウがすごく綺麗だったから……」

「――――!?」

 シャザークの口から出るとは思わなかった言葉に、ミュウは我が耳を疑う。

(綺麗って言った!? 今、綺麗って言った!?)

 頭の中でシャザークの言葉を反芻すると、ミュウの顔は自分でもわかるくらいにどんどん赤くなっていく。
 慣れていない感情に、両手で頬を押さえて、わたわたしながら思わずその場で足踏みしてしまう。

(ちょっと、ちょっと何なのよ! 年上が好みじゃなかったの!?)

 その場で地団太踏むように恥ずかしがっていたミュウだったが、大きくなった身体と頭の運動感覚がまだ一致していないのか、ふいにバランスを崩し、よろけてしまう。

「あっ……」

 よろけたミュウをすかさずシャザークの腕が抱き止め、そのまま引き寄せた。
 ミュウはそのままシャザークに寄りかかり、見た目以上に逞しい彼の胸に顔を預ける。
 背中に回されたシャザークの腕に力が入るのが伝わってきて、自分が今抱きしめられていることをミュウは自覚する。

(ちょっと、ちょっと!? なんなのよ、この状況!?)

 さっきから頭が沸騰したように熱くなって、何も考えられなくなる。
 そんな状況なのに、ミュウの手はつかまるように自然とシャザークの背中に回っていた。
 そしてそのままシャザークと同じように腕に力を込める。

(お月様が見ていないからって、シャザークも、私も、こんなことするなんて……)

 月のない夜に二人で抱き合っていた。
 客観的に見れば、今の二人はそう表現するしかない状態なんだと、ミュウの頭の中の冷静な自分が分析している。
 抱かれて身体に感じる男の腕の力は、ミュウが今まで経験したことのないものだった。
 前の人生でもこんなふうに男の人に抱き締められたことは一度もない。
 男性の力がこんなに強いものだと、自分の身体で初めて実感する。
 そして、痛いほどきつく抱き締められているのに、それがまったく苦痛ではなく、強い分だけ守られているような満たされた嬉しさがこみ上げてくるのだと知ってしまう。

(ずっとこのままでいいかも……)

 そんなふうに考えてしまいながら、ミュウはシャザークの厚い胸に頬をうずめる。
 頬にはシャザークの激しい鼓動が伝わってきた。
 自分の心臓も、これまで経験したことないほど暴れているが、シャザークも同じなんだと、ミュウはなんだか嬉しくなる。

(もし、このまま私が顔を上げたら……)

 想像してしまう。
 抱き合う二人。
 そのまま女の子が顔を上げて、目を閉じたら――。
 世界が違っても、その時、男がすることなんて一つ考え付かない。

(……ついに私、初めて……キスしちゃう!?)

 心臓がさらに早鐘を打つ。
 ミュウはシャザークの胸から顔を少し離した。
 シャザークの顔を見上げる勇気はない。

(見てから目を閉じるなんて無理! でも、目を閉じたまま顔を上げるのなら……)

 ミュウはそのまま目を閉じた。
 あとはこのまま上を向くだけ――

(ついに、私……ファーストキスを……)

 口の中はもうカラカラだ。
 極度の緊張の中、ミュウがその顔を上げようとした時――

 少し前にベッドの中で感じた全身がムズムズする感覚が再びミュウを襲ってくる。

「ちょ……こんなときになに!?」

 言う間に、シャザークの顔が、胸が、だんだんと遠ざかっていく。
 ミュウはすぐに自分の身長が縮んでいるのだということに気付く。

(うそでしょ!? せめてもう少し待ってよ!!)

 無情にもミュウの身体は、すぐにいつもの大きさに戻ってしまった。
 見上げれば、シャザークの目と髪もいつもの色に戻っている。

「俺の場合、新月の影響を受けるのは、その力が一番強い0時から30分くらいの間だけなんだが……ミュウも同じようだな」

「……そういうことは、もっと早く言って欲しかったわ」

 元に戻れたことは嬉しい――が、今はそれ以上に残念な気持ちの方が上回ってしまっている気がした。

「まぁ、良かったじゃないか。俺と同じで新月の夜の一時的な変化みたいで」

「……そうね」

 少々不満は残るが、不安要素が解消したことには安堵する。
 それに、先ほどまでミュウの方にほとんど視線を向けていなかったシャザークが、今はいつものような態度で、視線もちゃんと向けてくれていた。
 普段通りのシャザークに戻ってくれたことにミュウをなんだか安心する。
 同時に、もしかしてシャザークは、さっきまでの成長した自分の姿に、まともに見られないほど照れてくれていたのかと、ついうぬぼれてしまいそうになる。

「……それにしても、シャザーク、さっきまで私の方を見ないようにしてたでしょ?」

 月が見ていないせいか、こんな夜には、女の子はちょっと意地悪したくなってしまう。
 年上の女性としての余裕から、「もしかして、意識していた?」と続けて、シャザークが困るところを見ようとしたミュウだったが、言葉を溜めている間に、先にシャザークが口を開く。

「いや……言おうかどうか迷ってたんだが、さっきまでのミュウは、身体だけ大きくなったせいで、脚がほとんど出てたし、胸だって……」

 その姿を思い出してしまったのか、シャザークが赤くなった顔をそむけてしまう。

「なっ……」

 想定外の言葉にミュウは言葉を失う。

(……意識していたんじゃなくて……私の恥ずかしい格好を前にして、単に目のやり場に困ってだけってこと!?)

 さっきまでの自分の姿も、勝手にうぬぼれていた自分も、全部恥ずかしくなる。
 転生前の感覚では、生足を見せるくらいどうということはないが、この世界では、生足は将来を約束した相手にしか見せてはいけないものとされている。
 いくら転生前の価値観を持っているとはいえ、ミュウはこの世界での知識もしっかりと有しているのだ。平気なはずがない。
 それに、女性の方から男性に自分の足を見せるというのは、相手に好意があると伝えるのと同義である。そのことを意識すると、ますます頭が沸騰してきてしまう。

「で、でも、こんな暗い夜に、そんなはっきりは見えて――」

 そこまで言って、ミュウはさっきまでのシャザークが、夜目も利く姿だということを思い出す。

(あの状態のシャザークは、昼間と同じくらいに見えるって言ってたっけ……。それって、さっきまでの露出度の高い私の姿をはっきり見られてたってことで……)
「シャ、シャザークのばかぁぁぁぁぁぁ!!」

 もう羞恥心が限界突破してしまったミュウは、目に涙を浮かべながら、一方的に吐き捨てて、自分の部屋に飛んで帰るしかなかった。

 そんなミュウの姿をシャザークは優しい目で見送り、彼女の部屋の扉が閉まった音を耳にすると、夜空に目を向けた。
 だが、彼の目には満天の星さえ映っていない。

「……あんな魅力的になるなんて……反則だろ」

 不覚にも心を奪われかけたミュウの姿を脳裏に思い出しながら呟いたシャザークの言葉は、夜風にかき消された。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】ヒロインはラスボスがお好き

As-me.com
恋愛
完結しました。 5歳の時、誘拐されて死にかけた。 でもその時前世を思いだし、ここが乙女ゲームの世界で自分がそのヒロインに生まれ変わっていたことに気づく。 攻略対象者は双子の王子(ドSとドM)に隣国の王子(脳筋)、さらには妖精王(脳内お花畑)! 王子たちを攻略して将来は王妃様?嫌です。 それとも妖精王と恋をして世界をおさめちゃう?とんでもない。恋愛イベント?回避します!好感度?絶対上げません!むしろマイナス希望! ライバルの悪役令嬢?親友です!断罪なんかさせるもんかぁ! 私の推しはラスボスの吸血鬼様なんだからーーーーっ!!! 大好きな親友(ライバル)と愛する吸血鬼(ラスボス)を救うため、 あらゆるフラグをへし折ろうと奮闘する、はちゃめちゃヒロインの物語。 ちょっぴり笑えるラブコメ……になったらいいな。(笑) ※第1部完結。続編始めました。 ※他サイトにも掲載しております。

派手好きで高慢な悪役令嬢に転生しましたが、バッドエンドは嫌なので地味に謙虚に生きていきたい。

木山楽斗
恋愛
私は、恋愛シミュレーションゲーム『Magical stories』の悪役令嬢アルフィアに生まれ変わった。 彼女は、派手好きで高慢な公爵令嬢である。その性格故に、ゲームの主人公を虐めて、最終的には罪を暴かれ罰を受けるのが、彼女という人間だ。 当然のことながら、私はそんな悲惨な末路を迎えたくはない。 私は、ゲームの中でアルフィアが取った行動を取らなければ、そういう末路を迎えないのではないかと考えた。 だが、それを実行するには一つ問題がある。それは、私が『Magical stories』の一つのルートしかプレイしていないということだ。 そのため、アルフィアがどういう行動を取って、罰を受けることになるのか、完全に理解している訳ではなかった。プレイしていたルートはわかるが、それ以外はよくわからない。それが、私の今の状態だったのだ。 だが、ただ一つわかっていることはあった。それは、アルフィアの性格だ。 彼女は、派手好きで高慢な公爵令嬢である。それならば、彼女のような性格にならなければいいのではないだろうか。 そう考えた私は、地味に謙虚に生きていくことにした。そうすることで、悲惨な末路が避けられると思ったからだ。

悪役令嬢の居場所。

葉叶
恋愛
私だけの居場所。 他の誰かの代わりとかじゃなく 私だけの場所 私はそんな居場所が欲しい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※誤字脱字等あれば遠慮なく言ってください。 ※感想はしっかりニヤニヤしながら読ませて頂いています。 ※こんな話が見たいよ!等のリクエストも歓迎してます。 ※完結しました!番外編執筆中です。

【完結済】王女様の教育係 〜 虐げられ続けた元伯爵妻は今、王太子殿下から溺愛されています 〜

鳴宮野々花
恋愛
 父であるクルース子爵が友人に騙されて背負った莫大な借金のために困窮し、没落も間近となったミラベルの実家。優秀なミラベルが隣のハセルタイン伯爵家の領地経営を手伝うことを条件に、伯爵家の嫡男ヴィントと結婚し、実家と領地に援助を受けることに。ところがこの結婚を嫌がる夫ヴィントは、ミラベルに指一本触れようとしないどころか、ハセルタイン伯爵一家は総出で嫁のミラベルを使用人同然に扱う。  夫ヴィントが大っぴらに女性たちと遊ぼうが、義理の家族に虐げられようが、全てはクルース子爵家のため、両親のためと歯を食いしばり、耐えるミラベル。  しかし数年が経ち、ミラベルの両親が事故で亡くなり、さらにその後ハセルタイン伯爵夫妻が流行り病で亡くなると、状況はますます悪化。爵位を継いだ夫ヴィントは、平民の愛人であるブリジットとともにミラベルを馬車馬のように働かせ、自分たちは浪費を繰り返すように。順風満帆だったハセルタイン伯爵家の家計はすぐに逼迫しはじめた。その後ヴィントはミラベルと離婚し、ブリジットを新たな妻に迎える。正真正銘、ただの使用人となったミラベル。  ハセルタイン伯爵家のためにとたびたび苦言を呈するミラベルに腹を立てたヴィントは、激しい暴力をふるい、ある日ミラベルは耳に大怪我を負う。ミラベルはそれをきっかけにハセルタイン伯爵家を出ることに。しかし行くあてのないミラベルは、街に出ても途方に暮れるしかなかった。  ところがそこでミラベルは、一人の少女がトラブルに巻き込まれているところに出くわす。助けに入ったその相手は、実はこのレミーアレン王国の王女様だった。後日王宮に招かれた時に、ミラベルの片耳が聞こえていないことに気付いた王太子セレオンと、王女アリューシャ。アリューシャを庇った時に負った傷のせいだと勘違いする二人に、必死で否定するミラベル。けれどセレオン王太子の強い希望により、王宮に留まり手当を受けることに。  王女アリューシャはミラベルをことのほか気に入り、やがてミラベルは王女の座学の教育係に任命され、二人の間には徐々に信頼関係が芽生えはじめる。そして王太子セレオンもまた、聡明で前向きなミラベルに対して、特別な感情を抱くように……。  しかし新しい人生を進みはじめたミラベルのことを、追い詰められた元夫ヴィントが執拗に探し続け────── ※いつもの緩い設定の、作者独自の世界のお話です。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

悪役令嬢らしく全てを奪われ、断罪されたはずなのになぜかヤンデレ従者に溺愛されてます

音無砂月
恋愛
※タイトル変更しました。 これで、ようやく手に入った。 もう、どこにも行かせない あなたには俺だけいればいい。 俺にはあなただけ。 あなたも俺だけでしょ。 それでも、どこかに飛び立とうとするなら手足をもいで籠に閉じ込めてあげる。

【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!

はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。 伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。 しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。 当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。 ……本当に好きな人を、諦めてまで。 幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。 そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。 このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。 夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。 愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。

死に戻った逆行皇女は中継ぎ皇帝を目指します!~四度目の人生、今度こそ生き延びてみせます~

Na20
恋愛
(国のために役に立ちたかった…) 国のため敵国に嫁ぐことを決めたアンゼリーヌは敵国に向かう道中で襲われ剣で胸を貫かれてしまう。そして薄れゆく意識の中で思い出すのは父と母、それに大切な従者のこと。 (もしもあの時違う道を選んでいたら…) そう強く想いながら息を引き取ったはずだったが、目を覚ませば十歳の誕生日に戻っていたのだった。 ※恋愛要素薄目です ※設定はゆるくご都合主義ですのでご了承ください ※小説になろう様にも掲載してます

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...