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プロローグ
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ねえ、どうして……?
お母様、お父様、どうして私を嫌うの?
ねえ、どうして?
私、毎日頑っているのに。
毎日お掃除もお洗濯も頑張っているわ。
なのにどうして?
どうしてお兄様もお姉様も、私のことが嫌いなの?
誰も私に話しかけてくれないの?
無視するの?
ねえ、どうして?
どうしてよ!
エメラルドグリーンの少女は、ひとりぼっちで泣いている。
5歳くらいだろうか。
まだ、世間を諦めていない歳である。
ブローディアを諦めていない歳である。
自分のことながら、私は他人事のように彼女を見つめていた。
可哀想な女の子。
両親に見捨てられ、あまつさえ無理やり自国を追放されるのよ。
どうしてそんなに奴らを愛することが出来るの?
「マーガレット」
「は、はい?」
夢から覚めた。いや、実際には考え事をしていたのだ。すっかり周りが見えないでいた。
「よく眠れたかい?」
相変わらず嫌味を爽やかに言う私の夫。
「おはようございます。殿下」
「おいおいおいおい。そこは、
『眠ってないわよ』
だろ? どうした? 緊張しているのか?」
「はいはい。眠ってないわよ」
「残念だなあ。妻が構ってくれなくなったよ」
私は夫の頬を軽く抓った。
「いい加減にしてちょうだい。今は取引中よ」
そして、その取引の相手に向き直って微笑む。
「すみません、夫がうるさくて」
「い、いえいえ……」
目の前には、かつて心の中でブタ共と蔑んだ連中がいた。彼らは数年前とは打って代わり、私を怯えた小動物のような瞳で見つめる。
私は思わず笑いそうになった。
「それで、大国ブローディアは私たちの国に資金援助をお願いしたい、と」
私はわざと、「大国」という言葉を強調する。
その皮肉に敏感に反応した貴金属の塊は顔を強ばらせるが、すぐに元の気持ち悪い媚びを売る笑みに戻った。
「は、はい。王妃はブローディアの姫でしたから。その縁もあり……」
「縁?」
「え、ええ」
「確かに」
私は僅かに微笑んだ。
「ブローディアの親族には、大変お世話になりましたわ」
「ほ、本当ですか!? それじゃあ……!」
ブローディアの金食い虫は、一様に期待の眼差しを私に向ける。
も、もう駄目だ。我慢出来ない。
私は小さく吹き出した。
「……? 王妃?」
「こらこらこら、どの口が『取引』だとか抜かしたんだか」
隣にいる夫がフォローを入れる。
「その辺はこれからブローディアの財政を調べていきますから。その後の話です。それと余談ですが、俺の妻は『王妃』ではなく、『王子妃』ですよ? こう見えてもマハナはまだ、俺の父親が国王です」
「ひっ……! す、すみません!」
馬鹿だ。
相変わらず馬鹿だ。
だってそんなこと、調べればわかるでしょ。
そんなことを思うが、こいつらにそうする脳がないのも、また事実だ。
「まあ、あなたが我がマハナの政治に全く興味がないのは、この際関係ないとして」
夫の言葉に、相手はもう本当に泣きそうになっていた。ぐしゃりと潰れたその顔は、とても汚い。
「取引については、」
ふとおもむろに夫は立ち上がった。つかつかと優雅な足取りで彼らに近づき、その形の良い唇を、まるまると太った油まみれの耳に近づける。
「……っ!」
「どうです? これが最善案です」
「そ、そんなはずは……! もっと他にあるでしょう!」
「もっと他にって。あんたらがお願いしてきたから、こっちはわざわざ席立ててやったんだよ」
夫の声色が低くなる。ブローディアの連中の顔が、恐怖に彩られた。
「では、今すぐ決めてください」
「そ、そんな……! 急に言われても」
「あのねえ」
夫はこちら側へ戻ってきた。もう、取り繕った尊重の声色はない。
「そういうの、全部あんたらのせいですよ? ここまでめちゃくちゃにしておいて、急に助けてくださいって言われても、もう手遅れなんだよ」
「そこをなんとか」
「それじゃ、お帰りください」
「ちょっと待ってください!」
夫に軽くあしらわれ、焦った彼らは、今度は私に焦点を当てた。
「マーガレット王子妃! あなたは先程、私たちが世話したとおっしゃっていましたね」
「あの、それただの嫌味なんですけど」
「馬鹿は治らないと聞くが、こうも馬鹿とは。なら、マーガレット。攻めても良いか?」
夫は私に向かって物騒なことを言う。
「駄目よ。あそこがいくら腐っているとはいえ、罪のない人たちがたくさん住んでるのよ」
「お優しいことで」
私は夫を無視し、一番の作り笑顔を彼らに向けた。
「さっきのが、私たちが提案する条件になります。大丈夫ですよ、悪いようにはいたしませんから」
悪いように、とは、こいつらの地位と命の保証ではなかったが、上手く勘違いをした連中は少しホッとした顔になった。
ブローディアの国王夫妻は帰って行った。きっと、世にも素晴らしい取引が出来たと喜んでいるだろう。あの自分たちの利益しか考えないような連中だ。もしかすると、既に脳内で話が作り変わっているのかもしれない。
「それにしても」
私は夫に向かって言った。
「こうも簡単に転がってしまうとは。さすがに私も良心が痛みます」
「そんなこと、思っていないだろ?」
彼はカラカラと快活に笑った。
「相変わらず性格が悪いなあ」
「あなたに言われたくはありませんよ」
「まあいい」
夫は私の手を取り、スっと撫でた。
「これで、あの国は我が国のものだ。ようやく魔力の時代は終わりを告げる」
私は、
「ええ」
とだけ言い、夫の手を強く握り返した。
お母様、お父様、どうして私を嫌うの?
ねえ、どうして?
私、毎日頑っているのに。
毎日お掃除もお洗濯も頑張っているわ。
なのにどうして?
どうしてお兄様もお姉様も、私のことが嫌いなの?
誰も私に話しかけてくれないの?
無視するの?
ねえ、どうして?
どうしてよ!
エメラルドグリーンの少女は、ひとりぼっちで泣いている。
5歳くらいだろうか。
まだ、世間を諦めていない歳である。
ブローディアを諦めていない歳である。
自分のことながら、私は他人事のように彼女を見つめていた。
可哀想な女の子。
両親に見捨てられ、あまつさえ無理やり自国を追放されるのよ。
どうしてそんなに奴らを愛することが出来るの?
「マーガレット」
「は、はい?」
夢から覚めた。いや、実際には考え事をしていたのだ。すっかり周りが見えないでいた。
「よく眠れたかい?」
相変わらず嫌味を爽やかに言う私の夫。
「おはようございます。殿下」
「おいおいおいおい。そこは、
『眠ってないわよ』
だろ? どうした? 緊張しているのか?」
「はいはい。眠ってないわよ」
「残念だなあ。妻が構ってくれなくなったよ」
私は夫の頬を軽く抓った。
「いい加減にしてちょうだい。今は取引中よ」
そして、その取引の相手に向き直って微笑む。
「すみません、夫がうるさくて」
「い、いえいえ……」
目の前には、かつて心の中でブタ共と蔑んだ連中がいた。彼らは数年前とは打って代わり、私を怯えた小動物のような瞳で見つめる。
私は思わず笑いそうになった。
「それで、大国ブローディアは私たちの国に資金援助をお願いしたい、と」
私はわざと、「大国」という言葉を強調する。
その皮肉に敏感に反応した貴金属の塊は顔を強ばらせるが、すぐに元の気持ち悪い媚びを売る笑みに戻った。
「は、はい。王妃はブローディアの姫でしたから。その縁もあり……」
「縁?」
「え、ええ」
「確かに」
私は僅かに微笑んだ。
「ブローディアの親族には、大変お世話になりましたわ」
「ほ、本当ですか!? それじゃあ……!」
ブローディアの金食い虫は、一様に期待の眼差しを私に向ける。
も、もう駄目だ。我慢出来ない。
私は小さく吹き出した。
「……? 王妃?」
「こらこらこら、どの口が『取引』だとか抜かしたんだか」
隣にいる夫がフォローを入れる。
「その辺はこれからブローディアの財政を調べていきますから。その後の話です。それと余談ですが、俺の妻は『王妃』ではなく、『王子妃』ですよ? こう見えてもマハナはまだ、俺の父親が国王です」
「ひっ……! す、すみません!」
馬鹿だ。
相変わらず馬鹿だ。
だってそんなこと、調べればわかるでしょ。
そんなことを思うが、こいつらにそうする脳がないのも、また事実だ。
「まあ、あなたが我がマハナの政治に全く興味がないのは、この際関係ないとして」
夫の言葉に、相手はもう本当に泣きそうになっていた。ぐしゃりと潰れたその顔は、とても汚い。
「取引については、」
ふとおもむろに夫は立ち上がった。つかつかと優雅な足取りで彼らに近づき、その形の良い唇を、まるまると太った油まみれの耳に近づける。
「……っ!」
「どうです? これが最善案です」
「そ、そんなはずは……! もっと他にあるでしょう!」
「もっと他にって。あんたらがお願いしてきたから、こっちはわざわざ席立ててやったんだよ」
夫の声色が低くなる。ブローディアの連中の顔が、恐怖に彩られた。
「では、今すぐ決めてください」
「そ、そんな……! 急に言われても」
「あのねえ」
夫はこちら側へ戻ってきた。もう、取り繕った尊重の声色はない。
「そういうの、全部あんたらのせいですよ? ここまでめちゃくちゃにしておいて、急に助けてくださいって言われても、もう手遅れなんだよ」
「そこをなんとか」
「それじゃ、お帰りください」
「ちょっと待ってください!」
夫に軽くあしらわれ、焦った彼らは、今度は私に焦点を当てた。
「マーガレット王子妃! あなたは先程、私たちが世話したとおっしゃっていましたね」
「あの、それただの嫌味なんですけど」
「馬鹿は治らないと聞くが、こうも馬鹿とは。なら、マーガレット。攻めても良いか?」
夫は私に向かって物騒なことを言う。
「駄目よ。あそこがいくら腐っているとはいえ、罪のない人たちがたくさん住んでるのよ」
「お優しいことで」
私は夫を無視し、一番の作り笑顔を彼らに向けた。
「さっきのが、私たちが提案する条件になります。大丈夫ですよ、悪いようにはいたしませんから」
悪いように、とは、こいつらの地位と命の保証ではなかったが、上手く勘違いをした連中は少しホッとした顔になった。
ブローディアの国王夫妻は帰って行った。きっと、世にも素晴らしい取引が出来たと喜んでいるだろう。あの自分たちの利益しか考えないような連中だ。もしかすると、既に脳内で話が作り変わっているのかもしれない。
「それにしても」
私は夫に向かって言った。
「こうも簡単に転がってしまうとは。さすがに私も良心が痛みます」
「そんなこと、思っていないだろ?」
彼はカラカラと快活に笑った。
「相変わらず性格が悪いなあ」
「あなたに言われたくはありませんよ」
「まあいい」
夫は私の手を取り、スっと撫でた。
「これで、あの国は我が国のものだ。ようやく魔力の時代は終わりを告げる」
私は、
「ええ」
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