龍神たちの晩餐

一花カナウ

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青の龍の物語

夕暮れの渓谷《完》

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(汝が願い、汝の肉体と引き換えに叶えよう。我が手足となり、命を全うせよ――か。あれが、青の龍神様だったのかしら。その使命を全うできればいいけど……)

 夕陽に染められる青の龍の像。ルルディは切り立った崖に背を預けて腰を下ろし、その静かな光景を眺めていた。

(もう、ここに戻ることはないのか……見納めだと思うと、ちょっと名残惜しいわね)

 強い風がルルディの髪をもてあそぶ。血が付着して塊を作り、いつものようにさらさらとは流れていかない。そんな髪を押さえ、自分の前に生まれた影に目をやった。

「――これで良かったのか?」

 声を掛けてきた人物は、初めて出会ったときと同じ正装をしていた。異国の魔導師であることを示す装束は、やはり彼に似合っているとルルディは思う。

「えぇ。だって、あたしが町に戻ったりしたら、困ることになるでしょ? 生け贄は、龍神様に捧げられるためにあるんですから」

 言って、ヘイゼルに笑いかけた。
 鎮魂と浄化の舞を踊りきり、どうやら魔物を追い払うことに成功したらしかった。見える辺りに魔物の姿も気配もなく、正常に魔術が発動したとわかると、ルルディはヘイゼルに頼んだのだった。つまり――無事に舞を踊りきり、生け贄としての最期を全うしたと神殿に伝えてくれと。
 ヘイゼルはルルディの頼みをすぐに引き受けてはくれなかった。まだ幼いルルディの感情や環境を配慮してのことだったのだろう。
 それでもルルディは押し切った。なぜなら、このまま生き残ったとなればこの町の人が不安がるとわかっていたからだ。たとえ生け贄の儀式がヘイゼルの言うように間違った解釈の元で行われてきたことだとしても、これまでの慣習とは異なることを彼らは良しとはしない。そうなれば、家族のみんなに迷惑がかかる。生け贄として死ぬことがわかっていた以上、別れは済ませてある。この町に未練はない――ルルディはヘイゼルをそう説得し、証拠として血液のついた羽衣を手渡したのだった。

「その様子ですと、話はうまく通ったみたいですね」

 ルルディはよいせと立ち上がる。舞での疲労もあって多少ふらつくが、動けないわけではない。

「混乱に乗じて誤魔化してきたような形になっちまったがな」

 答えて、ヘイゼルは肩をすくめる。

「――さて、ルルディ。君はこれからどうするんだ?」
「そうですね……」

 兄を追って旅に出たいと思ったルルディだが、お金も衣服も全くない状況であるのに気付いて途方に暮れる。

(死んだことにしたのはいいけど、その先のことを何にも考えてなかった……)

 このままでは野垂れ死んでしまいかねないと想像し、そんな自分の残念な姿を妄想してルルディは首をぶるぶると横に振った。

「……どうした?」

 ルルディの奇妙な行動にヘイゼルは眉間にしわを寄せて訝しがる。その反応を見てはっとしたルルディは、陽に染められるよりもより赤く頬を紅潮させた。

「い、いえ……その……」

 言い淀み、しかしそのまま口を噤んでいても始まらないのでルルディは続ける。

「……あたし、龍の伝説を追って町を出た兄に会いたいんです。生け贄として死ぬのを避ける方法を求めて旅をしているはずで……できるなら、あたしが生きていることを、生け贄の儀式の本当の意味を伝えて安心させてやりたいんです」
「なるほどな。それは素敵な目的だ」

 うんうんと頷くヘイゼル。それに対し、ルルディは俯いて血で染まったままの上着の裾をぎゅっと握った。

「で、でも……今のあたし、お金も持っていないし、服だってこんな有様で……町に顔を出すわけにも行きませんし……どうしたら……」

 情けなくて涙が出そうだった。ルルディは服を掴む手が細かく震えているのを見て、自分がどれだけ後先考えずに行動してしまったのか恥じる。

「――そうだな。まずは着替えるか」
「……はい?」

 涙で歪む視界。顔を上げると、ヘイゼルが何かを差し出しているのが目に入る。

「後ろ向いていてやるから、とりあえずそれを着ておけ。着替え終わったら、行くぞ」

 手の甲で目をこする。ヘイゼルから手渡されたそれを拡げると、一着の裾の長い上着だった。膝が隠れるほどに長いので、着てしまえば全身を覆うことができる。

「え、あのっ……行くって、どこへ?」

 彼が背を向けてしまったので、ルルディはもらった服に慌てて袖を通す。少々だぼっとしているが、着ていて変なところはない。むしろちょうど良いくらいだ。

「俺と一緒に来いよ。君一人で黒の龍と対峙する自信があるなら、無理には言わないけど」
「で、でも……」
「仕事で他の龍の祭りを訪ねて回らなきゃいけないが、君の兄貴を探す手伝いをするくらいの余裕はあるんだ。――どうする?」

(どうするって……)

 わずかの間逡巡するが、こんなに良い条件はほかにはない。いや、むしろ断る理由なんてあるだろうか。

(大丈夫。この人なら、信じられる)

 ルルディは、ヘイゼルの広い背に思い切って抱きついた。

「つ、ついていきます! ってか、お供させてください! 足手まといにならないよう、精一杯頑張りますからっ!」

 ルルディが大声で宣言すると、ヘイゼルはくるりと向きを変える。

「よーし。そうと決まれば、どこか水浴びができそうな場所で血を洗い落として、それから宿探しだな」

 言ってにこやかに笑むと、ヘイゼルはルルディを抱き上げた。

「はひゃっ!?」
「しっかり掴まっておけ。隣町まで魔法を使って飛んで行くから。野宿は嫌だろ?」
「は、はいっ!」

 首に手を回す。初めて彼と出会ったときに嗅いだ汗と埃の匂いに、何故か心臓がどくんと強く脈打つ。夕陽に照らされるヘイゼルの凛々しい横顔を見てなんだか照れてしまい、ルルディは彼の首筋に顔を埋めて見ないようにした。

(どうしちゃったんだろうな、あたし……)

 魔法が展開し、空中に浮かび上がる身体。赤く染まる渓谷を小さな影が舞ったのだった。

《了》
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