友人ミナヅキの難解方程式

一花カナウ

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人間並列計算機

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 彼に再会したのは、桜も葉が目立つようになってからだ。僕は念願の国立の理工学部に進むことになり、ちょうど新しい生活に馴染もうとしている頃だ。
 彼、皆月はストレートで私立大に進んだから学年は一つ上のはずである。元気そうな彼を偶然地元の駅で見つけたので声を掛けることにした。ちょっと自慢してやりたかったのもあるし、彼に助けてもらったお礼も言いたかった。受験に悩んでいたとき、彼らしい表現で励ましてもらったのだ。おかげで今の道がある。
「皆月!」
「よう」
 後ろから声を掛けると、皆月は振り向きながら軽く手を挙げた。彼の顔を半分以上隠すマスクは花粉症のためだろう。彼の涙目が苦笑している。
「いいなぁ、お前。元気そうで。大学はどうなった? ひょっとして専門?」
「国立に受かったよ。しかも理工。勝手に人の進路変えるなよ」
 からかうように言う皆月に、膨れて返す。相変わらずの様だ。皆月の台詞はいつも僕の気に障るが、それでも付き合いは長かった。
「おー。さっすがじゃん。俺が発破掛けたのが良かったかな?」
 ケケケと笑う。ちょっとバカにしているような感じがするのは何故か。
「少しは貢献してくれたかも」
 ふんっと鼻で笑って返す。これが僕流の彼に対するお礼の言い方だ。
「じゃあ、学校始まったばかりか。忙しいだろう? 気ぃ抜くと、すぐに置いていかれるぜ。理系は大変なんだ」
 腕を組んでオーバーに頷く。しみじみと言う様子に、僕は尋ねた。
「まだよくわかんない。取り敢えず、サークルに入って先輩との繋がりを確保しようかなーなんて下心を持っているところ。そっちは順調にやっているのか?」
 改札口を抜ける。空には一等星が浮かぶ。駅前の商店街は小さいくせして明るすぎる。電気の無駄遣いだと僕はいつもここを通るたびに思う。
「勉強は問題ない。単位落としている奴は、やる気ねーんだろーなぁ。何のために大学に来ているんだか。授業料もばかにならんのに」
 小さく溜息。ちょっと彼らしくない。他人のことなどどうでも良い彼なのだ。社交辞令くらいしか言わないし、ほとんどお愛想程度のボキャブラリーしかないと思っていたのに。明日は大地震でも襲ってくるのだろうか。
「……何か言いたげだな、お前」
 軽く睨んで皆月が言う。僕の心が読めたらしい。相手に意図的に伝えようとしているのではと思わせるぐらい、感情を隠すのは下手な僕ではあったが。
「まぁいーや。お前と俺の仲だし」
 にっと笑ったようだが、口元はマスクでわからない。目元が三日月形に笑んだ。
「つーわけで、ちょっと付き合ってくれよ。二百円までならおごる」
 さりげなく手首を掴まれる。
「けちくさいこと言うなよ」とは言うが、彼が予算の上限を小学校時代から変える気がないらしいことは付き合いの長い僕はよく知っていたし、たかるつもりもない。互いにその辺のことは熟知していた。付き合いが長いというのは、何というか……便利なようなそうでないような、とても微妙な問題だ。

   * * * * *

 近くのドーナツショップに入り、コーヒーを二つ頼む。カップを受け取ると小さなテーブルに向かい合って座る。
「できれば可愛い女の子が良いんだがナァ」
 席について開口一番にはいた台詞はそれだった。
「お前が強引に連れてきたんだろうが」
 リックサックを足下に転がし、コーヒーを飲む。熱いブラックが僕の好みだ。皆月は砂糖を少し入れてかき混ぜる。
「理工って女の子いないんだよなぁ。……って、そんな話がしたかったわけじゃない」
 マスクをはずしてコーヒーを一口。そして溜息。彼がどうしてこんな状態なのか、ようやっと分かった気がした。
「お前さぁ、学校に友達いないんじゃねーの?」
 皆月はいいタイミングでくしゃみをする。ポケットからティッシュを取り出し、鼻をかむ。まだ何も言わない。
 これは図星か?
「自分と同じレベルで会話できる人間が傍にいないものだから、僕を引っ張ったんだろう?」
 コーヒーを飲みながらちらりと見る。春とはいえまだ肌寒さが残るこの時季、ホットコーヒーは体を温めるのに最適だった。
「まさに以心伝心だな。我が愛しい部下よ」
 そこでくしゃみ。渋々マスクを着け直す。絶妙なタイミングでくしゃみが入ったので僕はツッコミし損ねた。
「いやぁ、世界のスピードには驚かされますな。俺の思考速度をはるかに上回っている。世界征服をするためには相手を真の意味で理解するところからだと思うんだが、奴もバカじゃない。あの手この手で拒んでくる。まだ女の子相手の方が何とかなりそうだ」
 そのあとの数行は口の中でぼそぼそ言うだけで台詞として認識されなかった。だいたい何を言っていたのかはわかるけど。
「世界征服、諦めりゃいいじゃん。まだ間にはいろいろな選択肢があるし、少しはレベルを下げることを学んだらどうだ?」
 呆れた。もう二十歳になろう年齢のくせに、未だにそんな野望を抱き続けていたとは。
 しかしバカらしく思う反面、ちょっと憧れたりする。そういう信念のようなものは、僕には全くないからだ。格好良いという感情ではないが、特定の職業の名前だけに憧れて実体を見ようとしない連中よりはまとものように感じる。こういう思考を持つ僕はやっぱりずれた場所に身を置く存在だろうか。
「それじゃあ本末転倒だ。高い目標があってこそ、俺の心は満たされる。小さいハードルをこつこつ跳び越えていくのは性に合わない。問題にしたいのはそういう個人的な事じゃなくて、もっとグローバルな内容だ」
 人差し指を軽く振る。いつものように決まらないのはマスクの所為だろう。花粉症にはなりたくないな、などと本題とは無縁のことを考える。
「で、それがどうしたって言うんだよ」
 合いの手を入れてやる。話を促して短くまとめさせる機能を持つと信じている。
「思っているように、物事は進まないなぁって。世界の加速、感じないか?」
 僕が黙って耳を傾けていると、皆月は続けた。
「移動時間は短縮されるし、情報の伝達速度はどんどん上がっていく。そうやって時間は切りつめられて、人間はじわじわと時間に支配されていく。時計や暦が時間を俺たちに知らせ、強制的に俺たちはそれに従わざるを得なくなる。現在はもっと正確に時間を区分けして動ける。秒単位の山手線みたいなもんだ。昔を生きた人間たちより、ずっと時間を有効に使えるだろうし、寿命だって長くなっているんだから、今の人間が一生使って処理している情報は何倍、否、何十倍にもなるのだろう。
 人口だって増えている。同時に処理できる情報は確実に多くなっているはずだ。だから急激に科学は、特にコンピューター分野は発展していく。まるで人間が一つの素子であるかのように、処理速度はどんどん向上し、世界がデジタル化されていく。でも……」
 皆月はカップの水面に視線を固定したまま言葉を切った。僕は静かに続きを待つ。彼がずっと何かをため込んでいたことがわかった。限界なのかも知れない。
「俺が望んでいることは、俺の知る、望んだ世界はそんなものじゃない。そんな機械的な人生を送りたくて生きてきたわけじゃない。世界は情報処理を望んでいるのか? 多種多様な生物を用意して、それぞれに別の計算を与えて、この世界を構成させて……それが世界の望んだモノなのだろうか?
 じゃあなんで俺のような人間がいるんだ?
 どうしてこんな事を不思議に思う人間が生まれて来るんだ?
 情報に縛られて、時間に縛られて、効率や能率の良い方法を考えて実行して……一体それが何になると言うんだ?
 子どもの頃からコードを書き換えられて、その処理活動に喜びを感じられるようにプログラムされて……同じ様な人間が量産されて……俺はよく分からない。俺はよく分からない。……よくわからない」
 花粉症による元々の鼻声の所為で、彼が泣いているのかどうかわからない。でも、彼のいわんとするところは理解できた。実に彼らしい悩みだ。自分の思想のために生まれる悩み。ちょっと贅沢なもののように感じる。
 いつになく僕は真剣に彼を受け止める気になった。人間は一つの計算機になろうとしている、それが彼の言いたいことだ。そしてそれは、かなりグロテスクに感じられた。何で機械的に考えると、無個性に思えるのだろう。無個性であること、それが僕にとっての脅威だった。
「……いいんだよ、それで。お前が世界征服を成し遂げた暁には、その問題が解決されるだろう。疑問に思う奴がいなきゃいけないんだと思うよ、僕は」
 目の前の彼は動かない。視線はまだ固定されたままだ。珍しく、かなりのショックを受けたようだった。
「少しは落ち着いたか?言葉として出力して、応答があるってのは良いことだろう?」
「……」
 こくりと小さく頷く。
「お前が機械音痴じゃなけりゃ、ネットで面白い議論ができたかも知れないのに、何だか勿体なく思えると同時に、それが一番いいように思えるよ。お前はお前だから存在していて良いんだからよ」
 昔から皆月は変わらない。それは長い付き合いだから知っている。僕は周りに流され過ぎた。影響されて、焦ったりして。流行はやっぱり気になるし、周りの目だってそれなりに考える。だから大学も最後まで国立に拘ってしまったし。
 だけど……こうして皆月に会う度に、どこかが修正されて、ある場所までリセットされる。僕はどこかで彼に救われているし、それを望んでいるのかも知れない。僕には選択肢があった。彼を見かけたとき、彼に声を掛けるか無視をするか。彼はたぶん僕を見かけても干渉しては来ないだろう。そういう人間だ。引っ掛かってくる人間には世話を焼くが、引っかけてくることはない。それが皆月という人間のパーソナリティ。
「お前、やっぱりいい奴だな。どうしてそういう言葉を俺に掛けることができるんだ? 以心伝心? 昔は一つのモノだったとか言うオチ?」
 ケケケっといつも通りに彼は笑う。マスクで隠れた部分はわからない。目元だけが三日月形に笑っている。
「それはちょっと勘弁して欲しいなぁ」
 わざと嫌な顔をして答える。これが僕たちの付き合い方だ。このくらいの距離にある方がいいのかも知れない。たまに会って話すぐらいが。
「言った俺もそう思う」
 くくくっと腹を抱えて笑うだけ笑うと、マスクを下げてコーヒーを飲み干す。僕はリックサックを掴んだ。
「それじゃあ帰るべ。明日もまだあるし」
 皆月が立ち上がるのを見計らって合わせる。
「おうさ。たまには寄り道ぐらいしないとね」
 人間はデジタル化しているのだろうか。情報が劣化しないように、できるだけ単純化され、曖昧なものを省いていく。人間も、物事も、同じように記号化され、認識されていくのだろうか。そして処理速度がまた飛躍的に上がるのだろうか。一体その世界はどんなものなのか。僕はついていけるのだろうか。この世界は答えを内包したまま、まだ明かそうとしていないのは事実。――僕はそう考えている。
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