上 下
133 / 309
面倒ごとは金剛石の隣で【第2部完結】

*1* 10月12日土曜日、早朝

しおりを挟む
 十月十二日土曜日、早朝。
 いつもとは異なる場所で眠ったからか、こうは早くに目が覚めた。ブラインドの隙間から陽射しがこぼれている。三連休の初日は行楽日和と言えそうだ。

 ――お出掛けしたいところだけど、テスト前じゃそうは言っていられないか……。

 〝氷雪の精霊〟探しのために、ろくに勉強は進んでいない。ましてや、宝石知識テストを中間テスト前にこなさなければならないのだ。いろいろな命運がかかっているだけに、少しも手を抜けない。
 紅は抜折羅ばさらが部屋にいない間に着替えを済ませる。習慣で確認したスマートフォンに新着通知はなく、あれから特に連絡が必要なことは起きていないようだ。時刻は七時半を回って、紅は抜折羅の様子を見に行くことにした。
 事務所側に繋がる扉を軽くノックする。少し待つが応答はない。

 ――まだ寝ているのかな?

 抜折羅の寝顔を想像すると、妙にわくわくした。

 ――ってか、あたしってば寝顔見られすぎじゃない?

 気絶したところを抜折羅には何度も助けてもらっているし、蒼衣あおいも同様だ。遊輝ゆうきに至っては寝込みを二度も襲われている。

 ――無防備すぎる……気を付けよう。特に、白浪しらなみ先輩には。

 ため息をつきそうになるのを堪えて、もう一度扉を叩く。扉に耳を付けて中の様子を窺うが、とても静かだ。

「入るよー?」

 鍵を回してそっと中に入る。薄暗い室内、三人掛けのソファーに抜折羅の姿があった。毛布にくるまるようにして、小さく丸まって眠っている。大型犬が寝ているみたいな印象だ。

 ――なんで丸まってるんだろ? 寝にくかったのか、寒かったのかしら?

 物音を立てないように注意して、抜折羅の近くに寄る。しゃがんで、彼の顔を覗き込んだ。

 ――こうして見ると、子どもっぽい感じがするのよねぇ。起きているときは気が張っているのか、そういう感じが薄れるけど。

 身長差のせいで見上げることが多いので、こうして同じ高さでまじまじと顔を見たことがないことに気付く。

 ――なんだか可愛いなぁ。藍染あいぞめ先輩ほどの童顔じゃないけど、ちょっと幼さが滲むくらいがぐっとくるかも。一年生の中で人気になっているのは、こういう部分もあるのかな。星章せいしょう先輩や白浪先輩ともタイプが違うし。

 寝顔を知っているというのは、わずかながら優越感を得られる。仕事で忙しくしていても、授業中にうとうとしているようなことがない彼だ。寝顔はかなり貴重のように思える。

 ――思っていたより睫毛長いんだなぁ。

 あまりにも心地良さそうに眠っているので、そんな抜折羅に触れてみたい衝動を覚える。

 ――頭撫でたらさすがに怒るかしら……? いや、待ちなさい、あたし。

 手を伸ばしかけて引っ込める。

 ――ここで悪戯いたずらしたら、白浪先輩と同類になるわ。自重しないと。

 ぐっと堪えると、抜折羅がもぞもぞっと動いた。唐突さに紅は身体をビクッとさせる。まもなく彼は目を開けた。
 ぼんやりとした眼が紅に向けられている。焦点が合っていないようでうつろだったが、急速に表情が変わった。

「……はぅっ!?」

 瞬時に退いて、抜折羅はソファーの背に背中をしたたかに打ちつけた。

「イテテ……」
「ご、ごめん、抜折羅。驚かすつもりはなかったの。大丈夫?」

 毛布を退かして背中をさすっている抜折羅に、紅は両手を合わせて謝る。こんな大袈裟な反応をされるとは思っていなかったのだ。悪いことをしたな、と紅は素直に反省する。

「あぁ、心配ない。――おはよう」
「うん、おはよう」
「ホープが妙にそわそわしてるから、何事かと思って目を開けたらこれか……何かあったか?」

 もうすっかり覚醒しているようで、普段顔を合わせているときと同じ雰囲気になっていた。なんとなくそれが残念に感じられるのはどうしてだろうか。
 抜折羅の問いに、紅は首を横に振る。

「早く目が覚めたから、様子を見に来ただけなの。起こすつもりもなかったんだけど……ごめんね。気持ちよさそうだったのに」
「気にするな。ぐーたらしている余裕もないしな」

 テキパキと毛布を畳み、抜折羅は背伸びをしている。寝起きは良い方のようだ。

「顔を洗ったら朝ご飯にしよう。飲み物、インスタントコーヒーで構わないか?」
「うん」

 紅は素直に頷く。お腹が空いた頃合だったので、抜折羅の提案は嬉しい。自然と顔が綻ぶ。

「紅はブラック派だよな、俺と同じで」

 毛布を私室に持って行きながらの抜折羅の確認。紅は目を瞬かせた。

「あれ? 確かにブラック派だけど、好みの話ってしたことあったっけ?」

 すぐに事務所側に戻ってきた抜折羅に紅は問う。

「んなの、見てりゃわかるさ」
「覚えるくらい見られていたってこと?」

 しれっと返されたので、紅は不思議に感じる。好みを把握されているとは考えてもみなかった。

「ストーカーみたいに言うなよ。たんに記憶力が良いってだけだ」

 そう答えて視線を外す抜折羅の頬は少し赤い。

「ふぅん、そっかぁ。変な言い方して悪かったわ。抜折羅が覚えてくれていたのは、嬉しかったのよ? あたしが告白するまで、あたし自身に興味がないのかと思ってたから」

 カードキーを持って部屋を出て行く彼の後ろにつきながら、紅は告げる。

「別に、興味がなかったわけじゃない。意識し始めたのは、だいぶ前だと思っているし」
「…………」

 そんな台詞を聞けるとは驚いた。照れくさくて、台詞に困る。

「……こんなふうに、紅を想うようになるとはな」

 ぼそりと聞こえてきた独り言。抜折羅の視線がチラリとこちらに向けられたのが紅にはわかった。

 ――訂正する。今朝の抜折羅は学校で会う抜折羅とはちょっと違う。

 ドキドキしてしまって、紅はぷいっと横を向く。その頭に抜折羅の手が載せられて、少し乱暴に撫でられた。

「ちょっ!?」

 不意打ちだ。こんな調子で触れられるのは初めてで、くすぐったくて、吃驚びっくりして戸惑って、無性に恥ずかしくて、耐えられないとばかりにその手を払う。何をしてくれるんだとばかりに恨めしく睨むと、抜折羅は微かに笑っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

完結【R―18】様々な情事 短編集

秋刀魚妹子
恋愛
 本作品は、過度な性的描写が有ります。 というか、性的描写しか有りません。  タイトルのお品書きにて、シチュエーションとジャンルが分かります。  好みで無いシチュエーションやジャンルを踏まないようご注意下さい。  基本的に、短編集なので登場人物やストーリーは繋がっておりません。  同じ名前、同じ容姿でも関係無い場合があります。  ※ このキャラの情事が読みたいと要望の感想を頂いた場合は、同じキャラが登場する可能性があります。  ※ 更新は不定期です。  それでは、楽しんで頂けたら幸いです。

【R-18】クリしつけ

蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

下品な男に下品に調教される清楚だった図書委員の話

神谷 愛
恋愛
クラスで目立つこともない彼女。半ば押し付けれられる形でなった図書委員の仕事のなかで出会った体育教師に堕とされる話。 つまらない学校、つまらない日常の中の唯一のスパイスである体育教師に身も心も墜ちていくハートフルストーリー。ある時は図書室で、ある時は職員室で、様々な場所で繰り広げられる終わりのない蜜月の軌跡。 歪んだ愛と実らぬ恋の衝突 ノクターンノベルズにもある ☆とブックマークをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

処理中です...