君は決められた婚約者

一花カナウ

文字の大きさ
上 下
8 / 11
可愛い僕の婚約者さま

駆け落ちがどうのとは?

しおりを挟む
 事情の説明は俺がするから、アルはテアを送ってくれ――そう告げて、ドロテウスはこの場を去った。
 静まった裏庭にテオドラとアルフレッドの二人だけが残された。

「あの……駆け落ちがどうのとは?」

 到着して告げられた言葉が引っかかっていた。

 どうして駆け落ちの心配を?

 向き合ってアルフレッドを見上げると、彼は苦笑していた。

「君が黙って姿を消したからだよ。テアが僕に知られたくないことと言ったら、そのくらいしか浮かばなかったんだ」
「駆け落ちなんてしませんよ。私にはアルお兄さまがいるんですから」

 テオドラとアルフレッドの間での隠しごとはほとんどないと言える。そんなアルフレッドに対して言えないことがあるとすれば、彼以外の人間と結ばれたいということだと早とちりするのはわからないでもない。

 恋愛感情がないのだとしても、婚約は婚約ですものね。それも相手に少しも瑕疵がないのに反故にするのなら、黙って行動するかもしれないわ。

 安心させるためにテオドラが微笑みながら話せば、アルフレッドはむすっとする。

「だが、最近テアに構ってやれてなかったし、政略結婚がどうのとか不穏なことを言うし、僕のことが嫌いになったんじゃないかって心配するだろうが」

 立派な成人男性らしからぬ子どもじみた態度に、テオドラはクスクスと笑う。
 昔からそうだ。八つも離れているというのに、彼はときどき同年代の少年のような振る舞いをする。それが自分だけに向けられているものらしいことに気づいたときから、密かに好感を抱いていた。

「私はアルお兄さまのことをずっと好いていますよ。心配するなんて、自信がないのですか?」

 いつだってアルフレッドは自分の中ではヒーローだ。困ったときには手を差し伸べてくれたし、窮地に陥れば必ず助けにきてくれた。

 今日はさすがに助からないんじゃないかと覚悟を決めてしまいましたけど。

 テオドラはアルフレッドに感謝している。心から信用している。それなのに、テオドラの好意を自覚できないなんてことがあるのだろうか。
 アルフレッドは真面目な顔をしてゆっくりと首を振った。

「それは家族愛のようなものだろう? ドロテウス兄さんに向けている気持ちと同じものじゃないか」
「え? ですが、アルお兄さまとは近い将来に家族になります」

 家族愛のようなものはある。アルフレッドとは物心がついたときからの付き合いであり、幼いころから親戚以上に親しくしてきた。彼がいない人生など、もう考えられない。
 首をかしげると、唐突にアルフレッドがテオドラの肩に手を置いた。右肩に左手が、左肩に右手がしっかり置かれて見つめ合う。

「それはそうなんだが、そういうことじゃなくて……」

 どうして口ごもるのか理解できない。

「アルお兄さまは、違うんですか?」

 アルフレッドはテオドラを可愛がってくれている。それこそ妹のように。ドロテウスがテオドラにしてくれることとそう大きく変わりがないことも、テオドラが自分は彼にとって妹みたいなものだと認識しているに違いないと考える根拠でもあった。

 恋人だったら、キスくらいはするもの。手だって手袋なしで握るものじゃないの?

 好きだと言われても、それは兄妹愛の延長線上のようにしか思えない。恋人になろうと言われたことはないし、愛を囁かれたこともない。徹底して身体に触れないようにしているのは、兄妹としての線引きゆえだと理解してきた。
 数年前ならそれでも充分だった。
 だけど、今は物足りない。
 はしたない令嬢だと言われてもいい。だが、好きな人にもっと触れてもらいたいと望むことは自然なことのはずだ。友人たちから恋人との逢瀬の話を聞かされて、自分の気持ちがおかしいことではないとわかった。
 それでも彼に気持ちを伝えるのははばかられる。アルフレッドが同じ気持ちじゃなかったらどうしよう。貞淑な妻を求めているのだとしたら、嫌われてしまうかもしれない。この関係が終わり、壊れてしまうことに恐怖した。

 ずっとそばにいたいのに、それが叶わなくなったら……。

 彼に会えなくなることよりも、彼に嫌われるほうがずっとずっと怖かったのだ。
 アルフレッドの言葉を待つ時間が長く感じられる。

「――僕は、心の底からテアと結婚したいと思っている」
「はい。私も思っていますわ。産まれたときからの約束ですもの」
「だからそういうことじゃなくて……」

 アルフレッドは苦悩の表情を浮かべている。

 なんか変なことを言ってしまったかしら? 思うままを言っただけなのに。

 こんなふうに悩むアルフレッドを見るのは初めてだ。

「あの……体調が悪いのですか? でしたら、無理はしないでもう休みましょう」

 普段の様子と違うのは、疲れが出ているからなのかもしれない。テオドラが提案すると、アルフレッドは意を決した目を向けた。

「?」

 言葉を待つと、勢いよく肩を引き寄せられて抱きしめられた。

「アル……お兄さま?」
「僕は君を愛しているんだ。こんなふうに抱きしめたり、キスしたり、肌に触れたりすることを望んでいる。子どもができるようなこともしたい。それは君を一人の女性として愛しているからだ!」
「あ、アル……?」

 回された腕に強い力がこもって、テオドラは彼の顔を見ることができない。
 アルフレッドの告白は続く。

「君に異性として意識してもらいたくていろいろ計画したんだけど、デーヴィッドのせいでぶち壊しにされた。その苛立ちを君にぶつけて卑怯なことをしているし、それ以上の卑怯なこともしたいって考えている。もう、テアにとっての兄じゃいられなくなる。僕は君の夫になりたいんだ」

 耳に押し付けられた胸から激しい鼓動が聞こえている。この告白をするのにどれだけの緊張を強いられているのかが、そこから察せられた。

 アル……。

「……卑怯なことなんてないです」

 テオドラは自由な腕を彼の背後に回して、アルフレッドを抱きしめ返した。

「私、あなたに触れてもらえる日を楽しみに待っていました。恋人になれないまま結婚するんだなって、寂しく思っていたんです。友だちは手を繋いだだのキスをしただのと報告してくるのに、私にはそういう経験がなかったから……みんなが羨ましかった」
「テア」

 名を呼ぶ優しい声に、心が震える。

「アルフレッドさま」

 兄としてではなく、一人の男性として感じたい。
 彼の名を呼ぶと顔を上げ、見つめ合う。
 互いを求めているのがそれだけで伝わってきた。

 キスは目を閉じるもの……ですよね?

 友人から聞いた話を参考にそっと目を閉じてみる。
 少し遅れて、チュッと音がした――額から。
 テオドラは慌てて目を開ける。恨めしそうににらむ前に、素早く唇を塞がれる。

「んっ……」

 初めてのキスは甘くてしょっぱくて、酸っぱい味がした。

「……あまり可愛いことをしないでくれ、テア。ここが外であることを忘れてしまうから」

 アルフレッドが困っているように感じるのだが、テオドラには理由がわからない。

「でも、裏庭はあまり人が立ち寄らない場所です。キスくらいなら心配いらないと思うんですが」

 不思議に感じて告げれば、アルフレッドから軽く突き放された。

「あのな。僕は、君のドレスを脱がすようなことをしそうだからこの辺でやめておこうって提案してるの。キスも初めてなのに、いきなりそれ以上のことはしたくないでしょ?」

 早口でまくし立てられるように説明された。
 テオドラは目を瞬かせる。

「そ、それは今すぐここでとなると嫌ですけど……アルフレッドさまがそうしたいっていうなら……その、私……」

 自分がしたいのだとは言えなくて、わざとまわりくどい言い方を選ぶ。
 こんな野外で素っ裸になりたいわけではない。だが、そういうこともあるらしいとは聞いていたので、自然と興味が湧く。なにより、ずっと触れようとしてこなかったアルフレッドが自分に触りたいというのであれば、どうにか叶えたいと思うものではなかろうか。

「うーん……むむ……」

 もじもじして答えたテオドラに、アルフレッドは文字どおりに頭を抱えて身もだえていた。

「……アルフレッドさま?」
「とりあえず、だ。間違いが起きないうちに移動しよう。今日は事件があったあとだし、帰っても問題ないはず。――テア、今夜はうちに泊まれよ」

 アルフレッドに誘われたことが心底嬉しかった。断るわけがない。

「はい」

 満面の笑みを浮かべる。期待してきた恋人っぽいことをするのだろうかと思うと、とてもドキドキした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【短編】最愛の婚約者の邪魔にしかならないので、過去ごと捨てることにしました

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「ディアンナ、ごめん。本当に!」 「……しょうがないですわ。アルフレッド様は神獣様に選ばれた世話役。あの方の機嫌を損ねてはいけないのでしょう? 行って差し上げて」 「ごめん、愛しているよ」  婚約者のアルフレッド様は侯爵家次男として、本来ならディアンナ・アルドリッジ子爵家の婿入りをして、幸福な家庭を築くはずだった。  しかしルナ様に気に入られたがため、四六時中、ルナの世話役として付きっきりとなり、ディアンナとの回数は減り、あって数分で仕事に戻るなどが増えていった。  さらにディアンナは神獣に警戒されたことが曲解して『神獣に嫌われた令嬢』と噂が広まってしまう。子爵家は四大貴族の次に古くからある名家として王家から厚く遇されていたが、それをよく思わない者たちがディアンナを落としめ、心も体も疲弊した時にアルフレッドから『婚約解消』を告げられ── これは次期当主であり『神獣に嫌われた子爵令嬢』ディアンナ×婿入り予定の『神獣に選ばれた侯爵家次男』アルフレッドが結ばれるまでの物語。 最終的にはハッピーエンドになります。 ※保険でR15つけています

年下の彼氏には同い年の女性の方がお似合いなので、別れ話をしようと思います!

ほったげな
恋愛
私には年下の彼氏がいる。その彼氏が同い年くらいの女性と街を歩いていた。同じくらいの年の女性の方が彼には似合う。だから、私は彼に別れ話をしようと思う。

【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!

はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。 伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。 しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。 当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。 ……本当に好きな人を、諦めてまで。 幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。 そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。 このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。 夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。 愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

コミカライズ原作 わたしは知っている

キムラましゅろう
恋愛
わたしは知っている。 夫にわたしより大切に想っている人がいる事を。 だってわたしは見てしまったから。 夫が昔から想っているあの人と抱きしめ合っているところを。 だからわたしは 一日も早く、夫を解放してあげなければならない。 数話で完結予定の短い話です。 設定等、細かな事は考えていないゆる設定です。 性的描写はないですが、それを連想させる表現やワードは出てきます。 妊娠、出産に関わるワードと表現も出てきます。要注意です。 苦手な方はご遠慮くださいませ。 小説家になろうさんの方でも投稿しております。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...