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第3章:欠席
ポプリと気持ち
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放課後。
新入生募集期間くらい部活に顔を出してから帰ったほうが良いだろうななんて朝は思っていたのに、気づいたときにはスペクターズ・ガーデンの前も通り過ぎていた。
――よーちゃん、元気になったかな?
自宅の前に着いたとき、スペクターズ・ガーデンに寄らなかったことを少しだけ後悔したが、それでもわざわざ引き返そうとは思わなかった。
――あとで電話してみようかな?
そんなことを考えながら玄関のドアを開ける。
「ただいまー」
鍵が開いていたということは、誰かが帰っているということである。まだ十七時前なので、帰っているとすれば小学生の妹たちだろうか。
――はぁ……。顔を合わせる前に部屋に引っ込んでおこうっと。
ため息をつきながら階段を上がろうと足をかけたとき、バタバタという盛大な足音とともに横からの衝撃を受けた。
「結衣ねぇ! おっかえりー!」
私の横にがっしと抱き付いているのは末っ子の遊枝(ユエ)だ。普段からテンションが高くてはち切れているが、今日は輪をかけて元気いっぱいだ。
「ねえねえっ聞いて聞いてっ!」
キンと響く甲高い声に憂鬱な気分になりながら、私は遊枝に顔を向ける。
「なんなのよ」
さっさと離れて欲しいと思いながら返事をすると、遊枝の顔がキラキラと輝いた。
「今日ね、今日ね、なんと告白されてしまったのですぅっ! キャー!」
恥ずかしげに頬を赤らめ、私の肩に顔を押し付ける。
「あ、そう」
「結衣ねぇ、テンション低すぎー!」
一瞬だけむっとした顔をこちらに向けたが、すぐにご機嫌顔に変わる。
「ね、うらやましい?」
「そういう話題は由奈姉ちゃんか悠(ユウ)に振りなさいよ」
なかなか遊枝が離れないので、力強くまとわりつく腕をなんとか外そうとするが、びくともしない。
――遊枝のバカ力……。
「だって、由奈ねぇはバイトで遅くなる日だしぃ、悠ねぇは学力テストがあるからって構ってくれないんだもん!」
「あぁ、もうわかった。ギブアップ! だから放してって」
私は不機嫌に言うが、遊枝は離れようとしない。それどころか、抱きついたまま私の首元に鼻先を近づけた。
「く……くすぐったいんだけど」
遊枝の前髪か私のセミロングの髪かはわからないが、毛先が首筋を掠めるせいでこそばゆい。
「結衣ねぇ、香水着けてる?」
「ふぇ? 着けてないよ?」
――いきなり何の話だ?
「お花の匂いがする」
「花? ――あ」
遊枝の説明に、私は何のことを言っているのかに気づいた。ポケットの中からポプリの入った匂い袋を取り出す。
「きっとこれの香りだよ」
「何? それ」
興味が匂い袋に移ったのか、遊枝はようやく私から離れ、手を出した。
「典兎さんに作ってもらったの」
差し出された手のひらに私は匂い袋を載せる。
遊枝はまじまじと袋を観察すると、鼻先に近付けて香りを確かめた。
「あ、この匂いだっ! ――すっごく良い匂いだね!」
「うん」
遊枝から返してもらった袋を自分の顔に近づける。少しは元気になれるだろうか。
「――そういえば、結衣ねぇはミロク兄ちゃんやノリト兄ちゃんたちと進展はないのー?」
「進展って、何の?」
「やだなぁ、好きとか付き合ってみようとか、そういうことだよ!」
――好きとか、付き合ってみようとか……。
私は昨日のことを思い出す。典兎さんのあれは本当にジョークだったのだろうか、なんてことを今さら考える。
「昨日だって、ノリト兄ちゃんに送ってもらったんでしょー? 知ってるんだぞっ!」
遊枝の部屋は通りに面している。あのとき部屋にいたなら私たちのやり取りを知っていてもおかしくはない。
「あれは弥勒兄さんが指示したの」
照れる様子もなく私が答えたものだから、遊枝は頬を膨らます。
「ユエ、つまんなーい!」
「つまらなくて結構」
邪険に扱いつつ、私は階段を上り始める。
遊枝は玄関前に立ったまま、また話し掛けてきた。
「ユエ、お兄ちゃんになるのは、ミロク兄ちゃんでもノリト兄ちゃんでもどっちでもいいよ? 二人とも格好いいしっ! 今のところノリト兄ちゃんが一歩リードかぁ。ミロク兄ちゃんってどちらかというとヘタレだからなぁ。こうも押しが弱くちゃ、付き合いの短いノリト兄ちゃんもチャンスありありだね!」
「はいはい」
遊枝に付き合っていると埒が明かない。適当に相槌をうって退散しよう。
「――結衣ねぇ?」
急に落ち着いた遊枝の声。
滅多に聞かないそんな声に反応して、私は階下の遊枝に視線を向ける。
遊枝の真面目な、少し苛立っているような顔が目に入った。
「ミロク兄ちゃんもノリト兄ちゃんも、結衣ねぇのことが好きなんだと思うよ? そんな態度じゃ、二人に悪いよ」
――あの台詞が本気だったのだとしたら。
「もう放っといて!」
私はぷいと向き直りさっさと階段を上ると部屋に入った。
スポーツバッグを机の隣に置くと二段ベッドの下側に寝転ぶ。
「……まさか、ねぇ」
典兎さんの台詞が響く。
『じゃあさ――僕の好きなコが君だって言ったら、付き合おうって気持ちになれる?』
――私は付き合おうという気持ちになれるだろうか。
胸がドキドキする。こんなことは初めてだ。
ポプリを顔に近付けて大きく吸い込む。典兎さんの雰囲気そのもののような優しくて穏やかな香りが鼻孔を掠める。
――だ、だめだっ! 思い出しちゃったら、落ち着けないよ!
むくっと起き上がり、ポプリを枕元に置く。
典兎さんが本気で言っていたのだとしたら、私はなんてひどいことを言ったのだろう。
――もうっ! どさくさに紛れて言うほうがいけないんだからねっ!
抱き上げた枕に顔を埋める。
「……典兎さん」
引っ掛かることがある。思い返すと、典兎さんは私と弥勒兄さんをくっつけたがっていたような気がするのだ。それなのに昨日の告白。私には理解できない。
――ま、好かれているなら嬉しいし、ドキドキしたけど。でも……。
典兎さんのことは好きだけど、果たしてそれは恋人になりたいとか恋人にしたいとか、そういう気持ちと同じなのだろうか。
――遊枝は弥勒兄さんも私のことが好きなんじゃないかと疑っていたけど、どうなのかな?
弥勒兄さんが私に優しくしてくれるのは、よーちゃんの友だちで、幼なじみみたいな関係で、妹みたいに想ってくれているからだと思っていた。それに私も本当の兄のように慕っていたのだから、てっきり向こうも同じだと思い、考えることもなかった。
――しかし、だ。
私は枕をベッドに置き、思考を切り替える。
――遊枝の勘違いだということも充分あり得るのよね。
ほぼ毎日のようにスペクターズ・ガーデンに行く私のほうが典兎さんとも弥勒兄さんとも顔を合わせているのだ。出掛けついでに覗きに行く遊枝がどれほど彼らを知っているのだろう。
――となれば。
私はベッドを出て、机の引き出しを開ける。そこには裁縫セットと布を含めたぬいぐるみ作成に必要な材料が入っていた。
――よーちゃんにはお見舞い用を、弥勒兄さんにはこの前車で送ってくれたお礼を、典兎さんにはポプリのお礼を作ろうっと。それで、よーちゃんのお見舞いついでに二人に渡して、それとなく探ってみるしかないよね。
引き出しの中からカラフルな布を引っ張り出し、何を作ろうかと考えながら早速作業に取り掛かった。
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