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第1章:進級
私のスーパーガール
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私の名を呼ぶ声に目を開ける。身体がだるい。
「ううん……」
「こんなところで寝ていたら風邪ひくよ?」
ほっとしているかのような聞き慣れた声。
――まさか!
「よーちゃんっ!」
私は椅子をひっくり返して立ち上がる。正面によーちゃんが立っていた。
――って、あれ? 私、緑色のぐにゃぐにゃに飲み込まれたはずじゃ……?
「落ち着きなさいって、結衣」
抱きつこうとしたが、間の机が体当たりで妨害してきた。いや、体当たりしたのは私のほうだけど。
「な、なんでよーちゃんが――」
それとなく辺りを見ると、二年四組の教室だとわかった。ここは窓際にある私の席だ。
太陽はだいぶ傾いていて、空は赤く染まりつつある。教室に掛けられた時計の針が五時過ぎを指していた。
「クラスの子から結衣が私を探していたって聞いたから」
返事は素っ気ない。
「で、でも……」
昨日のことや朝のことが蘇る。私はよーちゃんにひどいことをした。彼女は怒ってもおかしくないはずだ。
「なんでそんな顔をするの?」
首をかしげると、長い前髪の間から円らな瞳が覗いた。不思議そうな顔をしている。
「だって私は……」
なかなか謝る言葉が出てこない。私はよーちゃんを見つめたまま、口をパクパクとさせる。
するとよーちゃんはにこりと微笑んだ。
「もういーよ。結衣の気持ち、わかるから」
彼女は私の頭を優しく撫でた。
「よーちゃん……」
その手の温もりが心にしみる。
「結衣が間の悪い子だってこともわかっているからさ」
「ま、間の悪いって……」
私が少しだけむっとして口先を尖らせると、よーちゃんは笑顔のまま続ける。
「どれだけ付き合っていると思ってるの? 人生の半分以上、一緒にいた仲だよ? 言わなくても伝わることは多いんだからね」
ポンポンと軽く頭を叩かれると、おまじないをかけてもらったみたいにもやもやしていたものが消えていった。
「……ごめんね、よーちゃん。心配かけて」
やっと言えた。ごめんねの気持ちを素直に。
「もう慣れっこだから、気にしない」
やれやれといった様子でよーちゃんは笑う。
――優しいなぁ、よーちゃんは。
「さ、帰ろっか。そろそろ下校時刻だし」
「うん!」
私はスポーツバッグを手に取る。倒した椅子を戻すのも忘れない。
――あれ?
違和感がある。
椅子が倒れた辺りにシミのようなものがあった。液体をこぼしたようなそんなシミだ。蛍光灯の点けられていない夕暮れ時の教室ではその色まではよくわからなかった。
「ねぇ、よーちゃん?」
「何?」
すでに廊下のほうに向かっていたよーちゃんは振り向く。二つに結った長い髪の毛先が円を描いた。
「久しぶりに奇妙なモノを見たよ」
二人きりのときにしか話せない話題。今の教室には私たちしかいないので丁度良い。
「寝ぼけていたんじゃなく?」
真面目な私の口調に合わせるように、彼女も真剣に問いを返す。
「うん」
さっきのことなら夢だとも言えそうだが、昼休みのあれは確かにこの目で見た。
「どんなのだった?」
「私より大きな緑色のスライム」
かつて見えていたモノともどこか違って見えた。私が見てきた化け物は、どの子も近づいてこようとはしなかった。ただ見られるだけ、見つめ返してくるだけ。話しかけてくることすらなく、互いに干渉しないのが暗黙のルールのようだった。
――今日のあれは嫌な気配をまとっていて、私を飲み込もうとしてきた。あれは一体……。
「――やはりまだ……」
よーちゃんは何か思うところがあったらしく、ぼそりと呟く。他にも独り言を呟いていたけど、聞き取れたのはその言葉だけだった。
「最近はご無沙汰だったのに、まだ見えるものなんだね」
私は忘れ物がないかをチェックするとよーちゃんの傍まで早足で向かう。
「――見えなくなりたいの?」
よーちゃんがびくっと震えたような気がした。
「ううん、そういうわけじゃないよ。ただ、今日は怖いなって思ったから」
「怖い?」
「よーちゃんが私を起こしてくれるまで、その緑色のスライムに襲われる夢を見ていたの。結構怖かったな」
うん、あれは夢だ。きっとそう。自分の席で突っ伏したまんま寝ちゃっていただけだよね。昨日はショックであんまり眠れなかったし。
「夢ねぇ……」
「でもね、緑色のスライムに飲み込まれて、もうだめだなぁなんて思っていたら、よーちゃんが助けに来てくれたの! 夢はそこで終わっちゃったんだけど」
夢に出てきたのは絶対によーちゃんだ。姿は見えなかったけど、私を助けに来てくれるのはいつだってよーちゃんだもの。ピンチのときは必ず駆けつけてくれるスーパーガールだもんね。少なくとも、私の中では。
「私はどこぞのマンガの主人公か?」
苦笑気味によーちゃんは言う。しかし、嫌がっているというより照れているように感じた。
そんなよーちゃんが愛しく思えて、私はたまらず抱きつく。
「わっ!」
「よーちゃん、だぁいすき!」
私の行動が読めなかったのか、珍しくよーちゃんは驚いていた。それがまた嬉しい。
「な……なんだか兄さんに悪いような気がする……」
「ふぇ?」
よーちゃんの奇妙な呟きに、私の抱きしめていた腕がゆるむ。
そのタイミングを待っていたかのように、よーちゃんは私の腕をそっとはずした。
「抱きつかれたままだと帰れないってば」
「ごめーん」
ピタッとくっついていたところを適度な距離に移動する。
――いつものよーちゃんだ。
とっても安心する。よーちゃんとはずっとこの関係を続けていけたら良いな。
私たちは夕焼けに染まる教室を抜けて、典兎さんと弥勒兄さんがいるスペクターズ・ガーデンへと足を向けたのだった。
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