9 / 9
9
しおりを挟む取り敢えず引き返そうと歩みを向けたとき、交差点で見かけた女性がぼくに対してちょうど横向きに立っていた。ひやっとするすました顔で家のなんの変哲もない壁を見つめている。さっき後ろを確認したときにはいなかったはずだ。
しかもこの道はずっと先まで枝分かれすることなく続いている一本道。向こうからやって来たとすれば気が付かないはずがない。
見覚えのある傘を差している彼女はゆっくりとこちらに躰を向けた。
「傘、お忘れになっていましたから、届けようと追いかけてきました」
彼女はあのとき見せた笑みを浮かべ、ぼくの近くに寄ると取っ手を差し出した。
幻想的で、まだ夢を見ているような気がした。傘はぼくが風に持って行かせてしまったものだった。
「どうぞ」
「わざわざよかったのに」
諦めていた傘がそこにあって吃驚した。きっとぼくは驚きのあまり目を大きく見開いていたはずだ。
「もう充分に雨をお楽しみになったでしょう? これ以上躰を雨に晒すのは毒ですわ」
上品そうに言って彼女は差し出した。
「でもあなたも濡れてしまうでしょう? 家か、せめて雨をしのげる場所まで送りましょう」
ぼくは落ち着きを取り戻し、傘を受け取り声を掛ける。彼女は目をしっかりと合わせたまま、左手で拒否を示した。
「いえ、もとより傘など必要ないのです」
柄を確かに握ったのを確認すると、彼女はふわりと飛び退いた。重力を感じさせないしなやかな身のこなしにぼくは目を丸くした。
「私に魂を奪われてはなりませんよ」
正面から強い風。水を含んだスカートの端が重たげに揺れている。
「夢幻の中を彷徨いなさるな。この街に合わないとお思いならば、一度故郷に戻るといい。きっと夢から覚めることでしょう」
彼女の声は風の叫びに溶けた。
ぼくは傘を飛ばされまいとドームを正面に構えた。
風が止む。
おそるおそるあげた傘の先には一匹の白猫。その猫はぼくが「あっ」と声を出す前に茂みに入って消えてしまった。
よくまわりを見れば、ぼくはまだ商店街へと抜ける道の途中で十字路まででさえ辿り着いていないのだった。
しばらく状況を飲み込めずにいたが、ある考えがぼくの頭を埋めていった。
無性におかしくなってぼくは来た道を引き返すことに決めた。
その先にあるのは雨に浮かぶ見慣れた街だった。
0
お気に入りに追加
2
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
私をもう愛していないなら。
水垣するめ
恋愛
その衝撃的な場面を見たのは、何気ない日の夕方だった。
空は赤く染まって、街の建物を照らしていた。
私は実家の伯爵家からの呼び出しを受けて、その帰路についている時だった。
街中を、私の夫であるアイクが歩いていた。
見知った女性と一緒に。
私の友人である、男爵家ジェーン・バーカーと。
「え?」
思わず私は声をあげた。
なぜ二人が一緒に歩いているのだろう。
二人に接点は無いはずだ。
会ったのだって、私がジェーンをお茶会で家に呼んだ時に、一度顔を合わせただけだ。
それが、何故?
ジェーンと歩くアイクは、どこかいつもよりも楽しげな表情を浮かべてながら、ジェーンと言葉を交わしていた。
結婚してから一年経って、次第に見なくなった顔だ。
私の胸の内に不安が湧いてくる。
(駄目よ。簡単に夫を疑うなんて。きっと二人はいつの間にか友人になっただけ──)
その瞬間。
二人は手を繋いで。
キスをした。
「──」
言葉にならない声が漏れた。
胸の中の不安は確かな形となって、目の前に現れた。
──アイクは浮気していた。
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる