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第四話 生命の木
生命の木4
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合コンで連絡先を交換し、赤池からのラインや電話が頻繁にかかってくるようになると、私はすぐに元彼のことを思い出した。返信をしなければ問いつめられ、連絡がつかないことをなじられた。そんな記憶が蘇り、鳥肌が立った。着信音が鳴るたび、呼吸が浅くなり苦しくなった。赤池に連絡先を教えたことを私はすぐに後悔した。
デートの誘いを断り続ける私に、しかし赤池は諦めようとしなかった。
一度だけでも、という赤池の言葉に、頑なだった私も観念して誘いに応じた。私が一人暮らしをしているアパートに、バイクで私のことを迎えに来た赤池は、ヘルメットを取るとはにかんだ笑顔を見せた。
バイクの後ろに乗るのは生まれて初めてで、なんだか緊張した。ヘルメットを被り、赤池の背中に遠慮がちに掴まってみる。
「そんなに飛ばさないけど、しっかり掴まってて」
赤池の言葉に従い、彼の腰に回していた手に少し力を込める。バイクが走り出すと、すぐに風が体に吹きつけてきた。思わず腕に力が入る。横を走る車と速度はそれほど変わらないのに、いつも運転する車よりもスピードが早く感じられた。風を直接受けているため、体感速度が違うのだろう。
しばらく走り、車の通りの少ない道に入ると、それは一層強く感じられた。そして、叩きつける風の気持ちよさを感じた。流れていく景色が私の目に新鮮に映る。感じたことのない爽快感が私の体を駆け巡っていた。
海沿いまでやってくると、吹いてくる風もやはり海特有のものに変わっていた。潮風のにおいを感じながら遠くまで広がる海をバイクから眺め、なんだか不思議な体験をしているような気持ちになった。
その日は他に食事をしただけで、赤池は夕方には家まで送ってくれた。赤池は私に自ら触れてくるようなことはしなかった。バイクで私が赤池に掴まっていたことが唯一の触れ合いで、それも私がそうすることでしか生まれなかったことだった。
「今日は楽しかった。本当に、もし良かったらまた一緒にどこか行こうよ」
赤池のその言葉に、私は曖昧に頷いた。私のどっちつかずの返事に、しかし赤池は笑顔で手を振って去っていった。
罪なことをしているということはわかっていた。つきあうならつきあう。駄目なら駄目とはっきりさせるべきだ。それなのにこんなどっちつかずの態度を取っているのは、一番たちが悪い。しかしそのときの私はまだ、赤池とのことを決めかねていた。
赤池はそれからもラインや電話で連絡してきた。そして誘われた三回のうちの一回くらい、それに応じるようになっていった。
つきあっているのかどうか、お互いに微妙な関係を保ちながらも、私と赤池の関係は続いていた。元々インドア派だった私を、赤池はいつもバイクで外に連れ出した。海沿いや山沿いをバイクで走り抜ける。赤池の背中に掴まって、横に流れる様々な景色を見た。そんな光景が当たり前のようになり、赤池の背中がいつしか見慣れたものになっていった。
「結子ちゃん。誕生日いつ?」
赤池はいつの間にか、私のことを下の名前で呼ぶようになっていた。道の駅で一緒にソフトクリームを食べていると、赤池はそんなことを訊いてきた。
「十月二十九日だけど」
「って今月じゃん! 十月二十九日だな。よし、覚えた!」
「なにかくれるの?」
「そりゃあ、聞いたからにはあげるよ。欲しいものとかあったら教えて。それまでに準備しておくから」
赤池はそう言って笑った。私はまだ、赤池にすべて心を許してはいなかったが、少しずつ彼のことを受け入れつつある自分に気づき始めていた。
その夜、私は赤池のことについて考えてみた。きっと私は赤池のことを好きになり始めている。あの、私を思い続けてくれるひたむきさに、心を動かされ始めている。つきあってみてもいいのかもしれない。もうそろそろ、心を開いてみてもいいのかもしれない。
しかし、そう考えた次の瞬間、恐怖心で体の芯が震えた。
ふっと浮かんできたのは、元彼の狂気に満ちた顔だった。
どこかで私を元彼は見張っているのかもしれない。別の男とつきあおうとしていることを知ってしまったのかもしれない。
私はパニックになり、布団にくるまりがたがたと震えた。
私は元彼が手を上げて、私に暴力を振るおうとしている光景を思い出していた。元彼は別れる数ヶ月前から、私に暴力を振るうようになっていた。最初は軽いものだった。そのときは元彼もついはずみでやってしまったと謝ってきた。しかし、それも別れ話が深刻になるに従って、ひどくなっていった。
結局、最終的には友達に相談し、いろんな人の協力があって元彼とは別れることができた。
しかし、そのことは私にひどい男性不信の感情を植えつける形となった。男の人と交際することが恐ろしかった。また暴力を振るわれるのではないかと、すぐに考えてしまう自分がいた。
赤池だってわからない。今はああして安全な男のふりをしているけれど、いつ変貌してしまうかわからない。怖い。怖い。恐ろしい。
ぶたないで。私をぶたないで。
赤池にラインでもう会わないという内容のメッセージを送った。返事はすぐには来なかった。布団にくるまり、恐怖心を落ち着かせようと深呼吸をした。
哀しいという気持ちはあった。しかし、これで良かったのだと思う。赤池もこれで、私のことなんか忘れて他の人に気持ちを切り替えることができるはずだ。
しばらくして、外からかすかにエンジン音が聞こえてきた。そして携帯電話が鳴り響いた。着信は赤池からだった。
電話に出ると、外にいるというので、軽く羽織るものを着て私は外に出た。
夜のアパートの駐車場で、赤池がバイクに跨っていた。赤池は私に気がつくと、バイクから降り、私の元へと近づいてきた。メッセージのことについてなにかを言われるのだろうと思っていた私は、赤池の次の行動に面食らった。
赤池は私を見据えたまま、私の腕を引き、その腕の中に抱きしめた。拒絶する暇もなかった。
「会わないなんて言うな。せっかく君との距離が縮まってきたと思ったのに」
赤池はそう言うと、力強く私のことを抱きしめた。私はその温かな胸の中で、彼の鼓動の音を聴いていた。早鐘を打つ彼のリズムが私のものと重なり、私は自分の腕をゆっくりと彼の背中に回した。
もう会わないつもりだったのに、あれが最後だと思っていたのに。込みあげてくる切ないなにかに、胸が苦しくなった。
「大好き」
気がついたらそう言葉に出していた。受け入れてしまったら、もうあとはたやすく心はそのことで占められていった。
赤池は私の言葉に驚いたような顔をして、私の顔を見つめてきた。私はそれを見て微笑むと、そっと彼の唇に自分のそれを重ねた。
デートの誘いを断り続ける私に、しかし赤池は諦めようとしなかった。
一度だけでも、という赤池の言葉に、頑なだった私も観念して誘いに応じた。私が一人暮らしをしているアパートに、バイクで私のことを迎えに来た赤池は、ヘルメットを取るとはにかんだ笑顔を見せた。
バイクの後ろに乗るのは生まれて初めてで、なんだか緊張した。ヘルメットを被り、赤池の背中に遠慮がちに掴まってみる。
「そんなに飛ばさないけど、しっかり掴まってて」
赤池の言葉に従い、彼の腰に回していた手に少し力を込める。バイクが走り出すと、すぐに風が体に吹きつけてきた。思わず腕に力が入る。横を走る車と速度はそれほど変わらないのに、いつも運転する車よりもスピードが早く感じられた。風を直接受けているため、体感速度が違うのだろう。
しばらく走り、車の通りの少ない道に入ると、それは一層強く感じられた。そして、叩きつける風の気持ちよさを感じた。流れていく景色が私の目に新鮮に映る。感じたことのない爽快感が私の体を駆け巡っていた。
海沿いまでやってくると、吹いてくる風もやはり海特有のものに変わっていた。潮風のにおいを感じながら遠くまで広がる海をバイクから眺め、なんだか不思議な体験をしているような気持ちになった。
その日は他に食事をしただけで、赤池は夕方には家まで送ってくれた。赤池は私に自ら触れてくるようなことはしなかった。バイクで私が赤池に掴まっていたことが唯一の触れ合いで、それも私がそうすることでしか生まれなかったことだった。
「今日は楽しかった。本当に、もし良かったらまた一緒にどこか行こうよ」
赤池のその言葉に、私は曖昧に頷いた。私のどっちつかずの返事に、しかし赤池は笑顔で手を振って去っていった。
罪なことをしているということはわかっていた。つきあうならつきあう。駄目なら駄目とはっきりさせるべきだ。それなのにこんなどっちつかずの態度を取っているのは、一番たちが悪い。しかしそのときの私はまだ、赤池とのことを決めかねていた。
赤池はそれからもラインや電話で連絡してきた。そして誘われた三回のうちの一回くらい、それに応じるようになっていった。
つきあっているのかどうか、お互いに微妙な関係を保ちながらも、私と赤池の関係は続いていた。元々インドア派だった私を、赤池はいつもバイクで外に連れ出した。海沿いや山沿いをバイクで走り抜ける。赤池の背中に掴まって、横に流れる様々な景色を見た。そんな光景が当たり前のようになり、赤池の背中がいつしか見慣れたものになっていった。
「結子ちゃん。誕生日いつ?」
赤池はいつの間にか、私のことを下の名前で呼ぶようになっていた。道の駅で一緒にソフトクリームを食べていると、赤池はそんなことを訊いてきた。
「十月二十九日だけど」
「って今月じゃん! 十月二十九日だな。よし、覚えた!」
「なにかくれるの?」
「そりゃあ、聞いたからにはあげるよ。欲しいものとかあったら教えて。それまでに準備しておくから」
赤池はそう言って笑った。私はまだ、赤池にすべて心を許してはいなかったが、少しずつ彼のことを受け入れつつある自分に気づき始めていた。
その夜、私は赤池のことについて考えてみた。きっと私は赤池のことを好きになり始めている。あの、私を思い続けてくれるひたむきさに、心を動かされ始めている。つきあってみてもいいのかもしれない。もうそろそろ、心を開いてみてもいいのかもしれない。
しかし、そう考えた次の瞬間、恐怖心で体の芯が震えた。
ふっと浮かんできたのは、元彼の狂気に満ちた顔だった。
どこかで私を元彼は見張っているのかもしれない。別の男とつきあおうとしていることを知ってしまったのかもしれない。
私はパニックになり、布団にくるまりがたがたと震えた。
私は元彼が手を上げて、私に暴力を振るおうとしている光景を思い出していた。元彼は別れる数ヶ月前から、私に暴力を振るうようになっていた。最初は軽いものだった。そのときは元彼もついはずみでやってしまったと謝ってきた。しかし、それも別れ話が深刻になるに従って、ひどくなっていった。
結局、最終的には友達に相談し、いろんな人の協力があって元彼とは別れることができた。
しかし、そのことは私にひどい男性不信の感情を植えつける形となった。男の人と交際することが恐ろしかった。また暴力を振るわれるのではないかと、すぐに考えてしまう自分がいた。
赤池だってわからない。今はああして安全な男のふりをしているけれど、いつ変貌してしまうかわからない。怖い。怖い。恐ろしい。
ぶたないで。私をぶたないで。
赤池にラインでもう会わないという内容のメッセージを送った。返事はすぐには来なかった。布団にくるまり、恐怖心を落ち着かせようと深呼吸をした。
哀しいという気持ちはあった。しかし、これで良かったのだと思う。赤池もこれで、私のことなんか忘れて他の人に気持ちを切り替えることができるはずだ。
しばらくして、外からかすかにエンジン音が聞こえてきた。そして携帯電話が鳴り響いた。着信は赤池からだった。
電話に出ると、外にいるというので、軽く羽織るものを着て私は外に出た。
夜のアパートの駐車場で、赤池がバイクに跨っていた。赤池は私に気がつくと、バイクから降り、私の元へと近づいてきた。メッセージのことについてなにかを言われるのだろうと思っていた私は、赤池の次の行動に面食らった。
赤池は私を見据えたまま、私の腕を引き、その腕の中に抱きしめた。拒絶する暇もなかった。
「会わないなんて言うな。せっかく君との距離が縮まってきたと思ったのに」
赤池はそう言うと、力強く私のことを抱きしめた。私はその温かな胸の中で、彼の鼓動の音を聴いていた。早鐘を打つ彼のリズムが私のものと重なり、私は自分の腕をゆっくりと彼の背中に回した。
もう会わないつもりだったのに、あれが最後だと思っていたのに。込みあげてくる切ないなにかに、胸が苦しくなった。
「大好き」
気がついたらそう言葉に出していた。受け入れてしまったら、もうあとはたやすく心はそのことで占められていった。
赤池は私の言葉に驚いたような顔をして、私の顔を見つめてきた。私はそれを見て微笑むと、そっと彼の唇に自分のそれを重ねた。
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