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第二話 花の記憶
花の記憶5
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恋する気持ちというのは、不思議だ。ふとすると、好きな人の顔が頭に思い浮かぶ。知らず知らず目でその人を追ってしまう。その人のことを考えるだけで、切なくなる。好きだという気持ちは、日々大きくなって、体中がその想いに満ちていく。友恵もこんな気持ちなんだろうか。
「それ、可愛いね」
ある日、バスに乗って学校へ向かっていたときのことだ。私の携帯電話についていたストラップを見て、そう友恵が言った。
「あ、うん」
うっかり友恵の前でそれを見せてしまった自分の思慮の足りなさに、歯がみしたくなった。
「どこで買ったの?」
「えっと、もらったの。親戚のおばさんに」
咄嗟にそんな嘘をついてしまった。ちょっと下手すぎただろうか。しかし、友恵はその言葉を信じてくれたらしい。
「へーえ。いいな。テニス部って感じがして」
私は無理遣り愛想笑いを浮かべていた。
その日の部活帰り、友恵と一緒にバス停に向かって歩いていると、その横に自転車が通りかかった。
「お。伊藤さんに三浦さんじゃん。お疲れさん」
谷村先輩が私たちに気がついて、自転車を降りて隣につけてきた。
「あ、先輩。お疲れ様です」
「お疲れ様です」
私と友恵は驚きつつも、谷村先輩にそう言って、ぺこりと会釈した。こんなふうに声をかけてもらえることに、嬉しさと共に動揺が胸に広がった。
「自転車直ったんですね」
私がそう言うと、谷村先輩は軽くチリンとベルを鳴らした。
「やっぱ愛車がないと、不便なもんだね。ちょっと出かけたいときにはこいつがないと困るよ」
「先輩毎日自転車漕いでましたもんね」
と友恵が嬉しそうに話す。
「よく知ってるね」
「学校から家まで自転車でどのくらいかかるんですか?」
「んー。三十分くらいかな?」
「結構ありますね」
「そう? ちょうどいいくらいだと思うけど」
友恵は先日谷村先輩と話したことで少し慣れたのか、テンポよく会話をしている。確実に谷村先輩との距離を縮めていっている。親友として喜ぶべきなのだろうが、複雑な気分だった。
「伊藤さん。そういえば、あれ気に入ってくれた?」
谷村先輩にそう言われ、どきりとした。
「……はい。すごく気に入りました。ありがとうございました」
友恵の前で、こんな会話をしてしまっていいのだろうか。うろたえる態度が表面に出ないように気をつけながらそう言った。
「そっか。それなら良かった。じゃあ、そろそろ俺行くわ。またね」
谷村先輩はそう笑顔で言うと、再び自転車に跨って行ってしまった。
あとに残された私は居心地の悪さに、友恵のほうを見ることができなかった。少しの間、私と友恵の間に沈黙が落ちる。そのまま歩いていると、やがて友恵が口を開いた。
「さっきの、なんのこと?」
友恵の声は落ち着いていた。なんの感情もそこに見出せない。さっきの私と谷村先輩の会話をどう思っただろう。
「あれは……」
どう話せばいいのだろう。谷村先輩から私がなにかを受け取った。そのことはわかったはずだ。なにを受け取ったかによって、大きく印象は変わるはずだ。
しかし咄嗟にいい言い訳も思い浮かばず、私は沈黙した。駄目だ。なにを言っても、友恵は不審に思う。もうどうしたらいいか、わからなかった。
恐る恐る友恵のほうに視線をやると、友恵は俯いていた。
「友恵……」
「皐月。正直なこと、話して。私になにか隠してるんでしょ」
ずきりと胸が痛んだ。鳩尾の辺りがきゅーっと押されているみたいで、苦しかった。
「あのね。友恵。怒らないで。友恵を騙すつもりはなかったの」
そう言い繕う私を、友恵は剣呑な目つきで見た。その瞳は、悲しみと苛立ちの色で彩られている。
「騙す? 私を騙してたの?」
「違う。違うの。そういうんじゃないんだよ」
「だったらなに? 先輩からなにをもらったの? そんなこと私にひと言も言わなかったよね?」
ああ、駄目だ。もう隠せない。きっと許してなんてもらえない。それでも、この場は正直に言うより仕方なかった。
私は黙って鞄の中から携帯電話を取りだした。ぶらさがっているストラップを友恵に見せる。友恵がはっと息を呑んだのがわかった。
「それ……、谷村先輩からだったんだ。ああ、もしかして誕生日プレゼントで?」
私はこくりと首肯する。友恵は顔を歪ませ、泣き笑いのような表情を作った。
「なんで、黙ってたの? 言ってくれれば良かったのに」
そんなこと、言えるわけないじゃない。あなたにそんな顔されたくなかった。友恵を傷つけたくなかったから。
「……ごめんね。私……」
「ううん。いいの。私に気を遣って言えなかったんでしょ」
友恵の泣き笑いの表情は、一層くしゃくしゃに歪んで、その目には涙が浮かんだ。
「でも、今日はもう一緒に帰りたくない。皐月、違うバスに乗っていって」
友恵はそう言うと、私に背中を向けて走り去った。
私は呆然とその後ろ姿を見送る。
待って。待ってよ友恵。
私から離れていかないで。
友恵――。
しかし私はその場から一歩も動けなかった。どうしようもなく、悲しくてつらかった。私は友恵を傷つけてしまった。泣かせるようなことをしてしまった。明日から私は、どんな顔をして友恵に会えばいいんだろう。
ふと横を見ると、道路脇の家の庭先に、以前友恵と見た芍薬の花があった。しかしそれは以前のような瑞々しい姿ではなく、花びらが茶色く変色し、枯れかかったものだった。
「それ、可愛いね」
ある日、バスに乗って学校へ向かっていたときのことだ。私の携帯電話についていたストラップを見て、そう友恵が言った。
「あ、うん」
うっかり友恵の前でそれを見せてしまった自分の思慮の足りなさに、歯がみしたくなった。
「どこで買ったの?」
「えっと、もらったの。親戚のおばさんに」
咄嗟にそんな嘘をついてしまった。ちょっと下手すぎただろうか。しかし、友恵はその言葉を信じてくれたらしい。
「へーえ。いいな。テニス部って感じがして」
私は無理遣り愛想笑いを浮かべていた。
その日の部活帰り、友恵と一緒にバス停に向かって歩いていると、その横に自転車が通りかかった。
「お。伊藤さんに三浦さんじゃん。お疲れさん」
谷村先輩が私たちに気がついて、自転車を降りて隣につけてきた。
「あ、先輩。お疲れ様です」
「お疲れ様です」
私と友恵は驚きつつも、谷村先輩にそう言って、ぺこりと会釈した。こんなふうに声をかけてもらえることに、嬉しさと共に動揺が胸に広がった。
「自転車直ったんですね」
私がそう言うと、谷村先輩は軽くチリンとベルを鳴らした。
「やっぱ愛車がないと、不便なもんだね。ちょっと出かけたいときにはこいつがないと困るよ」
「先輩毎日自転車漕いでましたもんね」
と友恵が嬉しそうに話す。
「よく知ってるね」
「学校から家まで自転車でどのくらいかかるんですか?」
「んー。三十分くらいかな?」
「結構ありますね」
「そう? ちょうどいいくらいだと思うけど」
友恵は先日谷村先輩と話したことで少し慣れたのか、テンポよく会話をしている。確実に谷村先輩との距離を縮めていっている。親友として喜ぶべきなのだろうが、複雑な気分だった。
「伊藤さん。そういえば、あれ気に入ってくれた?」
谷村先輩にそう言われ、どきりとした。
「……はい。すごく気に入りました。ありがとうございました」
友恵の前で、こんな会話をしてしまっていいのだろうか。うろたえる態度が表面に出ないように気をつけながらそう言った。
「そっか。それなら良かった。じゃあ、そろそろ俺行くわ。またね」
谷村先輩はそう笑顔で言うと、再び自転車に跨って行ってしまった。
あとに残された私は居心地の悪さに、友恵のほうを見ることができなかった。少しの間、私と友恵の間に沈黙が落ちる。そのまま歩いていると、やがて友恵が口を開いた。
「さっきの、なんのこと?」
友恵の声は落ち着いていた。なんの感情もそこに見出せない。さっきの私と谷村先輩の会話をどう思っただろう。
「あれは……」
どう話せばいいのだろう。谷村先輩から私がなにかを受け取った。そのことはわかったはずだ。なにを受け取ったかによって、大きく印象は変わるはずだ。
しかし咄嗟にいい言い訳も思い浮かばず、私は沈黙した。駄目だ。なにを言っても、友恵は不審に思う。もうどうしたらいいか、わからなかった。
恐る恐る友恵のほうに視線をやると、友恵は俯いていた。
「友恵……」
「皐月。正直なこと、話して。私になにか隠してるんでしょ」
ずきりと胸が痛んだ。鳩尾の辺りがきゅーっと押されているみたいで、苦しかった。
「あのね。友恵。怒らないで。友恵を騙すつもりはなかったの」
そう言い繕う私を、友恵は剣呑な目つきで見た。その瞳は、悲しみと苛立ちの色で彩られている。
「騙す? 私を騙してたの?」
「違う。違うの。そういうんじゃないんだよ」
「だったらなに? 先輩からなにをもらったの? そんなこと私にひと言も言わなかったよね?」
ああ、駄目だ。もう隠せない。きっと許してなんてもらえない。それでも、この場は正直に言うより仕方なかった。
私は黙って鞄の中から携帯電話を取りだした。ぶらさがっているストラップを友恵に見せる。友恵がはっと息を呑んだのがわかった。
「それ……、谷村先輩からだったんだ。ああ、もしかして誕生日プレゼントで?」
私はこくりと首肯する。友恵は顔を歪ませ、泣き笑いのような表情を作った。
「なんで、黙ってたの? 言ってくれれば良かったのに」
そんなこと、言えるわけないじゃない。あなたにそんな顔されたくなかった。友恵を傷つけたくなかったから。
「……ごめんね。私……」
「ううん。いいの。私に気を遣って言えなかったんでしょ」
友恵の泣き笑いの表情は、一層くしゃくしゃに歪んで、その目には涙が浮かんだ。
「でも、今日はもう一緒に帰りたくない。皐月、違うバスに乗っていって」
友恵はそう言うと、私に背中を向けて走り去った。
私は呆然とその後ろ姿を見送る。
待って。待ってよ友恵。
私から離れていかないで。
友恵――。
しかし私はその場から一歩も動けなかった。どうしようもなく、悲しくてつらかった。私は友恵を傷つけてしまった。泣かせるようなことをしてしまった。明日から私は、どんな顔をして友恵に会えばいいんだろう。
ふと横を見ると、道路脇の家の庭先に、以前友恵と見た芍薬の花があった。しかしそれは以前のような瑞々しい姿ではなく、花びらが茶色く変色し、枯れかかったものだった。
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