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巻き込まれて

恋人のフリ

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 私は横たわった男にキスを強請られて一瞬固まったけれど、そういえばこの橘弟は帰国したばかりで、向こうの国の様式が染み付いてるに違いないと思った。私は多分引き攣りながらも微笑んで、尚弥の額と怪我をしてない方の頬にそっと口づけた。

 尚弥は少しぼんやりと私を見つめていたけれど、口を尖らせて言った。

「唇にはしてくれないの?」

 流石に今会ったばかりの尚弥の唇にキスするのは、なかなかのハードルだ。困った私の空気を読んで、後ろで様子を見ていた橘が口を挟んだ。

「おい、尚弥。私もここに居るんだ。あんまりイチャイチャするなよ。」


 尚弥はチラッと橘を見ると悪戯っぽい顔で言った。

「兄貴こそ、恋人たちの邪魔するなんて無粋だぞ?」

 そう言いながらも尚弥の顔はさっきよりも青褪めていて、私は尚弥の手を握りしめて言った。

「尚弥、目覚めたばかりでしょ?無理しちゃだめよ。しばらくここに居るからゆっくり眠って。ね?」

 そう言っておでこを撫でると、尚弥は少し戸惑ったように見えたけれど、頷いて目を閉じた。私の手をぎゅっと握ったまま。

 私は諦めて尚弥が眠るまで手を握っていようと思った。こんなに青褪めて、さっきは無理していたに違いない。階段から落ちて頭を打ったのは事実なのだ。


 私は、元気だったらどんなに人を惹きつけるのだろうかと、まじまじと尚弥を見つめた。柔らかな印象なのは目尻にほくろがあるせいなのか、性格なのか。いかめしさの塊の兄、橘征一とは真逆の印象だった。

 確かに美波の好きなタイプだ。しかも特別室に入院するくらいだからお金持ちなんだろう。益々美波のタイプだ。私は苦笑すると、苦しげに汗ばんだ額に落ちる髪を撫でて整えた。

「そうしてると、本物の恋人のようだな。」


 妙に苛立った声で後ろから声を掛けてきたのは兄の橘だった。私は橘の方を向くと唇に指を当てて静かにする様に合図した。そのうち規則正しい寝息が聞こえてくると、手の力が弱まった。私はそっと自分の手を引き抜くとゆっくりと椅子から立ち上がった。

 痛々しい尚弥を見下ろして、美波はなぜこの好青年を振ったのだろうかとしばし考え込んでいた。これからどうしたらいいのかと後ろを振り向いたが、橘の姿は無かった。私はもう一度尚弥がよく眠っているのを確認して、病室を出た。


 エレベーターの方を見ると、丁度橘が両手にコーヒーを手にこちらへ歩いて来るところだった。

 スラリとしたバランスの良い、いや、良すぎる恵まれた体格は沢山の人の目を惹きつけるだろう。それでいて、あの整った顔と甘いキス。思い通りにならない事なんてこの男には無いんだろうなと、私はぼんやり近づいて来る橘を見つめていた。

「何だい?見とれてるのか?」

ほんと、マジでムカつく男だ。私は美味しいと有名なテイクアウトのコーヒーを受け取りながら揶揄いにはスルーして言った。

「尚弥さんはぐっすり眠ってます。もう、私は帰っても良いですよね?」


 橘は私をホールのちょっとしたカフェスペースへ連れ出すと椅子を引いて座らせた。

「ああ、良いよと言いたいところだが…。さっきの様子では、きっと君が居なくなったら大騒ぎしそうだ。多分潜在意識で君の従姉妹と別れたショックが残ってるんだと思う。

 出来ればあと何度か見舞いに来てやってくれないか?その間に、記憶もハッキリしてきて尚弥も落ち着くだろうから。さっきみたいに安心して眠らせてあげたいんだ。どうだろうか?」


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