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 「それ」は、日常の一コマで起こった。

 夜、勉強机に向かっていたとき。
 雨が窓を叩く音で、氷像のような少年がガラスに映るのを見る。
 黒檀の髪に、凍てついた眼差し。
 まだ幼いけれど、「彼」の面影があった。

 ルーファス・ウッドワード。
 前世でプレイした乙女ゲームのラスボス。闇の化身。

 僕は、自分に前世があったことを「理解」した。
 そして物心ついたときから、どこか自分のことを、他人のように感じる理由がわかった。
 無意識に、胸にあるペンダントを握る。

 ――困った。

「僕は、死ななければならない」

 呟きは、雨音にかき消される。
 ドアがノックされ、ガラスに映った自分から目をそらした。

「ルーファス様、そろそろ旦那様がお着きです」
「今行く」

 窓から離れ、エントランスホールへ向かう。
 既に使用人たちが、父上を出迎えようと整列していた。
 白と黒の装いが並ぶ中で、バラ色のワンピースを着た、一際目立つ美少女を見つける。

 僕と同じ黒髪に、青い瞳。
 耳の上あたりで丁寧に結われた長い髪が、鮮やかなワンピースによく映えている。
 使用人たちの前で一人毅然と佇む姿は、草原に咲く一輪の花のようだ。
 まだ十歳とはとても思えない。

「お兄様、遅いですわ!」

 目尻を釣り上げる美少女の名は、ヴィヴィアン・ウッドワード。
 僕の妹だ。
 そして、ゲーム主人公を陥れようとする悪役令嬢であり、最後はラスボスである僕から使い捨てにされる不憫な子。

「夜会でお母様はおられないのですから、お兄様が率先してくださらないと困りますっ」

 張り詰めた声音は、緊張の現れだった。
 襟元を正してヴィヴィアンの隣に並ぶ。
 古くから我が家に仕える白髪の執事は、門番から連絡を受けると僕に耳打ちした。

「お着きになられました」

 隣で聞いていたヴィヴィアンが、内容にビクッと肩を揺らす。
 無理もない。
 彼女にとって父上は――。

「おかえりなさいませ、旦那様」

 玄関のドアが開かれ、先に使用人たちが一斉に頭を下げる。
 父上が姿を現すと、隣で息を飲むのが聞こえた。

 妹、ヴィヴィアンにとって、父上は恐怖そのものだった。

 僕たちの元である長い黒髪を後ろで結い、黒衣に身を包んだ姿は、死神の鎌を携えていても不思議じゃない。
 肉食獣を思わせる三白眼が、それに拍車を掛けた。
 ギロリと睨まれて胃が縮む。
 高い身長から見下ろされると圧が増した。

「父上、おかえりなさい」
「お、おかえりなさいませ……」

 可哀想に。
 ヴィヴィアンは、すっかり萎縮してしまっている。
 ここは彼女に言われたとおり、僕が率先してあげないと。
 父上の前に一歩踏み出し、両手を広げる。

「何だ」

 僕のいつにない行動に、父上が腹底に響く声で問う。
 周囲に緊張が走るけど、前へ出たからにはやり遂げなければならない。
 今にも逃げ出したくなる気持ちを叱咤し、一度だけヴィヴィアンを振り返る。
 彼女の青い瞳が、涙で潤んでいるのを見て、決意を固めた。

 僕が示さなければ。

 父上に視線を戻し、震える口で願い出る。

「抱っこしてください」

 そう……怖がるのではなく、甘えればいいのだと!
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