ぼく、魔王になります

楢山幕府

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 体に力が入らない。
 一瞬、気を失いかけたけど、視界は戻っていた。

「ーーーー!」

 甲冑の女の子の大きな笑い声が聞こえる。
 岩を背負っているみたいだった。
 体が重く、いうことをきかない。
 なんとか視線を巡らすけど、ガルも、ルフナも、ディンブラも椅子から落ち、床に伏していた。

「どく……?」

 呟いた声は、自分でも驚くほど弱々しい。
 けどエルフに毒は効かない。
 倒れているのはぼくたちだけで、勇者パーティーは無事なようだった。

 何が起きたの……?

 ドクドクと早鐘を打つ鼓動に、胸が痛い。
 甲冑の女の子が剣を抜いて回り込んでくる。
 その先にはディンブラがいて――。

「だ、め……!」

 手を伸ばす。
 手を、伸ばしたかった。
 ディンブラの前に行って、彼を庇いたかった。
 なのに、体は全く動いてくれなくて。
 剣が振り上げられる。
 下ろされる刃を、止められない。

 なんで。
 どうして。

 動悸ばかりが体を蝕む。
 息がきれ、視界が霞んでいく。
 嫌だ、ぼくは。
 ぼくは、守るために、魔王になったのに。

「アラビカァアアアア!!!!」

 勇者が叫んだ。
 辛うじて、彼がぼくらに背を向けているのがわかる。
 向き合っている相手は、甲冑の女の子だ。

「ーーーー!」

 言い合い、剣を交える。
 しかし技術は彼女のほうが上のようだった。
 刃を弾かれた拍子に、勇者の手から剣が落ちる。
 蹴飛ばされたのか、勇者の体も横に飛んだ。

「ーーーー」

 改めて剣を構える彼女を、防ぐものは何もない。
 視界が明滅する。
 意識を失うのも、時間の問題に思えた。

 どうして。
 ぼくたちは、話合うことすらできないのか。
 この場には、通じる言葉があった。
 けど王女は勇者をも蹴飛ばした。
 味方じゃなかったの?
 わからない。彼女の考えが、人間がわからない。
 けれど、ぼくが選択を間違えたのは確かだった。
 会談なんて意味がなかった。
 最初から、戦うしかなかったんだ。
 ぼくが誤ったせいで、またディンブラが傷つこうとしている。

 ダメだ。
 動け。

 諦めるのは、ぼくが許さない。
 抗うことを決めた。
 なら、最後まで抗うんだ。
 動かない手足を叱咤する。
 決して、構えられた剣から目を逸らさない。
 手を伸ばす。
 今度はわずかに手が動いた。

 刹那。

 ひらりと、宙を舞うものがあった。
 全員の視線がそれに集中する。

「パンツ……?」

 言い当てたのは勇者だった。
 黒い下着が一枚、不自然に宙に浮かんでいる。
 布の面積が極端に少ない下着を、大鷲姿の風の上級精霊が頭にのせていた。
 精霊と目が合う。

「吹き飛ばして!」

 気付いたときには声を出していた。
 剣を構えていた甲冑の女の子が壁に向かって吹き飛ぶ。
 同時に獣人の女の子も、手に何かを持った黒髪の女の子も吹き飛んだ。
 すかさずガルに抱き上げられる。
 ディンブラが前に出て剣を構えた。
 形勢が、瞬く間に逆転する。

「もう……交渉の余地はないね」

 交渉決裂だ。
 残念だけど、と床に尻餅をついたままの勇者を見る。
 ぼくは気を失った勇者パーティーを運ぶよう精霊に頼んだ。

「このまま帰していいのか?」

 ガルに頷きながら、精霊が窓から勇者パーティーを放り出すのを見る。
 そのまま彼らは突風にのせられて、叩きつけられるようにカネフォラ王国の陣営まで運ばれた。
 巻き起こった風で、部屋の中はめちゃくちゃだ。
 倒れる椅子に紛れて、勇者パーティーの武器が転がっている。
 その中に一つ、異様さを感じさせるものがあった。
 黒髪の女の子が持っていたものだ。

「これは……魔導具のようですね。ローブの中に隠し持っていたのでしょうか」
「もしかして急に力が抜けたのは、そいつのせいか?」

 ルフナが手に取り、ガルが覗き込む。
 小さな盾を彷彿とさせる魔導具には、たくさんの魔石が取り付けられていた。

「そう考えるのが自然ですね。私やリゼ様に毒は効きませんし……リゼ様、床に倒れている間、精霊の姿は見えましたか?」
「ううん」

 何かに気付いた様子のルフナに、首を振って答える。
 よくは見えなかったけど、言われてみれば精霊の気配も感じなくなっていた。
 それに……と、未だ頭に下着をのせている風の精霊を見る。

「今見える精霊は、怒ってるみたい」

 いつも感じる楽しそうな雰囲気が全くなかった。

「推測ですが、この魔導具は魔素を奪うものでしょう。極端にこの場の魔素がなくなったことで、私たちは弱体化し、精霊は姿を消したのかと。精霊は、急に居場所を奪われたから、怒っているんだと思います」
「あ、外にいた人たちは大丈夫!?」

 影響が残っているかもしれない。
 慌てて確認するけど、幸い、倒れたのは案内役として部屋の近くいたエルフだけだった。その人も今はぼくたちと同じようにピンピンしてる。

「厄介なもんを作ってくれたな」
「最初から私たちと会談する気はなかったようですね。見た感じ、大量の魔石が必要なようですから、すぐに同じものを用意するのは困難でしょう」
「勇者は庇ってくれたよね?」
「はい、どうやら彼には知らされていなかったようです。何をしたんだ、と食ってかかってましたから」
「結局、戦うことになったな。リゼ、いいか?」
「うん」

 それよりごめん、とみんなに謝る。

「ぼくのせいで、みんなを危険にさらした」
「俺たちは一蓮托生だって言ってんだろ」
「そうです。会談には、私たちも賛成でした。カネフォラ王国側が、予想以上に非情だっただけです」
「是も、不甲斐なかった」

 本当に、ぼくは情けない。
 ガルたちの言葉に泣きそうになるのを、ぐっと堪える。
 ぼくは守るために、魔王になった。
 だったら今は、泣いてる暇なんてない。
 袖で涙を拭く。

「行こう」
「おう!」

 魔導具は改めて検証することにして、ぼくたちは物見櫓へ向かった。
 会談が上手くいなかったときのことは、予め大森林のみんなとも話合っていたんだ。
 相変わらず、物見櫓からはカネフォラ王国の陣容がよく見えた。
 風がぼくの頬を撫でる。

「そろそろこれは返してね」

 ついてきた大鷲姿の精霊の頭から下着を取る。
 気に入ったのか、少し精霊は残念そうだった。きっとママの魔力が込められているからだろう。総レース仕様だし。完全に透けてるよね、これ。

「つけるのか?」
「……今はつけないよ」

 じと、とガルを見ながら、下着をズボンのポケットに入れる。
 それよりぼくには、やるべきことがあった。
 目視できるカネフォラ王国の陣容を見下ろす。
 頭は冷え、感情も消えていく。
 確かな意思だけを残し、口を開いた。

「交渉は決裂した」

 だから。

「ぼくたちも決裂させて」

 応えはすぐに、地響きとなって現れる。
 世界が揺れた。
 視界の先で、地面が隆起し、大地が裂ける。
 いつの間にか隣には、土の精霊王であるヴァッラータ様の姿があった。

「……張り切ってる」

 怒っているのは、土の精霊も同じようだった。
 待機していたのに、無理矢理弾き飛ばされたことを考えれば当然だ。
 ヴァッラータ様は見届けにきただけだろうけど。
 大地に走った亀裂は大きくなり、深さを増していく。
 揺れが収まるころには、峡谷が出来上がっていた。
 左右に走ったそれは、大森林とカネフォラ王国の決裂を意味している。

「これでますますもって、大軍での侵攻は無理になったな」
「私たちも容易に行けなくなりましたけどね。リゼ様、大丈夫ですか?」
「うん、流石に疲れたけど」

 背中をガルに預ける。
 おっぱいの弾力に、しばらく癒やされたい。
 魔力が体から抜けていくのを感じる。
 けどそれも、魔導具によって魔素を奪われたときに比べればマシだった。
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