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本編

神子、王兄と出会う

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「日が暮れると気温が下がるから、神子様が羽織れるものを持ってきて。あとお茶と」

 ファビオがテキパキと少年たちに指示を出す。彼が世話係の代表らしい。
 ゲームとはいえ、子どもたちを小間使いするのは気が引ける。
 けれど彼らにしてみれば、神子の世話をすることが至上の喜びらしく、止めるのもはばかられた。
 少年たちの動きに触発されたのか、ホワイティが膝の上で駆け出そうとする。

「走り回るのはいいですけど、廊下だけにするんですよ?」

 折角、綺麗にしてもらったんだから。
 動物、それも幼体に言っても無駄だと思いつつも、注意せざるを得ない。
 しかし予想に反してホワイティは言い付けを守った。
 白い毛玉が、つるつるした廊下の上だけを駆けて――滑って――いく。

「ホワイティも神子様の言い付けは守るのですね」
「理解しているのか謎ですけど」

 たまたまいつも遊んでいる少年たちの後ろをついていっただけのような。
 床に爪が引っかからず、滑りながら走っているホワイティは可愛いけれど。

「そういえば、ここには聖王の寝室もありますけど、エヴァルドのお世話もファビオたちがするんですか?」
「いいえ、ぼくたちは神子様の世話係ですから。聖王様は全てご自分でなされます」
「お風呂も?」
「はい。聖王様はぼくたちよりもずっと魔法に長けておられて、お湯を沸かすのも簡単になされます」
「掃除も?」
「聖王様の寝室に、ぼくたちは入れません。お食事は、朝食以外は大神殿で食べられています」

 普通、エヴァルドこそ世話を必要とする立場じゃないだろうか。

「だったら私も身の回りのことは自分で……」

 と言ったところで後悔した。
 ファビオが目に涙を浮かべたからだ。

「な、何か粗相をしたでしょうか!? 気に障ることがありましたか!?」
「いえ、エヴァルドに倣ってそうしたほうがいいのではと思っただけです。ファビオたちに不満は一切ありませんよ」
「でも、でもぉ……っ」
「泣かないでください。もう言いませんからっ」

 親に見捨てられたかのように泣くファビオを、あたふたと宥める。
 頭を撫で、背中をよしよしとさすったところで、ようやくファビオは落ち着いた。

「すみません、お見苦しいところをお見せしました」
「私が浅慮でした。これからもよろしくお願いしますね」
「はい! 誠心誠意、努めさせていただきます!」

 元気が戻って何より。
 お茶と一緒にホワイティも戻ってきて、人心地つく。
 手の空いてる子たちも呼んで仲良くお茶していると、突然訪問者が現れた。

「おや、人には馴れてないと聞いたのですが、神子の世話係は違いますか」
「ヴィルフレード様!」

 ファビオが訪問者の名を呼ぶ。
 ヴィルフレードはイリアと目が合うなり、恭しく跪いた。

「神子の宿魂を心からお慶び申し上げます。聖王の兄、ヴィルフレード・レ・オラトリオでございます。一刻も早くお目通りしたく、無礼を承知で参上いたしました」

 エヴァルドの兄と名乗ったヴィルフレードは、エヴァルドと同じ黒髪を伸ばして背中で結んでいるものの、雰囲気はまるで似ていなかった。
 はじめて見た表情は穏やかで、今も真摯さは伝わってくるが、そこに険はない。
 ただ白い詰め襟は色が違うだけで、分厚いストールやケープなどの装いは、エヴァルドと同じだ。

「イリアです。……あの、頭を上げてください」

 そう言わなければ、ずっと下げていそうだった。
 立ち上がったヴィルフレードは、エヴァルドより背が高い。
 けれど細身で、顔立ちからも中性的な印象を受ける。
 細い眉に、黒い瞳。笑みを絶やさない表情は優しく、兄弟でもこれだけ顔付きが変わるのかと呆気にとられる。
 ステータスを見ると、年は二十四歳。
 称号は「聖王を見定める者」、彼もエヴァルドと同じくイベントに関わるらしい。

「謁見前にお会いできて良かった。エヴァルドはあれでいて優しい子です。イリア様のお力で、お導きいただけると幸いです」

 優しい……?
 頭に浮かぶのは、無表情か煩わしそうに眉間にシワを寄せる顔だ。
 これのどこに優しい要素があるんだと訊きたくなる。
 しかしヴィルフレードには、時間がないようだった。

「実はエヴァルドに内緒で来ていまして。どうぞイリア様も、僕の来訪は内緒にしておいてくださると助かります」

 それでは、と早々にヴィルフレードは辞する。
 瞬く間の会遇だった。
 とりあえずファビオに確認を取る。

「ヴィルフレードが居住区に来ることは許されているんですか?」
「はい、神子様の居住区には、直系の王族と神子の世話係だけが入れます」
「なら問題はありませんね」

 内緒にしても大丈夫そうだ。
 けれどイリアがお茶を口に運んでいる間、ファビオは首を傾げる。

「どうかしたんですか?」
「えっと、聖王様と王兄様は仲が悪いと聞いていたので、聖王様のことをフォローされたのが不思議で……」
「兄弟で確執があるんですか?」

 人に馴れていないことを知っているようだったので、イリアも一緒に首を傾げた。
 てっきりエヴァルドから聞いたのだと思ったからだ。
 だったら内緒にするのも問題があるんじゃないだろうか。
 重ねて尋ねると、お茶を一緒に飲んでいた少年たちが、口々に事情を教えてくれる。

「元々は王兄様が王位に就く予定だったんです」
「王兄様のほうが、見た目も教義の理想に近いですし」
「でも成人の儀で、弟の聖王様に称号が現れてしまって……」
「聖王様ご本人も驚かれたと聞いています」

 従来通りなら、王位は第一子が継ぐ。
 エヴァルドは体格に恵まれたのもあり、警吏を束ねる警吏総監――現実でいうところの警視総監――を目指していたらしい。
 けれど「神子の守り人」の称号を得たことで、状況が一変する。
 称号の出現は、神子の目覚めも意味していた。
 代々「神子の守り人」は聖王が務めることが決まっており、急遽エヴァルドは王位を継ぐことになる。

「王位を継ぐことが決まったときは、揉めに揉めたそうです」
「聖王様を亡き者にすれば、王兄様が『神子の守り人』になれるんじゃないかって」
「それから聖王様はご自身の身を守るためにも、強行策を取られたり、行政改革をおこなわれたり……」
「王兄派とは、未だに揉め事が絶えないそうなんです」

 今ではすっかりエヴァルド様も厳しくなられて、とファビオが小声で呟く。
 そういえばファビオは、ヴィルフレードのことも名前で呼んでいた。

「ファビオは、エヴァルドやヴィルフレードと親しいんですか?」
「親しいと言えるかどうかはわかりませんが、ぼくは聖王様たちの母方のいとこにあたります」

 だから昔、まだ優しかった頃のエヴァルドを知っているという。

「警吏総監を目指されていたエヴァルド様は気さくで、幼いぼくともよく遊んでくれました」

 イリアからすれば未だファビオは幼いが、今よりももっと小さい頃の話らしい。
 笑顔で三歳児と遊ぶエヴァルドを想像するのは難しかった。

(もしかして、これが疎まれている理由なんでしょうか)

 神子が目覚めなければ、エヴァルドが「神子の守り人」になることはなかった。
 イリアの出現が、彼の生活を変えたのだ。
 それも兄の派閥から命を狙われるほどに。

〈――目覚めなければよいものを〉

 あの刺さるような冷たい言葉が、エヴァルドの偽りない本心なんだろう。
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