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30〈敗北〉

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湯船に入っているからこんなに熱いのか、この姿勢が悪いのか。正面にいる三上くんの顔はまだ見れない。
「ふふ……はははっ」
その笑い声で少し顔を上げる。悲しんでいるよりはいいけど、さっきの必死過ぎた行動に笑っているのなら、それはそれで居心地が悪い。
「ごめん、でもおもし……いや、可愛くてね」
「お、面白くてもいいよもう……」
もう一度ごめんと謝ると頭に手が乗った。そこから耳に、頬にと指が動く。
「この間は変なこと言ってごめんね。僕はもう信じることにしたから、嘘だなんて思わない。だから……これからはもっと声出していいよ」
「っ今明らかに良いこと言おうとしてたでしょ! なんでそういう話になるの!」
思わずというように飛び出した僕を見て笑った。その顔を見ちゃうと何も言えなくなる。口を閉じて熱くなった顔を隠した。
こんなことが彼に言えるようになるなんて、どうなるか分からないものだ。僕の初めの一歩は褒められたものではないけど、それでも後悔はしていない。
君の為ならなんでもできそうだ。でも先輩を好きだった彼の気持ちはどこへ行くのだろう。僕にもそれを埋められるの? 三上くんのどのぐらいを僕は貰っているんだろう。

隣を見れば彼の肩があった。大きめの枕に首を預けて、その下では手を繋いでいる。うとうととしていたけど、眠るにはまだどこかで気を張っていた。
動きの無いまま目を閉じている三上くんも、まだ眠ってはいないだろう。それから不意に口を開いた。
「……僕は二人でも上手くいくと思っていたんだよ」
一呼吸開けて、今度ははっきりと目を開いた。
「沢山の人がいる中で、仲良くしましょうとか友達は多い方が良いとか、そんなこと言うくせに親密な相手は一人じゃなきゃいけないんだね? 僕にも独占欲とかそういった気持ちはあるけど……それってつまり、うん結構勝手だと思うんだよ。そんな勝手な、不確定な感情が何故こんなにも守られているのか分からない。どうしてそんなに非難するのかな。人間同士で気持ちが分かるから? お金で解決できるから? 結局誓いなんて意味が無くて、弱い約束なことに変わりないんだと言っているようなものだ。裏切られたことなんて、傷付けられたことなんて他にも沢山あったはずなのに……この世で最も素晴らしいとされている人を愛した行為が、一番罪が重いなんて、皮肉だね」
まだ天井の辺りを見つめたまま、ふぅと息を吐いた。

「一から関係を立て直すのは面倒だけど、一週間ぐらい同じ空間に閉じ込めておけば慣れてくるでしょ。そこから一ヶ月、一年もしたら恋人になってるかもしれない。それが運命の相手だったなんて、そんなの納得できる? 閉鎖的な空間でなくても同じ地域、国、星……そんな中で出会えた奇跡だとか、そんなもの全部慣れの果てに芽生えた妄言だよね」
「……僕も、個性とか言うけど同じような環境で生きてたらそこまで大差無いだろうし、皆何をもって一生の友達とか、お嫁さんとかを宣言できるんだろうって思ってた。ただその時に、自分に都合が良かっただけなんだ。お互いに」
顔がこちらに向いた。髪の毛を指で梳いては流して、また掬う。その単純作業を繰り返していた。

「友情も愛情も、愛の種類がありすぎて面倒だよ。誰か一人しか愛せないなんて、そんなことを思っている人間なんていないだろうに。……擦り込ませた思考を他人に押し付けて、それが正しいことみたいに主張する。それはもしかして不安からなのかな。皆分かってないけど分かったフリして、疑問を持たないようにしている。縛られたことから出来なくなったこと、二人の間でのバランスが崩れた時に、こんなことを言っている僕達みたいな人のところに来て、自分が正しく生きている証明をするのかもしれないね」
手が離れた。少し困ったように笑って、自分も同じことばかり考えているなと呟いた。僕はただ黙っているだけだ。

「僕が先輩と正人に向ける気持ちは同じところもあるけど、全然違ったりする。僕は先輩に愛されたくて、正人を愛したかったんだ。二人に接する時は体が半分に分かれているみたいで……先輩へは憧れとかそんなもの。追いかけて捕まらない期間を楽しんでいた。正人からは僕に憧れを持ってほしかった。突き放しても追いかけてきてくれるような……二人に対する気持ちは反対だったから、どっちも欲しかった。ただ僕が先輩や正人からもう一人恋人を紹介されたら、それは受け入れられないと思う。そんなところが僕のカッコ悪くて、甘えてる部分だよ。僕も結局狭いコミュニティの中で、傷付かずにすむ相手を探してるんだ」
目を合わせないで、指を絡めてきた。
「ねぇ、正人と僕は運命の相手だと思う?」
数秒考えて、繋がれた手に力を少し込めた。
「……思わないよ」
三上くんは愛される人だ。いつも引く手数多で、全ての面倒を見たがるお姉さんや、おじさんがこれから現れたりするかもしれない。
今だって色んな生徒から狙われている。僕のせいで少し減ったかもしれないけど。そんな僕がこうして隣に寝ている確率は、奇跡に近いかもしれない。けれど数学が苦手な僕にとっては、そんな計算を出されても興味が無い。
「運命にしては色々空回ってるよ。あと僕は……そういう大層な言葉で誤魔化したくない。君が今ここにいるだけで、隣にいるだけで、もういっぱいいっぱいなんだ」
言葉なんて過剰演出だ。だからドラマような綺麗で美しいカッコつけた台詞なんて、僕に似合わない。誰かに正解を示されたような愛の言葉なんて、そんなものに囚われたくないと抗ってみる。でもそれの代わりの言葉は思いつかなくて、今触れている部分を大切にすることしかできなかった。
「……そっか。まぁこのまま大衆的な台詞が嫌だからって反抗するのもアレかな。無宗教も宗教っていうぐらいだし……面倒だからって思考停止するのは、そんなこと言う人達よりも結果として負けて見えるしね。結局出た答えがつまらなかったとしても、僕は僕や正人の言うことしか耳には入らないと思うから……運命ごっこでもしてみようか」

触れている指の熱さだけは、この場においての真実だった。結局今までの長々しい会話は全て、三上くんなりの敗北宣言だったんだ。
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