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18〈彼の部屋〉

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結局、目的地まで手は繋がれたままだった。どこかの家の前に着くと、車はそのまま走っていってしまう。
「ここは?」
隣の家までは結構距離があるようで、周りには何も無かった。その上、大きな木に囲まれている。
二階建ての大きな建物は左上に特徴があった。出っ張った丸い部屋があるようだ。庭も広かったけど雑草が生えているから、あまり手入れをしていないのかもしれない。
三上くんは答えずに手を握ったまま鍵を取り出した。
「三上くんの家?」
「こっちはあんまり利用してないけど、たまには見に来なきゃね」
「別荘みたいな?」
クスッと笑ってからそうだねと答えた。広くて綺麗だねとはしゃぐ僕を見る目は優しいけど、どこか悲しそうだ。
モデルルームのような室内は使われた形跡が無かった。傷や汚れは存在せず、新品同様だ。そのリビングを抜けて、二階へと足は進む。それに黙ってついていくしかなくて、期待と心配が混ざる。なんだかこのままどこかへ消えてしまいそうだ。

二階の端、恐らく丸みのあった部屋だ。やけに大きく重厚な鍵を取り出すと、ゆっくり回した。
「……っ」
そこは思い出の中に閉じ込められたような部屋だった。床や壁は木で、カーテンやカーペットすら無い。部屋に月明かりが差し込み、朧げとなった景色は写真の中のような錯覚を起こした。
ピアノにテディベア、積み木等の子供用のおもちゃ。それらはこの家と違い、使い込まれている。ボロボロになっているのに捨てられないのは、余程大事なのだろう。それにしてもここは何の為の部屋?
不意に外された手の先を追うと、甲高い音が響いた。彼の手にあるオルゴールが回り始めたようだ。悲壮感のある曲に耳を傾けていると、彼はゆっくりと前後に揺れる椅子に座った。そこからこちらを見つめる。その目からは感情が読み取れない。光を失ったように見えたけど、それでも呼ばれている気がして近寄った。
「座って」
床にだろうか。他に座れるところはピアノの椅子ぐらいだ。でも部屋の端にあって、彼を見るには遠い。
「……こっち」
ぽんぽんと太ももを叩いた。まさかそこに座れというのか。何か言おうとしたけど、言葉が出てこない。意を決して膝の少し上に腰を下ろしてみたけど、ほとんど尻を浮かしてしまっていた。
「あ、やっぱり……うわっ」
腕を引かれてお腹に手が回ってきた。勢いのまま思い切り足の上に座ってしまって、慌てて起きようとしても回された手には力が込められている。
「お、重いから……っ離して」
「……逃げないで」
その苦しそうな声が聞こえてからは、もう何も言うことが出来なかった。諦めてもたれてみると、彼の匂いがして、つい意識してしまう。僕よりも一回り大きな体に包まれていた。
「足……痛かったら、離していい……から」
沈黙に負けて呟いてみると、手が両方前に回された。
「……正人まさと
「えっ……」
「そう呼んでもいい? 俺も」
数センチ程しかない距離で囁かれた。熱でぼうっとしていた顔が更に熱くなる。頬に触れたものがそれよりも熱くてまた驚いた。
あまりに近すぎる距離に耐えられなくなって目を閉じると、自分の息が気になる。どんな風に呼吸ってしていたんだっけ。不規則に吸ったり吐いたりして、ふと止まった。
その衝撃は柔らかくて、全ての思考を吹き飛ばしてしまう。何が起きたか分かったのは目を開けた後で、瞳の中に映った自分が見えた瞬間に、ぽろりと涙が零れていた。
「……どうしたの?」
二、三滴流れた雫を指で拭き取られて、頭を撫でられた。もっと泣きそうになるのを堪えられたのは、僕より彼の方が辛そうだったからだ。

「ねぇこっちでもいい?」
反転させられた体が更に彼とくっついた。熱くてうっすらと汗が滲み出す。それでも手は優しく背中に回された。
「この部屋は……」
唐突に彼が語り出した。止まったオルゴールの方を見つめている。
「昔遊んでいた部屋の再現なんだ。物は当時のだけど、捨てられなくてこんなところに置いてしまっている。前の家も別に好きじゃなかったけど、ここよりはマシだったかな。この家は親が帰ってくる時に使うはずだったんだけど、結局誰も帰って来ない」
撫でていた手が止まり、ぎゅっと力が入った。
「こんなところ……もう一人でいたくない」
「……っ」
思わず抱きしめ返していた。これが三上くんの本音なんだろうか。自分なんかがどうだとか、相応しいとかそんな考えはどこかへ飛んでいった。ただ何か……少しでも彼の為になれれば、どうしたら苦しまずにすむのか、そんなことを腕の中で考える。
しばらく何も言わずにこのままでいた。回している腕が呼吸によって少しだけ動く。その一つ一つが特別な刻みのように見えて、繊細なこの時間は少しのことで壊れてしまいそうだった。

やがてそっと肩に手を置かれると、隙間ができた。見上げた三上くんの顔は穏やかで、この時間はまだ続くかもしれないと、どこかで感じた。
「正人」
ぽんと頭に指先が触れる。僕の方を見て、少しびっくりした顔に変わった。頰に触れた人差し指から、また泣いてしまっているのだと気がついた。
「なんで泣いてるの」
そう言う彼の顔はどこまでも優しくて、僕と同じ状態になりそうだ。理由にできない心の高まりと、詰まっている何かが少しずつ流れていく。
声にならない声で色々言ってみたけど、それはあまりにも言葉にはならなかった。それでも笑って頭を撫で続けてくれる。ここに居るのは僕で良いのか、居ても良いのか、居ても意味があるのか。どうしたら君の力になれるの? 純粋な気持ちはしつこくて重かった。そんな物が体の半分以上を占めている。
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