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12〈大人〉
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気持ちが晴れやかになった。なんて清々しいのだとミュージカルのように歌いだしそうになっていた中、相手の顔で気がついた。
昨日のことをすっかり忘れていた。お前あれだけ暗かったのにいきなりなんだよと、変な顔をした多分友人の奴にごめんと軽い調子で謝ると、周りの空気もほっとしたようだった。自分はある程度影響があるらしい。面倒臭い。
まぁいい、そのうち付き合わなくなる奴等だし。それよりも今は先輩に会いたくて堪らない。そうだ、あの約束も取り付けられないかな。ああ楽しみだ。と、ウキウキになっていたのに面倒なことになった。
当人以外の野次馬が騒ぎ出したからだ。心配する様子を見せながらもネタにしてやろうという魂胆で、周りを取り囲む。女子は女子でどこから来るのか謎の責任感と戦いながら、何人かがあちらのクラスから召喚なさった。
なんでなんでの合唱の中でまた一人、当人達が決めたのならしょうがないと勝手に代理して下さった。この件で一方的にフッた俺は思ったより嫌な奴だったと、周りの株が下がるのが目に見える。特に男子生徒はこちらにナメたような目を向けていた。
でも、そんなものはどうでもいい。俺には先輩がいるからだ。寧ろ周りとの温度差が生まれる度、先輩との距離が近づいていくようだった。図書委員があるからと切り上げて、その輪から去った。
「先輩」と呼んだら振り返ってくれる、この瞬間が輝いて見えた。学校の中で唯一好きだと言える図書室のカウンターに鞄を置く。
少しだけ近づいて空気を吸ってみると、ほんのりと香りが舞ってくるような……錯覚かもしれないけど、それだけで喉の奥から胸元にかけてがぎゅっと締めつけられた。
赤い陽が室内を染め上げていた。この時間は静かで、いつも騒がしい校内だとは思えない程落ち着いている。そんな時二人でちょっとだらしなく背を預けながら、ゆったりと過ごすのが至高の時間だ。いつもより特別にそれを噛み締める。
眼鏡を押し上げて欠伸をした彼を思わず見つめてしまうと、恥ずかしそうに顔を逸らされてしまった。それでもわざと見続けていると、持っていた本をこちらの顔に押し付けた。
「あの、ちょっと先輩……っ」
「何見てんだ」
「すいません暇だったんで」
「いつものことだろうが」
こんな会話が自然にできることが嬉しい。彼の口から出る言葉が自分だけに向かっているのに優越感を覚える。
体の奥からじわじわと熱が上がってきた。その熱は瞳の辺りに向かう。だから笑ったつもりでも不自然に見えてしまったのだろう。そんな顔を見られたからもう隠せないかもしれない。息を一度吐いてから口を開いた。
「あの……」
目線を顔から下げてしまった。相手の指先辺りを見ていると、だんだん景色がぼやけていく。周りの声が消えて、自分の情けない声が途切れ途切れに吐き出される。上手く文になっているだろうか。
「はは、えっと……すいません。別れました、彼女と」
小さく息を呑むような音が聞こえた。いきなりこんな話になると思っていなかったのだろう。
「あっ……唐突でしたね。それと、なんか色々と面倒に付き合わせてすみませんでした」
「だって……お前」
そうか、先輩は俺がレナを好きだと思っていたんだから、驚くに決まっている。すっかり先程までの心地良さは消えていた。
「実は彼女と付き合ったのは、一つの作戦だったっていうか……本当は他に好きな人がいるんです。でもその人とは、そんな風に過ごしてこなかったから、今更自分をそういう対象で見てくれないって思って。彼女ができたって知ったらちょっとは気にしてくれるのかな、なんてそんなカッコ悪い理由だったんですよ。だから本気になれなかったのも彼女が悪いんじゃなくて、自分がダメなだけで。でも気がつきました。例え無理でも、自分が納得できるように過ごさないと意味が無いんだって。当たり前ですけどね」
「……前に、本命はいないって言ってたじゃねーか」
「そのときは本当に望み薄だったんですよ。諦めようとしていたんですけど、せめて出来ることをやってからにしようと、彼女と別れて決めました」
「……そうか」
はいと小さく返事した後に沈黙が流れる。どちらも話さないことはたまにあるけど、こんなに気まずいことは今迄無かった。
ふと溜めていた涙が流れそうになって、慌てて顔を逸らして袖に染み込ませた。自分の心境はスッキリしているというより、ヤケになっている気がした。このまま伝えてしまってもいい。
「……っ」
いや、気持ち悪がられて一生縁を切るようなことになったら、立ち直れるだろうか。そこまではしなくても見下すような感情は消えないはずだ。こんなことを急に言われて、まだ女の子からだったら良かったのに、男からなんてトラウマにでもなりかねない。でも心のどこかで期待している。彼の良心と臆病に。
彼の自己評価はそんなに高くないだろう。だから例え誰であろうとも、好意を蔑むことはしないのではと。先輩を卑下する訳ではないけれど、そんなところが堪らなく好きで愛おしい。
「先輩……」
振り返ったその顔を今度は真っ直ぐ見つめる。少し微笑んでから……。
幸せにしてあげます。
その代わりに出た言葉は。
「お家に行ってもいいですか? もうすぐフラれる予定なので慰めてください」
「なんだよそれ」
呆れたように笑う顔にホッとした。先輩には色々と見せたくない姿を見せているのに、それでもまだ捨てないでいてくれることが嬉しい。
先輩、なんで俺のことを信じてくれるんですか。
夕日に照らされた横顔は、なんだかいつもより大人に見える気がした。視界に入る人間は彼一人だ。
昨日のことをすっかり忘れていた。お前あれだけ暗かったのにいきなりなんだよと、変な顔をした多分友人の奴にごめんと軽い調子で謝ると、周りの空気もほっとしたようだった。自分はある程度影響があるらしい。面倒臭い。
まぁいい、そのうち付き合わなくなる奴等だし。それよりも今は先輩に会いたくて堪らない。そうだ、あの約束も取り付けられないかな。ああ楽しみだ。と、ウキウキになっていたのに面倒なことになった。
当人以外の野次馬が騒ぎ出したからだ。心配する様子を見せながらもネタにしてやろうという魂胆で、周りを取り囲む。女子は女子でどこから来るのか謎の責任感と戦いながら、何人かがあちらのクラスから召喚なさった。
なんでなんでの合唱の中でまた一人、当人達が決めたのならしょうがないと勝手に代理して下さった。この件で一方的にフッた俺は思ったより嫌な奴だったと、周りの株が下がるのが目に見える。特に男子生徒はこちらにナメたような目を向けていた。
でも、そんなものはどうでもいい。俺には先輩がいるからだ。寧ろ周りとの温度差が生まれる度、先輩との距離が近づいていくようだった。図書委員があるからと切り上げて、その輪から去った。
「先輩」と呼んだら振り返ってくれる、この瞬間が輝いて見えた。学校の中で唯一好きだと言える図書室のカウンターに鞄を置く。
少しだけ近づいて空気を吸ってみると、ほんのりと香りが舞ってくるような……錯覚かもしれないけど、それだけで喉の奥から胸元にかけてがぎゅっと締めつけられた。
赤い陽が室内を染め上げていた。この時間は静かで、いつも騒がしい校内だとは思えない程落ち着いている。そんな時二人でちょっとだらしなく背を預けながら、ゆったりと過ごすのが至高の時間だ。いつもより特別にそれを噛み締める。
眼鏡を押し上げて欠伸をした彼を思わず見つめてしまうと、恥ずかしそうに顔を逸らされてしまった。それでもわざと見続けていると、持っていた本をこちらの顔に押し付けた。
「あの、ちょっと先輩……っ」
「何見てんだ」
「すいません暇だったんで」
「いつものことだろうが」
こんな会話が自然にできることが嬉しい。彼の口から出る言葉が自分だけに向かっているのに優越感を覚える。
体の奥からじわじわと熱が上がってきた。その熱は瞳の辺りに向かう。だから笑ったつもりでも不自然に見えてしまったのだろう。そんな顔を見られたからもう隠せないかもしれない。息を一度吐いてから口を開いた。
「あの……」
目線を顔から下げてしまった。相手の指先辺りを見ていると、だんだん景色がぼやけていく。周りの声が消えて、自分の情けない声が途切れ途切れに吐き出される。上手く文になっているだろうか。
「はは、えっと……すいません。別れました、彼女と」
小さく息を呑むような音が聞こえた。いきなりこんな話になると思っていなかったのだろう。
「あっ……唐突でしたね。それと、なんか色々と面倒に付き合わせてすみませんでした」
「だって……お前」
そうか、先輩は俺がレナを好きだと思っていたんだから、驚くに決まっている。すっかり先程までの心地良さは消えていた。
「実は彼女と付き合ったのは、一つの作戦だったっていうか……本当は他に好きな人がいるんです。でもその人とは、そんな風に過ごしてこなかったから、今更自分をそういう対象で見てくれないって思って。彼女ができたって知ったらちょっとは気にしてくれるのかな、なんてそんなカッコ悪い理由だったんですよ。だから本気になれなかったのも彼女が悪いんじゃなくて、自分がダメなだけで。でも気がつきました。例え無理でも、自分が納得できるように過ごさないと意味が無いんだって。当たり前ですけどね」
「……前に、本命はいないって言ってたじゃねーか」
「そのときは本当に望み薄だったんですよ。諦めようとしていたんですけど、せめて出来ることをやってからにしようと、彼女と別れて決めました」
「……そうか」
はいと小さく返事した後に沈黙が流れる。どちらも話さないことはたまにあるけど、こんなに気まずいことは今迄無かった。
ふと溜めていた涙が流れそうになって、慌てて顔を逸らして袖に染み込ませた。自分の心境はスッキリしているというより、ヤケになっている気がした。このまま伝えてしまってもいい。
「……っ」
いや、気持ち悪がられて一生縁を切るようなことになったら、立ち直れるだろうか。そこまではしなくても見下すような感情は消えないはずだ。こんなことを急に言われて、まだ女の子からだったら良かったのに、男からなんてトラウマにでもなりかねない。でも心のどこかで期待している。彼の良心と臆病に。
彼の自己評価はそんなに高くないだろう。だから例え誰であろうとも、好意を蔑むことはしないのではと。先輩を卑下する訳ではないけれど、そんなところが堪らなく好きで愛おしい。
「先輩……」
振り返ったその顔を今度は真っ直ぐ見つめる。少し微笑んでから……。
幸せにしてあげます。
その代わりに出た言葉は。
「お家に行ってもいいですか? もうすぐフラれる予定なので慰めてください」
「なんだよそれ」
呆れたように笑う顔にホッとした。先輩には色々と見せたくない姿を見せているのに、それでもまだ捨てないでいてくれることが嬉しい。
先輩、なんで俺のことを信じてくれるんですか。
夕日に照らされた横顔は、なんだかいつもより大人に見える気がした。視界に入る人間は彼一人だ。
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