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2〈呼び出し〉

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今日は特別だ。放課後誰もいなくなるのを待って、さりげなく三上くんの机を撮った。靴箱も撮った。好奇心で靴の匂いを嗅いでみたけど、よく分からなかった。上履きなんてどれもこんなものだろう。
それから僕は家に帰り、下半身を鏡に向けて露出していた。最近は面倒で抜いていなかったけど、少し想像力を高めるとそれは簡単に反応を示した。
これを見て純粋な嫌悪から顔を歪める三上くん。さすがにこれは洒落にならないから、誰か突き止めてやろうと怒りに満ちている三上くん。彼が嫌々ながらもここからヒントを探ろうと、この写真を見て……。
「はははは……っ、ははははっ」
笑いと興奮が収まらなかった。携帯を持つ右手を濡らさないようにしながら、白濁した液がついた左手と僕のものを写して送った。メールを開ける姿を想像して、また出してしまった。なんだか酷く幸せな気分で、ふわふわしながら心地良く眠りにつけた。こんな風に快感を得ることができるなんて、新しい発見だった。
僕はやりたかったことを終わらせて安堵していた。最初のミッションは無事終了。思ったよりも満足してしまったので、これで一度切り上げても良いかもしれない。

足取り軽く教室に向かう。無意識に自分の席の方を見て思い出した。そうだ、彼からしたらまだ終わってないんだ。むしろ始まりかもしれない。
三上くんはいつもの爽やかな笑顔は消していた。一日中じっと黙って何かを考えている。

放課後三上くんは彼女に、誰でも許してしまいそうな笑みでごめんねと言うと、窓に寄りかかって人がいなくなるのを待っていた。もしかしてと思い、人が半分減ったところで廊下に出てみると、三上くんは動き出した。
バレてる? 凄いな、この短時間でもう犯人が分かったというのか。ただ同じタイミングで教室を出たくなったという訳ではあるまい。絶対に自分が動いてから、彼が来た。
内心どくどくしながら少し歩調を早めると、後ろの足音も大きくなる。階段が見えてきたところで走ってみると、慌てて後ろも駆け出した。笑いを堪えながら振り向いてみると、思っていたよりずっと近い位置に彼がいた。
足が速いな、背が高いからかな。にっこりと笑ったつもりだったけど、多分引きつっているだろう。掴まれた腕は思わず顔をしかめる程、力強かった。
波浦なみうらちょっといいかな」
いつもの優しい彼の声が耳に入る。僕の名前知ってたんだ。彼の口から発せられた自分の名前と、彼の目に映る自分の顔に、ちょっと感動して泣きそうになった。代わりに笑ってみたけど、それがやっぱり引きつっていたのだろう。彼は綺麗な顔を歪めて笑顔を消した。
「……ゃい、なんでしょう」
情けない声が出た。仕方ない、ここ数日まともに声を発していないから。いや年中か。
「とりあえずこっち来て」
自分の身長は女子と変わらない、下手すりゃ女子より小さい。だから彼の頼り甲斐を存分に感じながら、どこへ連れて行かれるのだろうとドキドキしていた。二人きりだと良いけど、他の人が居たらどうしよう。それはちょっと嫌だなぁ。

彼が連れてきたのは知らない部屋だった。教室の机ではなく、長い奴が置かれている。ホワイトボードやパイプ椅子もあった。壁沿いには昔の色褪せたプリントが積み上げられている。いつもは使われていないのだろう。
内側から鍵をかけると、どこか見下したような顔で携帯を取り出した。淡々と口を動かしている。
「メール、お前でしょ」
そうです! と元気良く答えたいのを堪えて、違うと首を振ってみた。彼は目を細める。不機嫌になったようだ。それでもまだ冷静に、僕の左腕を掴む。
「親指の付け根にホクロがある」
静かな口調だけど、怒っている気がした。僕は肯定も否定もせず、ごめんなさいと答える。
「何、認める訳?」
「……」
「これ犯罪だって分かってる?」
「……すみません」
消えそうな声で呟くと手が離された。はぁと溜め息が聞こえて数秒間が経つ。遠くで部活動の音が聞こえた。それと比較してここの空気は重い。
緊張と興奮と少しの罪悪感から、何を言おう、何を言えば良いのかに頭をフル回転させた。けれど何にも浮かばない。そんな自分にもう構う必要など無いと感じたのか、ここから去ろうとする彼をなんとか出た切り札で呼び止めた。
「ほ、本当は中野さんなんて好きじゃないんだろ!」
そう確信できる程の証拠は無かったけど、彼は驚いた顔をして振り向いてくれた。成功したと小さく心の中で、ガッツポーズしてから更に付け加える。
「君は、本当は……み、みんなのことも好きじゃないだろ……っ」
「……なんで、そう思ったんだ?」
少し苛々しながらも当てられたことが本当だったからか、彼はもう少し様子見しようと決めてくれたようだ。
「なんとなく……見てて」
「でも、それとこの行動がどう繋がる訳?」
「み、三上くんの……素が、見てみたかったから」
彼は黙ってしまった。そりゃ自分も逆の立場だったら、何を言えばいいか分からない。また何か切り札がないかと探すと、突然顔に固い感触が当たった。
「俺が驚いて取り乱す様子が見たかったの? それだけの為にこんな写真送られてきたこっちはどうすればいい」
そこにはばっちり昨日撮った自分の写真が映っていた。人の携帯から見ると、より一層気持ち悪く見える。
「……ごめん、なさい……でもなんで中野さんとその、付き合ってるの?」
純粋な疑問だった。世間体だろうか。それだけの為に上の世界の人たちは、こんな無理をするのだろうか。自分には分からない。
「お前に関係ないだろ」
「……許して、くれないよね」
「そんな簡単に許せると思ってるの?」
その言葉に心臓が早まり出した。賭けだったけど当たった。嬉しさを堪えて、どうしたら許してくれると、月並みの台詞を言ってみた。
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