上 下
1 / 143
プロローグ

00.おとぎ話と不幸令嬢と家族のこと

しおりを挟む
むかしむかしあるところにとてもしあわせなおうこくがありました。
あまりにしあわせなおうこくでおうさまもくにのひともみんなしあわせでした。
けれどおうさまがあるひ、びょうきになりました。
おうさまはねがいました。
このしあわせなおうこくがえいえんにつづいてほしい。
そのねがいをかみさまはかなえました。

そのくにはしあわせなままときをとめました。
えいえんにみんなしあわせにくらしましたとさ。

めでたし、めでたし

小さな頃にレミリアが母親に唯一読んでもらったおとぎ話。「れんごくの国」は彼女にとって内容はともかく変わるもののない特別なものだった。

レミリアの母親は隣国から急遽嫁いできたらしく、そのせいか家に母親のために準備されたものはほぼなにもなかった。だからいくら母親亡きあとにレミリアが母親のことを懐かしみたくても不自然なほどなにひとつそのが残ってはいなかった。

だから、たった一度読んでもらった「れんごくの国」というおとぎ話以外にレミリアが母親を思い出せるものはなにもなかった。

このアトラス王国は昔は海の国と言われていた温暖な海洋国家だ。その国の公爵家にレミリア・オリビエール・ヴァーミリオンは生を受けた。そしてレミリアと言えば世にもご令嬢だった。

そもそも、母親が隣国の貴族であるということ以外は何も誰もレミリアに話してはくれなかったし、それを誰かに問いただすこともできないくらい家族というものはレミリアにとって希薄だった。家族は父親と義母と腹違いの妹。

レミリアにとってその中の誰も家族というほどの絆を築いている存在はいなかった。父親はレミリアには興味がなない人だった。レミリアが住んでいる本宅へ帰ることもなく別宅にいる義母と腹違いの妹の元に入り浸っていた。

腹違いの妹は生まれた時からとても病弱で空気の良い別宅に義母とふたりで住んでいた。妹の看病のため義母は公爵夫人としての責務をほぼ果たしてはいなかった。

家族なんて名ばかりの存在だった。だからレミリアは普通の両親と妹がどういうものか理解できない。ただ分かるのはレミリアにとってそれはおとぎ話くらいには遠い存在だということくらいだ。

公爵夫人の業務は本来隠居予定だった祖母である元公爵夫人が果たしていた。彼女はとても厳格な人だった。元々先帝の妹である彼女は高度な教育を受けた完璧な姫君であり、孫であるレミリアにもその水準を望んだ。

レミリアは祖母から一般的な愛情を受けたという記憶はない。あるのは苛烈で厳しい祖母からほぼ虐待に近い教育を叩きこまれたというだけだった。
プライドの人一倍高い完璧主義の祖母はレミリアを完璧な淑女する義務があると考えていた。レミリアのためというより公爵夫人の仕事も果たさない愚かな嫁の代わりにレミリアに公爵家を支えさせたかったのだと、祖母は死の間際にレミリアに話した。

幼いレミリアはその日々がとても辛くて何度も泣いて泣いて逃げ出したいと願った。けれどそれを慰めてくれる家族はいない。常にレミリアは孤独という友人以外を持ち得ていなかった。

レミリアは幼いながらもたったひとりで立ち向かう必要があった。

最初は毎晩泣いていた。辛くて辛くて、そして悲しくて。けれど泣いても抗っても彼女は救われなかった。そんな時隣国のことわざを勉強していて、その言葉に出会った。

「泣いて解決するなら泣けばいい。
怒って解決するなら怒ればいい。
泣いても怒ってもどうにもならないときは笑えばいい」

というものだった。

その日からレミリアは泣くことも怒ることもやめた。ただ笑うようにしたのだ。最初は騙されたかと思ったが笑うことでほんの少しだけ周りの空気の棘が取れた。

躾はとても厳しく、時に体罰まがいのこともされたが全て笑って耐えた。笑っていれば不幸でも幸せな気がしたのだ。笑っていればまるで幸せな人間でいられる気がしたのだ。

それを祖母に咎められたこともある。淑女たるものは感情のコントロールが必要だと。それでもレミリアはどんなに注意されても笑うことだけはやめなかった。

不幸なレミリアは笑って笑って幸せであると思いこんで生きていたから、それが出来なくなればもうきっと狂うしかその当時はなかったのだから。

レミリアが、大体の基礎を叩きこまれた12歳の夏、祖母は亡くなった。良い思い出はひとつもないがそれでもレミリアに唯一話しかけてくれる人だった。

愛情らしいものを感じたことはないけれどそれでもレミリアを見てくれていた唯一の人は死んでしまった。

祖母がいなくなり公爵夫人の業務を義母がするためにこちらへ来るのではと考えていたが、父である公爵は珍しくレミリアの元を訪れて静かに言った。

「お前の母は妹の看病で忙しい。だから今日からお前が公爵夫人の仕事の一部を行うように。それ以外は別途家令が行う。後もうひとつ……」

初めて話しかけてきた父は何の抑揚もない機械みたいにしゃべる人だとレミリアは思った。父親である公爵は金色の髪に青い瞳がサファイヤのような麗人で、背も高く甘い顔立ちで本来は厳しい言葉など口にしなそうな穏やかな人に見えたが、レミリアは彼の笑顔を見ることはできなかった。

そして、残念ながらレミリアは父親にひとつも似ていなかった。

レミリアはこの国では珍しい黒い髪に金色に輝く太陽みたいな大きな瞳をした少女だった。肌も真っ白というよりは健康的な小麦色で、繊細さや儚さとは無縁のなんとも存在感のある少女だった。

伝え聞く病弱な妹はレミリアと真逆で父親譲りの金髪に母親譲りのエメラルドの瞳をした白い肌の美しく儚げな美少女だと聞いていた。

(私が妹みたいな可憐な子だったらお父様は私を愛してくれたかしら、こんな機械みたいではなく笑いかけてくれたかしら)

レミリアは生まれてこのかた病気らしい病気等したことはなかった。健康はありがたいことだが、それが庇護欲などを掻き立てない要因のひとつなのかもしれないと急に切なくなった。

「お前に婚約の王命がきている。第二王子であるクリストファー殿下の王子妃になる予定だ。今度から王子妃になるために王宮へ定期的に通うように」

「……お父様。私聞きたいことがございます」

「質問か?」

短く答えた父親にレミリアはとても意地の悪い気持ちになっていた。

(この人を少し困らせてやろう)

の私がどうして殿下の婚約者になどなれたのですか?」

レミリアの言葉に公爵は信じられないものをみるように見つめてきた。それくらいその言葉はインパクトのあるものだったようだ。

「捨て子だと。お前は正当な公爵家の娘であり公女だ。誰がそんなことを言ったんだ」
「誰も言ってません。でも本に書いてありました。「捨て子」には明確な親がいないって。だからおばあ様が亡くなり親のいないたったひとりになった私は「捨て子」だっておもいましたの」

レミリアはそれを満面の笑顔で言い放つ。そう、これはレミリアのブラックジョークだった。レミリアにとって自分はと同じようなものだと公爵に告げたのだ。まさか12歳の娘がそんなことを言うと思わなかった公爵は呆然とした顔でレミリアを見つめていた。
しおりを挟む
感想 49

あなたにおすすめの小説

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

みおな
恋愛
 伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。  そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。  その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。  そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。  ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。  堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・

私は貴方を許さない

白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。 前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。

すれ違う思い、私と貴方の恋の行方…

アズやっこ
恋愛
私には婚約者がいる。 婚約者には役目がある。 例え、私との時間が取れなくても、 例え、一人で夜会に行く事になっても、 例え、貴方が彼女を愛していても、 私は貴方を愛してる。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 女性視点、男性視点があります。  ❈ ふんわりとした設定なので温かい目でお願いします。

処理中です...