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52:悪夢と目覚めと03(アレクサンドル視点)

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その日、ベベの顔を見れば僕の心は満たされるはずだった。それになのに……。

僕は気づいた、ベベが僕に向ける表情はまるでホラー作品の明らかにクリーチャーに対して、恐怖を押し殺してなんとか笑顔を張り付けているような表情だと……。

それに対して、ベベがルキヤンに向ける表情は、まるで恋愛小説で友人の恋を見守るヒロインの友人が、惚気話を聞かされた後に浮かべるそれに何故か似ていた。

けれど、それでもルキヤンへ向けるものの方が、まだマシだ。

それは人間に向けるもので、僕へ向けているのは明かに脅威に対してのそれなのだから……。

そこで、ベベが前に僕に言ったことを思い出す。

『その不幸な世界では、貴方は私を嫌悪剤の影響で嫌い、私の従姉妹の子爵令嬢を番だとし婚約を破棄されました。それだけならまだしも、番を偽った罪として私の家族を殺し、私は廃墟のような離宮へ追いやった。それだけでは飽き足らず、従姉妹の子爵令嬢を殺そうとした冤罪をかけて私を処刑しようとされたのです』

まさにあの「夢」の内容だった。

(もしかして、ベベもあの悪夢を繰り返し見ているのだろうか……)

だとしたら、今ベベが僕をクリーチャーでも見るような目で見ている事実がその悪夢による心労であると想像できた。

その瞬間、ある程度は腑に落ちた。ベベはあの悪夢に似たものを繰り返し見ていて心が疲弊していて、僕を恐れているのだと……。

けれどあれはただの「夢」で僕はあんなことベベにはしない。

(どうにかベベとふたりきりで話がしたい、なんとかして誤解を解きたい)

強くそう願った時、爆音が響いた。急いで逃げた僕らは『竜泣きの湖』まで来た。

ベベとのデートが失敗した日の黒歴史の場所だ。

その場所で、何か怯えたような顔でどこかを見ているベベの視線の先には、離宮があった。

あの夢でベベが閉じこめられていた場所だ。もしかしたら夢と現実が混濁しているのではないかと思った。だから声をかけようとした時だった。

「エマ??」

なぜかそう小さく呟いたベベの顔が青ざめている。エマ、僕とベベの仲を違わせようとしたあの邪悪な女。何故その名を呟いたのかは分からないが、僕はその震える肩を抱きしめた。

柔らかくとても良い匂いがしたが、彼女の体がさらに強張ったのが分かったが、気にせずに話しかけた。

「ベベ、どうしたの??エマは、あの罪人は裁いた。だからもう怖くないよ」

そう優しく囁いた、けれどベベは完全にクリーチャーを見る目で僕の方を見ている。

「あ、あの、アレク様、離して……」

「嫌だよ、やっと捕まえたんだ、やっと……」

(やっとのことで捕まえた。やっと僕の腕の中に、僕のベベを捕まえた。やっとベベを恐ろしい現実から連れて行くことができる。そうすれば、そうすれば……)

今、腕の中にいるベベがなんだか自分のものになったような錯覚がした。

そしてこのままずっとここにベベを縛り付けたい、閉じ込めたい。そうすればと何故か思っていた。

過ちなど犯していないのにとても不思議な気分だった。

そう思ったら、何故か周りにいた人間がみんな消えてベベとふたりきりになれていることに気付いた。それはとんでもない奇跡だ、きっと神様が与えて下さったチャンスだ。

(すれ違った番を取り戻すための……、僕に与えられた、最初で最後の……)

そう思ったのに、彼女の口からその言葉が出る。

「アレク様、いえ、アレクサンドル殿下。私は貴方を番と思う日はきっと来ないでしょう」

ベベのその言葉に、僕の心臓が押しつぶされたような感覚がした。冷や水を頭から思いっきり被ってそのうえで雪の上を転がるくらい冷えた感覚だった。

(だめだ、やめてくれ、そんなことを言わないでくれ!!)

心の中で叫ぶが、言葉には出ない。そんな僕を侮蔑するようにベベは続ける。

「あの嫌悪剤、貴方はあの薬は自分には効かなかったと思っているようですが、もしあのまま私がそれに気づかなければ、貴方も私を嫌悪して遠ざけ虐げていたのですよ」

あの夢の世界の話だ。ベベにとってアレは現実のように思えてならないのだろう。僕もあの悪夢は恐ろしいと思っているが、今の僕はあんな愚かなことはしない、絶対にしないと誓える。

(ベベより美しいものなどない、もう過ちは犯さない、犯すことはないだから……)

お願いだから僕の声を聞いてほしい、そう思った、けれどまるで歌うように滑らかな口調で言い放ったベベの目は激しい憎しみに満ちていた。そこに愛が入り込む余裕がない位の激しい怒りの感情。けれど、それはなんて美しいのだろう。

(それほど僕は、彼女を愛している。愛しているのに……)

「もし嫌悪剤が効いていたら、貴方はエリザベスを番として妃に迎えて、その結婚式の翌日に私を処刑したのですよ。私には未来を見る力がある。その恐ろしい未来が見えていた。まるでゴミでも見るみたいな目で私を見る冷たい貴方の双眸を忘れたりなんてしません」

「それは夢だ、現実には起こっていない。何故、君は昔からそれにこだわるんだ!!」

滅多に感情を荒げない彼女が告げた本当の言葉に、僕がやっと返せた言葉は心にあるものと違うものだった。

(違う、そうじゃない、僕は僕は)

もっと違う言葉を返さないといけないのだ、それなのに体がわなわなと震えて、舌が絡まりその言葉が出てこない、とてもとても大切な言葉なのに。

(僕は、君をもう苦しめたりはしない、苦しめない、絶対に、もしこの心が変わることがあるならその時、君のために僕は……)

必死に思考をまとめようともがく、けれどその間に彼女から最後通告の言葉が響く。

「貴方はただの夢だという。確かにこの世界ではそれは起こらなかった。けれど、本当に番であるならば私を遠ざけても、自身の幸福のために殺そうとまではしないのよ。不幸になんてしたいと願わないのよ!!真実の愛とは、決して相手を不幸にしても通すものではない。ヤンデル殿下は今私を閉じ込めてでもものにしようとしている、私が不幸になっても手に入れたい時点でそれは、そんなものは……」

(だめだ、それ以上は、言わせたらいけない)

「ああ、そうか。そうだね。君は僕が君を幸せにできるか不安なんだね。問題ないよ。君を僕は必ず幸せにできる。そのためなら、なんだってできるんだ、そうなんだって……」

何かが壊れた。壊れてしまった。そう気付いた時、僕の世界が突然ひっくり返る。文字通り、後ろから抱きしめていたベベに突然、投げ飛ばされて地面に思い切り叩きつけられたのだ。

その激しい衝撃と痛みの中で、僕は何か光輝くものを見た気がした。

それは美しく甘美な感覚で今まで感じたことのないもので、壊れた心を塞ぐように満たしていく。

(なんて、気持ちがいいのだろう、ああ、まるで何か包まれる、いや包み込んでいるような気持ちだ、例えるならば、玄関にある毛足の長い絨毯、いやマットだ。玄関マットになったようなそんな気分……)

何故かとても解放されて満たされた気分の中で、僕をまるでゴミのように見据えてて逃げるベベの後ろ姿を眺めながら酷く満たされた気持ちのまま意識を手放していた。
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