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第四章 横恋慕する人

【21】

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  エキナカでワインを二本買った時から、純平は少し変だなとは思っていた。
 大学から近いターミナル駅で降りると、繁華街を通り抜けたマンションの前で玲子の足が止まった。
「ここの二十一階がうちなの」
「え? あの、ご飯食べに行くんじゃ……」
「私が作るわ。うちならワインも堂々と飲めるでしょ」
 さすがに腰が引けた。一人暮らしの女の先輩の家に上がってもいいのか……。
 ためらっている純平の手を玲子は強引に引っ張る。暗証番号を押してオートロックを解除するとエレベーターに押し込んだ。
「実家からステーキ用のお肉が届いてるの。水嶋くん、ビーガンじゃないよね」
「ビーガン?」
「ベジタリアンのもっとすごいやつ。肉や魚だけじゃなくて乳製品も食べない人たち。ハチミツもダメなの。革製品も使わないんだって。最近、増えてるらしいよ」
「ああ。俺、牛丼屋行ったら、絶対温玉トッピングですよ。カレーの隠し味はハチミツだし」
「良かった。なんか食べられないものある?」
「え? あの、パクチーがダメなんです。それ以外は何でも大丈夫なんですけど」
「へー、水嶋くんも苦手なもの、あるんだ」
「ありますよ、そりゃ」
「おふくろの味ってやっぱり肉じゃが?」
「うちはゴボウのきんぴらですかね。ちょっとピリッとしたやつなんですけど。おふくろの味って言えばあれかな」
 質問攻めにして、冷静になる余裕を与えない。
 エレベーターが開くと、最上階はワンフロアに一戸しかなかった。
 玲子は部屋の鍵を開けて、素早く招き入れる。
「さ、上がって」

 純平はだだっ広いリビングを物珍しそうに見回していた。窓の外は広いルーフバルコニーになっている。その先にはライトアップされた大学の講堂が見えた。「ここ、家賃おいくらなんですか?」
「全部分譲なの、このマンション。ここなら大学も近いし、いいだろってお父さんが気に入っちゃって」
「玲子さん、もしかしてお嬢様、ですか?」
「そんなわけないじゃない、二浪もしといて。一応、パパは社長だけど、九州の中堅肉問屋だし。あ、だからお肉だけは不自由したことないんだ。パパはふた月に一回は東京出張だから、ホテル代わりにもなるってこのマンション買ったの、会社名義でね」
「それ、社長令嬢じゃないですか。十分、お嬢様ですよ」
「お嬢様じゃダメ?」
「え? いや、あの、そういうわけじゃないけど…」
 ちょっと着替えてくるから、と言って玲子が姿を消すと、純平はバルコニーに出てみた。夜風が心地いい。俺のアパートと大違いだ、と思わずつぶやいた。

 しばらくして戻ってきた玲子は、バスタオルで髪を拭いていた。
 身体に張り付いた黒Tシャツは裾が短めで、綺麗な形をしたへそがのぞいている。胸には突起がポチッと浮かび上がっていた。
 どうやら下はノーブラらしい。ホットパンツは少し小さいのか、お尻がはみ出そうだ。
「水嶋くんもシャワー浴びてきなよ。汗かいたでしょ」
 純平は慌てて視線を逸らした。
「いや、いいですよ、俺は」
 上着はこれに掛けて、とハンガーを渡された。
「ネクタイも、もう締めてなくてもいいわよね」
 玲子はネクタイを緩めると、首に手を回す。胸と胸が密着した。
 やばい、マジでやばいよ、これ……。
 尖ったものを感じて、下半身に熱い血が流れ込んでいく。
 狼狽する純平を上目遣いで見ながら、玲子はネクタイを手に何事もなかったように話しかけた。
「お肉、炭火で焼いた方が美味しいの。これから準備するね」
「え、ああ、はい」
「だから、シャワー浴びてきなさい、水嶋くん」

 バスルームから出ると、ドラム式の洗濯機が回っていた。
 脱衣場には、封を切っていないTシャツとトランクスが置いてある。
「あの……俺のワイシャツは」
 リビングの方から声が飛んできた。
「ああ、洗っちゃった。パンツと靴下も」
「ええ! あ、お、俺、どうすればいいですか」
「それ、パパのなんだけど良かったら着て」
 裸でいるわけにはいかない。言われるがままトランクスに脚を通しながら、純平はすみれのことを考えた。
 こんな格好で二人きりなんて、やっぱりまずいよな……。

 キッチンでは玲子が分厚い肉の塊を手際良く切り分けていた。
「それ、バルコニーに運んでもらえる」
 皿にはアスパラガスやじゃがいも、玉ねぎ、エリンギなど野菜やキノコが並んでいる。
 バルコニーには既に長方形のバーベキューグリルがセットされていた。
「うちのパパ、バーベキュー大好きなの。このマンション、最上階のこの部屋だけはOKなんだ。だからパパ、社員さんたちと東京に出てきた時は、ここでパーティーやってるのよ」
 肉を運んで来た玲子は、手慣れた手つきでグリルをうちわであおぐ。
 パチ、パチ。炭に火が燃え移ると、純平までテンションが上がってきた。
 テーブルの上には、駅で買ったチリ産の赤ワインが既に開栓されている。
「水嶋くんはワインでも飲んでてよ」

 肉の焼ける香ばしいいい匂いが漂ってきた。
 アルミホイルに包まれたじゃがいもと玉ねぎは、十字に切り込みが入っていて、バターがたっぷり溶けていた。オリーブオイルに塩コショウを振ったアスパラガス、斜め切りにしたエリンギはそのまま網の上で踊っている。
「はい、焼けたわよ。このお肉はミディアムレアが一番美味しいんだから」
 こんな分厚いステーキ見たことないよ。純平は思わずつぶやきそうになった。
「ウルグアイ産の熟成ビーフ。ウルグアイって国土の八十八%が草原なんだって。だから牛も牧草をたっぷり食べて育つの。運動もいっぱいして、それで赤身が多くてヘルシーな肉になるんだってパパが言ってた。まあ、とにかく、食べてみてよ」
 玲子はごく自然に純平の隣に座った。
「じゃ、乾杯!」
「え、ああ、はい、乾杯」
 ご飯食べるだけなんだから、いいんだよ……。純平はワインをグッと飲み干すと、割り切ったようにステーキにかぶりついた。
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