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ワールドエンド邂逅編

破滅の少女と普通だった少年

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 空から、血が降った。
 影から飛び出した少女の身体を、鉛色の爪が無造作に引き上げ、その背を鋭い牙が薙いだ。
 
「……シオ、ッ」

 長いまつげが震え、赤い瞳が大きく揺れ、閉じた。
 それだけだった。
 ものの数秒にも満たない、一瞬の出来事。
 たったそれだけで、少女は動かなくなった。

「レイゼル!!!」

 必死に伸ばした手に、指先に、レイゼルの長い髪が触れる。俯いた頭は動かず、なめらかな銀髪はするりと上に抜けていく。
 かわりに、ぽたぽたと落ちる血飛沫が頬を濡らす。
 にわかに降った血の雨に必死に名前を呼びながら、レイゼルが着地用にと回していた魔力を使い、最後の跳躍をする。
 今まさに化け物の口の中に放り込まれようとする青白くほそい手を、限界のギリギリで掴んだ。

「レイゼル……レイゼル!!!」
「……う、」

 わずかに絡めた指先から勢いよく手首を掴むと、少女がちいさく呻いた。
 生きている。
 だが、モノの口が閉じる方が早く、少女を引っ張り上げるかわりに、志恩は自分の左腕──役立たずの銃をその口に突っ込んだ。

「ぐうぅっ……!!!」

 縦に突き刺した銃は、幼子一人ぶんの隙間を作った。
 そして、火事場の馬鹿力とでもいうのか、すんでのところで化物の口から引きずり出した少女を右手で引き寄せることに成功した。

 激痛のなにもかもを無視し、左腕を化物の牙に突き刺し、ムカデの下顎に足をかけて、上半身を安定させる
 下から牙に突き上げられ、貫通一歩手前の銃を一瞥し、志恩はレイゼルを掴んだ右手に力を込めた。

 星幽兵器は魂と同義。
 その白銀の銃身に、化物の牙が上下から食い込み、ギリギリと鈍い音を立てて軋む。砕けた魂の破片が、化物の口内へ舞った。
 口の端から血を吐き、文字通り魂を裂く痛みに叫びながら、志恩は右腕の少女を抱きしめた。

 痛い痛い痛い、苦しい、痛い。痛い、嫌だ──だが、それがなんだというのか。

 右腕に抱きしめたちいさな身体の、細い背中に感じるあたたかみが、文字通り血のぬくもりだと気づいて、至恩は悔しさと怒りに目を輝かせた。
 魔力というものが自分にないことを呪いながら、あともう少し持ちこたえろよと牙に削りとられる自分の左腕をにらんだ。
 魔力が無いなら、その代わりに、志恩が差し出せるものは、ひとつしかない。

「……こ、の!!」

 プロトタイプ・デカには舌がない。
 だから、獲物を絡め取ることはできず、光が消えていたはずの赤い目を輝かせると、自分から飛び込んできた獲物を口の奥へ引きずり込むことにした。
 上顎がギチギチと音を立てながら狭まり、下顎が斜め上へ傾いていく。

「いい加減に……っ……しろよ」

 血を噛み締め、荒く息を吐きながら、志恩はうそぶいた。

 視界が暗くなり、ぶら下がっていた身体が逆さに持ち上げられる。
 傾いた拍子に支えにしていた左腕が外れ、ひょいと一飲みするように、頭から真っ逆様に落ちていく。
 プロトタイプ・デカの口内に光は差さず、汚臭が鼻をつき、奥に向かえば奥に向かうほど、深い闇が広がっている。
 しかし、

「クソムカデ野郎……!!」

 獣じみた咆哮と同時に、左腕が閃いた。穴が開き、削られた銃身からこぼれ落ちる破片までもが、白く輝く。

 髪が揺れ、頬の脇を星屑のように白い光が巻き上がっていく。
 首筋の、腕の、あらゆる血管が皮膚に浮き出るとともに、それがどくどくと脈打って左腕に流れていくのがわかる。それは少女の魔力が注がれたときにも似ているが、今はすこしだけ違う。

 頭のてっぺん、足のつま先、身体中から左腕の銃身に、魔力に似た力が集まってくる。どくどくとダムが決壊したかのように全身を巡る血の流れに、心臓が痛いほど脈打ち、内臓が焼けるように熱い。
 身体が限界を迎えたのか、喉をせり上がってくる血を無視し、至恩は歯を剥き出しにして銃を構えた。

 腕の感覚はほとんどないが、火花が散るような、一瞬一瞬の熱ならわかる。自分の命を燃やした、灼熱の濁流が注ぎこまれる銃口を闇に向け、至恩は溜まった血を吐き捨て、吠えた。

「うおぉぉおお!!!」

 銃身が一際光り輝き、消えたセフィロトが燃えるような銀の文字で鮮やかに蘇り、再び生命の樹を刻印する。
 銃口から放出された銀光が、暗い闇を切り裂き、化け物の喉を裂いて、膨大な光の奔流が至恩を飲み込んでいく。

 光に覆われた世界で、至恩は大きく目を見開く。白銀の津波の中で、右腕の少女だけは離さなかった。



 /*/



 銃の反動で化物の口の中から放り出され、衝撃波の余波で地面に叩きつけられる。
 重力と風圧に押しつぶされ、目も開けられず、周囲の確認などもちろんできずに、落下の恐怖だけが背中に迫る。

 化け物に食い殺されるのと、投身自殺。どちらがいいのだろう。
 どちらも悪い。悪いが、今度こそなにもできない。足にはもうレイゼルの魔力は残っておらず、左腕はただのガラクタと化して、動かなかった。
 右腕の少女をせめて離さないよう抱きしめて──自分のものではない血に濡れた右腕と、鉄錆の臭いが、志恩の最期を彩っていた。

 飛び降り自殺は意識を失うというが、あれは嘘だな、と思う。
 地面に叩きつけられる寸前まで、志恩は腕の中の温度を覚えていたし、急降下する中で考えたことは、結局なにもかも助けられなかったと、それだけだった。
 それしかなくて、

「……っ、ばか」

 驚いて開けた視界の端に、金に波打つ膜が見えた。
 地面でも木でもなく、山の斜面にかろうじて引っかかった、ひしゃげた鉄塔の上に、ふわりと背中から落ちる。
 先に展開された結界のおかげか、鉄にこもった炎の熱は感じずに、衝撃もさほどない。

 志恩は緑の瞳をまたたかせ、生き延びた実感や、感動というものを放り捨てて、なによりも目の前から聞こえた、ずいぶん久しぶりに感じるかわいい声の主を見た。
 口を開きかけ、謝るべきか喜ぶべきか、なにを言えばいいかもわからずにいると、

「ば……シオンのバカ! どうし……痛ッ……どうして、逃げなかったの!! どうしてあんな……あの光は、命の光だった」
「レイゼル」

 命の光。ああ、確かにあの一発に寿命を使ったというなら、そうかも知れない。死ぬほどキツかった。でも、二人一緒に死ぬよりはマシだった。

 ひどく弱々しく、けれど涙目で胸をポカポカ叩かれて、志恩はようやくレイゼルを抱える腕の力を抜いた。
 淡いピンクのカーディガンは血に染まり、ワンピースごと皮膚がざっくりと裂けている。濡れた布地越しに、傷口の感触がダイレクトに伝わってきて、志恩はきつく眉をしかめた。

「お前こそ……バカはお前だろ! なんで、俺を庇ったんだ!! なんで……なんで……」

 怒ろうとして、失敗した。
 ようやく襲ってきた安堵と、心配が九割を占めた怒りに、俯いて深く息を吐く。忌々しくも動かない左手のかわりに、右手のひらを爪が食い込むほどにぎりしめた。 

 その志恩の髪を、やさしく指がなでた。幼い指先は、痛みを堪えて、かすかに震えていた。

「なんで……なんでかな。わかんない。身体が……勝手に、動いてたから」


 本当に、心の底から不思議そうに、レイゼルがつぶやく。


「これじゃまるで、人間みたいだね」

 ひどく困ったように少女が笑うから、何も言えないでいると、今更思い出したように、左腕に鋭い痛みが走った。

「……っ」

 レイゼルに気づかれないよう声は抑えたが、表情までは隠せなかった。
 電流が走るような痺れと痛みに顔を歪めると、レイゼルが寄りかかったまま、眉をしかめて志恩を見つめていた。だから、潰れた銃口を隠し、志恩は努めて明るく口を開いた。

「いや、大したことない。お前よりはずっとマシだから、大丈夫。撃てなくなったけど……ッ、それだけで……それより早くお前を病院に」

 その瞬間、ぐらりと身体が揺れる。

 それが痛みによる目眩ではなく、下からの物理的な振動だと気づいて、志恩は舌打ちをした。
 右手のこぶしをほどき、傷に触らないようにレイゼルを引き寄せる。レイゼルが苦しそうに顔をしかめながら、けれど痛いとは一言もいわずに、志恩を見た。

「シオン」
「なに」

 レイゼル越しに眼下を睨んで、志恩は答えた。
 星幽兵器で撃たれたムカデの上半身が、山中で木々に串刺しになって転がっている。今度こそ倒したのか、動く様子はない。

 それはいい。問題は、下半身が未だ生存している事だ。

 真っ二つに切断されて生きているなど理不尽にもほどがあるが、そんな文句は通用しない。そして、その下半身部分がどこにいたかを考えて、動かない左腕に、苛々と舌打ちをした。

「ねえ、シオン」
「だから──」

 一体なに、と聞き返しかけて、志恩は翠の瞳をまたたかせた。
 レイゼルの細い指が、志恩の両頬を無理矢理に挟んで、覗き込んでいたからだ。
 視界が、焼け野原の平坂山から、吸い込まれるような赤でいっぱいになる。

「生きたい?」
「当たり前だ!!」

 即答する志恩に、レイゼルは嬉しそうに、死の天使のように優しく微笑んだ。

 頬を、ぬるりとレイゼルの指先が滑り落ちる。その冷たく妙な感触をいぶかしむ前に、華奢な爪先が志恩の唇に触れた。
 つっと上唇をなぞり、下唇を開き、ひっかけた爪がするりと歯列を割る。
 鉄筋の振動も忘れて目を白黒させる志恩に、鼻先で微笑んだままレイゼルは口を開いた。そして、

「じゃあ、これはサービスにしとくね」

 その笑みとは正反対の荒っぽさで、手が口内に突っ込まれた。

「破滅の顕現、滅殺の願望器、原初にして終の終に生まれ出でるもの。全知全能然あれど、三度三度滅ぼしても飽き足らず、七度七度滅ぼしても飽き足らぬ」

 少女の朗々とした祈りとは似つかわしくない、鉄錆の味が口内に広がる。
 妙な甘ったるさに眉をしかめ、そもそも他人の血など飲みたくないと、身をよじろうとしても不安定な鉄筋の上に逃げ場はない。
 細くて小さい子供の指とはいえ、異物感で苦しい。が、眉をしかめる至恩を無視して、三本の指が、上顎を、下顎を、そして舌をざらりとなぞる。

「我が願い、我が祈り、我が呪い、我が救い」

 せめても血だけは飲まないようにと必死だった志恩の苦労を嘲笑うように、舌を引き出し、そして何かを描き上げると、レイゼルは満足そうに微笑んだまま顔を近づけた。

「私の全部をあげるから、シオン」

 さらりとレイゼルの前髪が、志恩の額に触れる。額と額がぶつかって、目と目が合う。
 蕩けるようなささやきに、指が離れ、そして、唇が触れた。
 柔らかい感触とともに、喉を血が落ちていく。

 まるで、溶けた鉄を流し込まれたようだった。
 どくりと身体が大きく跳ねる。頬に、首筋に、腕に、皮膚のあらゆる場所に血管が浮かび上がり、燃えたぎるような熱が、細胞を変えはじめる。
 緑の瞳孔に、流星めいた金色の光が走った。

「──絶対に負けないで」

 影から供給される時とは比べものにならない魔力量が、志恩の身体から迸る。
 制御の効かない高濃度の魔力がプラズマを放ちながら金と銀の光が竜巻のように天に昇る。
 世界を覆い尽くすほどの魔力が天上へ放出され、巻き上がる金と銀のオーロラが、赤い空を支配する。

「レ、────ッ!!」

 放出される魔力の量に比例するように、骨がきしみ肉は弾けそうで体中が悲鳴を上げていたが、血が直接触れた喉は焼け、呻き声さえ出せなかった。

 負けないでと言い残し、とうとう力尽きて目を閉じて意識を失った少女を腕に抱え、志恩は魔力の壁の向こう側をにらみつけた。
 竜巻の向こうに、巨大で黒い影が立ち上がって至恩を見ている。だが、どうすることもできない。あふれんばかりの魔力が巡り、金の光を纏い、白銀に輝き、だが以前銃口の潰れた銃を見下ろし、役立たずめと唇だけで悪態をつく。

「……化け物、め」

 歯をかみしめ、荒い息を吐き、一、二度、血が混じった淡を吐き捨て、そしてようやく至恩は苦々しくつぶやいた。
 膨大な魔力に怯えもせず、その外側で悠々と竜巻が晴れるのを待っている、何か。そもそもムカデの弱点は頭なんだから、上が死んだなら、そのまま死ねばいいものを。どれだけ生き汚いのか。けれど、それは自分も同じか。

 生きたい、生きたい、死にたくない──失いたくない。

 デミタイプ、いや、デミウルゴスタイプ・モノ。この化け物は、化け物たちは、一体何なのだろう。
 ただ生きたいだけなのか、捕食以外にも目的があるのか。そのどちらにしても、

「お前らに殺されるわけにはいかないんだよ」

 低く唸って、至恩はレイゼルを抱き上げて立ち上がった。
 次第に魔力の層が薄くなり、収縮をはじめ、はっきりと、その禍々しさの全貌を表し始める。

 二つに叩き斬られてなお、その全長は見上げるほど高い。黒々と固い側面の表皮はまるい円状にべろべろとめくりあがり、そこから赤い目がぎょろりと現れる。十を超える目が一斉に至恩を見ている。
 唯一本物のムカデと似た二本の曳航肢は鋭い鋼の角で、その頭部には細かい角がいくつも生えている。

 そよ風でもふらつく身体を足を踏みしめて立ち、至恩がにらみつけると、ムカデは──プロトタイプ・デカは面白そうに左右に揺れて、笑った。
 口などなかったが、突然、曳航肢の下がメリメリと裂けはじめたのだ。
 至恩が驚いているうちに、突如現れた口からはみ出すほどの牙が生え、そして、裂けた口を大きく開いた。

 瞬間、突風が吹いた。

「……ッ」

 モノの裂けた喉に、膨大な赤い光が集まる。街ひとつ吹き飛ばす威力の熱波が、目の前にある。
 レイゼルをせめても守るように両腕で抱え、至恩は吹き荒れる魔力風にあおられながら、化け物をにらんだ。

 立っているだけが精一杯で、逃げるという選択肢はない。
 この距離ではどうやっても巻き込まれる。どうにもならない。いや、俺では、どうにもできないが、それだけだ。
 至恩は一度目を閉じ、そして目を開けて、大きく息を吸った。

 プロトタイプ・デカの赤い目が輝く。黒々とした長体を放射のためくの字に曲げ、長い脚を鉄筋にひっかけて固定する。大砲のように口の奥から赤い光が放たれる寸前──

「コウ!!!」

 天上から黒い雷光が轟いたのは、志恩が叫ぶと同時だった。
 何もかもを飲み込むような赤い光が、稲妻に弾かれ、電閃に切り裂かれる。ビームはわずかに軌道を変え、峠道を燃やしながら、轟音を立てて街で火柱を上げた。
 とはいえ、その現場にいた至恩が無事なわけもなく、ひしゃげた銃身と右腕でレイゼルを抱きしめたまま、バラバラになった鉄筋と一緒に空中に放り出された。

 稲妻とビームの反動で、ムカデが山に落ちていく。巨体を受け止めて折れる木々を一瞥したあと、至恩は目を見開いたまま、小さく笑った。

「ちゃん付けしねェでも呼べるじゃねえか」

 余波に吹き飛ばされながら至恩が手を伸ばすと、雷火から現れた金髪の少年が面白そうにその手を掴んだ。
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