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136 ディックの想い
しおりを挟むこぽっ。
小さなグラスを満たす緑色の濁った液体。時折、大きく泡を盛り上げ、薄緑の煙を出した。
グラスを持つ小さい指が僅かに震えている。眉を寄せ、いや、顔中のパーツを中心に寄せた奴は、半分開いた漆黒の瞳を俺に向けた。
可笑しい。
薬湯を受け取って、もうどれくらい経つのか。飽きもせず、覚悟もできずに同じことを繰り返している。
意地悪にプイとソッポを向いてやれば、ぐしゅと鼻を啜って、またグラスと向き合う。ガラゴロと痰が絡んだだろう唾を飲み込み、ゴホッと咳き込んで、また俺を見る。
クイと頭を正面に向けてやれば、う"ーと唸って、再びグラスと睨めっこだ。
こんな顔ができる様になったのだと込み上げる笑いを隠す。潤んだ瞳にクァックスの様なへの字口。ちらり、こちらに向ける瞳に甘えた感情が込もる。
俺が保護した頃は、表情のない大人びた横顔をしていたのに。そう思い出して感慨に耽った。
「そんなに嫌ならやめておけ」
口から出た甘やかす言葉に、奴は扉を見つめてその向こうの輩を思う。
「だって……、ディーナーさんがオレの為にって」
表情とは反対に作った奴らのことを慮る。四つになったばかりの癖に。コウタらしい。そして餓鬼らしからぬ思考を鼻で笑った。
「おや? おい、あれなんだ?」
指差した窓に気を取られたその隙に、鼻を摘んでぐいとグラスを押し当てる。バタと手足を動かす間を与えず、口と鼻を塞いでやれば、ほら、ゴクリ。飲み込むしかなくなる。思った通り、ムキーと反撃をした瞬間に隠しておいた棒付き飴を口に突っ込んでやる。
「飲めただろう?」
いつもの顔で笑えば、片頬をパンパンに膨らました奴がプイとソッポを向いた。
大丈夫だな。存外に元気だ。
ほのかに赤い頬を包む。もちもちと柔らかですべすべと心地いい。ことり身を預けられた胸がじわり温かいのも、ミルクやチーズのような香りも、側にいる者を魅了するコウタマジック。どんな魔法にも敵わない安らぎだ。
だからだろう。
俺は、俺たちは、この無垢な奴を好きになったし、ただ純粋にコウタらしくいられる様にと切に願うのだ。
コイツを手放したくない。
その想いは、コウタの魔力や神秘性を欲する輩と何が違うのか? 俺は、私利私欲のためにコイツを我が物にしようとしていないだろうか? 俺の元にいることが、本当にコイツの幸せなのだろうか?
手の平になすりつけられる細く柔らかな漆黒の髪を存分に楽しみ、棒から外れた飴の音をコロコロと耳にする。
「レイは……」
少し聞きやすくなった甲高い声がゆっくりと紡がれる。
「レイは、強いがらじんばい。大事な事を知っでで、真っ直ぐだがら。オレはごごに居られなぐなっだら、どうじでいいのが分がらなぐなる。レイは、ジギャイジュのお店じ行けなぐなっだでしょう? でも、大丈夫だよっで側にいだいの」
コイツは……。人のことばかりだ。
此処に居たい。俺のとこに居たいって……、何で今、言うのかよ。嬉しくも切なく、込み上げる想い。悟られぬように、小さくて華奢な身体を胸にギュッと押し込めた。
「だがな、お前、今、こんなだぞ? レイに風邪をうつしたらどうする? アイツ、働けんくなるぞ?」
「あ……」
申し訳なさげにしゅんと俯く。こんなところは四歳だ。俺たちがほっとする瞬間。
「じゃぁ……」
ごそごそと何もない空間を弄ったコウタは小さめの磨いた石を一つ取り出した。
「晴れだら、一緒に石を探ぞうっで、やぐぞぐじだの。こえだけ、わだずのは駄目?」
コイツは……。
さりげなくやらかしやがる。俺は苦笑いをして石をひとつポケットに入れた。まぁコウタらしい。俺は、今、一番の懸念をコイツに告げる決心をする。覚悟が必要だ。
「お前のことなのに、お前が知らん、と言うのは嫌だったな」
重い口を開くと、幼さを残した瞳が俺をとらえた。
「お前の養子縁組の申請が保留になった。ここ数日、俺はその意味を確かめている」
キョトンとした漆黒の瞳は、意外そうに俺を映した。
「おそらく、俺達が王都に入る前からだ。様子を探る輩がいた。まぁ、俺のことを面白がる奴らだと思っていたが、そう単純じゃねぇみたいだ」
「探る……?」
真意を掴めないコウタは、幼児のまま俺の首に巻きついた。
「魔力か……容姿か……? 出自かも知れねぇ。怖がらせるつもりはないが、狙いはお前だろう」
「……オレ?」
「誰も見たこともねぇ魔法を無詠唱で使う餓鬼だ。研究もしてぇだろうし、利用したい奴もいる。回復はバレてないと思うが……、転移は微妙だ。だから当分、絶対に使うんじゃないぞ」
「転移は……ダメ?」
深刻に捉える顔に、剃ってない髭を擦りつけると、きゃきゃと笑って身を反らした。ああ、その顔だ。俺が好きな顔。愛しさに茶の瞳が揺れるのが分かった。
「お前は好きな奴の為にならきっと無茶をする。敵陣に乗り込んで秘密を暴くのも、相手の懐に飛び込んで一閃に殺めるのも。転移ができりゃ簡単だ」
さっと青くなったコウタに柔らかく笑みを向け、奴と一緒に布団に潜り込んだ。ゴロゴロと絡む痰が痛ましく、背に腕を回して高さをつけてやる。これで呼吸は楽になるだろう。
「お前の見目は特別だ。混じりっけのない艶のあるこの髪も、白い肌にふわり赤らむ頬も。フリオサだけでなく側に置きたい貴族は多いだろう。人を集めたい教会なんかいい例だ」
「貴族の奴らは、お前が外国の王族かも知れないと出自を探っている。俺たちも初めはそう思ったさ。王族なら相応しい教育を相応しい場所で受けさせるべきだと。辺境なんかじゃ失礼なんだとよ」
「ひ、酷い! オデ、村が好ぎ! おうじょぐじゃないじょ。」
起き上がって反論する奴を再び布団に押し込める。
「だからだ。明日、ちょっとでも良くなったら見せつけてやろう。お前には俺んとこがピッタリだって。ぐだぐだ言う奴らが何も言えねぇくらいに、親子って姿を見せてやろうぜ」
「!!!!!」
嬉しそうに、にっぱぁと笑みを溢したコウタを、再び布団に押し込めてトントンとリズムをつけてやれば、幼い四歳の瞳はすぐに微睡んで、ズビズビと寝息を立て始めた。
俺はそっと腕を抜いて頭を掻くと、重い足取りで部屋を後にした。明日、コイツとの約束を果たすには……。やっぱり今日も仕事をせねばなるまい。
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